第22話「招かれざる過去からの使者」
皇后としての生活も板につき、帝国に確固たる地盤を築いてから数年が経った。私とジークハルトの間には可愛らしい双子の男女が生まれ、宮廷はかつてないほどの幸福な空気に満ちていた。
息子のアルフレッドは、父であるジークハルトに似て冷静沈着で、幼いながらも王者の風格を漂わせている。娘のイリヤは私に似たのか好奇心旺盛で、時々とんでもないいたずらをしては、私やアンナをハラハラさせた。
『……スローライフとは、程遠いな』
子供たちの世話と皇后としての政務に追われる毎日は、忙しくも充実していた。これ以上、何を望むというのだろう。私は、今、最高に幸せだった。
そんなある日、エルスリード王国から一人の使者が訪れた。父からの親書を携えてきたその使者は、意外な人物だった。
アラン・フォン・エルスリード。
王位継承権を剥奪され、修道院に幽閉されていたはずの私の元婚約者だった。
数年ぶりに会った彼は、すっかり様変わりしていた。かつての傲慢な王子の面影はなく、日に焼けた肌と鍛えられた体つき。その目には、過去の過ちと向き合い、何かを乗り越えた者だけが持つ静かな光が宿っていた。
「……お久しぶりです、イザベラ。いや、皇后陛下」
彼は、私の前で深々と頭を下げた。その態度は礼儀正しく、かつての彼とは別人だった。
「アラン殿。何の御用でしょうか」
私は、冷静に、だが警戒は解かずに尋ねた。隣に立つジークハルトは無言だが、その銀色の瞳は氷のように冷たい光を放っている。もしアランが少しでもおかしな素振りを見せれば、即座に命はないだろう。
「父上――ヴァレンシュタイン国王陛下からの、親書をお持ちしました。そして、私個人の謝罪と、お願いがあって参りました」
彼は、そう言うと震える手で私に一通の手紙を差し出した。そして、その場に跪いた。
「かつて、私はあなたに取り返しのつかない過ちを犯しました。私の愚かさと嫉妬が、あなたを深く傷つけ、あなたの人生を狂わせてしまった。どんな言葉を使っても謝罪しきれるものではないと分かっています。ですが……どうか、許してほしいとは言いません。ただ、私の罪を償う機会を与えてはいただけないでしょうか」
彼の言葉は、心からのものだと分かった。修道院での生活が、彼を人間として大きく成長させたのだろう。
「償い、ですか」
「はい。私は、修道院を出た後、一介の騎士として父上の元で国の復興に尽くしてきました。そして、この度、父上の許しを得て、あなたに忠誠を誓うために参りました。どうか、このアラン・フォン・エルスリードを、あなたの騎士の一人としてお使いください。この命、あなたとあなたの家族を守るために、捧げさせてほしいのです」
彼は、床に額をこすりつけんばかりにして懇願した。
私は、しばらく黙って彼を見下ろしていた。そして、隣に立つジークハルトの顔を見た。彼は相変わらず無表情だったが、その目で私に『好きにしろ』と語りかけていた。
私は、一つため息をついた。
『本当に、面倒な男だ』
どこまでも、私に面倒事を運んでくる。
「……顔を、上げなさい」
私の言葉に、アランはおそるおそる顔を上げた。
「あなたを、私の騎士にはしません」
その言葉に、彼の顔が絶望に染まる。だが、私は続けた。
「あなたには、もっと相応しい役目があります。エルスリード王国とアストレア帝国を結ぶ、架け橋となる役目が。大使としてこの帝国に留まり、両国の友好のために尽力なさい。それが、あなたにできる唯一の償いの形です」
私の提案に、アランは呆然とした顔をした後、その瞳に熱い涙を浮かべた。
「……はい。謹んで、お受けいたします。皇后陛下、その御慈悲、生涯、忘れません」
彼は、何度も、何度も、頭を下げ続けた。
過去からの、招かれざる客。だが、彼の来訪は、私の中にまだわずかに残っていた過去のわだかまりを完全に溶かしてくれた。
もう、何も恐れるものはない。
私は、新しい一歩を踏み出したアランの背中を静かに見送った。




