いざ大迷宮へ
「シシーちゃん」
部屋から出たシアノスの前にナルクが現れた。相変わらず神出鬼没だ。周りには誰もいない、一人になった時を狙って現れる。けれでも今回はいつもと様子が違う。張り付けた笑みは変わらないのに表情は暗いように見える。
「大迷宮の最下層。そこにジェスターは居るよ」
シアノスが口を開く前にナルクが言葉を紡いだ。シアノスは目を瞠った。それは世間話では済まない、情報提供に他ならなかった。
「どういうつもり」
「ボクは公平であるべきだと思っている。それだけだよ」
そう言った彼の表情はやはり暗かった。思いつめたような悲しそうな顔をした。初めて笑顔以外の顔を見た。
気持ちを紛らわすようにいつもの顔で笑む。
「ボクね、シシーちゃんのこと気に入ってるんだ。だからね、だから……また、遊ぼう」
それだけ言って彼は居なくなった。言い逃げのような言葉にシアノスは頭を搔く。気に入られていることには察しがついていたが、遊んだことは一度もない。お茶を飲むことが彼の遊びなのだろうかと頭を捻る。
情報とは知識であり、知識は力になる。知ると知らないとでは天と地ほどの差がある。故に情報には付加価値がつけられる。それは人によって価値の大きさ重要性が変わってくる。ナルクは公平性を期していた。情報を渡す代わりにそれ相応の対価をもらう。その対価はナルクが決める。そこに一切の私情は挟まない。そして情報屋の流儀として彼は決して嘘をつかない。
ナルクはシアノスに対価を要求しなかった。だとするならすでに対価をもらった、あるいは情報提供自体が対価に成りえる。前者はあり得ないとして後者だと仮定する。恐らくシアノスに対して、ではなくヘクセに対しての開示。ジェスター及びサーカスがヘクセ側の情報を欲した。誰か、あるいは何かの居場所。
そこまで考えて頭を振る。考えたところで答えは返ってこない。ならば考えるだけ時間の無駄だ。今は暢気に考え事をしている時間はないのだから。
「シアノスさん、みんなは?」
小さく魔物化したマオが窓から入ってきて人の姿に変身する。他の魔物を使わないとはよっぽど急いで来たのだろう。それにしてもサイズを変えられるとは便利な……。
「獣の……ちょうどいいわ。手伝いなさい」
「へ、なにが?」
「シアノス!」
キョトンとするマオに事情を伝えようとしたところでガルロが走ってきた。その顔は酷く焦っている。
「キラがいない」
シアノスとマオが顔を見合わせる。旅館全体を感知して気配を探る。お互い考えたことは同じだった。キラの気配は分かりやすい。神聖力量が多く、周囲への放出は抑えられても存在感があった。しかも魔力とも異なるから居場所の特定は容易い。しかし、旅館やその周辺、感知できる範囲まで広げてもキラの気配はなかった。
神聖力を使える聖女はジェスターにとっては非常に脅威となり得る存在だ。魔力を無力化する神聖力。そしてキラは唯一魔女の近くにいる聖女だ。しかも教会の中でも随一の神聖力量を有している。さらにシアノスのせいで実力が向上して非常に厄介な相手になった。彼にかかれば死霊術を解除するのは容易い事だ。それではせっかくの人形も意味をなさない。つまり真っ先に処分したい相手だ。
「サーカスの仕業だよね」
「でしょうね。ジェスターの居場所は分かってる。だけどそこにいる確証はないわ。あとは……教会本部?」
「本当!? それなら二手に分かれよう。ボクが教会に」
「いいえ、獣のはわたしとよ。キラはこれとカイザーエンヴァに任せましょう」
マオはこの少年がどれほどの実力かを知らない。けれどシアノスが任せれると思えるだけの能力はあるということだ。それなら兎や角言うことは無い。勝手にカイザーエンヴァが頭数に入っているけど説得すれば力を貸してくれるはず。
「それでジェスターはどこにいるの?」
「大迷宮の最下層」
マオが目を見開く。それは確かに見つからないわけだ。そしてマオを見てちょうどいいといった意味も理解できた。大迷宮の中はとにかく広い。それも最下層に向かうのなら移動手段が欲しい。それにマオが最適だった。どうして場所を知ったのかはこの際気にしない。それすらも時間が惜しかった。
「冥竜帝に話をつけてくるー。きみもついてきて」
「ガルロ、好きにやっていいわ」
「わかった!」
シアノスの言葉にガルロが大きく頷く。とてもヤル気満々だ。マオがガルロを連れてカイザーエンヴァの元に向かった。外を眺めると遠くで煙が上がっている。どうやら温泉街にも襲撃者が来ているようだった。
「シアノス」
声に振り返るとラトスィーンが立っていた。調子が戻ったようで杖を携えている。
「ジェスターを頼みましたよ」
「ん」
「それと、先程のお礼もしたいので帰ってきたら覚悟してくださいね」
「え、ヤダ」
どこからかは知らないが盗み聞きしていたのだろう。伝える手間がなくなった。しかし、平常どころか絶好調になってしまった。げんなりするシアノスを見てラトスィーンは微笑む。
「シアノス、先程は失礼したぴょん」
「別に構わないわ」
リーリンが丁寧に謝罪する。わざと煽ったのはシアノスの方だし、怒るのも仕方がないと思っている。手を出されなかっただけとても良心的な対応だ。シアノスであればロサを侮辱されたら殺しているかもしれない。他の魔女たちもそうだろう。ああでも、そう考えると過剰なのは魔女の方でお大事は穏やかな人物が多いなあと二人の背を見ながら思った。ロサは棚に上げて考えている。
二人が去った後、シアノスに思念が送られてきた。ラウネからだった。
『マスター、森に敵が攻めてきました』
『そう。それなら、盛大におもてなししてあげなさい』
『了解ですマスター』
他の魔物たちにも思念を共有する。そして各々の封印を解く。シアノスは使役している魔物の力を封じていた。共存あるいは魔物の生存に支障が生じたから病むなくの処方だった。契約を交わす際にシアノスの魔力を与える。それは魔物の進化に似た現象が発生してしまった。元の性質とは異なる部分が生じてしまった。変質は必ずしも利点だけとは限らなかった。だから一部の力に制約を掛けた。その状態でも素の個体よりかは高い能力を発揮できてしまっていた。
「シアノスさん少し寄り道していい? 環海と小翔にも話がしたい」
「ええ」
外に出て魔物化したマオの背に乗る。背後の空には竜になったカイザーエンヴァが空を飛んでいた。
東大陸ディウジスの最北端に到着した。大迷宮の入口は陸の端ではなく少し内側にある。が、それは正規の入口であって、実は隠し入口が存在していた。もちろん管理しているギルドはそのことを知らない。容易に入れるような場所にはないのであえて伝える必要もない。
東大陸でも西大陸でも最北端に立てばヘクセがある離島を眺めることができる。今は海も空も凪いでいるが足を踏み入れた瞬間猛威を振るう。海も空も魔境なのだ。
『環海! 小翔!』
マオが呼んでいるのはその魔境のヌシだ。大海の魔境のヌシ、大鎖碑と大空の魔境のヌシ、ヤイ。
「何用だい番犬……おお氷薔薇の愛子ではないか」
「ぷー」
大鎖碑は魔物の姿を嫌っているから会う時はほとんど人の姿だ。氷薔薇ノ王と交流があるのでシアノスも何回かは顔を合わせたことがある。
ヤイは兎の魔物だ。広げていた長い耳を今は顔に巻き付けている。小さい体躯で体長と同じ耳の長さ。それでもなぜ鳥と同じように羽ばたいて空を飛べているのかは謎である。
『時間が無くて詳細は省くけど、二人の力を貸してほしいんだ』
「突然よな。まあ炎赤石にちぃと話があるでな、受けてやろうぞ」
「ぷー」
『二人ともありがとう。小翔は中央大陸、冥竜帝がいるところに向かってくれる?』
ヤイは耳を羽ばたかせて飛んでいった。本当になぜ飛べるのだろうか。しかも速い。
「愛子よ、気ぃつけな。氷薔薇が哀しむのはわっちも見とうないからな」
「……ありがとう」
大鎖碑はニカッと笑って水に潜る。彼女は水中の方が移動が速い。それに水はどこにでも繋がっている。
『それじゃあボクたちも行こうか』
マオは崖を下って隠し入口から大迷宮の中に入った。




