2-3. いちばん高いところ
「トールくんどうしたの、その服」
カウンター席の隅っこを陣取った透流に、注文をとりにきたアンナがびっくりした顔で言った。
「もらった」
事実を簡潔に返す透流の服装を、彼女はしげしげと眺める。
「貴族しか着ないレベルで質がよさそうだけど……」
「貴族の女の子にもらったからね」
「そうなの?!」
さすが……、と呟きながらアンナはマニュアルどおりに一応メニューを差し出した。
「賄いならタダでいいわよ」
「いや、今日はちゃんと払う」
「お金あるの?」
「んー、ある」
「あるんだ」
一週間前は一文なしだった訳ありっぽい人が、いかにも貴族的な風貌をそれほど苦労なくタダで手に入れている。そしてアンナもゴハンを貢いでタダで住めるよう斡旋しているので、つい助けてあげたくなる何かを彼が持っているのは理解できなくもない。
「なんだかルチアちゃんの言ったとおり、才能よね」
「まースポンサーみたいなもんかな。生活に余裕があると珍しいものに面白がってお金を出す人はいるんだよ」
「その貴族の令嬢も面白がってるの?」
「いや……そっちは利害一致というか、同情心というか」
「同情……?」
貴族が働きたくない民に同情して金銭サポートを……?
という疑問がアンナの顔に表れているのは尤もだろう。日本で暮らした前世の記憶を持つカサンドラが、透流の事情を知って気にかけるのは自然な流れではあるけれど、はたから見れば不自然さは否めない。
注文を終えた透流は頬杖をつく。ほどなくサーブされたドリンクを飲んでのんびり待っていると、琥珀色の髪をなびかせた男が足音を立ててカウンターへ向かってきた。透流のすぐ横に立つ。
「アンナさん!」
「あら? お久しぶりです、レオンさん」
レオンと呼ばれた男は焦った様子でアンナに話しかける。
「ちょっと訊きたいんだけど、ルチアーナ来てないかな」
「私は見ていないですね」
「やっぱりそうか……」
「ルチアちゃんがどうかしたんですか?」
彼は話すべきか少し迷う素振りを見せつつ、結局口を開く。
「店を開けたままいなくなった。状況的にはトラブルに巻き込まれた可能性が高いんだ」
「えっ!? それは……、オーナーに連絡してみましょうか」
「もうシルヴァとは話してるから大丈夫。それよりジーノ・ロッソのこと詳しく知ってる?」
その人物の名を耳にしたアンナが怪訝な表情をする。
「ジーノさんと何か関係が?」
「今日ルチアーナが仕事で会ったらしくて、そっちの界隈に巻き込まれたのかもしれない」
「警察に連絡は?」
「今の段階で警察が動いてくれるかどうか……。話はしてみるけど、自分で動いた方が早いかも」
焦燥感を纏わせるレオンが場を去ろうと踵を返したその時。
「よろしければ私が探ってみましょうか」
透流と逆側のL字カウンターの角。静かに酒を飲んでいた中年の男がゆっくりと声を発した。低くてよく通る、カリスマ的なオーラのある声だった。
「盗み聞きのようになってしまい申し訳ありません。ただね、私も半グレに好き勝手されては困る立場にいるんですよ。それに、ルチアさんには借りがあるんでね」
仕立ての良いハットとスリーピースのスーツを着こなす姿は妙な貫禄を漂わせている。男は返事を待たずに、小型の通信機らしきものでいくつかの指示を出した。
「情報が入るまで私はここにいます。貴方とすれ違う場合はアンナさんに伝えておきましょう」
「それはどうも。助かります」
レオンは必要最低限の礼を言う。男に対する緊張感と警戒心は、助力を得ても解かれることはなかった。
「じゃあ、警察はどうするかな……。かえって面倒なことになるか……」
頭を悩ませながら慌ただしく店を後にするレオン。それを見送ったアンナは、そういえば、と透流へ話を振る。
「トールくんは? ルチアちゃんがどこにいるか心当たりない?」
透流は首を横に振る。
「あーでも……、ちょっと待って」
「トールくん?」
「その前にあれだ」
はてなマークを浮かべるアンナを見て、透流は口を開いた。
「さっきのイケメンってどういう人?」
「イケメンって……レオンさん? ルチアちゃんの幼馴染なの」
「へー。ちなみに強い?」
「そうね、彼は騎士だから強いと思うわよ」
「じゃあさ、」
透流は壁側に体を向けてアンナを呼び寄せると、顔を寄せてささやく。
「あっちの渋いおじさんは?」
「……カルロ・ヴィンチ。ヴィンチ・ファミリーっていうマフィアのボスよ」
アンナもささやき声で答える。
「自己紹介とかしないでね。危ないから」
「わかってるって」
「絶対に約束よ。この街一番の要注意人物なんだから」
それは会ったばかりの透流にも理解できる。先ほどの穏やかな喋りには確かに圧があった。そもそも存在自体から異質な雰囲気が漏れている。
「あと、なんだっけ……、ジーノなんとか」
「ジーノ・ロッソね」
「その人は?」
「そうねぇ、半グレなんだけど……良い人というか、私は優しい人だと思うわ」
「なるほどね。ありがとう」
そう言い残すと、透流は料理を待たずに席を立つ。
「どこか行くの? もうすぐ出来るけど」
「うん。またすぐ戻るよ」
戸惑うアンナに軽く手を振り、透流はすたすたと店の外へ出ていった。
*
赤いロープ。
ルチアーナと透流を繋ぐそれは今、街の外れの坂の上へと伸びている。
近づいても弛まないし、遠ざかっても引っ張られることはない、伸縮自在の不思議なロープ。透流以外の誰にも見えず、VRのオブジェクトと同じで触ることもできず、建物や地理的要因の障害物をすべて貫通し、直線の最短距離で二人を繋げる。
曲がりくねった坂を登りはじめて数十分。
透流は、赤いロープが示す丘へ視線を定める。ロープがずっと上に伸びているのは、そこに彼女がいるからだ。
「うーーん。どうしよ」
いったんグランデへ戻って大体の場所を伝えるべきか、このまま一刻も早くこの道を辿るべきか。居場所がわかる理由を開示せずに、いや開示したとしても信じるかどうか。最善手を打つにはどうするべきか。
短期間で得た少ないこの世界の情報と、自分の能力の限界と、レオンたちの行動の予測と、それから————。
透流は数秒で判断を下し、水を得た魚のように軽やかに走り始めた。