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あなたが生まれた理由

「お母さん、イジメられてたの。学生時代」


 母はまず、自分の過去のことを話し始めた。


「小学校から中学校まで、ずっとね……」


 親のイジメの話を聞かされて、私はどう返したら良いか分からず、「そうなんだ」とテキトーに合いの手を入れるだけだった。


「今じゃインフルエンサーって普通だけど、お母さんがさゆりぐらいの歳だった時は、そんな人はポツポツと出始めたくらいの時期でね……」


 母の口調は当時を思い出しているのか、所々、しどろもどろになる部分があった。


「お母さんが働き出したくらいの時に、私の事を虐めていた人がネットで有名になり始めたの」


 話の本題に入る前に、母は大きくため息をついた。それが落ち込んでいるのか、気分を落ち着かせるものなのかは分からなかった。


「やっと、忘れられてたのにって思ってたのに……そしたらね、その人が自分の学生時代のエピソードで私の事を話し始めてね」

「動画とかの、中で?」


 私が尋ねると、母は苦笑いだけして、話を続けた。


「もちろん笑い話のネタとしてね……それが視聴者にウケるから調子に乗り出して、段々とシリーズ化し始めて……もう、お母さん、限界になってね」


 母はそこで話すのを止めた。鼻を啜り、当時を思い出して嫌な気持ちになった様子だった。


「それで、その人の事が許せなかったんだ」


 私が尋ねると、母はゆっくり首を振った。


「怖かったの」

「怖かった?」

「あの地獄みたいだった毎日が、徐々に迫って来てる気がして」

「それで……殺したの?」


 お母さんは俯いたまま、無言で頷いた。


「それで、あのマッチングアプリでお父さんと出会ったの」


 交換殺人なので、正確には今話した人を殺したのは父……母は父が指定した相手を殺す事になったそうだ。


「私が殺したのは、酔っ払いのただのオジさんだった。飲み屋の帰りに夜道を一人で歩いていた所を、ね」


 母はそれ以上は言わなかった。


「どんな人だったの、その人?」

「……その時は分からなかった。詳しい事は何も聞かされていなかったから」

「躊躇いとか無かったの?」

「正直、お母さんも限界だったから……悪質なファンが私の事を特定して、私の情報が拡散されたりとかしてて」


 口には出さなかったが、内心で私は「ひどい」と思った。自分がその立場だったら怒りで頭が狂ってしまうかもしれない。


「翌日、テレビのニュースであの女が死んだって聞いて、心がスッと軽くなった」


 母はそこまで話して「お母さんの話はこれぐらいでいいわ」と切り上げた。


「それで、あのアプリのルール通り……お母さんとお父さんは二年後に結婚したの。正直、その時はお父さんがどんな人かも知らないし、なんであの男の人を殺したかったのかも聞いていなかったから、いきなり赤の他人と共同生活が始まったみたいだったわ」


 私は「そうだろうな」と内心で思った。

 自分だったら、それから三十年近く知らない人と一緒に暮らすなんて、考えたら途方に暮れてしまう。


「私が最初にお父さんに感じた印象は凄く真面目……真面目過ぎる人。

 お母さんより歳が十歳以上も上だったから、大人っぽくも感じた。最初は歳の離れた兄と暮らしてる感じだった。

 いつも静かに本を読んでて……とても、人を殺した風には見えなかった」


 母は何となくそう言ったが、それを言ったら母だって、人を殺した様には見えない。


「お父さんは、なんで、その酔っ払いの人を殺したかったの?」


 私が尋ねると、母は少し考えてから、口を開いた。


「あのね。結婚してから、しばらく経って『子供をどうしよう?』って話が出たの」


 私は「あっ」と思わず声が出た。

 火葬場でお母さんが言っていた「お父さんには奥さんと子供がいた」というのを思い出した。


「やっぱりお父さん、子供の話になると……ね」


 お母さんは口を濁らせた。

 お父さんがそう思うのは、私にも何となく想像が付く。


 けど……だったらなんで、今、私はお母さんの前に座っているのだろう?


「何十年も二人だけってのも……って話になって、一度だけ、「子供を作ろう」って事になったんだけど。やっぱり、ダメだった」


 やっぱりと言うのは、多分、受精とか以前の問題のことを言っているんだろう。


「その時にお母さん、始めてお父さんから「奥さんが居た」って、知らされたの」

「その時って……子供を作ろうとしてる、時に?」


 母は頷いて、続けた。


「『今でも前の奥さんを愛している』とも言われたわ」


 母は何の躊躇いもなく、飄々と付け足して来た。


「お母さん、なんとも思わなかったの?」

「だって、お母さんもお父さんの事、好きじゃ無かったから。別に恋愛結婚じゃないし。むしろ、それで、合点がいったのよ」

「合点って、何が?」

「お母さんが殺した人……もしかして、お父さんの奥さんと子供を殺した人なんじゃないか? って」


 お母さんは、ふっと笑って話し出した。


「お父さんにそう聞いたら、頷いたの。それで色々と話してくれたの。前の奥さんとの馴れ初めとか、子供ができた時の事とか、奥さんが亡くなった時とか……凄く月が大きくて、お母さん、ベッドの上で目を閉じながら、それを聞いてたの」


 母の顔が何故かドンドンと穏やかになっていることに気付いた。


「凄く不思議な気持ちでね……お父さんと前の奥さんが幸せそうな程、私の心がスッと心地良くなって行くのが分かったの」

「……どうして?」


 母は少し言うのを躊躇ってから、口を開いた。


「あの酔っ払いを殺して良かったって思えたから」

 

 母の声には何の澱みも無かった。しかも、そう言った母の顔は狂人の顔では無く、むしろ、大事な人を悪から守ろうとする戦士のよう真っ直ぐだった。


「お父さんの前の奥さん、ひき逃げされたんだって。私が殺した男に……お腹に子供がいる状態で」

「子供」


 母は「うん」と頷いた。

 私は自分のお腹を無意識にさすった。

 もし自分だったら……と、当時のお父さんの気持ちを考えると胸に穴が開きそうなほど、苦しくなった。


「それで、殺したの?」


 しかし、母はまた首を横に振った。


「殺す気も起きなかったくらいに落ち込んだんだって、お父さん」

「じゃあ、なんで……」

「お父さんの地元って地方の街なの。それから十年くらいしたある日、飲み屋で偶然、その男がいたんだって……出所して。

 その男、大声でずっと騒いでて、『刑務所に入ってた』って仲間と笑い話みたい話してた。しかも、『なんで俺が刑務所なんか入らなきゃいけないんだ!』って、お父さんの奥さんに八つ当たりする様なこと言ってたの」


 私の口から「ひどい」と言葉が出てしまった。気付いたら、私はお腹に置いた手を強く握りしめていた。

 話を聞いているだけで、お父さんが可哀想に思えて、体が震えた。


「悔しかっただろうね、お父さん」


 私が呟いた言葉に、母は返事をせずに話を続けた。


「それを隣で話しているお父さんが、お母さんには凄く小さく見えたの」


 お母さんは当時を思い出すように部屋の遠くを眺めた。


「その時にね、『この人は私が守らないと』って、心に決めたの」

「守るって……」

「だって、もうお母さんしか居ないでしょ? この世界でお父さんと深く繋がれる人って」


 母は優しい顔で私に言った。


「その後、お母さんがお父さんにさっきの昔話を聞かせたの。お父さんも、それを聞いて『殺して良かった』って……そうしたら、今まで拒絶してたのが嘘みたいに、お父さんを受け入れられて……」


 母が私の目をまっすぐに見てきた。


「それで、アナタが生まれたの」


 私は無意識に母の視線を外して、俯いてしまった。


 時計のカチカチ言う音が無性に大きく聞こえた。

 しばらく、私は無言でテーブルの上を見続けた。怒られている訳でもないのに、お母さんの顔を見られず、ずっとそうしていた。

 

 どうリアクションして良いのか、さっぱり分からない。

 怒る気も起きないし、喜ぶ気にもなれない、二人に同情する気もなければ、二人の事を嫌いになったワケでもないし……お母さんに罪を償って欲しいとも思わない。


「変、二人とも」

「そうよね」


 二人の関係に一番近いのは、世界に二匹しかいない絶滅危惧種の動物が身を寄せ合っているニュース映像を見た時の感じかもしれない。


「変にならないと、生きていけなかったの、お父さん」

「そこで、お父さん出すのはズルいよ」

「ごめん。でも、お母さんも、さゆりしか話せる人いないから」


 母は電池が切れたロボットみたいに、それ以上、話さなくなった。


 私はソファから立ち上がり、無言で部屋に戻った。


 私も共犯者にされたのか。


 部屋に戻っても、何をする気が起きなかった。何をしたら良いのか、さっぱり分からない。

 南極のど真ん中の、目印もなければ、進む目標もない場所に一人で置いて行かれた気分になった。
















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