獣人族が治める国
天気のいい朝だった。畑に水やりに行こうと家を出たキラに影が差す。それはキラだけでなく家すらも包む大きな影だった。
「シアノスさーん!」
大きな羽ばたき音と共にシアノスを呼ぶ声。空を見上げると大鷲が上空にとどまっていた。急降下して家の前に降り立った大鷲から飛び降りたのは獣の魔女であるマオだった。彼はとても慌てた様子でキラに話しかける。
「キラさん、シアノスさんは!?」
「部屋にいらっしゃいますが、どうかなさいましたか?」
最後まで言い切る前に「ありがとー」と言って家の中に入っていった。開けっ放しの扉から中を見るとマオはシアノスがいる部屋にノックもなしに開けて入っていってしまった。
「シアノスさん大変すぐに来て!」
「はあ? ちょ、待ちなさいっ、獣の!」
大声で言い合っているのが玄関からでも聞こえた。訳も話さずにシアノスを抱えて走ってきたマオはそのままキラも回収して大鷲に飛び乗る。大鷲が大きな羽を広げてすぐさま上空に飛びあがった。
大鷲の毛並みはさらさらふわふわで気持ちいい。とても速い速度で飛んでいるのが眼下に広がる大地の流れるスピードで分かる。なのに風は気持ちのいい程度でとても快適だ。上を見上げればいつもより空が近い。絶景な空の旅を堪能しているキラの背後ではシアノスが激怒していた。
「で、どういう了見かしら。急にやって来たと思えば説明もなしに拉致までして」
「ごめんなさい~。急いでシアノスさんを連れて来なきゃって気が急いてました!」
正直に謝るマオにシアノスは冷たく見下す。耳と尻尾は力無く垂れ下がり、正座してしょんもり沈んでいるマオは親に怒られた子供のようだ。くぅ~んと泣いている幻聴まで聞こえてくる。そんなマオの前に腕を組んで仁王立ちしているシアノスは研究の妨害されたことでとても怒っていた。風が少ないとは言え揺れる大鷲の上を立っているバランス感覚にキラは関心していた。
因みにマオの頭の上に乗っている仔犬は今はキラの膝の上で腹を上にして寝転んでいる。仔犬は大鷲に負けず劣らずのもふもふで肌さわりがいい。優しく撫でていると気持ちいいのか蕩けた顔で尻尾をブンブン振っている。
「シアノスさんにしか出来ないんだ。お願い、ガイシェムル帝国を救って!」
強く懇願するマオの背後、大鷲が向かう先にはガイシェムル帝国が広がっていた。
実際に見た方が早いと言うマオに連れられ、城の庭に着陸した大鷲から降りた三人が向かった先は城のとある一室。扉の前には警備兵が立っておりこちらを見て敬礼し、扉を開ける。
その部屋は誰かの寝室らしい。大きなベッドの前に四人。その内の一人が扉が開いた音に気付いて振り返る。
「マオ殿、そちらの方が?!」
「うん、この事態を解決してくれるシアノスさんだよ」
マオがベッドの前を開けさせる。見ないと話しが進まないのでシアノスは仕方なくマオに従う。ベッドまで進み、眠る人物を見ると目を見開いた。ベッドに眠っているのは大きな獅子獣人の男、エドライーギス・ガイラオス。ガイシェムル帝国の皇帝陛下その人だった。
「陛下を治すことは出来ますか!?」
「うるさ……診るから待ちなさい」
縋りつく手をシアノスは払い退ける。
豪快に布団を捲り、頭と腹の上に手を置いてシアノスは目を閉じる。その場にいる全員がシアノスの一挙手一投足に固唾を飲んで見守る。やけに静かな時間が焦燥感を掻き立たせる。目を開け静かに体を起こしたシアノスは彼らに視線を向け口を開く。
「場所を移動しましょう」
一行は寝室の近くの空き部屋に移動した。椅子に腰を掛けてゆったりと茶を飲む。落ち着いているシアノスに彼らは焦りと苛立ちが募っていく。一息ついたシアノスがおもむろに口を開く。
「病はかなり進行していたわ。このままいけば衰弱死は免れないでしょうね」
「そんなっ! で、ですがあなたなら治せるのですよね?!」
「さあ」
「さあってあんた、すごい薬師なんだろ」
自国の皇帝の病態に彼らの心は憔悴しきっていた。そんな国の一大事ともいえる危機的状況下で平然とのんびりされたら怒りが込み上げるのは当然だった。もう既に手は尽くした。藁にもすがる思いでいる窮地に救ってくれる可能性のある人物が現れたら、頼る他ない。例え親しい魔女が連れて来た薬師の女がいけ好かない奴でも彼らには縋るしかなかった。
薬師ではないと否定したい気持ちを茶と一緒に流し込んでシアノスは冷静に状況を判断する。
「不確定なことを断言はしないわ。見たことのない病、当然特効薬の情報も知らない。見たところあなたたちも情報を持っていない。だとすると一から調査するしかない。とても時間がかかるわ。重症化している現状、助かる見込みは極めて低いと言ってもいいでしょう」
息を呑む。それは死の宣告に他ならなかった。助からないと暗に伝えられている。
「で、でもゼロじゃないんだよね? 助かる可能性は少しでもあるんだよね? お願いシアノスさん、彼を助けて」
「獣の、そもそもあなた度を超えているわ。干渉し過ぎ」
魔女は中立の立場にある。魔女の地位は一国の王と同等。それ故に一つの国や街に肩入れをしてはいけない。王と同格で王以上に身軽で融通が利く魔女。やろうと思えば大抵のことはなんでもできるからこそ自制しなければならない。贔屓しては他の魔女や国に示しが付かないし、これまで築いてきた関係性が崩壊しかねない。
魔女はあくまで隣人。依頼され見合った対価を支払うギブアンドテイクの関係だ。
それに魔女同士が協力するなどもってのほかだ。大災害などの特殊な状況下を除き、魔女個人の力量で解決しなければならない。それだけの力が魔女にはある。己の実力も把握しないでなんでもかんでも依頼を受けるようなバカはヘクセにはいない。判断力は魔女にとって最も必要なこと。だから魔女が魔女に依頼する、なんてことはあってはならない。
「それでも血の通った人間か?!」
「わたしは損得勘定で動く人間なの。例え王が死のうがわたしには関係ないわ」
怒りを露わにする獣人は今にもシアノスに襲いかかろうとしている。彼とシアノスの間に立つように一人の少女が前に出る。獣人族の国にしては珍しい人族の少女。
「ならばワタシが依頼します。依頼内容はガイシェムル帝国に蔓延した流行り病の収束。それなら問題ありませんね、薬師サマ」
「報酬は刀千紅。それ以外は受け付けないわ」
シアノスの返答に彼らは驚愕する。刀千紅は帝国の国花だ。それも一輪しかない大事な花。皇帝以外がどうこう出来る代物ではない。それでも少女の瞳は強いまま。迷ったのはほんの数秒。
「分かりました。お願いします」
「ルー殿っ!」
「そう。あなたの誠意を称え、この緑の魔女が最善を尽くすと約束するわ」
一悶着あったが何はともあれやる気になってくれたシアノスにマオや獣人はホッと安堵する。だが安心するのはまだ早い。これはスタート時点に過ぎない。いや、まだ始まってすらいない。それどころかかなり出遅れている。
軽く咳込んだシアノスは気を引き締める。その瞳は真剣そのもので冷静なのは変わらないものの一線引いたような態度は鳴りを潜める。張り詰めた空気を纏った彼女に無意識に背筋が伸びる。切り替えた彼女の姿に一筋の希望を見い出す。
「先ずは把握している情報を教えなさい。些細なことでも気になったことでもなんでいいわ。すべてよ」




