ヘクセの審判
「このまま順調に事が進めばいいですねぇ」
「そりゃあ高望みしすぎじゃろ」
イーシス国の王都上空でラトスィーンとディルゴはのんきに会話を交わす。飛行船の真下では絶えず悲鳴が響き渡る。ラトスィーンの背後には貯水槽がいくつも置かれている。聖水がたっぷり入っていたそれは今や空になって転がっている。
ラトスィーンは聖水を霧状にし、ディルゴの風によって王都全域に行き渡らせた。
城よりも高いそこは王都もその周囲までをも見渡せる。とはいっても街中は霧によって見えなくなっているが。霧の他に黒い煙が何か所からか上がっている。向こうも順調のようだ。
魔女はそれぞれ適材適所に着いて事に当たっていた。ラトスィーンとディルゴは大規模な間引き。アルノーとバーンは研究施設の破壊。ゾルキアは城の制圧。マオは森にある巨大な主要施設を。シアノスは各所のフォローに。インデックスは別行動を取っている。刑の執行に一切の慈悲はない。徹底的に排除する。
大きな爆発が起こる。また一つ、新たに黒煙が上がる。研究施設の多くは地下に隠されていた。場所も様々で王都の内外に点在していた。その数もなかなかに多かった。
「どれくらい残るじゃろうな」
「半分残れば良い方ではないでしょうか。建物の損害も激しくないので建て直しは問題ない……おや?」
突如として巨大な生物が何体も出現した。城よりも大きく隠すことは非常に困難なほどだ。まるで転移でもしたかのように突然現れた。聞かなくてもスプメテウロの手のものだということは容易に察せれる。
「やれやれ。楽できると思ったのに、残念じゃのう」
ディルゴは空を飛行している合成生物に向かって飛んでいった。残ったラトスィーンは今も両手に杖を握って霧を維持していた。
城の奥に進むゾルキアは異変を感じていた。城内にいる騎士の数が予想より少ない。王都の警備や城内に取り残された一般民の護衛を加味してもやはり人数が少ない。なぜなら最初以外で妨害が全くなかった。廊下は静寂としてゾルキアの足音だけが響いている。索敵しても魔力の塊は三つしかない。
「ここか」
複数の魔力反応があった部屋の前に着いた。待ち伏せを想定して壁ごと切って入室する。
「ふっ、ここまで来るとは魔女も少しはやるようだな」
部屋の奥、複数の騎士に囲まれて傲慢不遜な態度を見せているのは王太子であるカリオーデン・イーシスだ。その中には弟であるケイロスの姿もあった。彼と他の騎士とでは隊服が異なるから王族直属の第一騎士団だろうか。
「だが残念だったなここに」
「スプメテウロはいない、だろ」
「っ、気付いていたのか……」
カリオーデンが動揺する。ケイロスは知らされていないのか驚いている。感じていた違和感の正体が鮮明になっていく。
「彼には別の魔女が向かっているからね。一つ聞きたい。きみたち二人はどこまで知っている?」
「何を……」
「ふ、ふっふっふ……はーはっはっは! お前たち魔女は父上の偉大な研究を盗みに来たんだろう? それが自分の首を絞めるとも知らずになあ。お前たちやれ!」
騎士が斬りかかってくるがケイロスの配下に比べれば手応えはない。
「ん?」
彼らが注射器を取り出して自分の体に差す。すると皮膚が膨れ筋肉が増大し形が変わっていく。異形へと変貌する。
勝ちを確信してニヤついてるカリオーデンと言葉を失って驚愕しているケイロス。どうやらケイロスは何も知らされていないようだ。
異形に剣を入れるが刃が通らない。硬い岩のようだ。それでいて力が強い。腕を振っただけで風が巻き起こる。
「はーはっはっは! やれ、殺せ、叩き潰せ。魔女といえど所詮下等生物に過ぎない。父上の研究は全てを淘汰する。敵うものなど存在しない。英雄もここで終わりだ――……あ?」
「なにか言った?」
カリオーデンの前にはゾルキアだけが立っていた。異形へと変貌遂げた騎士は倒れていた。余裕は焦りに、焦りは怒りに変わる。
「ふ、フンッいい気になるなよ。騎士などただの木偶の坊。所詮この程度さ。お前はこの僕が直々に相手してやろう」
カリオーデンが騎士と同じように注射器を打つ。雄叫びをあげて姿が変わっていく。だがそれは騎士と同じではなかった。人の見た目のまま大きくなっていった。その様子にケイロスはカリオーデンから距離を取る。理解不能の事態に怯えが勝る。
「兄上……?」
「見よ、これが叡智の結晶だ。誰も止めることは出来ない。僕が新世界の王になるんだ!」
カリオーデンがゾルキアに殴り掛かる。踏み込んだ床は沈み、殴った壁は壊れる。スピードもパワーも桁違いになっていた。そして――
「無駄だ。僕に死はありえない」
斬っても再生する肉体。人体改造と不老不死が合わさった投薬らしい。カリオーデンの猛攻にゾルキアは防戦一方だ。
「どうした? さっきまでの威勢の良さはどこに行ったんだろうな!?」
拳を防いだ剣が折れる。絶体絶命の魔女に気を良くしたカリオーデンは声高々に笑う。ゾルキアはため息をつく。
「さっきの女騎士の方がよっぽど強かったな」
「あ?」
「聞こえなかったか? 弱いと言ったんだ」
侮辱されたと知りカリオーデンが顔を赤くする。煽られて怒りのままに殴り掛かる。武器もなくなり為す術のない魔女の最後の悔し紛れの言葉。その生意気な性根ごと叩き潰してやる、と。
「付与ー火ー」
ゾルキアは迫り来る拳を体を翻して躱しその腕を折れた剣で斬る。
「ふっ、無駄だと言うことがまだ分からないのか」
「腕を見てもまだ言える?」
「なっ!? なぜ再生しない?!?!」
斬られた腕は再生せず床に転がっている。その断面が燃えていた。
ゾルキアが歩き出す。距離を保つようにカリオーデンは後退する。その顔には焦りが表れていた。現実を受け止めたくないと恐れている。
「ヒィィ、や、やめ、っクソ!! ケイロス何を見ている!? お前も戦え」
「兄上……」
ケイロスは動かない。いや、動けなかった。彼が恐れているのは魔女じゃない。兄であるカリオーデンだった。異常な体をした男だった。
ゾルキアはカリオーデンを切り刻む。バラバラになっても喋り続ける男に聖水をかけた。彼の絶叫が鳴り響く中、ケイロスに視線を向ける。
「これがきみの父親であるスプメテウロの罪だ。へクセは魔女裁判によりイーシス国を滅ぼす」
「な……!」
「それを踏まえた上で」
ゾルキアが口を閉ざす。怪訝に思うケイロスの前に一瞬で移動する。距離を取ろうとするケイロスを庇い防御璧を張る。微弱だった揺れが大きくなり、大きな音を立てて激しく振動する。
「キャハハハ! 壊す壊す壊れろぉ」
城に縦の大穴を開けて出てきたのはバーンだった。それも暴走状態の。
「悪いな、話は後だ。バーンの頭を冷やさせねえといけなくなっちまった」
ゾルキアは立ち上がり折れた剣を手放す。水属性の魔術をバーンに向かって撃ち込む。
ケイロスの目の前では英雄と破壊狂の戦闘が繰り広げられた。後に彼は語った。魔女は怪物だった、と。




