想像と現実は異なるもの
「あの、大丈夫でしょうか」
水の魔女に連れられて森の外に向かって歩いている中、ヒイロの頭は尚も聖女キラへの心配で埋め尽くされている。キラを王宮から連れ出してくれた緑の魔女を信用していないわけではない。むしろ崇敬の域である。無条件の信用、圧倒的な信頼。それはヒイロがキラに対すして抱く好意と似ていた。この人ならという安心感があって間もない、一度の依頼を達成してみせた緑の魔女に対して抱いた。
「聖女のことなら問題ありません。シアノスはあんな態度を取っていますが、根はとても優しい子です。何より、自分が助けられる人を放って研究するほど人心がない人ではありませんから。彼女はやると言いました。ですから、ちゃんと目を覚まして日常生活を送るのに問題ないほど動けるようになるまで面倒を見てくれますよ。……問題はその後のことですが」
最後にボソリと言った言葉はヒイロには届かなかった。けれども水の魔女は大して深刻には考えていない。希望的観測ではあるがこのまま聖女がシアノスと共に行動してくれれば万々歳と思っている。けれど彼女にとって大事なのは魔女の面々と自分が経営している施設の従業員らのみだ。心優しいと言われている水の魔女ではあるが、取捨選択、線引きをしっかりとしているのだ。言ってしまえば聖女がどうなろうと興味はない。
今回の騒動だって一国と教会が手を組んでヘクセに対して厄介事を持ち込まないかを心配しているからである。緑の魔女に対してのみ報復に吹っ掛けるならまだ良し。それは因果応報というものだ。その可能性を理解したうえで依頼を受けただろうから。けれど他の魔女に対しても、見境なく攻撃してくるとしたら適切な対処を講じなければならない。
ちなみに、水の魔女がヒイロを連れ出したのはこの娘がシアノスと押し問答して彼女の気が変わってしまうのを避けるためだ。シアノスの性格を熟知している故の行動である。
「あ、いえ、キラ様の心配はないと言えば嘘になりますが魔女様を疑っているわけではないのです。ただ、キラ様はあのご容姿故に誤解されやすいのです」
「誤解、ですか?」
「はい。聖女様は女性だけだと固定概念がありますので仕方のないことかもしれませんが、キラ様は男の人なんです」
ヒイロの発言に水の魔女はすぐに返答を反せなかった。勿論、水の魔女だって聖女は女性だと思っていたからだ。彼女も男の聖女なんて聞いたことも想像したこともなかった、しかし、考えてみれば聖女は固有名詞のようなもの。実際、魔女だってそうだ。性別は関係なく資格ある者に魔女の名は与えられているのだから。
「そうですか。聖女は男性の方……」
「魔女様、あっと、緑の魔女様も勘違いしている節があったので、伝え忘れてしまったが心残りで……。キラ様が男だと分かったら介護しないなんてことになったら」
ヒイロが申し訳なさそうにしている中、水の魔女が笑い声が聞こえた。突然笑い出した魔女にヒイロが驚いて魔女の方を向くと口に手を当てて笑い声を抑えているようだがその顔は満面の笑みと言っても差し支えないほどのものだった。
「ふふふ、失礼。聖女のことは心配ありませんよ。シアノスは人助けを性別で判断しませんから。そうですか、男の方ですか……。これは思ったより期待できそうですね。いい方向に転がってくれることを願いましょう。これからが楽しみですね。ね、シアノス」
一方その頃、少し時間は戻って場所は緑の魔女の家。
二人が去って家の中には静寂が家内を満たす。少しして、シアノスは机に額を当てて項垂れる。まさに売り言葉に買い言葉。完全に水の魔女の思い通りに事が運ばれた。やられた。完全に彼女の手の上で踊らされただけだ。
しかし、言ってしまったからには発言の責がある。聖女を介護しないわけにはいかない。聖女が寝かされている場所と言えば診察室だろう。なんせこの家にはベッドは二つしか置いていない。シアノスの自室と診察室のみ。少女を家に留守番させたから探索されても文句は言えない。と言っても恐らく彼女の性格上を鑑みて下手に手を出して荒らしはしないだろう。せいぜい客間とキッチンでじっとして、聖女を連れて来てから寝かせられる部屋を探したぐらいじゃないと予想。
診察室に向かい、一先ず様子を確認する。連れてくる道中は簡単に視診した程度で何ならシアノス本人も疲れていることもあり、良くは見ていなかった。月明かりが良く見えるとしても所詮夜は夜だ。
いつまでも水の魔女に対して後悔しても現状が変わることはない。ならばさっさと治して研究に戻るまでだ。
どうやら件の聖女は未だ昏睡状態のようだ。呼吸は安定しているが顔色が悪い。肌や身体の状態からして薬物投与の線も可能性としてはあり得る。丁寧に掛けてあったシーツを捲り触診のために服をはだけさせる。そして聖女に会ってから僅かに感じていた違和感の正体にようやく気付いた。
分かりづらいが喉に浮き出る骨、凹凸のない胸、女になくて男にあるもの。
「聖女って……男だったの!?!?」
ヒイロの話を聞いて女だと思っていた。予想を反することが起こるとシアノスは苛つく。勝手に女だと勘違いしていただけで聖女とヒイロは何も悪くはないが。それでも悪態吐くのは許して欲しい。だがそれと同時に納得した部分もある。
「そりゃあ、男同士では結婚できないわよね……」
哀れ王子。男に一目惚れして相手に認知されもせずに失恋したお馬鹿さん。憐れみも同情もしないけど。