帝国の国花、刀千紅
「だから待ちなさいって言ったじゃない獣の!」
目を覚ましたシアノスは開口一番にマオを叱った。理不尽な怒りをぶつけられてもマオは平服して謝る。
マオが来る前シアノスは毒を飲んでいた。自業自得ではあるものの説明もなしに突然連れ出したマオにも原因の一端はあった。シアノスは毒を服用するとき必ず解毒薬も用意している。毒の効果を確かめた後はすぐに解毒するためだ。自分を苦しめる趣味はない。
そんな中、扉がノックされた。キラに迎えられて部屋に入ってきたルーは異様な状況に困惑する。
ベッドの上にふんぞり返って罵倒するシアノス。土下座して謝るマオ。その二人を微笑みながら見ているキラ。シアノスに巻き付いていた草が自立していて、マオの仔犬と戯れている。
「カオス……」
ルーは目を閉じて思考を放棄した。現実逃避ともいう。
「世話になったな緑の魔女。我が国を救ってくれて感謝する」
エドライーギスはシアノスに感謝を述べる。シアノスが眠っている間に回復したエドライーギスは早速とばかりに執務に手を付けていた。側近から休んでくださいと懇願されても無視して働く仕事獣人。病に伏せた原因の一端を見た。
シアノスは近付いてその頬を思いっ切り叩いた。シアノスの奇行にその場は騒然とする。無礼を働くシアノスを押さえようとする側近の前にマオが立ち塞がる。緊張感が漂う状況に気にせずシアノスはエドライーギスの胸ぐらを掴む。
「覇王と言うのはバカの総称なのかしら。その頭は飾り? 後継者もいない国で王が死ねばどうなるか、空っぽの脳みそじゃ想像もできないのかしら。ああ、愚王が治めている国は大変ね」
「貴様っ、陛下を愚弄するな」
「割を食うのはいつだって平民よ。国を滅ぼしたいのなら止めはしないわ。そうでないのなら自分の体調ぐらいしっかり管理しなさい。一人でなんでもやれると思っているのなら大間違いよ。……わたしが助けたのが愚王でないことを祈るわ」
言いたいことを言ってスッキリしたシアノスは彼から離れる。痛がる素振りが全くないのが癪だった。シアノスはヒリヒリと痛む手を擦る。
一国の王に向かって堂々と貶すシアノスにルーは目を見開いた。なによりエドライーギスはその不遜な態度を許していた。隣で言いたいこと代弁してくれた彼女に満足げに頷いているゼンネルは視界に入れないようにした。
シアノスは難しい顔を浮かべたルーに視線を向ける。突然目が合ってピシっと固まる。
「依頼は達成したわ」
「はい、ありがとうございます。…………あっ!」
ルーはすっかり忘れていた。親友を助けたい一心で必死になって、とんでもない約束をしてしまっていたことを思い出した。焦った彼女は事の発端であるエドライーギスに助けを求める。
「ごめんエギー」
「どうしたルー。そんなに慌てて」
「そのー薬師サマが報酬は刀千紅だって言うのを了承しちまったんだ」
「ああ、そんなことか。いいだろう渡そう」
「なっ、いいのかよエギー?! 刀千紅だぞ」
刀千紅はガイシェムル帝国の国花。代々皇帝が管理している花だ。
ガイシェムル帝国が建国する前の話だ。当時獣人族は奴隷として扱われていた。彼らに人権はなく劣悪な環境で死ぬまで働かされていた。私欲に溺れた人族は広大な土地を欲した。そこで目を付けたのは魔物が蔓延るが手付かずの大地。現在のガイシェムル帝国がある場所だ。
当時人族にとって獣人族は使い捨ての便利な道具でしかなかった。女も子供も関係ない。面倒な仕事も魔物との戦闘も獣人族にやらせて人族は悠々と高みの見物。そして獣人は次々と命を落としていった。
その窮地を救ったのが一人の獣人だった。彼もまた人族の奴隷として虐げられていた。魔物との戦闘で命からがら生き延びた彼は瀕死の最中、一輪の赤い花を見つけた。辺りにはまだ多くの魔物が彼に襲い掛かろうとタイミングを見計らっていた。朦朧とする意識の中、彼はその花に触れた。その瞬間花が光る。花弁が空を舞い、襲い来る魔物を次々と切り裂いた。彼はその花を操り魔物を倒し、人族から同胞を救い出し国を建国した。
それがガイシェムル帝国の始まり、誰もが知る建国譚。刀千紅はガイシェムル帝国の、獣人族の希望の光。平和の象徴だ。
その伝承には秘密があった。皇帝のみに伝えられる伝承の真実。
獣人と刀千紅は奴隷だった獣人族を救った。それは事実だ。結果的に多くの同胞を救った。
その獣人、初代皇帝は刀千紅を制御できていなかった。花弁は近くにあるものすべてを切り裂く。そこに魔物も人族も獣人族も関係ない。花弁は切り裂く度に数を増やした。花弁は切り裂く度に血を吸ったように毒々しい赤へと変色していった。彼は畏怖を込めてその花を刀千紅と命名した。成長するかの如く力を増していく刀千紅は強大過ぎた。聡い彼は誰の手にも渡らぬようにその花を封印することにした。そして、獣人族の希望と己の戒めを込めてその花を国花とした。
刀千紅は今なお封印されている。皇帝が許可した者しか立ち入ることが許されない宝物殿の最奥、秘匿された隠し部屋に厳重に保管されている。
エドライーギスはシアノスとマオを連れて宝物殿に向かった。前皇帝から引き継がれた手順を踏むと通路が現れた。長い通路を歩くと小さな部屋に出る。その部屋の中央にポツンと赤い花が一輪、鉢に植えて置かれていた。
シアノスは刀千紅に近付くと観察するようにまじまじと見る。
「やっぱり、妖精が宿っていたのね」
不思議な力を持つ物には妖精が宿っていると言われている。中にはエルフの秘宝のように目覚めておらず発現していない個体もあるが殆どは刀千紅のように逸話がある。御伽噺や伝承としてまことしやかに伝えられている。妖精が見えない人々はそれを神の遺物と呼んだ。
一つでも強大な力を持つそれは破壊と悲劇を招く。人の身には余る強大な力にけれど人々は魅入られた。目が眩んだ人々はそれを欲し、奪い合い、その力に溺れた。
今ではその殆どが壊され存在しない。神の遺物を認識している者はごくわずかとなった。
神の遺物の妖精は魔物の妖精とは異なる存在だ。意思はあるが自我を持たない。悪戯に創られた道具。
「血と魔力を以て汝と契約を結ぶ。我が意に従い己が力を示せートウカー」
足元に魔術陣を展開し、シアノスは刀千紅と契約を結ぶ。締結し魔術陣が消えると刀千紅は花弁となって空を舞う。シアノスの周りを無数の花弁がグルグル舞い踊り、右腕に収束する。光を放ち、腕輪となってシアノスの手首に収まった。
「これが使役か……?」
「……確かに刀千紅はシアノスさんに渡った。獣の魔女が証言する」
シアノスは右手に光る腕輪をうっとりと眺めた。




