1-3. 働かざる者食うべからず?
「ねえシルヴァ、あの人?」
従妹のルチアーナが顔を近づけてささやく。視線の先はトールという名の、彼女と同年代の青年の後ろ姿。カウンター席に座っている。
「あの子だな。あれ大丈夫か?」
二人が注視する透流は、マフィアであるヴィンチ・ファミリーの構成員に絡まれている最中だった。
「オネストさんなら大丈夫じゃない?」
「うーん……」
カフェ・グランデのオーナーであるシルヴァは数時間前に透流と会っている。しかも話を聞くうちに成り行きで部屋を貸すことになった。今は鍵を渡して案内するために、彼を迎えに来たところだ。
「食べ終わった頃に声をかけようと思ったんだが……、もうちょい待つか」
ひとまずタイミング待ちだ。
店員に断って、近くの空席にルチアーナと座った。
「でも、どうしてタダで貸すことになったの?」
彼女が頬杖をついてシルヴァを見上げる。
「だって面白そうじゃん」
「うん。それはそうだけど」
真顔で身も蓋もないやりとり。血は争えないと言うけれど、なんだかんだで気が合う従兄弟である。
従兄弟というよりも歳の離れた兄妹みたいな間柄だった。
「まあ、一年も空き部屋だと流石になあ……」
元々は無一文の外国人を心配したアンナの提案だった。そしてシルヴァはたまたま空き部屋の傷みが気になり始めたところだった。人が住めば風通しが良くなるし、ついでに人助けもできる。
「一石二鳥てやつだね」
シルヴァの思考を読んだかのように彼女が微笑んで言った。
二人とも商人の家系なので『トータルで見て得が損か』で考えるクセがある。
その時、にわかに大きな声がした。
どうやら透流が赤毛のバルドを煽ってしまったらしい。
顔を見合わせ阿吽の呼吸で立ち上がると、会話が聞こえる範囲まで近づいて、邪魔にならない場所で聞き耳を立てる。
「——『働かざる者食うべからず』って言葉知ってる?」
聞こえてきたのはイラつきを抑えきれないバルドの声。
ある意味フリーのホスト形式で働いている透流にそれを説いても響かないだろう、とシルヴァは思う。
「まあ、女の子に頼まれたら何でもするけど……ゴハンは優しい人がくれるし、ここのオーナーが空き部屋に暫く住んでいいって言うし、」
飄々とした透流の返しは、とことんバルドと合わない。透流の生き方を『面白い』と評したシルヴァやルチアーナよりも、たぶんヴィンチ・ファミリーの構成員の方が働き者なのだ。仕事内容の是非は別として。
そろそろ危ないと判断したシルヴァが声をかけようとさらに近づく。だが隣の彼女の方が一秒ほど早かった。
「いいなぁ……」
ルチアーナが羨ましそうに小声でつぶやくと、彼らが一斉に振り向く。
「あ、ルチアさん」
「あらオーナー、お疲れ様です」
オネストとアンナがほとんど同時にそれぞれの名を呼んだ。
「こんばんはぁ」
ルチアーナが朗らかに答え、シルヴァはバルドと透流の間に割って入った。背が高くガタイもそこそこ良い身体に遮られたバルドは面食らう。
「話し中ごめんね。トールくんだっけ? 」
「はい」
「これ部屋の鍵」
シルヴァが金属製の鍵を差し出す。
座ったまま見上げる透流は、素直にお礼を言って部屋の鍵を受け取った。
「掃除は自分でよろしく。あの部屋、一年以上使ってないから」
「わかりました」
「すぐ必要なものは、このルチアーナが用意するから——」
部屋の説明をしつつルチアーナを紹介しようとすると、ふいに透流の視線が下がった。
見えない幽霊を見るように一点を凝視した後、シルヴァの隣に立つルチアーナをまっすぐ見上げてわずかに目を見開く。
「君がシルヴァの言ってた人ね」
細いフレームのメガネの奥に、輝くエメラルドの瞳。興味深そうにトールを見つめるルチアーナが名乗ると、彼は不思議そうに何度か瞬きをして自己紹介を返した。
「お金ないのに働きたくないんだ?」
「ん? うん」
急に問われ、透流はこくりと頷く。
するとルチアーナが嬉しそうに続けた。
「いいねえ」
タイミングを逃して座り直したバルドが、思わず「いいね……?」と疑問系でつぶやきながら振り向いた。まるで理解を超えたバケモノを見るかのように。
「ルチアーナ、お前さあ……」
従兄妹の性格をよく知るシルヴァは苦笑い。彼女はこういう人間を放っておけないのだ。
「わたしは好きだよ。君みたいな人」
「へー、ホントに?」
カウンターに頬杖をついた透流が、密度の濃いまつ毛を瞬かせてルチアーナを見上げる。
「うん。『働かざる者食うべからず』とか言わなそう」
さっき盗み聞きしたセリフをそのまんま引き合いに出したので、すかさずバルドが聞き捨てならないと反応を示す。
「あぁ? 今なんつった?」
ピュアなエメラルドの瞳がむくれるバルドを捉えた。
「なんか変なこと言ったかな」
「俺らはちゃんと働いてるもん」
「えー? でも悪いことしてるでしょ」
「悪いこと? チーズ運ぶのが?」
「いやいや、わたしに銃向けたことあるよね」
ちなみにヴィンチ・ファミリーが隠れ蓑にチーズ会社を運営しているのは本当だ。
子供みたいなやりとりだが、バルドは30代だしルチアーナは21歳である。彼女は左腕を上げてぴしりと人差し指を突きつける。
その時、タイミングを見計らったようにアンナがディナーセットと香草焼きを運んできた。マフィア二人組の頼んだメニューだ。
「ほらほら二人とも、喧嘩はダメですよ」
「……はぁい」
「ごめんなさい」
店長に怒られてしまった二人は矛先を納めて素直に謝る。この店ではアンナがルール、というのが常連の間では暗黙の了解になっている。
できたての料理を置いて「ごゆっくり」と微笑むアンナは、カウンターに腕をつき軽く寄りかかった。そして興味のある話題をさり気なく引き継ぐ。
「ルチアちゃんは働きたくない?」
「……そうだなぁ」
ルチアーナは顎に人差し指を添えて少し考えて、おもむろに口を開いた。
「何にでもメリットとデメリットがあるでしょ? それを天秤にかけて『こっちの方がマシ』な方をみんな選んでると思うんだ」
「ルチアさん、意外と難しいこと考えますね……」
ワイングラスを掲げたオネストが感心した風に口を挟んだ。褒めているようで褒めてない気も一ミリくらいするが、ルチアーナはマイペースに話を続ける。
「だって想像してみたらね、人から貰ったもので生活を維持するのも大変だろうなあって」
「確かにそうよね。安定しないから精神的にも疲れそうだし……」
絶賛貢がれ中のアンナが強く同意する。
「私は無難に働くほうが気楽だわ」
貢がれたくないと言っているようなものだが、貢ぎ側のオネストは特に気にしておらずノーダメージ。腰が低く見えてやはりマフィアだ。
「ね。働かなくても食べる権利はあるし、人と違うやりかたで生活できるのは才能だよ」
「才能だぁ? 怠けてるだけじゃねぇか」
ルチアーナの持論に、ディナーセットを半分食べて息を吹き返したバルドが反論する。しかし彼女は無垢な表情で首を傾げた。
「え? でも……ルークはかわいいだけで一生食べていけたよ」
「ルークって誰だよ」
「昔飼ってた猫」
「「「……猫」」」
その場にいる複数の声がシンクロする。
「そう。猫。めちゃくちゃ可愛くてね」
みんなの真顔ツッコミをスルーして猫の可愛さを自慢しはじめるルチアーナはまごうことなき天然である。
「ん。確かにルークは可愛かった」
従兄妹で猫好きのシルヴァだけが、ついつい共感して深く頷いてしまう。
「あーもう!」
バルドは赤い髪をガシガシと掻いた後、諦め顔で投げやりな言葉を吐いた。
「じゃあ飼ってやればいいんじゃねえの」
「へ?」
「こいつ」
BGMのように会話を聞き流し、人ごとのようにカップを口に運んでいた透流に視線が集中する。彼はアンナが出した食後のラテをごくりと飲み込んで、一瞬おとずれた静寂の中で、なんの躊躇もなくひと言。
「ワン」
簡潔すぎる意思のない意思表示と、
「犬だ」
「犬かよ」
「適応早いなぁ」
ガヤたちの三者三様のツッコミを経て、
「猫じゃないんだ……」
若干残念そうなルチアーナのつぶやきが、混沌とした世界に落とされた。