東国の軋轢
インデックスは東国ツェンフェンに来訪していた。占って欲しいと依頼をされて帝のいる謁見の間に通された。そこには多くの臣下が集っていた。
「見事だ占の魔女」
帝から感謝を告げられても魔女は無反応だった。国の吉凶を占うのはインデックスの定期依頼。これまで何度もやっていることだ。彼らもまた魔女に対し礼節を欠いていると怒る者はいない。インデックスを称賛し法悦とする彼らもいつもと変わらない。
踵を返すインデックスの前に一人の少女が立ち塞ぐ。格好はツェンフェンのものだがこれまで見たことのない顔だった。それに彼女からは不吉な気配がする。
「初めましてぇ占の魔女。あたくし蟲師のフーコと申しますわぁ。お見知りおきを」
「誰だ貴様は! 衛兵、この不届き者を即刻連れ出せ」
ジウイが指示を出す。しかし動くものは誰一人いなかった。
「卿は……」
「挨拶に顔を見せないのはぁ失礼じゃありませんことぉ」
フーコが笑顔で手を上げる。ひらひらと見せびらかすように黒い布が揺れていた。驚いたインデックスが自分の顔に触れる。常に顔を覆ていた黒い布がなくなっていた。
「あ……」
声が漏れる。短く発せられた声は恐怖の声色をしていた。ガクガクと体が大きく震える。立っているのもやっとなくらいだった。両手で顔を隠す。けれど、もう手遅れだった。
「おいあれ、ソウ家の」
「嘘だろ、あいつは死んだはずだ」
「しかしどう見ても魔力なしの」
「なんで魔女なんかに」
ひそひそと囁きあう声が満ちる。隠そうともしない聞こえる声で喋りあう。臣下の一人、上座に座っていた男が席を立つ。左丞相であるソウ家の当主だ。顔を赤くしながら中央に向かう。怒りを表しているかの如く荒々しい足音を響かせる。ジウイが引き留めようと追いかけるも間に合わない。男はインデックスを掴みかかり強引に振り向かせて胸ぐらを掴む。
「なぜお前が生きているんだ!!」
インデックスの体がビクッとはねて強ばる。先程までの堂々たる態度は鳴りを潜めていた。
ジウイは露見した魔女の素顔に大きく目を見開いた。信じられないと目を疑う。記憶にある姿とは違う。けれど面影があった。旧友の成長した姿に驚きが隠せない。
「レイファ……」
ジウイの呟いた声に彼と視線が交わった。
帝の政を補佐する左丞相のソウ家と右丞相のリー家。二大名家であるソウ家の男児ソウ・レイファとして生を授かった。
彼の生活は決して華々しいものではなかった。魔力を持たずに生まれてきた彼は家族から疎まれていた。そしてそれは、外に行っても同じだった。蔑み罵倒され虐められた。幼い彼に抵抗する術はなかった。
そんな彼だが一人だけ、友と呼べる親しき者がいた。同じ二大名家であるリー家のリー・ジウイだ。歳も近い彼だけはレイファに優しく接してくれた。彼との時間だけがレイファの心の拠り所だった。
幼き時分から頭角を表していたジウイは人目置かれていた。そんな彼は他家との交流もそこそこにレイファに構った。仲良く遊ぶ彼らを良く思わない者は多くいた。妬み嫉みの矛先はレイファに向けられた。誑かした釣り合わない邪魔だと攻撃は一層過激になった。そしてそれは生家にも影響を与えた。
レイファの父である当主は激怒した。ソウ家の恥だと彼に暴力を奮った。レイファのせいで左丞相の地位が脅かされていた。他家からの嘲笑と侮蔑にプライドが傷付けられた。我慢の限界を迎えた彼はレイファを後宮に送った。
後宮は男子禁制の女の園。男が後宮に入内するには去勢しなければならない。それは子供であって関係ない。声変わりもまだの幼いレイファは大の大人たちに押さえつけられて無理やり去勢させられた。そして治療もそこそこに後宮の下女として放り込まれた。
後宮にいてもレイファを取り巻く環境は変わらなかった。鳥籠と称されている後宮でも情報は入ってくる。ソウ・レイファのことはすぐに広まった。雑用を押し付け、仕事の妨害や暴力、体のいい不満の捌け口になった。ほとんど休むことが許されず常に仕事に追われていた。
お仕置きと称した虐待の痕が全身に残る。去勢された股の痛みもずっと残っていた。体調を崩しても熱を出しても休ませてもらえなかった。レイファに人権は与えられなかった。
感情を押し殺し、人形のように生きていた彼に転機が訪れた。後宮に入って初めての面会があった。相手はジウイだった。美麗な顔立ち、程よく付いたしなやかな筋肉、洗礼された所作。成長した彼は男の自分でも見惚れるほどにかっこよかった。
「レイファ! 会いたかった……」
「ぼ、くも」
「大丈夫か、ツラくないか?」
「っ、だ、いじょ、ぶ」
声を出したのは久ぶりだった。後宮の中では喋る相手も喋ることすら禁じられていた。下賤な男の声など耳に入れたくもないと。ちゃんと声が出ているのか不安だった。
レイファはジウイに隠した。キズだらけの醜い体を、布が擦れるだけで痛む体を知られたくなかった。彼女らは表に見えない場所だけを攻撃した。服の中を見られない限りキズには気付かれない。陰で貶め合う女らしい執拗的な虐めだった。安心させるように大丈夫だと言って笑った。ちゃんと笑えているかは分からなかった。
「レイファ……逃げよう」
「え」
「おれがレイファを守る。だから一緒に逃げよう」
真剣な眼差しでレイファを見つめる。それは願ってもないことだった。苦しかった。ツラかった。もうイヤだった。助けて欲しかった。心を閉じ込めたレイファに光が差した。眩しくて、でも温かい優しい光。彼はその光に手を伸ばした。感情が涙となって溢れる。
「ジウイ……たすけて」
「もちろんだ」
レイファの手をジウイが強く握った。そしてそのまま後宮から連れ出した。
後宮は国によって管理されている。一度入れば下女であっても簡単に外に出ることは許されなかった。もし脱走が発覚すれば刑罰は免れない。
ジウイは優秀だったがまだ子供だった。小さな世界で生きていた。本当の世界の残酷さを彼は知らなかった。
二人はすぐに捕まった。子供と大人とでは体格も体力も段違いだ。特にレイファは手負いで、速く動くことが出来なかった。
「レイファ! ……くっ、放せ!!」
「勝手なことをされては困りますなリー家の小僧」
「左丞相!!」
捕獲した二人の元にソウ家の当主が到着した。ジウイの相手をそこそこに一直線にレイファに向かった。けれど息子を心配してるような顔ではなかった。到着した時から、いや報告を受けた時から激怒していた。
「お、とう……」
「このっ、このッ! 何度、私の、顔に、泥を、塗れば、気が済む!!!」
男がレイファを足蹴にする。何度も何度も踏みつける。体重を乗せた力が篭った足蹴は一発一発がレイファに深刻なダメージを負わせた。
「レイファ!」
ジウイの手は届かない。押さえ付けられて、ただ見ていることしか出来なかった。レイファが痛めつけられている様を無情にも見せられていた。
父は思いっ切りレイファを蹴りつけた。小さな体は宙を舞い、壁に激突して倒れる。辛うじて意識はあるものの朦朧としてはっきりしていない。視界はぼやけ、声も聞こえない。
「疫病神め。おい、こいつの目を潰せ。国外にでも放り出しておけ」
「そんなッ、レイファは悪くない! 罰ならおれに」
「何か勘違いしているようだな。これはソウ家の問題だ。他家の人間が我が家の事情に口を挟む権利はない。……やれ」
「やめ、やめろ……レイファ」
ジウイの目の前で刀が振り下ろされる。直前に交わった視線は微笑んでいた。「助けて」ではなく「ありがとう」と言ってるようだった。
レイファの悲鳴が耳に残る。レイファの瞳が瞼の裏に焼き付いている。あの時の光景は刻み込まれたように脳裏から離れない。後宮から脱走したソウ・レイファは死亡したと処理された。あの傷では到底助かるはずがなかった。墓は立てられなかった。葬式も挙げられなかった。彼の死を嘆いた者はジウイ以外いなかった。それどころか邪魔者がいなくなったことに喜び、すぐに忘れ去られた。
ジウイはレイファを忘れなかった。罪の意識と深い後悔。戒めのように何度もあの光景の夢を見る。何度見ても涙が涸れることはなかった。どれだけ力を身に付けても夢の中では何も出来ない。愚かで世間知らずで無力な自分をずっと責め続けた。
「レイファ、なのか? 本当に……レイファ、生きててくれてありがとう」
ジウイは左丞相を押しのけて彼を抱き締める。レイファが生きてる。それだけで天にも昇る気持ちだった。嬉しくて泣きそうだ。状況も忘れてジウイは彼を抱き締めた。震える体を宥めるように背中を擦る。
もう一度顔を見る。確かめるように顔に触れる。横一線に付けられたキズを指で優しくなぞる。両目とも失明した彼は生きてることが奇跡だった。
「レイファ」
ジウイが慈しむような視線を向ける。蜂蜜を溶けさせたような蕩けるほど甘い眼差し。彼の瞳には目も当てられないぐらい濃密な甘さを孕んでいた。その感情は友に対する情の域を超えていた。幼きみだりの妄執が時と共に心を澱ませた。長い年月彼の心は歪み狂い苛み傷付け囚われた。息をするのも苦しいぐらいに痛む心の感情を彼は愛と呼んだ。




