雪が解けて
墓地迷宮から帰った数日後、惑いの森の雪が解けた。氷薔薇ノ王の状態が安定して寒波が止んだ。
「シアー助かったのじゃ」
少女の姿をしたロサはシアノスに抱き着く。受け止めたシアノスもロサを抱き締める。
「ロサ、もう起きて大丈夫なの?」
「うむ、シアのお陰じゃ。じゃが、まだまだ魔力の回復が足りんでな、あまり長くは起きておられぬ。むぅ、折角シアとの時間が……」
拗ねたように口を尖らす彼女はとても可愛い。ロサの中心に自分がいるというのがとてもとても嬉しい。
抱き締め合いながら話していると氷薔薇ノ王がふわぁと欠伸を零す。どうやら時間切れのようだ。楽しいかっただけに少しの別れも寂しく感じ、別れを惜しむ。離れたくなくて抱き締める力が無意識に強くなっていた。
その意味を察してロサはクスクス笑い、シアノスの頭を撫でる。嬉しいけどやっぱり寂しくて手を繋ぎ合わせる。すると頭を撫でていた手が止まった。
不思議に思って顔を上げると視界いっぱいにロサの顔が映る。閉じていた瞼が上がり目が合う。シアノスが瞬きもせずに固まっていると顔が離れる。悪戯が成功したと言わんばかりにニヤリと笑ってロサは姿を消した。
カタリと近くで音がした。外に出ていたキラが戻っていたようだ。机に果実や薬草が入った籠が置かれている。
「あれ、シアノスさんどうされましたか?」
唇を押さえて静止しているシアノスにキラが声を掛ける。驚いたように目を見開いて固まっている。瞬きもしていない。
「シアノスさ……わっ」
もう一度シアノスの名前を呼ぼうとしたら、彼女は勢いよく立ち上がる。そして何も言わずに研究室に入って行った。振り返ったときに見えたシアノスの頬は少し赤くなっていた。
部屋の扉を閉めたシアノスはそのまま扉に凭れ掛かる。ズルズルと凭れながらゆっくりと目線が下がっていく。ペタンとお尻が床につく。
押さえた唇にさっきの感触がまだ残っている。指とは違う、柔らかくて冷たい感触。
「あ……え……?」
思考が追いつかない。頭が真っ白になって、何も考えることが出来なくなった。ギュッと力強く目を瞑る。泣きそうになる。
「ずるい」
弱く呟いた声が静かな部屋に落ちる。彼女の笑う声が聞こえるがきっと気のせいだ。きっと今頃気持ち良く眠りについているはずだ。
キスされた唇をギュッと強く引き結んだ。
「シーシーちゃーんどーん!」
畑で薬草を摘んでいる最中に後ろから衝撃を受けた。体勢を崩したシアノスは地面に膝と手をつく。この呼び方をする人は一人しかいない。振り向いてキッとナルクを睨む。
「あり? シシーちゃんダイジョブ? えーっと、ゴメーンネ?」
笑いながら心にもない謝罪をするナルクは微塵も悪いと思っていない。大きなため息を吐いて立ち上がり砂を叩き落す。この男に怒るだけ無駄だ。時間と気力を無駄にするだけ。
腕を組んで仁王立ちする。
「で、何の用?」
「うふふ、あのね、シシーちゃんに面白い話しがあるんだよ。知りたい? 聞きたい? 気になるぅ?」
ニマニマと笑うナルクに疑問が思い浮かぶ。そういえばこうして家の外で会うのは初めてだ。急に家に入り遊びに来たと言ってお茶を飲んでいなくなるのがいつもの流れだ。前のように去り際に雑談をするのは彼の気分による。話しがあると明言することは今までなかった。
煽られたことより行動の不自然さが勝った。
「珍しいわね、何かあったの?」
「ボクの心配が先に来ちゃうんだ……そっかー」
ナルクは過剰な反応はせず、小さく呟いた。嬉しさを噛み締めるように、少し口がにやけていた。けれどその表情はすぐに鳴りを潜めた。ニパッと明るく笑う。
「フローラ・ルキグワンがシシーちゃんの話しをしてるの聞いちゃった~」
「そう……相手は?」
「ライアン・ルキグワン♪」
シアノスは笑う。おかしおもしろくて仕方ない。これが笑わずにはいられない。
そうか、彼は結婚してルキグワン家に入ったのか。ライアンは元はシンシアの婚約者だった。それをフローラが奪い取った。元々父親が勝手に決めた婚約だ。最初から嫌われていたシンシアにとって彼のことはどうでも良かった。結婚相手だろうとその時はまだ家族ではないのだから。
それにしても滑稽だ。あの頃は相思相愛だと言っていたがライアンはこともあろうにキラに欲情していた。今思い出しても笑ってしまう。
キラを女と勘違いしているのは明白。それでも結婚相手もその家族もいる家で白昼堂々他の女(男)を襲う見境のない下半身だったとは。
「お祝いしてあげないとね。教えてくれてありがとう」
「ンフフーどういたしましてー」
静かな怒りを燃やして浮遊して行ったシアノスを見送る。誰もいなくなった森の中でナルクは一人笑う。
シアノスはナルクの正体を知っているのに情報を求めることはしない。知りたい情報があるのに、ナルクに聞こうという意思すらない。だからナルクはシアノスが気に入っていた。ただの迷惑な男として扱う彼女の元に何度も足を運んでしまう。
「これからも仲良くしよーね、シシーちゃん」
ナルクと別れたシアノスはルキグワン家に向かった。魔女のローブを羽織るがフードは被らない。好都合なことに四人は一部屋に集まっていた。その部屋に窓を割って入る。悲鳴を上げた彼らは四者四様の反応を返す。父は恐怖し、母は怯え、婿は見高に娘は歓喜する。
「まあお姉様ようやく決心がついたのね。わたし嬉しいわ。またお姉様と一緒に暮らせるのね」
「本当にシンシアが生きていたのか。へへっ、あの頃よりだいぶイイ女に、きれいになったんだな」
ライアンの言葉に父親が気付く。シアノスが来た理由を察した彼の顔は一気に青ざめる。シアノスに近付こうとするフローラに掴みかかる。
「きゃ、痛っ、お父様?」
「お前喋ったのか!?」
「な、なに……」
「なんてことをしでかしたんだ。クソが!」
バチンと大きな音が響く。勢いよく頬を打たれた衝撃でフローラが床に倒れ込む。蔑む眼で自分の娘を睨む男は次いでシアノスに体を向け、平服する。
「お願いします魔女様! 全部この女がやったことなんです。俺は知らない、言ってない! 殺すならこの女だけに、どうか」
保身のためなら実の娘すらを差し出す。欲望に忠実で狡猾な人間らしい男。見ていてとても吐き気がする。
「何か勘違いしているようだけど、お前に決定権はない」
男に向かって棘を飛ばす。プスリと刺さった棘がスルスルと伸びて男の体を巻き付いていく。苦痛にもがき叫ぶ男は頭に大きな赤い花を咲かせて黙る。ピクリとも動かなくなった。
食人花。人間の血を吸って花を咲かせる植物。棘が刺さったが最後全身の血を一滴残らず吸血する。真っ白だった花弁が血の色に染まっていく。白い斑点を残して赤く染まった花弁は肉厚で、人間の頭よりも大きい花を咲かせる。
どんなに醜い汚物でもこの美しい花を咲かせる養分と考えれば悪くない。
悲鳴が上がる。部屋を出て逃げようとする女にも食人花の棘を刺す。
「イヤアアァァァァ! お父様、お母様!? なんでこんなこと、っお姉様!?」
「忠告はしたわ。わたしのこと話したら息の根を止めると、ね」
「そんな、ライアン様は家族じゃない」
「あの場にはいなかった。それが真実よ」
ようやく自分が犯した罪を思い知ったのかガクガクと震え出す。
「シ、シンシアっ、おオレは騙されていたんだ。その女が全部悪いんだ。オレはお前を愛してギャッ」
雑音をまき散らす男にも棘を刺す。
「ライアン、さま……ひっ」
「安心して、あなたにはしないわ」
「助けて、くれるの? はは、そうよね。わたしはお姉様の妹だもの。お姉様はわたしのことが好きだから――」
「ええ、あんたには感謝しているわ。あなたたちを殺す機会をつくってくれてありがとう。とびっきりのお礼を用意したの、喜んでくれると嬉しいわ」
シアノスは笑う。とてもきれいで美しい笑みに女は恐怖する。
「い、いやっ、やめて……たすけっ」
液体を飲まされた女はもがき苦しむ。燃やされているように熱くて息が出来なくて痒くて苦しくて痛くて身体がバラバラになりそうだった。狂乱した女は自身を掻きむしり転がり回り暴れる。
不意に目が合った。反射して映し出された醜い自分と目が合う。
「あ、ああ、あ……いやあああああああああああああああ」
焼け爛れた肌。どろりと溶けたような顔。抜けて落ちいる髪。とても見られたものじゃない。吐き気がせり上がるほどに悍ましい物体。気味が悪くて目を逸らしたいのに視線が固定されたように動かせない。動かした手が、目の前のそれも真似して動かす。信じられない。信じたくない。こんなバケモノが自分だなんて……いや。
女の声が屋敷を震わすほどの叫び声が響き渡る。けれどもその声に駆け付ける人間はいない。
女の悲鳴が聞こえるそこは燃えていた。大きな火柱が上がる中から女の悲鳴が聞こえる。けれど誰も中に入る者はいなかった。誰一人として助けようとする者はいなかった。女の悲鳴が聞こえなくなったころ、屋敷は影も形もなくなっていた。一つ残さず全てが灰になっていた。




