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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私の占いは全部嘘。

作者: 羽黒楓

 秋も深まり、冬にさしかかろうという季節。 

 私はその日の放課後、天文学部の部室で本を読んでいた。

 最近気にいっている女性作家のミステリ小説だ。

 まだ四時を過ぎたばかりだというのに西日が窓から入って眩しい。

 ただそのシチュエーションが読んでいた本の内容とちょうどマッチしていて、私は眩しさをも楽しみながら読書を続ける。

 と、その時だった。

 部室のドアがノックされる。


「はい? どうぞ」


 私がそう声をかけると、背が低くて小柄な女子生徒がおずおずと部室に入ってきた。


「あのー、鳥海(とりうみ)先輩……。ちょっと、いいですか?」


 その子は、分厚い黒縁の眼鏡をかけていた。

 ここは県立飛島女子高校、地域ではそこそこの進学校で、生徒は真面目な子が多い。

 髪を派手に染めた生徒なんてほとんどいなくて、その子もやっぱり黒髪だった。

 そのショートカットは手入れが行き届いているらしく、夕日に照らされて艶々と輝いていた。

 私は本にしおりを挟んで閉じ、その子に向き直って訊いた。


「占い?」

「はい……。あの、鳥海先輩、おばあちゃんがすごい有名な占い師だったって……。それで、鳥海先輩も占いが得意だって聞いたんです」


 そう、私のおばあちゃんは占い師だった。とある雑居ビルの一室に店を構え、とてもよくあたると評判で、一時期は店の前に行列ができていたという。

 そのおばあちゃんも今は引退している。

 でも私がおばあちゃんに占いを教えてもらっていた、という噂は校内に広まっていた。

 だから、こうして占い希望の生徒がこの部室にやってくることも多いのだった。

 私は慣れていたので軽い口調で言う。


「いいよ、占ってあげる。じゃ、そこに座って。名前は?」

「一年二組の佐藤由香、です……」


 部室には大きなテーブルがあって、私が座っているその隣の椅子に由香は腰を下ろした。

 私も向きを変えて向かい合わせになる。

 由香は、じぃっと私の顔を見つめていた。

 この子、目がおっきいな、と私は思った。

 そのかわり、顔はとてもちっちゃい。

 小さな顔に大きな目のコントラストは私を少しドキッとさせた。

 リップでも塗っているのだろうか、薄い唇は夕日を反射して柔らかに輝いていた。

 私は通学カバンから、おばあちゃんから譲ってもらったカードを取り出す。

 タロットに似ているけれどタロットじゃない。

 おばあちゃんが自分でデザインして発注した、オリジナルのカードセットだ。


「何を占ってほしいの?」


 私がそう尋ねると、由香は目を伏せて、


「えーと……」


 と、言いよどむ。

 すぐに私はピンときた。

 だから、ちょっともったいぶって言った。


「待って。今見てみるから」


 私はカードを大きなテーブルの上に裏返しにゆっくりと並べていく。

 その間、カードに気を取られている由香を観察した。

 制服は校則通りにきちんと着ていて、リボンもまっすぐ結ばれている。

 スカートにはしわも少なく、プリーツの折り目もしっかりしている。

 真面目そうな子だ。

 座っている椅子に立てかけているカバンは私と同じ、学校指定のもの。

 そしてお弁当箱が入っているのだろう、猫のキャラクターが描かれている巾着。

 白いソックスに黒いローファーをはいていた。

 この子、足も細いなー。うらやましい。

 カードを並べ終わる。

 全部で九枚。

 虹のような半円を描いて並べている。

 私はカードの位置を綺麗に指先で揃え、ちらっと由香の顔を窺う。

 由香はカードから目を離して、私の顔を真剣なまなざしで見つめていた。

 さっきよりも、ほっぺたが赤くなっている。


 わかりやすいな、この子。かわいい。

 私は裏返して並べたカードのうちの一枚をひっくり返した。

 そこにはかに座を示すイラスト。

 別に何のイラストでもよかった。

 私はなるべく低い声でそっと言った。

 

「由香ちゃん。あなた……だれか、とても大切に想っている人がいるわね?」


 由香ははっとした表情を浮かべてコクリと頷いた。


「やっぱり鳥海先輩はすごいです」

「で、聞きたいことは?」

「あの! その人と、私が、うまくいくかなって思って……」

「じゃあ、由香ちゃんの誕生日を教えて。星の運行と照らし合わせてみる」

「はい。えっと、11月7日です……」

「さそり座ね。いいわ」


 私は改めてカードをシャッフルしなおし、またテーブルの上に並べていく。


「あの。鳥海先輩は、いつから占いを習ったんですか?


 由香がそう聞いてくる。

 私はカードを並べながら答える。


「ちっちゃいころからおばあちゃんに占星占いをおしえてもらってさ。だから小学校の頃にはもうできていたかな。まだ勉強中よ。星ってすごいよね、いくら勉強しても足りない。だからさ、私、天文学部に入ったんだよ。恒星の動き、惑星の動き、あなたの運命星の動き。占っていくよ」

「は、はい……」

「11月7日……まず、この中央のカードがあなたの全体的な運勢よ」


 私はペラリをカードをめくる。


 そのカードに書いてあるのは、おおいぬ座のイラスト。シリウスがよりいっそう大きく描かれている。


「へえ……おおいぬ座ね。この星がシリウス。全天で最も明るい星よ。それがあなたの運命」


 私は呟いた。

 由香はゴクリと唾を飲み込んで私の顔を見つめている。


 さあ、ここからが私の真骨頂だ。

 なぜなら、私は。

 カードをおばあちゃんにもらっただけで、占いの仕方なんて教えてもらったことがないのだ。

 私の占いは全部嘘。

 でも、私の嘘で、悩んでいる女の子の心が少しでも軽くなるのなら、それが私は嬉しいのだ。

 すぅっと息を吸い込んで、私はすらすらと嘘の占いを話し始めた。


「シリウス。一番強い光を放つ星。これはあなた自身の強い運命を暗示するの。あなた、とても強い力を持っているよ」


 こんな風に言っておけば、占いを信じる人は誰でも自分に自信を持ってくれる。

 根拠のない自信こそが、人生を前に進める原動力だっておばあちゃんが言っていた。


「そうなんですか?」

「うん。それで、由香ちゃんは、誰かに恋しているってことでいいの?」


 そう訊くと、眼鏡の奥で瞳を煌めかせて、コクリと頷いた。

 真っ白だった肌が今はまるで湯気が出そうなほど赤く上気している。


「お相手はあなたのことを知っている?」

「…………はい」

「あなたともう付き合ってる?」


 そう尋ねると、由香はぶんぶんと顔を横に振る。髪の毛がサラサラと揺れた。


「そうなれたらいいなって……。告白しちゃいたいんですけど……」

「その人にはもう恋人がいる?」

「……わかりません。多分、いないと思うんですけど……。それも占っていただけませんか?」

「いいよ。占ってあげる。その人の誕生日、知ってる?」

「はい。確か、2月22日だったと思います」

「本人に聞いたの?」

「いえ、私のお姉ちゃんがその人と友人なので聞きました」


 私と同じ誕生日か。

 この子には姉がいて、多分姉妹仲はいい。で、好きな人ってのは年上ってことかな。

 直接は誕生日を聞けてない程度の関係性。


「2月22日ね……」


 私は聞こえるように呟きながら一番右側のカードをペラリとめくった。

 こぎつね座。


「これがその人の運命星座。由香ちゃんと相性はいいよ」

「ほんとですか!?」


 ぱっと表情を明るくする由香。

 この子、ほんとにかわいい顔をしているなあ。

 こんな女の子に告白されて嬉しくない男はいないだろう。

 私はそこから順々にカードをめくっていく。

 オリオン座、はくちょう座、いて座……。最後、一番左のカードはおおぐま座だった。北斗七星が輝いている。


「……告白はすべきだね」

「ほんとですか!?」

「うん。そう出てる」


 口からでまかせだ。

 でも、恋心なんて、ずっと胸にしまっていてもろくなことがない。

 うまくいけばよし、うまくいかなかったら三日三晩泣いてすごしてから忘れればいい。


「うまくいくかいかないかまでは結果が出ていない。でも、あなたの運命星座と今の星の運行から考えて、きっと行動することが人生を豊かにするはずだよ」

「行動……」

「そう。ええとね、うまくいく可能性はあると思う」


 だって、こんなかわいい女の子に告白されてOKしないフリーの男子高校生なんてそうそういるとは思わないし。

 すごく内気で自信のない男子だったらモゴモゴしてはっきり答え出さないこともあるけどね。

 そこも釘を刺しておこう。


「告白して最初の一週間はグイグイ行きなさい。そう出てるわ。それでうまくいかなかったらすっぱり忘れて。駄目でも大丈夫。素敵な出会いが続くってカードが言っている」

「グイグイ……」

「心配なことがあったらすぐにこの部室に来ること。私が占ってあげるよ」


 占いなんて嘘だから、実際はただの恋愛相談だ。

 でも、それで心が軽くなってくれるなら嬉しい。

 あと、相手の男が駄目男だった場合のアフターフォローもしないとね。

 人の役に立てるのは嬉しい。

 だから、私はこのインチキ占いを続けているのだ。


「さ、占いはこれでおしまい。少しお喋りでもしてく? 相手の男の人ってどんな人なの? スポーツマンとか?」

「いえ、文化部所属で……」

「ふーん。そういうのが好みなんだ」

「髪の毛が長くて、すっごく綺麗な顔をしていて」


 なるほど、ロン毛でイケメンか。

 私の好みじゃないな。由香みたいな大人しそうな女の子にも合わなそうだけど……。


「背は私より一回り大きくて、でも体格は華奢で……」


 華奢な男かあ。よりいっそう、私の好みじゃないなあ。


「成績はすごくよくて、でも性格はちょっと不器用なとこがあって、私のお姉ちゃん以外は友達がいなくて、でも人の役に立つためにいつも一生懸命で」

「ふーん? どこで出会ったの?」

「中学生のときです。お姉ちゃんと友達だから、うちに遊びに来たときがあって。そのとき、一緒に遊んでもらったんです」

「へー。ってか、それってお姉さんの彼氏とかじゃなくて?」

「違います。お姉ちゃんには別に彼氏いるもん。で、そんとき、私、ギャルにあこがれていて、髪の毛もすっごい金髪にしていて、中学生なのにお化粧していて」

「ほんと? 今こんな真面目そうなのに。ま、ギャルより今の方がかわいいと思うけど」


 私がそう言うと、由香は満面の笑みを浮かべた。


「嬉しい! その時、その人が言ったんです。『妹ちゃんさー、かわいいんだし黒髪の方が似合うと思うよ。素材がいいから絶対ショートにしたほうがいいよ』って。で、『なにか悩みがあったら私が聞くから』って。それからずっと憧れていて。髪の色も戻して。その人と同じ高校に進学して」


 ん?

 んん?

 あれあれ。

 同じ高校って、私たちがいる、ここの高校だよね?

 県立飛島【女子】高校のことだよね?


 私が混乱していると。

 由香は、その黒縁眼鏡を外した。

 眼鏡を外しただけで、随分印象が変わる。

 あれ? この顔、私、知っているかも……。

 由香は椅子ごと私に近づく。

 膝と膝が触れる。

 その小さな顔を私に近づけて、由香は言った。


「その人は、とても素敵な人なんです。鳥海先輩、言ってくれましたよね? 告白したほうがいいって。グイグイ行けって。鳥海先輩が言ったんですよ?」


 お互いの息がかかるほどの距離。

 大きくて潤んだ瞳が夕日を反射してきらきらと輝いていた。

 ああこの子、茶色い虹彩しているんだな、と思った。

 私の視線はそのブラウンアイに吸い込まれてしまって、そこから目を離すことができない。

 まるでこれからキスするかのように、私たちはお互いを見つめ合っていた。

 距離が近い。

 由香のシャンプーとコロンの香りがした。

 触れ合った膝から、体温が伝わってくる。

 頭の中がじんじんと熱くなってきた。

 ああ、この子はなんてきれいな顔をしているんだろう、と思った。

 こんなにも近いのに、真っ赤になったほっぺたの肌はびっくりするくらいすべすべでなめらかで、毛穴のひとつも見当たらない。

 私は金縛りにあったかのように由香の瞳に捕らえられて身動きできなかった。

 そして、由香の唇がゆっくりと動いて、言葉を紡いだ。


「鳥海先輩。好きです。私と、付き合ってください」


 言われて、私は頭の中がバチバチッとショートしてわけがわからなくなった。


「え? なにが?」

「だから。私は、鳥海先輩のことが好きです」

「あ、ああ。佐藤由香……。由香ちゃん、あなた佐藤(かなで)の妹……?」

「そうです」


 なるほど、そういえば私の友人、佐藤奏と顔が似てなくもない。佐藤だなんてどこにでもいる名字だし、全然気づかなかった。

 髪型も髪色もガラッと変わっているし、あのときは眼鏡なんかつけていなかったはずだし……。

 いや、それにしても。


「奏の妹かー。友達になら、なってあげてもいいよ?」


 そう言ってはみたけれど、私の声は震えてしまった。

 だって、そういう意味での『好き』ではないことを、私はこの雰囲気で感じ取っていたからだ。

 由香も、すぐにこう返す。


「違います。お付き合いしたいって意味の、好きです」

「ちょ、ちょっと待って」

「グイグイ行けって占いに出てたじゃないですか。鳥海先輩がそう言ったんですよ。だから、グイグイ行きます。先輩が悪いんです」

「待って、ね? 待って……」


 思いもしなかった突然の告白に、どうしたらいいのかもうわからない。

 まず頭に思い浮かんだのは、「保留」という二文字だった。


「じゃ、じゃあ、友達から……友達から、ね?」

「その友達の先にキスはありますか?」

「え!?」

「その友達って言う道は、……えっち、とかに、つながってますか?」


 由香の顔は嘘みたいに赤く、とても大きなブラウンアイに涙を浮かべている。


「待って待って待って! 落ち着いて! む……」


 無理無理無理、という言葉を口に出そうとして、でもなぜか私はそれを声に出来なかった。

 だって……。

 無理じゃないもん。

 こんなにかわいい子を……恋人にできるなら、女の子同士でも……、と、一瞬、ほんの一瞬思ってしまったのだった。

 だって、好きなら女の子同士でもいいと思う。

 女子が女子と付き合うって、どんなだろう?

 悪いことじゃ、ないよね?

 いやいやいや!

 そんなのありえないって!

 そんな私の逡巡を感じ取ったのか、由香はさらに顔を近づけてくる。

 待って待って! こんなんじゃ、ほんとにキスしちゃう!


「先輩。せんぱい……。せーんぱい。 先輩が言ったんですよ、最初の一週間はグイグイ行けって。だから、行きます。先輩が悪いんです。先輩の占いが悪いんですよ」


 由香の吐息を感じる。

 口内洗浄液の香りがした。

 こいつ、口臭対策までして、私とどこまでやる気でここにきたんだ……?

 しかし、その香りで少し私は冷静さをとりもどした。

 私はあるアイディアが浮かんだのだ。

 そうだ。それだ。占いだ。


「わかった。わかったから。じゃあ、占ってみよう。私たちがもし付き合ったとして、うまくいくかどうか」


 由香はぱっと私から身体を離して、あはっ、と笑った。


「いいですよ。じゃあ、それで、決めましょう」

「じゃ、じゃあ……」


 私は改めて椅子に座り直し、テーブルにカードを並べていく。

 私の指は、震えていた。

 その様子を、由香は背後から見ている。

 私の占いは、嘘だ。

 だから、占い結果は私の思うまま。

 なんて言おう?

 恋人になりなさい?

 友達から始めなさい?

 友達のままでいなさい?

 今後一切会わないほうがいい?


 ええと、ええと。

 並べられたカードを指先で綺麗に揃えようとする。

 うまくいかない。

 指が冷たい。

 いや熱い。

 これ、どっちだろう? とにかく、指先から足の爪先まで全身がビリビリとしびれている感じ。


「せーんぱい。じゃあ、始めてください」

「う、うん……」


 私は中央の一枚をペラリとめくった。

 それは、はくちょう座のイラスト。

 その中では、一等星のデネブが光り輝いている。

 私は大きく息を吸い、吐いた。

 よし、決めた。

 やっぱり友達の妹と女の子同士で付き合うなんて、それもお互いよく知りもしないのに、そんなのは駄目だ。

 友達として付き合いなさい。

 それも、え、え、え、え……えっちには、繋がらない感じの、友達。

 よし、それで行こう。

 私はそう思って、その偽占い結果を口に出そうとしたその時。

 耳元で、由香が少し低い声で、でもやさしく囁いた。


「占いなんて、嘘ですよね?」


 私は全身が石化したかのように固まった。


 由香の吐息が私の耳をくすぐる。ように、その声は私の耳元でさらに続けた。


「私、佐藤奏の妹ですよ。先輩の親友の、奏の。姉から聞いて知っています。せんぱい。ほら、どうしたんですか? 言ってください。占い結果は?」


 額に汗が浮かんでいるのを感じた。

 そうか、奏のやつ、妹には話しやがったのか。

 

「大丈夫です。お姉ちゃんも、私も、誰にも言ってません。先輩が占いのこと、なにも知りもしないのにみんなを騙していることなんて」

「………………」

「この占い結果がどう出ても、私は誰にも話しません。お姉ちゃんも。だから、安心して占い結果、言ってください」

「…………………………」

「私、先輩を大事にします。大切にします。私のことは雑に扱って構いません。ペットの犬くらいに思ってもらっていいです。でも、私が先輩に懐くのを許してくれて、私のいちばん好きな人でいてくれればそれでいいんです。先輩。私の飼い主に、なってください」


 ウィスパーボイスが私の耳から入ってくる。

 その声は、私の心を震わせ、全身を巡っていく。


「せんぱい」

「………………」

「せーんぱい」

「………………」

「せんぱいっ」

「………………」

「…………せ、ん、ぱ、い……」

「………………」


 どうしよう。

 どうしようどうしよう。

 なにをどうしたらいいか、わかんなくなっちゃった。

 と、とにかくもう一枚、カードをめくって……。


 そのとき。


 ふっ、と私の耳に、柔らかで湿り気のある、なにかが触れた。


「……………………!!!!!」


 声も出せず、私の身体はビクッとして硬直した。

 もう、指先ひとつ動かせない。

 今の私ならパントマイマーになれるな、と関係のないことが頭に浮かんだ。


 由香は、その唇を私の耳に触れさせたまま、言った。


「せんぱい、好きです……」


 そして背後から手が伸びてきて、一番右端のカードをめくった。

 あ、この子、手も綺麗なんだな、と思った。


「あれ、この星座なんですか?」


 耳元の由香の声に答える。


「ポンプ座……」

「あは、聞いたことないや。このカードの意味は?」

「……………………ええと、」

「いいです。私が決めます。占いはこう言ってます。この子を、ペットにしなさいって。高校生活は、ペットとともに過ごしなさいって。違いますか?」

「…………わかんない」

「ペットを散歩に連れて行ってくださいね。その道は、きっと……いろんなとこにつながってる」


 そして、チュッ、とわざとらしい音をたて私の耳のふちにキスされた。

 耳が熱い。

 耳だけじゃない、私の全身が燃えるように熱く感じた。

 どうしようどうしよう。

 奏の妹……ってことは、この子、『アレ』も知ってる……?


「先輩。私に、星座を教えて下さい。さっきの、ポンプ座みたいなの。占いは知らなくても、星は好きなんですよね?」


 由香はいったん私から離れる。

 そして窓際に歩いていき、そこでくるりと振り返る。

 スカートのプリーツが舞う。

 夕焼けを背にして、彼女の小さな身体の輪郭が赤く燃えている。

 彼女は、神々しさすら感じさせるほど、魅力的に見えた。


「先輩。私、知ってます。先輩、私のお姉ちゃん以外、友達いないじゃないですか。……お姉ちゃんとも、最近、そんなでもないですよね?」

「いや、いや、それは……」

「私、お姉ちゃんとすごく仲いいんです。去年先輩に家で会ったとき、とても素敵な人だ! って思ったから、それからいろいろ聞き出していたんですよ。友達がいなくて、お昼ごはんだって今はこの部室で一人で食べてる。余裕があるフリをしているけど、ほんとはさみしくて友達つくりたくて占いができるなんて嘘ついて」

「待って。もう言わないで」

「お姉ちゃんからそんな話を聞いてたら、私、一度会っただけなのに、どんどんどんどん先輩のこと、すごくいいな、かわいい人だな、守ってあげたいな、……お付き合い、してあげたいな、って思ったんです」


 今、人生で一番困惑している自信がある。

 どうしよう、こんなみっともない私のことをこんなかわいい後輩に知られてしまっている。でもこの子は私に告白してきて……? いったいなにが、どうなってるんだろう。


「お昼ごはんだって、前はお姉ちゃんと一緒だったけど、……ね、せーんぱい。妹の私が変わりに謝ります。ごめんなさい。私のお姉ちゃんが……」


 待って。言わないで。お願いだから。


「先輩の告白を断っちゃったって。それで、お姉ちゃんとも距離ができて……。先輩、女の子が好きなんですよね?」


 私は恥ずかしさのあまり、もう由香の顔を見ることもできない。


「で、鳥海先輩。占いやって、友達はできましたか? ……もしかしたら、探していたのは友達じゃなくて恋人?」


 うるさい。

 うるさいうるさい。


 私は座っていた椅子を倒しそうになるほどの勢いで立ち上がり、その場で由香に背中を向け――ドアに向かって走り出した。

 逃げよう。

 逃げて、で、あとのことは後で考えよう。


 だけど。

 

 そんな私の行動を先読みしていたかのように由香は私に追いついてきて。

 ドアの前で、私の背中に抱きついてきた。

 由香より私の方が背が高い。

 ほっぺたが背中におしつけられるのを感じた。

 制服越しに体温を感じる。

 やけどするんじゃないかと錯覚するほどの熱が伝わってきた。


「先輩。いじわるなこと言って、ごめんなさい。困らせようと思って言ったんじゃないんです。お姉ちゃんが言ってたんです。私も、女の子が好きで、それをお姉ちゃんも知ってるから。『いきなり告白されて断っちゃったけど、これであいつ、ひとりぼっちになっちゃう。あいつは良いやつだから、由香、お前が仲良くなったら?』って。『私の好きな妹と私の好きな友達が付き合うなら応援する』って」


 くそ。

 奏のやつ。

 余計なこと。

 そういうとこも、好きだったんだけど。


 由香は、私の背中に顔をぴったりつけたまま、まるで私の心臓に直接かたりかけるように言った。


「先輩。好きです。これから毎日、お昼ごはんも一緒に食べましょう。先輩はもうひとりぼっちじゃないです。占いもしなくていいです。私がいます。先輩には友達も恋人もペットも、今いっぺんにできたんですよ。私が先輩の絶対的な〝相方〟になってあげます」


 それは奏に告白失敗したあと、ずっと孤独に学校生活を送ってきた私にとって、あまりにも魅惑的な申し出で。


「ね、せーんぱい。まずは、友達から、始めましょう。友達ってか、私が後輩だから、先輩が飼い主で私がペット。それでいいです。ね、先輩。私は、先輩の従順なペットになりますよ。……こっち向いてください」


 私たちは向かい合う。

 いったい、今、私はどんな表情をしているというのだろう。

 由香はその大きな目でまっすぐ私を見つめてきている。

 私の手を、由香の小さな手が握った。


「先輩。今、さっきの占いの結果を決めましょう。ほら、ポンプ座のやつ。『友達から始めなさい。えっちとかにつながる友達から』……ってことで、いいですか?」

「………………」

「いいですよね?」

「…………………………」

「いいって言って」


 私は思わず、コクンと頷いてしまった。

 途端に、由香は、私に抱きついてくる。

 私の身体は硬直して動かない。

 大きすぎてコンプレックスになっている私の胸に顔を押し付ける由香。


 そして言った。


「私、ずっと先輩のペットでいますから……。先輩のしたいこと、なんでもしたげます。ぜんぶぜんぶ先輩の好みに合わせた女の子になります。どこでも一緒に遊びに行くし、いつでも一緒にご飯するし、先輩がしたいえっちなことがあったら、ぜんぶぜーんぶしてあげますから」


 夕日が町並みの向こうの地平線の下に隠れようとしていた。

 由香のさらさらの髪の毛が目の前にあって、とてもいい香りがした。

 その香りが心地よすぎて、頭がクラッとした。

 お酒は飲んだことないけど、酔っ払うとこんな感じなんだろうな、と思った。

 そうだ。

 このとき、もうすでに私は陥落していて、このちっちゃな女の子に酔っていたのだった。

 ゆっくりと腕を由香の背中に回し、――抱きしめ返してやった。


「えへっ、うれしい……」


 由香は私の胸の中でそう呟く。

 このときもうすでに私は予感していた。

 きっと、ペットになるのは私の方だと。


 薄暗くなっていく部室の中で、カードの星がきらめき始めたように感じた。


                                  〈了〉





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