表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
再生の物語 誰ともつながれなかった人のリカバリー  作者: 冷やし中華はじめました
藩への仕官
109/118

領主の死

「領主様が...」

震える声が、城の廊下に響き渡った。

早朝、まだ朝靄が立ち込める中、城内は異様な緊張に包まれていた。侍従たちが慌ただしく行き交い、女房たちの泣き声が聞こえてくる。

タケルは、急ぎ足で主君の居室へと向かった。彼の隣には、同じく藩の重臣である澤北が息を切らせながら歩を進めている。

「まさか...」タケルは小声で呟いた。

「覚悟はしていたが、こんなに早くとは...」澤北も同じように言葉を絞り出した。

二人が部屋に到着すると、そこにはすでに藩医や他の重臣たちが集まっていた。皆、沈痛な面持ちで主君の寝台を取り囲んでいる。

タケルは恐る恐る近づき、主君の顔を覗き込んだ。

そこには、もはや生気の感じられない冷たい顔があった。

「ご逝去...されたのですね」タケルは声を震わせながら言った。

藩医が静かに頷いた。「はい、未明に息を引き取られました」

一瞬、部屋中が静寂に包まれた。誰もが、この瞬間が来ることを予期しながらも、現実を受け入れられずにいるかのようだった。

澤北が咳払いをして、沈黙を破った。「我々は、主君の遺志を継ぎ、藩政に励まねばなりません」

その言葉に、皆が我に返ったように頷いた。

しかし、タケルの胸の中には、不安が渦巻いていた。主君の死は、単に一人の人間の死を意味するだけではない。それは、藩全体の運命を左右する大事件なのだ。

そして彼の予感は、的中することになる。


それから数ヶ月が過ぎた。

藩主の葬儀は厳かに執り行われ、新たな藩主が就任した。しかし、新藩主はまだ若く、実質的な藩政は重臣たちによって運営されることになった。

タケルと澤北は、主君の信頼厚い家臣として、引き続き重要な役職に就いていた。しかし、彼らを取り巻く空気は、徐々に変化し始めていた。

「タケル殿、このたびの米の配給について、お前の采配は少々軽率ではなかったか」

ある日の会議で、年長の重臣が厳しい口調でタケルを糾弾した。

「いえ、私としては民の苦しみを少しでも和らげようと...」

タケルが弁明しようとするも、周囲からは冷ややかな視線が注がれるばかりだった。

「民のためと言って、藩の蔵を空にされては困る」

別の重臣も同調するように発言した。

タケルは唇を噛みしめた。確かに、彼の決定は大胆すぎたかもしれない。しかし、凶作に苦しむ農民たちの窮状を見過ごすこともできなかったのだ。

会議が終わると、澤北がタケルに近寄ってきた。

「気にするな。お前の判断は間違っていなかった」

「澤北...ありがとう」

タケルは感謝の念を込めて頷いた。しかし、二人とも薄々気づいていた。かつての主君がいれば、こんな風に責められることはなかっただろう。時代が、確実に変わりつつあるのだ。


それから数年が経過した。

タケルと澤北は、徐々に重要な案件から外されるようになっていった。

「タケル殿、このたびの城の改修工事の監督は、若年寄の山本殿に任せることになりました」

ある日、老中から言い渡された。

「しかし、私はこれまで城の管理を任されてきたはずですが...」

タケルが困惑の表情を浮かべると、老中は冷ややかに言った。

「お前も年だ。少しは若い者に仕事を任せるのも良いだろう」

タケルは、自分がまだ働き盛りの年齢であることを主張したかった。しかし、老中の冷たい目を見て、それ以上の抗議は控えた。

一方、澤北も同じような経験をしていた。

「澤北殿、今回の年貢の取り立ては、新たに抜擢された佐藤殿に任せることにいたしました」

「はい...承知いたしました」

澤北は、心中穏やかではなかったが、表情には出さずに応えた。

二人は、かつての主君から受け継いだ政策を守ろうとしていた。しかし、新たな勢力は、そうした「古い」考えを快く思っていないようだった。


ある夜、タケルと澤北は密かに会合を持った。

「このままでは、我々は完全に藩政から排除されてしまうぞ」

澤北が苦々しい表情で言った。

タケルも深くため息をついた。「わかっている。しかし、我々にできることは何だろうか」

「主君の遺志を守ること。それが我々の務めだ」

澤北の言葉に、タケルは強く頷いた。

「そうだな。たとえ役職を失っても、民のために働き続けよう」

二人は、互いの決意を確認し合った。しかし、その後の日々は、彼らの予想以上に厳しいものとなった。


「タケル殿、このたび藩主様のご意向により、お前の役職を解くことになった」

ついに、その日が来た。老中からの冷たい言葉が、タケルの耳に突き刺さった。

「私に、何か落ち度でもございましたか」

タケルは必死に冷静を装おうとしたが、声は震えていた。

「特に落ち度があったわけではない。ただ、新しい時代には新しい人材が必要なのだ」

老中の言葉に、タケルは何も言い返すことができなかった。

同じ頃、澤北も同様の通達を受けていた。

二人は、長年仕えてきた城を後にする日、互いに顔を見合わせた。

「こうなることは、薄々感じていたがな」

澤北が苦笑いを浮かべる。

「ああ。しかし、これで終わりではない」

タケルの目には、強い決意の光が宿っていた。


城を去ったタケルと澤北は、しかし諦めなかった。

彼らは、自分たちの知識と経験を活かし、民間での活動を始めた。

タケルは、困窮する農民たちに新しい農法を教え始めた。

「この方法なら、少ない労力でより多くの収穫が得られるはずだ」

彼の指導の下、荒れ果てた田畑が少しずつ蘇っていった。

一方、澤北は、藩校で教鞭を執ることになった。

「諸君、学問とは単に知識を得るだけではない。それを如何に実生活に活かすかが重要なのだ」

彼の熱心な指導に、多くの若者たちが感銘を受けた。

二人の活動は、徐々に評判を呼び始めた。

「あのタケル殿と澤北殿のおかげで、我が村の収穫が増えたのです」

「澤北先生の教えのおかげで、息子が藩の役人試験に合格しました」

そんな声が、あちこちから聞こえてくるようになった。


しかし、そんな二人の活動を、藩の上層部は快く思っていなかった。

「タケル、澤北の両名の影響力が強まりすぎている。このままでは、民衆の心が彼らに傾いてしまう」

ある日の会議で、そんな意見が出された。

「しかし、彼らの功績は否定できません。農民たちの生活は確実に向上していますし...」

若い家老が弁護しようとしたが、

「黙れ!彼らは、すでに藩から追放された身だ。そんな者たちに民を従わせるわけにはいかぬ」

老中の怒声に、若い家老は黙り込んでしまった。

そして、ついに藩は動き出した。


ある日、タケルが農民たちに指導をしていると、藩の役人たちが現れた。

「タケル殿、申し訳ありませんが、あなたの活動は藩の秩序を乱すものとして、以後禁止とさせていただきます」

「何だと?私はただ、民のために...」

タケルが抗議しようとするも、役人たちは聞く耳を持たなかった。

同じ頃、澤北も藩校から追い出されていた。

「先生、どうか行かないでください!」

生徒たちが必死に引き留めようとするが、

「諸君、心配するな。学びとは、場所を選ばぬものだ」

澤北は、最後まで毅然とした態度を崩さなかった。


追い詰められた二人は、ついに城を去ることを決意した。

「ここにいては、もはや何もできん」

澤北が重々しく言った。

「そうだな。しかし、どこへ行けば...」

タケルが途方に暮れた表情を浮かべると、

「心配するな。この国には、まだまだ我々の力を必要としている場所があるはずだ。いったん村に戻ろう」

澤北が力強く言った。

そして、二人は旅立ちの準備を始めた。

出発の日、多くの農民や元生徒たちが見送りに来ていた。

「タケル殿、澤北殿、どうかお元気で!」

「先生方のおかげで、私たちは希望を持てるようになりました」

涙ながらの別れの言葉に、二人も胸が熱くなった。

「皆、心配するな。我々は必ず戻ってくる」

タケルが力強く宣言した。

「そうだ。その時まで、しっかりと学び、働き続けるのだ」

澤北も頷いた。

こうして、タケルと澤北の新たな旅が始まった。


その後の二人の村への帰郷は、決して平坦なものではなかった。

彼らは各地を転々とし、その土地その土地で人々を助け、教え導いた。

ある村では、タケルが新しい灌漑システムを考案し、長年の水不足問題を解決した。

「タケル殿、あなたは我が村の恩人です」

村長が涙ながらに感謝の言葉を述べた。

また別の町では、澤北が貧しい子供たちのための私塾を開いた。

「先生、あなたのおかげで、私たちにも未来があると信じられるようになりました」

生徒たちの目は、希望に満ち溢れていた。

しかし、彼らの名声が高まるにつれ、再び権力者たちの反感を買うことになった。

「あの二人は厄介だ。民衆の心を掻き乱している」

「早々に追い払わねば」

そんな声が、あちこちで聞こえるようになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ