食の懐旧
「お願いじまずだ魔女ざま。オラん村をお救いじでぐんれ~」
訛りのある喋り方に加えて泣いているせいでとても聞き取りづらい。家の戸を叩いたこの少女は依頼者候補だった。健康的で少し焼けた肌。小柄な体躯に見合わない筋肉。そばかすのある顔をくしゃげて泣きながら頭を下げる。少女は来た当初から泣いていた。
「落ち着きなさい」
「あ、あぎがどぉでずだ」
シアノスが少女の前に茶器を置く。彼女は平身低頭してそのままお茶を呷る様に飲む。
「お、おいじぃ〜」
さらに涙が溢れてシアノスがギョッとする。お茶を飲んだので依頼内容を聞こうとしたがこれでは話どころではない。
依頼者としての資格は達したので無為に追い出すことはできない。だからといって慰めることもしない。そこまで親身な性格ではないのだ。放置するシアノスと泣き虫依頼者の我慢比べが始まった。
「ただいま戻りました。……あれ、シアノスさん依頼者ですか?」
タイミングの良いことにキラが帰ってきた。泣いている少女を見て泣かしたのかと視線で訴える。シアノスはそんなわけないと手を振る。真っ先に疑念を抱いたキラに少しイラッとした。甚だしいと怒るシアノスだが客観的に考えれば疑われるのは至極当然のことだった。恐れられているし、態度も良いとは言えない。胸に手を当てなくても分かることだった。
「大丈夫ですか?」
キラが少女に優しく声をかける。背中を擦ると肩が撥ねた。急に触って驚かせてしまったかと手を離す。
「ご、ごべんな……女神ざまだべ」
顔を上げた少女はキラを見て固まった。放心して涙が止まり、数拍置いて滝のように流れ出した。キラも困惑してシアノスを見る。彼女はもう我関せずを貫いていた。
なんやかんやあって少女の涙はようやく落ち着いた。依頼内容を聞くだけにだいぶ時間がかかった。
少女の名前はラプッツェ。ダレンザーン王国の辺境に位置する貧しい村に暮らしている。辺境領は広大な土地はあるがそのほとんどが作物も育たない不毛の地だった。そのこともありずっと食糧難が続いていた。領主が試行錯誤しているが改善の兆しは未だ見えない。
ある日、ラプッツェが暮らしている村の一人が倒れた。それを皮切りに次々と村民が倒れていった。不調が続いて何かの病ではないかと思った。領主より緑の魔女の方が頼りになるのではと話しているところを聞いて彼女は村を出た。
「遠いのによく来れたわね」
「オラが体力には自信あんだ」
着の身着のまま村を出た彼女は馬車に乗ることはできないだろう。つまり、その足で地道に距離を稼いできたことになる。最近の少女はみんな脳筋なのか、とシアノスは思った。
村に到着して見渡したシアノスはすぐに察しがついた。すぐに病人のもとに案内してもらい、液状と粉状の二種類の薬を処方した。液体の薬を飲んでから数時間後に粉状の薬を飲むよう言付けた。
「どんな病か知っていたのですか?」
病人にあってすぐに薬を渡したシアノスはすべて分かったような態度だった。いつもなら触診をするのに今回は誰一人として行っていない。
「病じゃないわ。ただの食中毒よ」
「毒!? みんな死んじまうだか?」
「吐き気や腹痛といった軽い症状があるだけで死にはしないわ」
「よ、良かっだあ〜」
安心したラプッツェは地面にへたり込む。嬉し涙を拭うもすぐには治まらない。
食中毒は毒素が含まれている食材を摂取した時に発症する。固有の毒ではないため毒耐性がなくてもすこぶる健康体な人だと発症しないこともある。食中毒の危険がある食材もそう多くはないし、適切な処理さえすれば問題なく食べれる。物によっては無毒化して美味しく食べられるものもある。
「何が問題だったのですか?」
「これよ」
シアノスは近くに積まれていた拳程度の茶色の作物を手に取った。
「そ、そんれ商人さどこでも育つ言がぁ作物だべ。倒れだのもそんれが原因だが?」
「モイの芽の部分に毒があるわ。食べ方までは教わらなかったようね」
モイは東国ツェンフェンでは馴染みの食材だ。開けた土地を確保できなかった山間部ではこのモイが主食となっていた。硬く痩せた土地でも育ち、栽培時期も短く一度に多く収穫できる。さらに保存にも適していると万能な作物だった。毒がある芽さえ取り除けば問題なく食すことが出来る。これはツェンフェンでは知っていて当たり前の知識だ。海を越えた先の他国の作物のことを知らないのは当然と言えば当然だ。
「し、知らながっただ」
「日に当たると緑色になって毒が繁殖するから保存する場所は暗所。この二つに気をつければ問題なく食べれるわ」
「ありがどぉございまずだ魔女ざま」
「土の状態も酷いわけじゃないから、何度かモイを育てれば他の作物も育つようになるかもしれないわね」
「魔女ざまはそん事まで分がるが」
キラキラした眼で見つめられたシアノスはバツが悪そうに顔を逸らす。作物も植物ではあるがシアノスの領分ではなかった。シアノスはただ知っているだけ。
「知り合いが前に調べていたのよ。とにかく、これで依頼は達成。いいわね」
「もちろんですだ。作物のこんまで助かりますただ。そだ、お礼……えーとー」
「報酬ならこれをもらうわ」
シアノスは緑色に染まったモイを指さす。
「それは毒なんろ?」
「これがいいのよ」
ふっと笑ったシアノスにプラッツェは見蕩れる。さっきまでは少し、だいぶ怖かった。なのに笑った顔は息を忘れるほど美しかった。女神のようなキラとは違った美しさがシアノスにはあった。
「オラ、オラも魔女ざみだいになれっだが」
涙ぐみながらもラプッツェが叫ぶ。
「みんな助げられっさ魔女に、なれっだが?!」
涙を流してもその瞳は強くシアノスを映す。胸を押さえながら渇望する。助けてくれた魔女の姿に憧れを抱いた。自分も彼女のようになりたいと思った。
「理想は自分の手で掴み取るしかないわ」
「…………オラ頑張るだ! 魔女さみだが魔女がなるだ!!」
ラプッツェはシアノスの背中をずっと見つめていた。姿が見えなくなってもしばらく動かないでいた。
魔女になるのはとても大変なことだ。努力だけではなれるものではない。生涯をかけても叶うとは限らない。夢のまた夢。多くの人が目指すことすら笑い話にする。無理だと出来ないと決めつける。憧れながらもバケモノだと忌避している。
けれどシアノスは無理だとバカにして笑うことも、できると励まし応援することもなかった。ただ淡々と現実を示した。それがラプッツェにとっては何よりも嬉しい言葉だった。勇気を与えてくれた。人嫌いの魔女だと恐れられている彼女だがラプッツェは優しい人だと感じた。
シアノスは魔女だから内情を知っている。魔女だからといって強いわけじゃない。天才だからと魔女になれるわけではない。目立った能力がなくても魔女になった者はいる。非凡でも意志だけに魔女に至った者も存在している。誰にでも可能性はゼロではない。
「待てがぁ。オラも立派が魔女さなるだ!」
決意を固めた彼女はもう涙を流してはいなかった。




