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第14話「未来への投資と小さな芽」

 王国とのいざこざが片付いてから、谷は急速に復興と発展の道を歩み始めた。独立領として正式に認められたことで他国との交易も、より公正かつ大規模に行えるようになった。特に、ジークハルトの帝国との連携は谷に計り知れない恩恵をもたらしてくれた。


「領主様! 帝国から、最新の農機具が届きましたぜ!」


 ゴードンが、興奮した様子で報告に来る。ジークハルトが「婚約祝いの前渡しだ」と言って、勝手に送りつけてきたものだ。まだ婚約してない、と何度言っても聞く耳を持たない。


 最新の農機具の導入により、農作業の効率は飛躍的に向上した。畑の面積も倍以上に広げることができ、食料の安定供給はもはや盤石なものとなっていた。


 工房では、ゲルハルト爺さんを中心に若い職人たちが『魔鋼』の加工技術をさらに高めていた。帝国の職人との技術交流も始まり、今では武具だけでなく精密な魔道具の部品なども製造できるようになっている。


 谷は、もはやただの集落ではない。農業、工業、商業がバランスよく発展した、一つの都市国家と呼んでも差し支えないほどの規模になっていた。


 だが、私が最も力を入れていたのは、未来への投資――つまり、教育だった。


「はい、皆さん。今日の授業はここまでです。次回までには、この本の五章までを読んでおくように」


 私は、谷に新設した小さな学校で子供たちに歴史や算術を教えていた。元々、この谷にいた子供たちは文字の読み書きすらできない子がほとんどだった。だが、彼らの知的好奇心は旺盛で、教えたことはスポンジのように吸収していく。


『面倒だけど、教えるのは嫌いじゃないな』


 前世では、組織の後輩に暗殺技術を教え込むことはあったが、こんなふうに純粋な知識を伝えるのは初めての経験だった。子供たちの目がキラキラと輝くのを見るのは、悪くない気分だった。


「先生! 質問があります!」


 一番前の席に座っていた少年、ティムが元気よく手を挙げた。彼は、私が初めてこの谷で助けた高熱で倒れていた少年だ。今ではすっかり元気になり、クラスで一番の優等生だった。


「なんです、ティム」


「先生は、どうしてそんなに色々なことを知っているんですか? 王都の大学者様よりも、物知りだと思います」


 ティムの純粋な疑問に、私は少しだけ言葉に詰まった。


「……昔、たくさん本を読んだから、ですよ。知識は、誰にも奪われない自分だけの財産になります。だから、皆さんもたくさん勉強して、自分の世界を広げてください」


 我ながら、模範的な回答だ。まさか、前世で得た知識と乙女ゲームのシナリオ知識がベースになっているなどとは言えない。


 授業が終わり、子供たちが元気に校庭へ駆け出していくのを見送っていると、教室の入り口にカイが立っているのに気づいた。彼は騎士団長を辞した後も谷に残り、今では子供たちの剣術指導や谷の警備隊の隊長として、すっかり皆に頼られる存在となっていた。


「イザベラ様。素晴らしい授業でした」


「カイ殿。聞いていたのですか?」


「はい。子供たちが、本当に楽しそうに学んでいる。この谷の未来は、明るいですね」


 カイは、穏やかな笑みを浮かべて言った。彼の私に対する忠誠心は変わらないが、以前のような悲壮感は消え、今は純粋にこの谷の発展を喜んでくれているようだった。


「ですが、あなた自らが教鞭をとらなくても。他に教師を雇うこともできるでしょう」


「私が、やりたいからやっているのです。それに、この谷の未来を担う子供たちに、私が直接教えたいというのもありますから」


 私の言葉に、カイは何かを納得したように深くうなずいた。


「あなたは、本当に……。俺が知る、どの為政者よりも、未来を見ておられる」


「大袈裟ですよ」


 私は照れ隠しに笑った。その時、ふと、カイの腰にある剣が目に入った。それは私が彼に渡した『魔鋼』の剣だった。


「その剣、手入れが行き届いていますね」


「はい。あなたからいただいた、大切なものですから。毎日、磨くことを欠かしません」


 カイは、愛おしそうに剣の柄を撫でた。その姿を見て、私は少しだけ胸がちくりと痛むのを感じた。彼のまっすぐな好意は、痛いほど伝わってくる。だが、私はそれに応えることができない。


『私の心は、もう……』


 あの、面倒で、強引で、でも誰よりも私のことを理解してくれる、氷の皇帝のことでいっぱいになっているのだから。


「カイ殿。あなたにも、いつか……大切な人が見つかるといいですね」


 私は、精一杯の気持ちを込めてそう言った。カイは一瞬だけ寂しそうな顔をしたが、すぐにいつもの穏やかな笑みに戻った。


「俺にとって、大切な方はずっとあなただけです。ですが、あなたが幸せならそれでいい。俺は、あなたの剣としてこの谷を守り続けます。それが、俺の幸せですから」


 彼はそう言うと、深く一礼して去っていった。その背中を見送りながら、私は少しだけ切ない気持ちになった。


 面倒な恋愛沙汰はごめんだと思っていたのに、いつの間にか私自身がその渦中にいる。


『本当に、ままならないな』


 私は、夕日に染まる校庭を眺めながら小さくため息をついた。だが、そのため息は決して嫌なものではなかった。たくさんの人々に囲まれ、その想いを受け止めながら生きていく。それもまた、私が手に入れた新しい日常の一部なのだから。

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