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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
91/127

はた迷惑な挨拶

「そうだ。どうせなら王宮にも行ってみる?」


 意味ありげにシアノスはほくそ笑む。とても悪い顔をしていた。


「王宮に?」


 シアノスの言い方からして依頼ではなさそうだった。領主の時は帰りたがっていたのにと不思議に思う。研究第一の彼女からは思いもよらない提案だった。それになんだか楽しそうだ。


「ええ、あなたを振った後どうなったか、気にならない?」

「振った? ……ああ」

「?」


 何のことを言っているのか察しがついたキラにガルロは首を傾げる。二人がなんの話をしているのか全く分からない。分からないけどなんだか楽しそうなのに仲間外れが嫌だった。

 くいくいっとキラの裾を引っ張るとキラが事情を説明してくれた。シアノスとキラが出会った経緯。王宮での婚約破棄騒動のことを。


 キラはガルロに話しながら懐かしい気持ちになった。シアノスとの日々が新鮮で楽しくて今の今まですっかり忘れていた。感慨深く思いながら話しているとガルロの様子がおかしいことに気付いた。


「ガルロ?」

「キラ悪くない」

「……ガルロ、ありがとう」


 キラの話を聞いてガルロは怒っていた。キラにとっては知らないところで始まっていつの間にか終わっていたことで特にツラい思いもなければ傷付いてもない。けれどこうして代わりに怒ってくれるのは純粋に嬉しかった。


「シアノス」


 ガルロがシアノスを見る。鬱憤している彼にシアノスは笑みを深める。楽しいことになりそうな予感に珍しく気分が高鳴っていた。


 シアノスは人に興味がない。それは変わらない。誰が何をしようが関係ない。自分の預かり知らぬところでどうぞご勝手にという体だ。しかし、人が無様に堕ちていく姿を見るのは嫌いじゃない。貴族が娯楽に飢えているようにシアノスもまた人間が醜態を晒す様を多少好む趣向があった。それも地位が高い人物の。

 奇しくも一度は関わった愉快な断罪劇だ。物語だとあの時点で終わってしまうが現実はそうはいかない。死なない限り、必ずその後があるのだ。


「聖女を捨てたその後を拝みに行こうじゃない」


 国がどうなろうがあの王子がどうなろうが興味はなかった。もしかしたらフィニック国の、ケイロスの姿に影響を受けたのかもしれない。兎にも角にもシアノスはこの時、謎に気分が高揚していた。そう、徹夜五日目ぐらいのときのように。あるいは毒で気でも触れたかのように。

 シアノスは魔女裁判が終わってからは、失楽園から取ってきた植物の研究に勤しんでいたとだけ言っておこう。つまり、そういうことである。


 意気揚々と城に乗り込む。シアノスただあの王子(クズ)の顔でも拝んでやろうと軽い気持ちなだけだ。いつものシアノスじゃないとキラは心配する。が、ガルロも乗り気でとてもではないが一人では手に負えなかった。止める言葉も聞かない二人の後を付いていくしかなかった。


 三人に気が付いた王国騎士が侵入者だと叫ぶ。集まり排除しようとする彼らをガルロが瞬殺する。キラの心配をよそにガルロは自慢げだ。手加減を覚えたガルロは殺してはいなかった。ただちょーっと怒りで手を滑らしてやり過ぎたけれど。それでもちゃんと殺してはいなかった。

 キラは神聖力を撒きながら二人の後を追った。だいぶ使い方に慣れて多人数に一気に治療する方法を身に付けていた。傷は回復して少しすれば目覚めるはずだ。


 ズンズンと進むシアノスは一際大きな扉につくとそのまま開けた。その先では王族貴族が集まって会議を開いていた。突然の来訪者に憤りを感じていた彼らだが、相手を認識した途端恐縮する。王に至っては青ざめて震えていた。


「み、みみみ緑の魔女!? いいい、いったいなんの御用でしょうか」

「……ん? なあ、あの後ろにいるのって」

「あれってまさか……」


 貴族の一人がシアノスの後ろにいたキラに気付く。動揺とざわめきが大きくなる。


「少し挨拶をしに来たの」


 微笑みながら言ったシアノスに王は恟々とする。怖がり過ぎじゃないかしらとシアノスは訝しむ。この王に対して何かした記憶はない。シアノスは気付いていなかったがあの断罪劇の時、彼は会場にいた。

 高揚としていた気分も平常に戻っている。帰りたいという気持ちが芽生えてきていた。なんとも身勝手である。


「発言をお許しください。王子殿下ならもうこの城におりません。今はかのご令嬢と結婚し、市井で仲良く生活を営んでおられます」


 つまりは廃嫡して城から追放したと言うことだ。彼らはみな魔女を恐れた。魔女に目をつけられたと思い、元凶である王子と令嬢を追放した。

 二人はもう貴族としての地位を剥奪された。身の回りのすべてを使用人にやらせていた二人は平民の暮らしに適応できなかった。毎日喧嘩し罵りあい不平不満を漏らしていた。けれど離婚することはできなかった。二人の婚姻は王による強制力があった。親としての情けとして家は用意されていた。別れようにもその家以外住む場所はない。当然二人の仲は荒れに荒れて酷いものだ。

 それを聞いてシアノスは愉快げに笑う。人の不幸は蜜の味とはよく言ったものだ。多少は楽しめたし興味を失せたシアノスは踵を返す。報復などはなく無事に終わることに彼らは安堵する。だが魔女の退出を妨害する者が現れた。


「まあ、本当に魔女様がわたくしに会いに来てくれたのね。わたくしとっても嬉しいわ」


 ニコニコと笑う少女が部屋の前に立っていた。誰だろうこの不遜な女はと思うシアノスに後ろから叫ぶような悲鳴が聞こえた。王の声だった。様子から察するに王女だということが分かった。


「さあ、こちらにいらして。すぐにパーティーを開きましょう」


 王女はシアノスに抱き着く。後ろで雑音が喚いている。


「わたくしあなたにお会いしたかったのよ。ね、わたくしの魔女様。ずっと一緒にいてくださる?」


 シアノスは動かない。触れられることを嫌うシアノスが棒立ちしていた。キラが不思議に思ってシアノスに手を伸ばそうとした時、ガルロによって離された。ガルロはキラを掴んで部屋の端に退避した。シアノスの周りには床から氷柱が発生していた。それはキラがいた場所も例外ではなかった。


「シア、魔女様……?」

「うふっ、さあ行きましょう魔女様。あなたの姫として、わたくしはあなたを愛しますわ」

「あ゛?」

「え……うぐっ!」


 低く発せられた声に部屋の気温が急下降する。笑顔だった王女も硬直する。その隙にシアノスが王女の首を掴んで持ち上げる。王女はシアノスよりも背丈が低く、持ち上げられた彼女の足が浮く。少し小さいとは言えゴテゴテのドレスを纏った女の子だ。王女自体の体重が軽くてもドレスには大分重量があった。合わせれば大男ぐらいには相当するだろうか。それを片手だけで持ち上げた。


 首を鷲づかまれて苦しい。息もできなくてもがく。口からは圧迫されて潰れたような声しか出ない。冷たく見下されているような鋭い瞳に体が竦む。大袈裟なほど大きく体が震える。首を絞められた苦しさ故か、純然な恐怖故か、その両方か。逃げることの出来ない恐怖を実感して視界が霞む。


 シアノスは王女が付けている光り輝くサークレットに気付く。魅了の力が宿った魔道具。これのせいかと虫唾が走る。サークレットを壊してから女を投げ捨てた。


 投げられた先は机の上だった。中ほどまで滑り、王女は咳き込みながら息を吸う。


「ど、どうして? みんなわたくしの言うことを、わたくしの物に……」

「わたしの()()は一人だけよ。それは、お前じゃない」


 王女は酷く乱心した。机の上で外聞も気にせず錯乱していた。そこには多くの貴族がいた。彼女の醜聞はすぐに広まることだろう。


 ダレンザーン王国の王は甘い男だった。自分に甘く、家族に甘く、政に甘かった。その甘さは美徳にはなり得なかった。国の頂点たる王は厳粛で聡明で強かでなくてはならなかった。甘さはそのまま弱さに直結する。腹に一物も二持も抱えている貴族の相手をまとめるにはそれぐらいの胆力がなければ愚鈍な操り君主に仕立てあげられるだけだ。お飾りの能無し王として。

 その甘さが子供を助長させた。それがこの結果(ザマ)だ。


 部屋を出る前、シアノスは王を見た。視線があったのは一瞬で、彼女はすぐに興味が失せたように去っていった。何も言わなかった。それが答えだった。



「どう?」


 帰りの道中、シアノスはキラに尋ねた。


「どう、と言われましても……」


 そもそもキラは乗り気ではなかった。王子の話を聞いてもなんの感情も湧かなかった。可哀想だともざまあみろだとも。一遍たりとも動かなかった。


「はらへった」

「帰ったらすぐに食事にしましょうか」

 「うん!」


 ガルロも興味を失っている。すでにご飯のことしか頭になかった。


 シアノスの突飛な王宮訪問は王族の権威を揺るがしただけに終わった。好き放題した彼女らは無慮に元の生活に戻った。

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