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紅いロープに星屑を  作者: 文詩衣ソワカ
第5章
33/37

5-4. 湖上に映る表と裏

※ルカ視点

扉を開けたルカ・オルランドは、カフェにしては広いエントランスで立ち止まった。


カフェと言いつつ酒もあるので、夕方の店内は大人が多い。16歳のルカは自分の姿を少しでも堂々と見せるために背筋を伸ばした。


「いらっしゃいませ!」


さっそく店員が寄ってくる。初めて見る顔だった。

冷えた指先に少しの緊張が走る。


「すみません、ぼくは客じゃなくて……トールさんはいますか?」

「あいにく仕事中でして、よろしければ伝言をお伝えしましょうか」

「いえ、あの、今日は開店前の準備だけって話になっていたと思うんですが」

「はい? ええと……」

「あ、じゃあ店長さんと話せますか?」

「……少しお待ちください」


店員が戸惑いながらバックヤードへ向かおうとする。それを呼び止めたのは店長のアンナだった。何かを伝えてから彼女はルカへ歩み寄る。


「ルカくん、ごめんなさいね。あのスタッフには知らせてないの」

「大丈夫です」


うまく説明できなくて内心焦っていたので、アンナがすぐ来てくれて助かった。

そんな本音を大丈夫のひと言で覆い隠す。


「もう少しだけ待っていてね。でも……オーナーは出張中だけど、本当に立ち会わなくて良いのかしら? 今日じゃなくても、ルカくんの学校の予定に合わせてまた調整できるわよ」

「いいんです。ぼくはトールさんと二人きりで話したいので」

「ルチアちゃんのことが心配になった? 彼は優しくて器用だからうちも助かっているの」


透流をフォローするアンナを見て、ルカは愛想良く微笑む。彼女は最初から透流に好意的でご飯を奢ったりしていた、というのは事前に調べて知っていた。


「姉は抜けたところがあるから、ちょっと心配なんです。アンナさんも分かると思いますけど」


意味ありげにそう言って、目を伏せる。

するとアンナは、苦笑と気遣いと同意を混ぜた声で「そうね、それは分かるわ」と取り繕った。


「でもね、トールくんはルチアちゃんを手伝っていただけなのよ。最近はうちで働いているからあまり会わないみたいだし……」

「まだ働き始めたばかりなんですよね」

「ええそうね。2週間くらい。今のところまったく問題ないわ」

「それなら良かったです」

「今日は店内で話すのかしら」

「連れて行きたいところがあるので」


穏やかな仮面の下で謎の牽制をし合っていると、私服の男性がバックヤードから現れた。まっすぐエントランスに近づいてくる。


最初に目を惹いたのは容姿。

明るい茶の髪はさらさら。整った顔とバランスの取れたスタイル。服装も無難で、ルカから見た第一印象は単純に『モテそう』だった。


視線を合わせて軽く頭を下げるルカに、彼は淡く微笑んだ。

放っておくとエントランスで自己紹介でも始めると思われたのか、アンナが扉を開けて外へと促す。

ひんやりと冷えた空気が頰を撫でた。


「アンナさん、あとは大丈夫なので店へ戻ってください。忙しいでしょう?」


口角を上げて告げると、彼女はルカの目を見てようやく頷く。それから透流の方を向いて「ルカくんをよろしくね」と言い残し、店の中へ戻っていった。

子供扱いは嫌だけど我慢だ。邪魔者を見送ってから、ルカは相手を見上げて先手を打つ。


「ルカ・オルランドって言います。ぼくのことはシルヴァ兄さんから聞いてますよね?」

「聞いてるよ。俺に会いたい子がいるって」

「トールさんのことを姉から聞いて、一度会ってみたくて」

「うん、どっか行く?」

「え、はい、」


さらっと誘導されて、ルカは瞬きをする。

勢いが一気に削がれてしまった。


「あの行きたいところが……ぼくのお気に入りの場所なんですけど、そこで良いですか?」

「もちろん」

「えっと、こっちです。車で行きましょう」


夜の移動なので、商会から小型の社用車を借りていた。運転手は顔見知りの従業員。

車に乗り込むと暖かさにほっする。

隣をちらりと見れば、飄々とした透流の横顔は曇った窓の外へ向いていた。


思った感じと違う。

実際話した印象はそれだった。

羽毛みたいに軽い会話。

穏やかな声。

目を離せばふらりと消えそうな足取り。

軽々しく笑う顔も嫌な感じはしない。

なんとなく昔飼っていた猫の面影をルカは垣間見る。


たった数分で少し理解できたかもしれない。会ったその日にシルヴァが空き家を貸したり、さっきアンナがフォローに回った理由も。



   *



どこまでも続いていそうな湖面が、海とは違った静けさと落ち着きをもたらしている。

空の色は、夜というにはまだ明るいけれど、丸い月がうっすらと出ていた。


「へー、いいねぇ。湖か」

「湖だけど、海と繋がってますよ」

「じゃあ汽水湖だ。お気に入りなんだ?」

「あんまり人が来ないし、静かだけど水の音が落ち着くっていうか……」


夕日が沈んでからの数時間はとくに人がいない。今も二人だけだ。真夜中や早朝になるとちらほら釣りのおじさんがいるらしい。


「木の桟橋が古くていいね」


透流の何気ない言葉にふわりと心が弾む。

昔ながらの桟橋は古く小さいため、ボートを留められる数は限られる。景色がいいわけでもない。しかし寂れたここの雰囲気がルカは好きだった。


「お、ボート」


透流がぶらりと歩く桟橋の両側には、数隻のボートが着岸している。


「ボートに興味あります?」

「うん。小型船までなら運転できるよ」


そう言ってから少し間を置いて、透流は言葉を付け足した。


「でもこの国の免許はないからね」


少しだけ寂しそうに聞こえて、ルカは自分の知るとっておきの情報を披露する。


「ここだけの話、湖内だと許可証なしの人もいるみたいですよ」

「……緩すぎない?」

「さすがに港は無理ですけど」


ルカも桟橋を進み、真ん中あたりで躊躇して足を止める。ここは寂れているからこそ、裏稼業のボートの隠し場所にもなっているのだという。だから念のためひとりの時は桟橋を歩かないようにしていた。

本当はのんびりとここに座ってみたかった。小さな願望がルカの身体を動かす。

比較的きれいな桟橋の縁を選んで座り、足をぶらぶらさせて水面を見下ろした。

ゆれる鈍い光の反射を、ずっと見ていられる気がする。


「姉も船が好きなんですよ、本当は。でも極力乗るのを避けているので……良ければ誘ってあげてください」

「……なんで?」


振り向いた透流が首を傾げる。理由が分からないと誘いにくいかもしれない、とルカは判断する。


「両親のケアのためです。姉のお兄さんが船の事故で亡くなったから……」


デリケートな内容をルカは淡々と口にする。

ルチアーナに兄がいて、ルカが養子になるより前に他界していることは、とくに隠しているわけじゃない。機会がなければ言わない、というだけだ。


「当時ぼくは養護院にいて——あ、実は養子なんですよ。姉たちはよく養護院に遊びに来てくれて」

「……へぇ、そうなんだ」


むしろルカは、機会さえあれば誰かに聞いてほしかった。大好きな姉の傷を少しでも塞いでくれる何かを見つけたかった。


「お兄さんが亡くなって、姉さんは両親に……母様に懇願されたんです、船には絶対に乗らないでって。それを姉さんは今でも気にしているみたいで……。母様はまだ港に近づくのも無理だから」


そこまで吐き出して、相手の反応をうかがう余裕がないことに気付く。

何度か瞬きをして昂りを落ち着かせていると、近づいてくる軽い足音。

透流がルカの隣に腰を下ろした。


「じゃあ誘ってみるか。俺も乗りたいし」


ルカは上目遣いで透流の方を見る。

我ながら重い話だと思うのだけれど、透流の操る言葉は軽くて優しかった。

微笑んだ顔も淡い。

何もかも空気みたいな軽さに、つい口を開かされてしまう気がする。


「あの、実は……色々あってぼくが商会の後継者になったけど、最初は姉の補佐役にって話で引き取ってもらえたんです」


補佐を育てるための養子縁組。

そんなレアケースにルカが選ばれたのは、ルカ自身の資質やルチアーナとの相性はもちろん、家ぐるみで付き合いのあるレオンが強く推した影響もあったと今になって思う。幼馴染の彼はルチアーナの負担を感じ取ったのかもしれない。

しかし継承権は亡くなった嫡男からルチアーナへ移り、その数年後にルカへ移った。


「ルチアが継ぎたくないって言ったの?」

「いいえ、みんなで話し合った結果ぼくのほうが向いてるという結論になりました」

「ふーん……きみは……えっと、」


何かを思い出そうと上を見ていた瞳がルカを捉える。


「ルカくんはそれでいいんだ?」

「ぼくは要領が良いらしいので」

「誰かにそう言われた?」


透流が横から覗き込んでくる。

綺麗な顔が近い。

占い師に言い当てられた気分で、跳ねた心臓に手を当ててこくりと頷いた。


「楽しい?」

「……楽しいとかつまらないとか、そういうことじゃないんです」


ルカはつい口を尖らせてしまう。少しだけ痛いところを突かれた気がした。


「そうかぁ」

「そうですよ」


鳥の鳴き声がどこかから聞こえる。

穏やかな沈黙の後で、ルカは薄暗い空を眺めながらつぶやいた。


「どうしてこんなに自分のこと話してるんだろう……もしかして魔法使えます?」

「え、そんな魔法あるの?」

「分からないけど、ありそうかなって」


ルカが笑みを浮かべて答えた直後。

ギィ、と木の軋む音がした。

それが桟橋を踏む足音だったと数秒遅れて気づく。


「魔法じゃないですよそれは。ワンちゃんに話しかけるのと変わらない。そこの根無草みたいな彼は貴方の世界の外にいる人間ですから」


背後から芝居じみた張りのある声。

思わず振り向けば、笑顔を貼り付けた大柄な人物が風を切って歩いてくる。


「ああどうも、こんばんは。初めまして」


ルカは目を見開いて固まった。

私は怪しい者です、と男の全身が訴えている。謎柄のセットアップと短いレースタイのついたシャツを着て、髪のカラーリングは白金をベースに4色くらい使われている。

ちょうど外灯の真下にいるおかげで、スポットライトを浴びる舞台役者のようだった。


「そこの貴方。さっきボートがお好きだって聞きましたけれど、運転してもらえませんか。こうして出来立てのパイも買ってきたんですよ。水面に映る月を愛でながら楽しくドライブしましょう」


一方的にお願いを装った命令をして、手に持ったパイらしき紙袋を掲げてみせる。

どこに潜んでいたのか、話をずっと聞かれていたらしい。


「俺? 一応無免許扱いだから運転はちょっと……」


いつの間にか立ち上がっていた透流が、ルカの前に出て緩く拒否すると、男は即座に切り返す。


「貴方マジメなんですねぇ。分かりました私が運転しましょう。代わりにパイを持ってください、斜めにすると壊れてしまうから慎重に」

「いいけど……誰?」


押し付けられるままパイを受け取ってしまった透流は、とりあえずといった感じでへらっと笑いかけて名を尋ねた。

とたんに男の表情がぱあっと華やぐ。


「私の名はアルファーノ。貴方たちの車の運転手さんは私の部下と仲良くお話していますから、お二人はボートへ乗ってください、ええ右奥の青いボートです」


抑揚に満ちた話しぶりは、有無を言わせない絶妙な速度と音量で退路を塞ぐ。

隙を見て立ち上がったルカは硬い表情のまま、透流と目を合わせて無言で頷いた。逆らわず言う通りにしよう、という意味を込めて。

正確に伝わったのかは不明だが、軽々しい透流はアルファーノに促されて桟橋を歩き出した。

その後ろをルカもついていく。

近くに男の仲間がいないか警戒しつつ。


押しの強いこの男はマフィアのボスだ。

フルネームはルカ・アルファーノ。ただでさえ目立つのにファーストネームが同じせいで、前々からルカにとって気がかりな存在だった。


「おっと、揺れるので気をつけて。エンジンはどうするんだったかな……貴方お名前は? 動かし方を教えてくれませんか。すっかり忘れてしまって」


操縦席に乗りこみエンジンのかけ方を訊くアルファーノと、普通に名乗って普通に教え始める透流。そのやりとりを間近で見ながら、マフィア相手に緊張していたルカはボートの操縦まで心配になってくる。色んな意味で怖い。


「ああ動きました、ありがとう。運転はなんとかなりそうだ」


大きな音を立てて震えるボートが、静かな水面を進んでいく。透流はアルファーノの言いつけを無視して、斜め放題の床にパイの入った紙袋を置いた。


「…‥あの、目的は何ですか」


桟橋を離れ、誰もついてこない状況を確認してから、ルカが前方の操縦席へ尋ねた。

するとアルファーノはハンドルを握りながらフルオートの銃みたいに喋り出す。


「目的をべらべら喋っても良いことはないんだけれど、同じ名前のよしみで教えましょう。貴方はルカさんですね、アルデバラン商会の次期商会長さんだ。貴方の大切な故郷である養護院は私が守っているんですよ」

「ジーノさんから養護院の話は聞きました。用心棒を依頼されたことも」


先日、ルカとルチアーナはジーノから事情を聞いていた。養護院出身のザヌギスがヴィンチ・ファミリーの構成員になったこと、その彼を通してヴィンチがジーノに養護院の用心棒を依頼したこと、依頼を受けても断ってもマフィアのいざこざに発展しそうなこと、アルデバラン商会の意向がマフィアを遠ざけるかもしれないこと。


「そうジーノ・ロッソだよ。彼は礼儀を知らない半端者です。一般市民を巻き込んでおきながら自力では助けられない。あろうことかマフィアに尻を拭わせてケジメもつけないんだ、酷い人でしょう?」


ボートを止めてアルファーノが振り向くと、一気に静寂が訪れる。ルカは感情を顔に出さないように意識して口を開く。


「ぼくは……あなたには感謝するべきだと思います。でもジーノさんは良い人で、フェルモさんも優しくて、だから他のマフィアとは話し合いで解決できませんか? それに、マフィアに守ってもらうのはあまり——」

「良い人なら表社会で生きれば良いんです。ボランティアなんて一般市民になれば堂々と存分に行うことができる」


ルカの言葉を遮ってアルファーノが朗々と語り続ける。


「私が何を言っているか分かります? 貴方のお姉さんのことですよ、ジーノ・ロッソに巻き込まれて危ない目に遭ったじゃあないですか。それなのに彼はお姉さんを助けられなかった。助けたのは南地区のマフィアと領主の騎士です」


それを聞いて、数ヶ月前のことをルカは思い出す。騎士のレオンが仲間を集めて助けたのだとばかり思っていたけれど、マフィアも動いていたとは知らなかった。

学校通いの16歳にはややこしい話ばかりで、軽く混乱し始める。


「ああそうだ貴方もでした、トールさん」

「——ん、俺?」


もごもごした口調で反応する透流。

何気なく隣に目を向けたルカは、予想しなかった光景に口をぽかんと開けた。

透流の手には貝殻の形をしたパイ。この状況で呑気にさくさく食べている。存在感も空気のように軽くできるらしい。

咀嚼して飲み込むのを見届けてから、ルカは気を取り直して声をかける。


「あの、トールさんも姉さんを助けてくれたんですか?」

「いや助けたってほどじゃ……お腹空かせてたからチョコはあげたけど」

「素晴らしい判断です。ええ腹が空いては戦もできませんからね」


このマフィア、どんな話題でも割って入ってくる。さすがに透流も苦笑いをして、ふと思いついたように口を開いた。


「なんかよく知らないけど、ルカくんはそのジーノって人に養護院を守ってほしいわけ?」

「私は縄張りなんてどうでも良いんだけれどね、あの養護院はいけないよ。半グレには守れない。彼みたいなやり方じゃあ無理なんだ」


ルカへの質問のはずが、アルファーノが当然のように声を響かせる。口を挟む猶予は与えられなかった。


「ジーノ・ロッソは養護院にも用心棒の報酬にも興味がない。遊びだと思っているんですよ。アルデバラン商会まで利用して日和見を決め込んでいる。そんな子供の話を次期商会長の貴方がマジメに聞く価値はない」


怒涛の言い回しと演技じみた口調に押されて首を縦に振ってしまいそうになる。

相手はマフィアのボスだ。口車に乗せられては危険だと、ルカの直感が叫んでいた。


「……あの、すみません。ぼくは、まだそういうことはよく分かりません。でもジーノさんは……そりゃあ気まぐれだったり、ずる賢かったりもするけど、本当は傷つきやすくて優しい人です」


声が震えないように全身に力を入れる。


「貴方の言うジーノの性格はもちろん知っていますよ。ですから今、たった今ですよ、とても面倒なことに、この状況でこの私が動かされているんです。ああ噂をすればなんとやらだ」


口角を上げたまま心外そうに言い放ったアルファーノは、強い視線を遠くの方へ投げかける。

数秒後、エンジンの音が遠くから聞こえた気がして、ルカはアルファーノと同じ方向を見た。

湖上に灯るライト。

音がどんどん近づいてくる。

やっぱりボートだ。

アルファーノのものより大きくて新しそうなそれは、急に減速したかと思えばルカたちの前方に回り込み、船首を突き合わせて対峙するように止まった。

運転が段違いに上手い。


「遅くなってごめんね」


かろうじてルカの耳に届いた小さな声。

それはジーノのものだった。

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