黒い少年
シアノスは疲労困憊だ。正直言って今すぐにでも休みたかった。
「知らない。好きにしていいわ」
それだけ言ってシアノスはフラフラしながら家に向かった。シアノスの状態に心配しながらもキラは少年に目を向ける。裸だということを気にしていない様子でキラをじっと見ている。しゃがんで目線を合わせる。
「お名前はなんですか?」
「?」
首を傾げる少年にキラは眉を顰める。捨て子という言葉が頭に過った。親に捨てられ名前も付けられない子がいるということを知った。彼もきっとそうなのだろうと胸を痛める。
キラも捨て子なのだが本人にその意識はない。というのも修道院に拾われたのは生まれてすぐであるし自我が芽生えたときには修道院の人たちに育てられていた。捨て子だと教えてもらったがそもそも親というものを知らなかった。修道院以外の暮らしを知らない彼はそれが普通だと思っていた。不透明な親を批難することも悲観することすら彼は思いもしなかった。
「名前、私がつけてもいいのでしょうか……」
首を傾げるキラを真似するように少年も首を傾げる。
シアノスは好きにしてと言った。ならば責任持って育てようとキラは決心した。
「……ガルロ、ガルロはどうですか?」
「ガルロ!」
キラが付けた名前が気に入ったのか少年は喜ぶ。
「私はキラと言います。よろしくお願いしますガルロ」
ガルロは大きく頷いた。
十分に休んだシアノスは呆然とその光景を目の当たりにしていた。机の上に並べられた料理の数々。それを夢中で食べる少年。チラリとシアノスに視線を向けた彼はすぐに料理に意識を向ける。一瞬見えた瞳にはあの島のように美味しいと言わんばかりに輝かせていた。
「……」
「あっ、シアノスさんおはようございます」
「これ、なに」
これ、とシアノスはガルロを指差す。嫌な予感がしているせいか指が僅かに震えている。
「ガルロですか? 食べ盛りというのでしょうか、とても良く食べますよね」
「ガルロ?」
「彼の名前です」
残念ながら嫌な予感は的中してしまった。名前を付けて服を着させて、飼うつもりだ。捨ててこいと言っても無駄なんだろうなと遠い目をした。キラは思いのほか強情だった。それに、今は言い争う元気はない。
「キラが面倒みなさいよ」
「! はい、ありがとうございますシアノスさん」
反対されなかったことに驚いたもののキラは素直に喜んだ。
ガルロは獣人族と魔族のハーフだ。と言っても劣性因子が組み合わさったみたいで外見に特徴は見えなかった。獣人族の身体能力と魔族の長寿ぐらいだろうか。さすがに詳しい種族までは判明出来なかった。
そして、あの過酷な環境下で生きていた理由は不死のブレッシーだったから。
「不死、ですか……?」
「ええ、外的要因で死ぬことはない。唯一死ねるとしたらそれは寿命だけ」
半分とはいえ魔族の血が入っている。長寿の種族は成長が遅い。今がおおよそ四〇前後として、少なくともあと三〇〇年ぐらいは生きると思われる。
「シ、シアノスさんっ?! ガルロも大丈夫?」
突然ガルロの腕を切ったシアノスにも、切られたのに平気な顔をして食べ続けているガルロにも驚く。治療する前に切られたはずの腕が元通りになっていた。不死という意味を思い知った。
「飼う条件は二つ。手綱を握ることと責任を持つこと」
それでもタイミングは良いのかもしれない。最強の肉壁、護衛にするにはこれ以上にない適正だ。サーカスのこともあるし、シアノスも常に行動を共に出来るとは限らない。
奇しくも最強の矛と盾が揃った。当の本人である彼らは気付いていないが。
幼い容姿と言動故か、ガルロを護衛にすることに難色を示すキラに説得と実力を測るのを兼ねて模擬戦を取り行う。
シアノスは樹木人形ー騎士ーを二体つくる。二対一とか気にしない。卑怯とか正々堂々の精神とかシアノスにはない。実践においてそんなものはなんの意味を持たないことを知っている。
「始めるわよ」
気の抜けた合図とともに二体同時に操る。遠慮なくガルロを斬りつける。素早い動きで二体からなる怒涛の攻撃を躱し隙を見て反撃に出る。しかしその拳はトレントには効かなかった。驚いている隙に攻撃する。反応が遅れて切られたものの、その傷はすぐに塞がる。その後も拮抗状態が続く。
不死であるガルロは切られても問題ないとして、ガルロの攻撃がトレントには効果がなかった。
シアノスが作ったトレントは惑いの森の木を圧縮してつくっている。素材自体に硬度があるがさらに複数本を圧縮しているから普通の攻撃では傷すらつかない。平気な顔で二体同時に操っているがそれがなかなか高度な技術を要求される。圧縮して形を維持させながら操る。これには繊細な魔力操作が必要不可欠だ。一体ですら大変だというのにそれを二体だ。見る者が見れば化け物だと言われるような驚愕されるような力量だ。
ガルロも腕は悪くない。観察眼も判断力も申し分ない。それを活かす運動神経だってある。野生的本能が強いせいか無意識でも身体強化を使っていた。並みの魔物相手であれば今でも十分に通用するレベルだ。冒険者でもCランクはいけるのではないだろうか。
だけど、今の相手はシアノスだ。その程度では全然足りない。
「もっと魔力を込めなさい」
今は薄い鎧のような程度だ。身体強化と言えど込める魔力によっては鉄をも砕ける。魔族の血が流れている彼は魔力に余裕があった。
拳を交えていく度に纏う魔力が徐々に増えていく。そしてついに、トレントナイトを一体撃破した。
「やった」
喜んでいられる隙は無い。元は二体いたのだ、つまりもう一体いる。しかし身体強化の要領は得たためもう一体もすぐに片が付く。そう思われた。
切りかかったトレントの剣を躱し拳を突き当てる。しかしその拳が届く前に吹き飛ばされたような勢いで後退する。到底人間とは思えない動作だった。
それもそのはずで樹木人形は人間ではない。操り人形で人間でいう活動限界は存在しない。シアノスが人の形を取っているだけでやろうと思えば胴体に刃を突出させることもゾルキアとの模擬戦のように別の形にすることだってできる。
さっきのは後ろに思いっ切り引っ張っただけだ。操る数が減ればその分動きも繊細に細かく操作することができる。
トレントが剣を投げ飛ばす。早いがガルロにとって避けるのは容易い。
「っ、キラ!」
「っ!」
が、後ろにはキラがいた。躱された剣はキラに向かう。慌てて追うも間に合わない。ズダンッと鈍い音を立てて剣がひしゃげる。目を瞑ったキラは無傷だ。チートともいえるキラの自動防御。ホッとするガルロを後ろから殴り飛ばす。
「護衛対象を不安にさせてどうするの」
キラだからこそ無事だったものの普通なら死んでいる。そのことを正しく理解したガルロが気合を入れ直して前を見据える。再び剣を構えたトレントと対峙する。さっきまで自由に動いていたガルロはキラを守るような位置取りを意識していた。もう一度剣を投擲する。今度は躱さず打ち壊してそのままトレントに一気に近付く。振りかぶった拳を突き出してトレントを砕いた。
「まあこんなもんね」
「っ、ガルロ!?」
護衛としての及第点に達したガルロに頷くと終わりだとばかりに振り返って歩き出す。キラもガルロに近寄ろうとしたがその前にガルロがシアノスに向かって突進する。
「シアノスさん!!」
キラの悲鳴も空しくシアノスは振り返らない。がら空きの背中にガルロの拳が突き出す。
「!?」
当たる前に止まった。ガルロは止めてない。止められたのだ。
止められたと理解したときには地に伏せていた。体を縛り締め付ける拘束に動きを封じられた。唯一自由だった頭を動かすとシアノスが冷ややかな眼で見下していた。
「驕るな犬が」
冷たく吐き捨てられた声に初めてガルロの体が撥ねた。シアノスに恐怖した。拘束が解かれてキラが駆け寄る。ガルロはただシアノスの離れていく背中を見続けた。
「強い」
初めて感じた恐怖。心臓を掴まれた感覚。会った時から感じた強者の気配。ガルロは眼を輝かせる。楽しい、楽しい、もっと。
シアノスの背を追いかけようとしたガルロだが体が後ろに引っ張られる。
「シアノスさんを襲ったらめっ!」
叱るキラにガルロの目が点になる。掴まれた手を引っ張っても離されない。
「ご飯を抜きにしますよ?」
その言葉に慌ててガルロが首を横に振った。あの美味しいご飯が食べれないのは嫌だった。微笑んで頭を撫でるキラに怒らせないようにしようと心に誓ったガルロだった。




