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第16話「戴冠式と過去の清算」

 国王となった父との再会は、思ったよりも穏やかなものだった。彼は私が谷で成し遂げたことを自分のことのように喜び、そして、かつて私を守ってやれなかったことを何度も謝罪した。


「もう、いいのです、お父様。全ては、終わったことですから」


 私の言葉に、父は寂しそうに微笑んだ。


 戴冠式の前日、私は父の計らいで王宮内を自由に散策する時間をもらった。もちろん、その後ろにはぴったりとジークハルトがついてきている。


「懐かしいか?」


「別に。退屈な場所だった、という記憶しかありませんわ」


 庭園のベンチに座りながら、私は素っ気なく答えた。かつてアランと共に何度も歩いたこの庭も、今となっては何の感情も呼び起こさない。


「そうか。ならば、私がもっと楽しい場所に変えてやろう。この庭一面に、君の好きな青い薔薇を植えさせるのはどうだ?」


「結構です。帝国のお金は、帝国の民のために使ってください」


 相変わらずのジークハルトの申し出を、私はぴしゃりと断った。彼とのこんなやり取りも、すっかり日常の一部になっていた。


 そんな時、庭園の向こうから一人の女性が歩いてくるのが見えた。質素な修道女の服をまとっているが、その顔には見覚えがあった。


 リリアナ・オーウェン。


 彼女は、庭師の手伝いとして修道院から働きに来ているようだった。私たちの存在に気づいた彼女は、びくりと肩を震わせその場に立ち尽くした。顔色は悪く、かつての聖女の輝きは見る影もない。


 私と目が合うと、彼女は慌てて顔を伏せ、逃げるようにその場を去ろうとした。


「お待ちあそばせ、リリアナ様」


 私は、静かに彼女を呼び止めた。彼女の足が、ぴたりと止まる。


 私はゆっくりと立ち上がり、彼女の元へと歩み寄った。ジークハルトが、心配そうに私の後をついてくる。


「……何か、御用でしょうか。イザベラ……様」


 リリアナは、地面を見つめたままか細い声で言った。その声は恐怖に震えていた。私が、自分に復讐しに来たのだとでも思っているのだろう。


「別に、用などありません。ただ……あなたは今、幸せですか、と聞きたかっただけです」


 私の意外な問いかけに、リリアナははっとしたように顔を上げた。その瞳が、驚きに見開かれている。


「……幸せ、なわけが、ありません。私は、全てを失いました。アラン様も、聖女としての力も、民からの信頼も……」


 彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「自業自得です。私が、あなたを妬み陥れようとした罰なのです。どうぞ、罵ってください。石を投げてください。それが、私に相応しい罰なのですから……」


 彼女は、その場に泣き崩れた。私は、そんな彼女をただ静かに見下ろしていた。


『面倒だな。泣きたいのは、こっちの方だ』


 私は、同情も憐れみも感じなかった。ただ、目の前で泣いているこの女が、かつて自分を破滅させようとした相手だという事実がひどく現実味のないものに感じられた。


「私は、あなたを罰する気はありません」


 私は、淡々と言った。


「あなたを裁くのは、私ではない。あなた自身の心と、そしてあなたが裏切った人々です。あなたが本当に罪を償いたいと思うのなら、ここで泣いているのではなく、これからの一生をかけて人々のために尽くすことではないですか?」


 私の言葉に、リリアナは嗚咽を漏らしながら、ただうなずくことしかできなかった。


「……もう、行きなさい。二度と、私の前に現れないで」


 私は、彼女に背を向けた。これで、本当に全てが終わった。過去との、完全な清算だ。


 ベンチに戻ると、ジークハルトが何とも言えない表情で私を見ていた。


「君は、優しいな」


「別に。ただ、面倒だっただけです」


「ふっ……。君らしいな。だが、そういうところも、好ましい」


 彼は、私の髪を優しく撫でた。その手つきは、とても温かかった。


 翌日、戴冠式が厳かに執り行われた。父がエルスリード王国の新たな王として即位するのを、私は賓客席から見守っていた。式の後、祝賀パーティーが開かれた。各国の王侯貴族が集まる華やかな席だ。


 私は、父にエスコートされ会場の注目を一身に浴びながら、ダンスの輪に加わった。


「見違えたな、イザベラ。本当に、強く、美しくなった」


 踊りながら、父が感慨深げに言った。


「お父様こそ。王様の衣装が、案外お似合いですよ」


 私たちが笑い合っていると、一曲が終わり次の曲が始まった。すると、どこからともなく現れたジークハルトが、父の前に進み出た。


「国王陛下。次の曲は、私が彼女のパートナーを務めさせていただいても?」


「うむ。皇帝陛下、娘をよろしく頼む」


 父は、にこやかにうなずくと私の手をジークハルトに渡した。


「光栄だ。さあ、私の妃殿下」


「誰が妃殿下です」


 軽口を叩きながらも、私は自然に彼の手を取り再びダンスの輪の中へと滑り込んでいった。彼のリードは驚くほど巧みで、私はまるで羽のように軽やかに踊ることができた。


「君との初めてのダンスだな」


「そうですね」


「このまま、誰にも邪魔されずに、ずっと踊り続けていたいものだ」


 彼の甘い囁きに、私は何も答えずただその胸に顔をうずめた。シャンデリアの光が、きらきらと降り注ぐ。


 かつて、この場所は私の断罪の舞台だった。だが、今、私はここで愛する人と、幸せな未来を夢見て踊っている。


 人生とは、分からないものだ。


 面倒なことは、もうこりごり。でも、この男と共に歩む未来なら、どんな面倒が待ち受けていようと乗り越えていけるかもしれない。


 そんな予感が、私の胸を温かく満たしていた。

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