その3
酩酊した仲間たちに、吾郎のつぶやきが聞こえる事はなかったようだが、皆それぞれに吾郎の視線の先を追う事になった。視線の先、大きな窓の外は、冷えた冬の外気でしんと静まった暗闇に包まれていて、満月の新円がくっきりと良く見えた。月、よく晴れた空の闇夜の中に、きれいにくり貫かれたようなまるい満月、と思われたその明るい黄色が、まるで風船のように膨らんで眩しいほどにあたりを照らし始めた。月がぐんぐんこちらへ近づいてくるかのようである。口をあけて湯気の中で呆然としている男たちは、増してくる光を浴びながら月の真ん中を見ていた。
優しさ、柔らかさに溢れた光が空から降り注ぐ。大量の光でありながらも、目を射るような強さはない。その中心には、近づくにつれて人の姿のような輪郭が見てとれた。ふわりと浮いた布だろうか、羽衣だろうか、柔和な肢体を優雅に覆っている。荘厳な冠の下の穏やかな表情からは、深い慈愛が溢れて見える。皆確認するまでもなく、理解した。神様だ。
「吾郎、そのものたちかえ」
歌のように透き通った声が発せられた。吾郎の名を聞いて、呆然としていた者の意識が現実に戻されたようで、皆吾郎を目で探した。呼ばれた当の吾郎は、宿題を忘れた子供のようにすねた仕草で答えた。
「はぁ、まぁ、そうなんですが、神様、実はまだ何も言うてないんです」
「言ってない? 皆何も知らない、ということですか? 吾郎、それはどうも、困りますよ」
何の事か、何が起きているのか、あまりの出来事にただ目を白黒させている仲間の前で、神々しい人影を包んでいた光はようやく落ち着いていった。やはり、と誰もが頭の中で思った。寺社仏閣で見慣れた、神仏像そのままの美しさ、神様に他なるまい。この輝かしくもたおやかな存在が、何故吾郎の名を呼ぶのか。
吾郎は照れたような、怒ったような、どうにも複雑な表情で、仲間たちの顔をちらちらと見ていった。目を合わせまいとしている。そして、
「みんな、天国に、行きたくねぇか」
と素っ頓狂な事を言うもんだから、皆もうわけのわからない事続きで、ついに呆れてしまった。天国?
「吾郎」
変わらず透き通った声だったが、神様は少し困ったような口調で言った。
「同意が得られなければ、天国へ連れて行くことは出来ないのですよ。私は死神ではないのですからね。それは前にも言いましたでしょう」
「え、え、わかっているんですが、神様。これがなかなか、言いにくいもんで。俺ぁ口下手というか、うまく説明できそうにもなかったんです。神様に会った、なんて」
吾郎は再び仲間を見回して、
「どうだ、目の前にすれば、これはもう、疑うも信じないもあるまいて、神様じゃ。みんな、神様がいらっしゃったんだぞ」
と吾郎が言うと、はっ、と男たち、何かに気が付いたのか、慌てて手を合わせて恐縮したり、湯船に顔を突っ込んで、土下座しようとして浮かび上がったり、布で前を隠して縮み上がったりと雑然としだした。が、誰も神様に会うなんてのは初めてなものだから、どうしたものかわからずに、また再び、呆然と宙に浮いた神様を見上げるばかりになるのだった。
(つづく)
【キャスト】
真打登場、となりまして、登場人物が出揃いました。一部、「人物」と言うには語弊のある方もございますが。神様という神々しい存在は、古今東西、やはり光に包まれている、という描写が一般的であり、私もやはり、そのような形而上的存在には、溢れんばかりの光を感じるものですが、神様の登場はまぶしいものなのでしょうか。機会があればお会いしとうございます。
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