揺れる灯火
「キラ、薬を飲ませるから手伝いなさい」
明朝、温室で一人看病をしていたキラの元にシアノスがやってきた。その手には膨らんだ袋が握られていた。
シアノスの声を聞いたのは遠い昔のようで、とても懐かしく感じられた。
「シアノスさん……まさかっ、特効薬が完成したんですか!?」
当然、と言うようにニヤリと笑う彼女にキラの表情は明るくなる。良かったと呟いたキラは安堵の息を吐く。一番最初に浮かんだのはシアノスが休めるということだった。獣人族よりシアノスを優先していることにキラは疑問を感じることはなかった。
その報せはすぐに各所に通達された。疲労困憊だった使用人も涙を流し喜んだ。屈強な騎士団ですらも喜びに涙が浮かべた。
「シアノスさんから追加の素材リストだよ。早く集めてお城に帰ろう!」
騎士団への通達のために合流したマオは彼らと共に素材集めに奔走する。活力を取り戻した騎士団は瞬く間に素材を収集し城に帰還した。
特効薬を投与してからは苦しんでいた獣人の容態はみるみる回復していった。軽症の患者から順に目を覚ましていく。長い間体の麻痺と昏睡していた弊害で獣人族だとしてもすぐに起き上がることは叶わなかった。
十分な量の特効薬を調合し終えたシアノスは道具を片付ける。散乱していた紙を集めて燃やす。部屋の中に何も残っていないことを確認した後、入室禁止を解いた。
駆け込んだルーは未だ眠っているエドライーギスに寄り添う。その背後ではゼンネルの指示のもと、重症患者五人を別室に移動させていた。さすがにいつまでも皇帝の寝室に置いておくわけにはいかなかった。
彼ら六人はまだ目を覚まさない。
温室に向かったシアノスは喜び合う獣人たちを遠くで眺めていた。さすが獣人族と言うべきか、もう起き上がるまで回復していた。城内の雰囲気も明るくなり、皇帝の目覚めを今か今かと待ち望む。
城の庭道を歩いているとキラとマオに鉢合わせた。
「シアノスさん、本っ当にありがとう!」
シアノスの姿を見つけ、満面の笑みを浮かべながらマオはシアノスに駆け寄る。尻尾をブンブンを振り回すマオはご主人の帰りを待っていた犬そのものに見えた。
「獣の……」
言葉の途中で目を見開いたシアノスは盛大に咳き込む。その後、ふらっと力が抜けたように倒れた。
「シアノスさん、っ!」
地面に倒れる前に何とか抱きかかえたキラは意識のないシアノスを見て言葉を失う。紙のよう白くなった生気のない顔、口の端には血の跡があった。だらんと力無く垂れた手には血が付いていた。
キラはすぐに神聖力を使って癒す。けれどその眼が開かれることは無かった。力を注ぎ続けるキラをマオが止める。
「それ以上はキラさんも倒れちゃうよ」
キラも限界近くまで疲弊していた。働いている間際、使用人の疲労を軽減させるためにこっそり治癒していた。体を酷使してもなお動き続けれたのは他でもない神聖力のお陰だ。しかし休むことなく動いていたせいで自然回復は極微量、潤沢にあった神聖力は減る一方だった。
マオの助言も手遅れだった。そのすぐ後にキラも意識を失ってしまった。彼も少し顔色が悪くなっていた。
『マスター、マスター』
「疲れて眠っているだけだよマスキスパ。って言っても心配だよね」
『マスター、カラダ、イタイ』
「え、怪我? いや、もしかして、毒見……?」
サアーっと顔を青くなる。もしそうなら非常に不味い。シアノスが毒を飲むのは周知の事実だ。咳込んでいるのを珍しいと思っていたけど毒なら納得がいく。だとすれば彼女の体はとても危険な状態だ。どんな毒かはわからないけど対処せず無理して動かし続けた体だ。ずっと体を蝕んでいたのだろう。けれどマオがシアノスに出来ることは何もない。
マオはそれぞれを抱えて運び、ベッドに寝かせた。
「これぐらいしか出来なくてごめんね」
程なくしてエドライーギスが目を覚ました。
「陛下っ!」
「陛下、お目覚めに!」
彼の目覚めは瞬く間に伝えられ城中は歓喜に包まれた。
「オレは……?」
「流行り病に罹っていたんだよ。心配させやがって……」
「そうか」
ルーは大親友の回復に泣きそうになった。しかしその涙もすぐに引っ込んだ。隣から漂う黒いオーラにギョッとする。
「陛下、お伝えしたいことがあります。ですので、早く万全の状態まで回復してくださいね」
「う、うむ……」
笑みを浮かべたゼンネルの目は笑っていなかった。これは相当怒っている。エドライーギスもそれを察し少し怯んでいる。
「だいぶ苦労を掛けたな」
「全くだ。早く元気になれよ。エギーが寝てると退屈だからさ」
ニカッと笑うルーに釣られて彼も笑む。まだ回復は足りていないようで再び眠りについた。
「ワタシ、薬師サマとキラさんにエギーが目覚めたこと伝えてくる!」
一安心したルーはそのまま部屋を出る。廊下を走ってる途中で居場所が分からないことに気付いた。シアノスはともかくとしてキラは温室にいるだろうと当たりをつけて走る。
しかし温室内にどちらの姿もなかった。他に居そうな場所、食堂や重症患者を運んだ部屋にも行ってみたがその姿はない。城内を捜索したがその姿を見つけることは出来なかった。
城内が歓喜に満たされている中、最功労者であるシアノスとキラが倒れた。その事実を知る者はただ一人。




