追放?!
幕府の首都は、いつもの喧騒に包まれていた。市場では商人たちが声高に自分の商品を売り込み、通りでは人々が忙しなく行き交っていた。しかし、その表面的な賑わいの下で、静かに、しかし確実に変化の波が押し寄せていた。
幕府の建物の中、澤北とタケルは重要な会議に出席していた。二人は開国後の幕府の発展に大きく貢献し、幕府内でも重要な地位を占めるようになっていた。しかし、この日の会議の雰囲気は、いつもと少し違っていた。
「我が国の貿易収支が悪化している」と、財務を担当する老臣が報告した。「特に、最近の薬草輸出の落ち込みが顕著だ」
澤北は眉をひそめた。彼の鑑定能力を活かした薬草貿易は、これまで幕府の主要な外貨獲得源となっていたのだ。
「何か原因はわかっているのでしょうか?」澤北が尋ねた。
「隣国が似たような薬草の栽培に成功したようだ」と老臣は答えた。「我々の独占状態が崩れつつある」
会議室に重苦しい空気が流れた。タケルが口を開いた。
「新たな輸出品を開発する必要がありますね。澤北、何か良いアイデアはないか?」
澤北は考え込んだ。「そうですね...我々の工業製品の品質向上を図るのはどうでしょうか。私の鑑定能力を使えば、より効率的な生産方法を見出せるかもしれません」
しかし、ある若い重臣が反論した。「工業化を急ぐのは危険です。農村部の人口流出が進み、社会不安を招くでしょう」
議論は白熱し、意見がまとまらないまま会議は終了した。澤北とタケルは、やや疲れた表情で幕府の建物を後にした。
「最近、こういった対立が増えてきたな」とタケルがつぶやいた。
澤北は頷いた。「ああ、開国後の急速な変化に、様々な立場の人々が戸惑っているんだろう」
二人が通りを歩いていると、ある光景が目に入った。かつて行商人だった男が、今や立派な店構えの前に立っていたのだ。
「おや、澤北殿、タケル殿」と男は二人に声をかけた。「久しぶりですな」
「これは驚いた」とタケルが言った。「立派な商売になられましたね」
男は誇らしげに胸を張った。「ええ、開国後の貿易の波に乗れたおかげでね。特に、外国から輸入した珍しい品々が飛ぶように売れてるんですよ」
澤北は男の店の中を覗き込んだ。確かに、見たこともないような外国製の品々が所狭しと並んでいた。
「素晴らしいですね」と澤北は言った。しかし、彼の心の中には小さな不安が芽生えていた。幕府の伝統的な産業は、この新しい波にどう対応していくのだろうか。
その夜、澤北は眠れずにいた。彼は窓から夜空を見上げ、幕府の未来に思いを巡らせていた。
翌日、澤北とタケルは新たな政策案を携えて幕府に向かった。しかし、彼らを待っていたのは予想外の事態だった。
「何だって?財務省の予算が勝手に使われただって?」タケルは驚きの声を上げた。
「そうだ」と老臣が厳しい表情で言った。「澤北殿が承認したという書類があるのだが...」
澤北は困惑した表情を浮かべた。「いえ、私はそのような承認をした覚えはありません」
調査が始まり、数日後、真相が明らかになった。財務省の若手官僚が、澤北の署名を偽造して予算を流用していたのだ。
「申し訳ありません」と澤北は頭を下げた。「私の監督不行き届きでした」
この事件は、澤北とタケルの立場を大きく揺るがすことになった。彼らの支持者たちは、二人の無実を主張したが、批判的な声も大きくなっていった。
「彼らは若すぎる。重要な地位を任せるには早すぎたのだ」
「開国後の混乱に乗じて、自分たちの権力を拡大しようとしているのではないか」
そんな噂が、幕府内外で囁かれるようになった。
ある日、澤北とタケルは市場を歩いていた。そこで彼らは、かつての行商人、今や大商人となった男に再び出会った。
「やあ、澤北殿、タケル殿」と男は声をかけてきたが、その口調にはかつての親しみが感じられなかった。
「どうされました?」とタケルが尋ねた。
男は少し躊躇してから口を開いた。「実は...最近、あなた方の政策のせいで、我々商人の商売がやりにくくなっているんですよ」
「どういうことですか?」澤北が驚いて聞き返した。
「新しい規制が多すぎる。外国との取引にも制限がかかって...」男は不満げに言った。「正直、あなた方には、もう商売のことはわからないんじゃないですかね」
澤北とタケルは言葉を失った。彼らの意図は、公正な貿易と国内産業の保護だったのだが、それが裏目に出てしまっていたのだ。
その夜、二人は深刻な話し合いを持った。
「どうすればいいんだ、澤北」とタケルが悩ましげに言った。「我々の政策が、必ずしも全ての人々の利益になっていないようだ」
澤北も深刻な表情で答えた。「ああ...でも、目先の利益だけを追求すれば、長期的には国が衰退してしまう。どうすれば皆を納得させられるだろうか」
二人の苦悩は深まるばかりだった。
そんな中、新たな危機が訪れた。隣国との貿易摩擦が激化し、戦争の危機が高まったのだ。
緊急の会議が開かれ、幕府の重臣たちは激しい議論を交わした。
「断固たる態度で臨むべきだ」
「いや、外交で解決を図るべきだ」
意見が割れる中、澤北が立ち上がった。
「諸公、私に一案があります」
彼は、問題となっている地域での共同開発プロジェクトを提案した。両国の技術を持ち寄り、新たな産業を興すというのだ。
「それにより、争いの種を協力の機会に変えられるのではないでしょうか」
タケルも賛同の意を示した。「さらに、この地域を自由貿易区にすれば、経済的な利益も両国で共有できるはずです」
しかし、この提案は予想外の反発を招いた。
「甘い!」と、ある老臣が声を荒げた。「そんな妥協案では、国益を損なうだけだ」
「そうだ」と別の重臣も同調した。「二人とも、まだ若すぎて国際政治の厳しさがわかっていない」
会議は紛糾し、最終的に澤北とタケルの案は否決された。代わりに、より強硬な対応が決定されたのだ。
会議後、二人は落胆した面持ちで廊下を歩いていた。
「どうしてだ」とタケルが呟いた。「我々の案なら、戦争を避けられたはずなのに」
澤北も悔しさを隠せなかった。「ああ...でも、我々の立場が弱くなっているのは確かだ。信頼を取り戻さなければ」
その時、廊下の向こうから大きな笑い声が聞こえてきた。見ると、かつての行商人、今や大商人となった男が、数人の重臣たちと楽しそうに話をしていた。
「おや、澤北殿、タケル殿」と男は二人に気づくと声をかけてきた。しかし、その目には明らかな軽蔑の色が浮かんでいた。
「今日の会議の結果は適切だったな」と男は言った。「お二人の甘い考えでは、国は守れんよ」
重臣たちも同意するように頷いた。
「我々実業家の意見にも、もっと耳を傾けるべきだな」と男は続けた。「お二人には、もはや現実の商売はわからんのだろう?」
澤北とタケルは言葉もなく、その場を立ち去った。
日々、二人の立場は弱くなっていった。彼らの提案はことごとく否決され、以前は耳を傾けてくれた人々も、今では冷たい態度を取るようになっていた。
ある日、澤北は自分の部屋で書類を整理していた。そこへ、タケルが慌ただしく入ってきた。
「大変だ、澤北!」
「どうした、タケル?」
タケルは息を切らせながら言った。「噂では、我々を幕府から追放する動きがあるらしい」
澤北は愕然とした。「まさか...」
その噂は、残念ながら現実のものとなった。数日後、澤北とタケルは幕府の最高会議に呼び出された。
会議室に入ると、重臣たちの冷ややかな視線が二人に注がれた。
「澤北殿、タケル殿」と、最高位の重臣が口を開いた。「我々は慎重に検討した末、お二人には幕府の職を退いていただくことに決定した」
会議室に重苦しい沈黙が流れた。
「理由をお聞かせください」とタケルが静かに尋ねた。
「理由は明白だ」と別の重臣が答えた。「お二人の政策は、国を危険な方向に導いている。財政の悪化、貿易摩擦の激化、そして社会の不安定化...全て、お二人の責任だ」
澤北は反論しようとしたが、言葉が出てこなかった。確かに、彼らの政策には問題もあった。しかし、それは国の長期的な発展を見据えてのことだったのだ。
「さらに」と最高位の重臣が続けた。「お二人の存在が、新興の商人たちの活動を妨げているという声も多い。我が国の経済発展のためには、彼らの力が必要不可欠だ」
タケルは苦笑した。「つまり、我々はもう用済みということですか」
重臣たちは答えなかったが、その沈黙が全てを物語っていた。
「お二人には、明日までに全ての職を退き、そして...」最高位の重臣は一瞬躊躇したが、続けた。「そして、都を去っていただく」
「追放ですか」と澤北が静かに言った。
「そうだ。お二人の存在が、今後の国政の妨げになることを恐れてな」
会議は、それ以上の議論なく終了した。澤北とタケルは、重い足取りで会議室を後にした。
廊下で、二人は立ち止まった。
「どうすればいいんだ、澤北」とタケルが呟いた。
澤北は深く息を吐いた。「...受け入れるしかないだろう。今は我々に力がない」
その時、廊下の向こうから、また例の大商人の姿が見えた。彼は澤北とタケルを見ると、わざとらしく驚いた表情を浮かべた。
「おや、お二人とも。どうやら、厳しい決定が下されたようですね」
澤北とタケルは無言だった。
「まあ、仕方ありませんよ」と大商人は続けた。「お二人の時代は終わったんです。これからは我々実業家の時代なんですよ」
彼は軽く会釈すると、颯爽と立ち去っていった。
タケルは拳を握りしめた。「あいつ...」
「やめろ、タケル」と澤北が制した。「今は耐えるしかない」
二人は黙って歩き始めた。幕府の建物を出ると、夕暮れの街並みが広がっていた。かつては彼らの功績を讃える人々で賑わっていたこの通りも、今では冷ややかな空気に包まれていた。行き交う人々の視線は彼らを避け、かつての英雄たちは影のように通りを進んでいった。
街灯が次々と点灯し始め、その光は二人の長い影を歩道に落としていた。かつての喝采は遠い記憶となり、今や彼らの足音だけが静寂を破っていた。
年老いた一人が重い口を開いた。「時代は変わったな」
もう一人は黙ってうなずくだけだった。彼らの胸の内には、栄光の日々への郷愁と、急速に変化する世界への戸惑いが交錯していた。
二人は黙々と歩き続けた。かつての英雄たちは、いまや時代に取り残された存在となっていた。しかし、彼らの歩みは決して止まることはなかった。新しい時代への適応を求められる中、二人は静かに、しかし確かな足取りで前に進んでいった。
それは自分たちがかつていた村に向いていた。