煙の向こうの夫婦
父の葬儀の間、後ろの親戚連中の席から涙ぐむ声が聞こえる中、私の心は上の空だった。
隣に座る喪主の母を何度かチラッと見たが、瞳から涙が溢れる様子も無く、ただ俯いてこの時間が終わるのを待っているだけで、父の死を悲しんでいる様には見えなかった。
──交換殺人をした相手とは、双方の逃亡、または警察への自首や垂れ込みしないように監視する目的も込め、交換殺人から二年後、警察の捜査の手が緩んだ頃に結婚しなければならない──
そんな感情が見えない母の顔を見る度、脳裏にあのマッチングアプリのルールが過ぎった。
あれが本当だとしたら、父と母は別に好き同士で結婚したわけではない。交換殺人をした代償に仕方がなく結婚し……そして、私が生まれたという事になる。
まだ、二人があのマッチングアプリで知り合って、結婚したとは限らないが、もしそうだったとしたら……昨日まで私が抱いていた自分の家族のイメージはひっくり返る事になる。
お父さんとお母さんは愛していない。もしかしたら、私という存在自体、父は望んでいなかったのではないか?
それ以上に、もし、二人が本当に交換殺人をしていたら、私は人殺しの娘という事だ。
葬儀が終わり、父の火葬が終了するまで昼食の間、私と母は手分けして親戚一同に挨拶をしに行った。
「でも残念ね、さゆりちゃんの結婚が決まったばかりだったのに……」
親戚の一人が私にそう言ってきた。
私は苦笑いを浮かべるだけで、なんとかやり過ごそうとしたが、周りのお喋り好きが「どんな男なんだ?」など、ワイワイと囃し立て、話題はどんどん大きくなっていく。
私は苦笑いだけで、勝手にどんどん大きくなっていく自分の話を傍観していた。
「まぁ、でも、めでたくて良かったわね」
顔も知らない親戚の一人がニコッと笑って、私にそう言った。
私は早く、その場を立ち去りたかった。
──人殺しの娘が、結婚なんてできるのだろうか?──
昨日まで考えない様にしていた罪悪感がじわじわと体の奥から浮かび上がってくる。
あのアプリの事を晋作君に話したのは失敗だった。彼が追求してきたら、なんて説明すれば良いんだろうか。
その時、母が一人、こそこそと広間を出ていく姿が見えた。
「トイレだろうか?」と思ったが、十分経っても母が戻ってくる気配は無かった。
どこ行ったんだろう?
私はトイレに行くふりをして席を離れ、母を探しに行く事にした。
トイレに入ると個室のドアは全て開いており、母の姿は無かった。
どこに行ったのだろうか?
母に用事がある場所など、思い当たらないので、建物の外に出て、敷地内をグルっと見て回る事にした。
すると、火葬場の外れでポツンと一人立っている母の後ろ姿が見えた。
「お母さ……」
母を呼ぶ声に咄嗟に急ブレーキをかけてしまった。
葬儀中も悲しんでいる様には見えなかったのに、その時の母の後ろ姿は、何故かとても寂しそうに見え、私は胸が強く締め付けられた。
「……お母さん!」
意を決して呼んだ私の声に母はビクッとして、振り返った。
母の顔を見て、私は思わず「えっ」と言ってしまった。
母は泣いていて、目が赤くなっていた。
母は「あっ」と慌てて私から顔を背けて、ハンカチで目を拭いた。
その母の後ろにはモクモクと天に伸びていく黒い煙の柱が見えた。
昔見た映画でこんなシーンがあったのを思い出す。火葬で焼けた個人の魂が煙になって、天に昇っていく。
これを見て、泣いていたのだろうか。
「ど、どうしたの? さゆり、何か用事あった?」
母は笑って誤魔化しながら、私に言った。
「いや、トイレに行こうとしたら、お母さんの靴が無かったから」
私はそう言って、母の隣に立ち、一緒に煙を見上げた。
「お父さんの煙?」
「うん」
母はまた涙が溢れて来たらしく、花粉症の人みたいにハンカチで目と鼻を押さえた。
式の最中も、お父さんが亡くなったと聞いた時も母は泣いていなかったのに、なんで急に泣き出したんだろう。
「お母さん、この煙見て、泣いてたの?」
親戚や私に気を遣っていたんだろうか?
「さゆりに話したっけ?」
「何を?」
「お父さん。お母さんと結婚する前に、もう一人奥さんがいたって事」
「え」
それを聞いて、私はキョトンとした。
「そう、だったの……」
そして、また父が遠くに行ってしまった気がした。
「お父さん、どうして、その人と別れたの?」
聞かなくてもいい質問が脊髄反射みたいに口から飛び出してしまった。
「別れたんじゃなくて、亡くなったのよ。お腹に子供もいたの」
ショックでしばらく言葉が出て来なかった。
「亡くなったって……」
「死んだって事。事故に遭って」
私の口から、何の心も隠っていない「そうなんだ」と言う文字が溢れた。
「だから、お父さん、この前言ってたわよ。『さゆりは気を付けなさい』って。もう、アナタだけの体じゃないんだからね」
「……うん」
お母さんの言葉を上の空で返事だけした。
子供の話をされたら、また「結婚できるのだろうか?」と言う不安が蘇って来た。
「さゆり?」
「あっ」
「どうしたの? 思い詰めた顔して」
母が尋ねてきた。「お母さんたち、人を殺したの?」となんて、こんな場所じゃ口が裂けても聞けない。というか、そんな事、聞きたくもない。
「てか、お母さん。なんで一人で泣いてるの?」
話を誤魔化す為、適当な質問を母にぶつけた。
「お母さんね。あんまり悲しくないのよ。お父さんが死んでも」
「それは……」
「好きじゃないから?」と出かかったのを止めた。
「どうして? でも、泣いてたじゃん、今」
母はフッと笑った。
「お父さんね。前の奥さんの事、愛してたの、ずっと」
母は悪びれる素振りもなく、清々しいくらい簡単に言い切った。
「お母さんと結婚しても?」
「うん」
「わ……私が生まれた後も」
「さゆりの事は大好きだったみたいだけどね」
母は微笑みながら言った。
なんで、そんな自分だけ仲間外れになる事を、平気で言えるんだろう?
母の心の内がどんどん分からなくなる。
「あの煙見てたら、『お父さん、やっと奥さんと子供と会えるんだ』って思って、なんかウルッと来ちゃってね」
母はそう言って、また目頭を押さえ出した。
なんで、そんな自分が惨めになるだけの事を悲願の達成みたいに言うんだ。
お父さんを愛してないから?
「悔しくないの、お母さん?」
「え?」
そこでゴングが鳴る様に、私たち親子を火葬場の職員が呼びに来た。見上げたら、煙突から出ていた煙はもう消えていた。
私は天国で父を歓迎している前の奥さんと子供に嫉妬していた。
なのに、なんで母はあんなに優しい顔で自分の夫の浮気を泣いて喜べるのか。
お父さんが好きじゃないなら、無関心なのならまだ分かる。長年連れ添った旦那に浮気をされて、それを喜ぶなんて、まともな神経じゃない。
「変だよ、お母さん」
先に歩き出していた母の背中に私はボソッと言った。
「そうかもね」
母は振り返らずに言った。
「でも、私はお父さんが幸せなら、それで良いの」
「良くないよ。浮気じゃん」
母はチラッと振り返って、私を見てフッと笑った。
「お父さんは、お母さんの大切な人だから」
母は「ほら、行くわよ」と私に言い、スタスタと歩いて行った。
私はしばらく、一人でその場に立ち尽くした。
聞けば聞くほど、父と母のことが分からなくなる。
二人の過去に何があったの?
歩き出そうとした時、最初に見た母の後ろ姿を思い出した。
お父さんの幸せを喜んでいるなら、じゃあ、あの寂しそうな後ろ姿は一体なんだったんだ?
その日の晩。
私は母がお風呂に入っている隙に、母のスマホの中を覗く事にした。
すると、大量のアプリの中に例の『same boat』のアプリが入っていた。
「あなた、何やってるの!」
スマホから顔を上げると、そこにお風呂から上がったばかりの母が立っていた。