エルフの唄
温泉街を後にしたディルゴが向かった先はガイシェムル帝国。招集が来る前にポンと来ていた場所だった。それが今や火の海になっていた。獣人たちが争い合う。街を壊し仲間を害す。紛乱と騒乱が広がっていた。喧騒と怒号がひしめく国に歌が響く。それは他でもないポンの歌声だった。
ガイシェムル帝国のちょうど中央には、国中のどこからでも見ることができる巨樹の一本杉があった。その木に座ってポンは歌っていた。
公演で歌っているような明るく軽快なリズムの嬉遊曲ではない。重暗く圧し掛かるような心を淀ませるような狂騒曲。ポンの歌によって帝国は混乱の境地に陥った。
「ポン!」
ポンの前にディルゴが現れた。いつもの飄々とした態度はなく酷く焦っていた。その様子が滑稽で、その姿が忌まわしい。歌うのを中断してポンはディルゴを睨め付ける。その瞳には憎悪が宿り、彼女は激情に駆られていた。
「今さら……心配? ふざけないで。ずっと知ってたんでしょ! 知っててわたしに近付いたんでしょ!? 罪滅ぼしのつもり? お前が、お前がママを殺したんだ。お前のせいでママが死んだんだ!!」
ポンは泣きながら歌っていた。その眼に光はなかった。感情を失くし、壊れたように狂騒曲を歌っていた。ディルゴが現れて眼に光が宿った。しかしそれは怒りと憎しみに塗れた昏い光だった。慟哭するように吐き捨てる言葉にディルゴは動揺を隠せない。
「違うんじゃポン。儂は」
「近付かないで!!」
拒絶された。伸ばした手は行き場をなくす。心が絶望の色に染まっていく。取り付く島もなかった。それどころかなんと声を掛けていいのか分からなかった。迷子のような心情になった。
「アハハー! 風の魔女が聞いて飽きれるね。どーだい気分は?」
「おぬしか」
聞こえてきた軽薄な口調にディルゴは睨め付ける。大人になりかけの子供のような背丈の少年が頭の後ろで手を組みながら嘲笑っていた。鋭い視線をものともせずに彼は嗤う。
時は少し遡る。
ディルゴと別れたポンは街を散策していた。近頃公演続きでさすがに疲弊していた。みんなに笑顔と幸せを分けるには自分が幸せに笑わってないといけない。そのためにはリフレッシュすることは大事だった。帝国はいつもお祭り騒ぎのような賑やかさがあってポンは好きだった。大通りには屋台が立ち並び溌剌とした声が飛び交う。明朗快活な獣人たちは見ているだけで元気が湧いてくる。
「やあやあお姉さん。ちょいといーい?」
「わたし?」
声を掛けられてポンは振り返る。ニコニコと気のよさそうな態度で男の子が話しかける。
「うん、お姉さんだよ。ぼくね、お姉さんと話がしたいんだ。〈聞いて〉くれるよね」
「……うん」
その笑顔がなんだか怖く思えて、関わらない方がいいと頭の中で警鐘を鳴らしている。けれど何故か彼の声に抗うことが出来なかった。従うことが必然であるかのように体が勝手に動いた。水の中にいるような感覚に陥る。膜が張ったように声がぼんやりと聞こえる。視界がおぼろげになって男の顔も判別できない。意識が希薄になっていく。
「歌姫ゲーット」
差し出した手に彼女の手が重ねられる。従順についてくる彼女の様子を男はほくそ笑んだ。
「改めて、ぼくはヤマト。ヨロシクね♪」
意識が鮮明になったポンに男、ヤマトが笑顔で話しかける。そこはさっきまで歩いていた街中ではなく人のいない森の中だった。警戒するポンにヤマトは手を上げる。
「そう警戒しないでよ。ぼくはキミと話がしたいだけなんだ」
「……話?」
「そう話。キミの父親のことさ」
ポンの目付きが変わった。ポンは母に女手一つで育ててもらった。一度だって父親の影がチラついたことはない。母に聞いても何も教えてくれなかった。寂しそうに笑って頭を撫でるだけだった。
ポンはハーフエルフで母親はエルフだった。だとすれば父親は人族の男。人族は短命だから、幼い彼女はもうこの世にいないと決めつけて父を諦めた。死んでいることにして考えないようにした。幼い時分ではそれが心を保つ最善の方法だった。他のエルフ族からハブられ疎外にされ、母と二人で逃げた孤独の日々。
ポンの母は美しいエルフだった。容姿端麗なエルフ族でも別格の美貌を持っていた。洗練された所作と鈴の音のような心地のいい声、優しく穏やかな性格は他のエルフから敬愛されていた。
しかし、彼女が子供を産んでから態度は急変した。排他的思考のエルフ族は異種族を忌み嫌っている。そんなエルフ族の集落でハーフエルフを産めばどうなるか。想像するのは容易いことだった。
「異種族とまぐわった売女め」
「穢らわしい。今すぐ里から立ち去れ!」
里から追放された。けれども二人は森から出ることもできなかった。里から離れた場所にあった古い家屋で暮らすことになった。
彼女は逞しい女性だった。明るく笑い、優しく接し、楽しそうに歌う。ポンは母が大好きだった。母の歌を聴きながら育った彼女もまた歌を好きになった。母を真似て歌を歌う。拙くても嬉しそうに褒めてくれてとても幸せな日々だった。
「ポンは歌が上手ね。ママ、ポンの歌声が大好きだわ」
「ほんと!? それならいっぱいいーっぱい歌うわ」
「まあ嬉しい」
ポンは歌うのが好きだった。歌うのはとても楽しい。森の動物たちもポンの歌を聞いていた。一緒になって歌っていた。平穏な日々を過ごせていた。
泉に洗濯に出ていたポンが戻った時、家には誰もいなかった。もしかしたら里にいるのかもしれないと思った。里から追い出されても食糧調達のために彼女は時折里に入っていた。決まって一人で里に向かう。最近母の体にはキズができていた。なんでもないよと笑う母の顔は痛ましかった。ポンは里に行ったことがない。里に近付いてはいけないと母に言われていたからだ。その日は雲行きが怪しくて、天気が崩れそうだった。体調が優れない日が続く母を心配してポンは里に向かった。
「ママ? ……っ、ママ!」
「ポン?! どうして……っ」
里では母が他のエルフに囲まれていた。母の体には最後に見た時よりたくさんキズがついていた。咄嗟に体が動いて駆けつけていた。焦った母の声が聞こえる。顔を上げてダメだと思った。周りを見てはいけないと思った。
「ハーフエルフだ」
「忌まわしい異種族の混じり血」
「穢らわしい悪魔の娘」
侮辱の声に思わず顔を上げてしまった。失敗したと思った。注がれる軽蔑の視線。怖くて恐ろしくて体が震える。耳を塞いでも声が聞こえる。目を瞑っても視線を感じる。一人取り残されたように感じた。
「ポンっ!!」
自分の名を呼ぶ母の声が聞こえた。そうだ、一人じゃないんだ。ママがいる。大好きなママが……。
「え」
目を開けた先でママが笑っていた。血を流して微笑んでいた。
「ま、ママ……ッ、ママ!!」
倒れた母を揺さぶる。背中からどんどん血が流れていく。ポンは泣きながら母を呼ぶ。ゆっくりと顔を上げた。なおも彼女は笑っていた。優しい瞳に泣いている自分の顔が映っている。頬に添えられた手をギュッと掴む。
「ポン泣かないで。ママはポンの笑った顔が好き。ポンの歌声が好きよ。だから笑って、歌って。愛してるわ。ママの可愛い娘」
手の力がなくなった。目を閉じて動かなくなった。握った手がどんどん冷たくなっていく。ポタポタと大粒の涙が母の頭に落ちる。揺すっても起きてと願っても、その眼が再び開かれることはなかった。もう一度、動くことはなかった。
「ママ……ま、あ……ああ、あああああぁぁぁぁぁ」
ポンは泣いた。嘆き悲しみ、そして歌った。涙を流しながら笑みを浮かべて歌った。母の言葉が暗示のようにポンに絡みつく。笑って歌えばママは喜んでくれる。そうすればまたママに会える。叶わないと分かっていてもポンはその願望に縋った。
二人を囲っていたエルフが隣にいる同族を切り、あるいは自害する。ポンの耳には何も聞こえていない。ポンの眼は何も映していない。彼女は歌うことだけに意識が固定されていた。エルフの死体の山と血溜まりに囲まれていることにも気付かない。里でただ一人の生存者になったことにも気付かない。いつまでもいつまでも、声が枯れ意識が途絶えるその時までポンは歌い続けた。
エルフの唄は自然のしらべ。豊作を祈り、動物を癒し、風を呼び、花を咲かせ、天候を司ると言われている。
他種族との混血を忌避していたのはとある伝承があったから。ハーフエルフとは悪魔に魅入られ堕落した忌まわしき存在。その唄は生物の精神を壊す。その唄は生物を誑かす。それ即ち悪魔の如き所業なり。




