帝国に差す光
「キラさん少しは休んでください」
温室に入ろうとするキラをルーは引き止める。その手には水の入ったバケツと山積みのタオルを持っていた。体を拭くようの水とタオルだ。たっぷり水が入ったバケツを二つと視界を遮るほどの高さに積まれたタオルを器用に運んでいる。安定して真っ直ぐ歩いているせいで軽々しく見えるがそんなことはない。その細腕のどこにそれほどの力があるのだろうか疑問が浮かぶ。
「ルーさん、どうかしましたか?」
「どうかしましたか?じゃないですよ!? キラさんずっと働きっぱなしじゃないですか。このままじゃキラさんが倒れてしまいますよ」
会話している間もキラは手を止めない。
朝も昼も夜もキラはずっと病人の看病に当たっていた。交代制で動いている使用人ですらかなり疲弊している。それを一日中働き詰めのキラはいつ倒れてもおかしくなかった。なのに弱音を吐かない。笑みを絶やさない。苦しむ獣人たちを優しく励まし、使用人たちの体調にまで気を使っている。明らかなオーバーワークだった。
依頼してから早くも五日が経過した。その間キラは休みなく動き続けていた。他の人には適度に休憩を取らせているのに当の本人は一向に休んでいる気配はない。一人で抱え過ぎている。
「私は大丈夫です。それにシアノスさんが頑張っているのに休んではいられません」
笑顔で答える。その視線の先は皇帝の寝室。あの薬師の女性シアノスがこもっている部屋。
ガイシェムル帝国は獣人族の国だ。彼らに種族差別の意思はないので他種族も暮らしている。しかし圧倒的に獣人族の割合が多い。集まった使用人の数も病人の数に比べると心許ない。もしキラがいなければそうそうに決壊していただろう。
シアノスは日に数回、温室を見回りに来ている。移動する時間がもったいないという彼女は最短距離、窓から出入りしている。バルコニーから飛び降りて温室に向かい、帰りは空を飛んでバルコニーに戻っていた。最初見たときは大層驚いた。
久しぶりに見たシアノスはだいぶ顔色が悪くなっているように見えた。
「もしかして、薬師サマも休みなく……?」
ルーには分からなかった。尽力してくれるのは非常にありがたい。助けてと依頼をしたのはこちらだ。でも、それだけだ。シアノスが自分には関係ないと言ったのには同感してしまった。これは帝国の問題でここまで病が進行してしまったのも帝国に責任がある。自業自得なんだ。見捨てられるのも仕方がないと思ってしまった。なのにどうしてここまで一生懸命にやってくれるのだろうか。休むことなく必死に働いている理由がルーには思いつかなかった。
「ルーさん、みんなの様子はどう?」
城に帰ってきていたらしいマオがルーに話しかける。マオはゼンネルと手分けして他に発病している獣人がいないか探している。大陸一の領土を誇るガイシェムル帝国はとても広い。端から端までは移動するのに馬でも数日もかかるほどだ。
「良くも悪くも変わりはないよ」
「そっか。よーしボクは頑張るぞー」
すぐに戻ろうとするマオを引き止める。暗い顔をするルーに首を傾げる。
「なにかあったの?」
「どうしてアンタたちは、そんなに一生懸命になってくれるんだ? 薬師サマもキラさんも、マオくんだって国民じゃないのに」
「不思議?」
ルーは縦に首を振る。特にシアノスは乗り気じゃなかった。冷静に現実を見て判断できる人。自分の力量をしっかり把握して取捨選択できる人だ。だから断られても仕方が無いと思った。それほど事態は深刻で、手遅れだった。
「シアノスさんはあれで、誠実な人なんだよ」
「セイジツ?」
失礼だけどとてもそうには見えない。自分で損得勘定で動くと言っていた。誠実というより冷酷。自分至上主義と言われた方がしっくりくる。
「シアノスさんは最善を尽くすと言った。一度決めたら茨の道でも進む人だ。決意に言葉に行動に責任を持つ。だから心配いらないよ」
「それは同じ魔女だから?」
マオが目を丸くする。
「シアノスさんが魔女って知ってたの」
「いんや知らない。みんな魔女については教えてくれないからどんなのかも知らないよ。ただ引き受けてくれた時に緑の魔女って言っていたのを思い出しただけ」
マオが魔女っていうのもたまたま知った。明言はされてないけどこの反応からマオは魔女で間違いないらしい。でも誰に聞いても魔女のことを教えてくれはしなかった。城の書庫で魔女について調べたけどどこにも記載されていなかった。終いには「魔女については詮索するな」とエドライーギスに言われた。会ってから自由に行動させてくれただけに忠告されると余計に気になるというものだ。
「なあ魔女ってなんだよ?」
「魔女は世界の調律者、理を護りし者」
「ハ?」
「ボクは贖罪だけど彼女は決意」
マオの言葉の意味が全く理解出来ない。真剣な声に嘘や誤魔化しているようには見えない。
「まあ今は味方ってことだけ信じていいよ。シアノスさんなら特効薬を完成させる。それじゃあボクはもう行くね」
走っていくマオの背中が見えなくなるとルーはその場にしゃがみ込んだ。頭を抱えて唸る。
色々気になる事はあるし、謎は深まるばかりだ。魔女についての好奇心がさらに高まって気になって仕方ない。けれど、先ずは病のことが先だ。みんなが頑張っているのに自分一人怠けていられるほど薄情じゃない。
「絶対目を覚ませよエギー。起きたらその顔イッパツぶん殴ってやるからな」
自分の頬を叩いて頭を切り替えて気合を入れる。それでもマオの真剣な表情の影に哀愁が漂う遠くを見ているような瞳が頭から離れなかった。
それからさらに数日が経過した。
「完成、したわ……」
シアノスがふらりと床に座り込む。
「ふ、ふふ……ようやく……」
倒れそうになる体を支える。床についた手は震えて力が入らないし、視界も霞んでいる。もう何日も寝てないし体は限界だった。
『マスター?』
マスがシアノスの体を支える。ずっと体に巻きついて傍に居てくれた。何度も栄養液を分泌して命を危険に晒しているのに相変わらず主人の心配する出来た子だ。終わったらたくさん遊んであげないと。
「大丈夫よマス。あと少し、やってやろうじゃない」
丸薬を食べたシアノスは立ち上がる。もうふらついた様子は見られない。書きなぐった紙が散乱している部屋の中を歩き作業机の前に立つ。慣れた手つきで薬草をすり潰し混ぜていく。シアノスの眼はギラギラと見開かれていて、口角は上がっていた。一種の興奮状態に陥っていた。
夜明けの光が顔を出す。未来はすぐそこまで来ていた。




