聖女奪取
魔女は期待していたのかもしれない。王族がどのようにして婚約破棄をするのか。誘惑した令嬢がどこまで考えているのか。いずれも、頭が切れる相手であるということに。やはり、他人に期待するだけ無駄だったようだ。
「この茶番劇にも飽きてきたわね。そもそも付き合う必要もなかったじゃない。なにやってんだろう、わたし。……はぁ、まあいいわ」
魔女は誰に言うわけでもなく独り言ちる。しかしその言葉は耳ざとく目の前の二人には聞こえたようだ。頭にカチンときたのかあーだこーだと怒鳴っている。地獄耳の短気とか、貴族としてはどうなの?
貴族は常に冷静なれ、ではなかったかしら。子供だからなどという言い訳など通用しない。貴族としての務めは年齢関係なく貴族であるが故の責務である。それに、見た限り成人しているように思う。ここで二人に何か言っても聞かないだろうし逆ギレする可能性大である。言ってやる義理もないし。
勝手に騒いでいる二人は放っておいてクルリと振り返る。未だに身動き一つ取らない聖女の様子に首を傾げる。動じてないにしては反応がなさすぎる。
「あなたが聖女キラ?」
真ん前まで移動してそのピンク色を見下ろす。頭が僅かに動いたのを見て肯定と捉える。意識はあるようで心の中で安堵の息をつく。
「そう。わたしは今からあなたを誘拐するわ。――……ヒイロの依頼よ。分かったら大人しくしていなさい」
後半は頭を寄せて耳元で囁くように告げる。ヒイロの名を聞いた聖女は息を呑んだ。思わずといった風に顔を上げる。そこで初めて聖女の顔を見た。顔は青白く、頬はこけている。一目見て体調が悪いさまが窺える。これではパーティーどころではないだろう。座り込んでいるのはこれが理由か。
「あっ……」
聖女は目を見開いて少し開いた口から小さく声が零れた。その後、目を伏せて数瞬後に小さく頷く。
了承を得た。仮に嫌だと言っても問答無用で連れて行くつもりだったけど抵抗されるとめんどくさかったのでこれは重畳だ。
魔女は「ラウネ」と名を呼ぶ。すると呼ばれたラウネは心得たと魔女と聖女の間に移動し天井――正しくは一人と一体が下りてきた窓――から蔓を伸ばす。それはゆっくりと聖女の身体に巻き付いて丁寧な動作で持ち上げる。聖女に巻き付いている蔓とは別の蔓が魔女へとすり寄る。魔女は微笑みながら手触りの良い蔓を人撫ですると撫でられた蔓は嬉しそうに蠢く。
二人と一体はゆっくりと吊り上げられる。
「っな、待て! 聖女を置いていけ」
「誘拐しに来たのに今さらはいそうですかって渡すと思う?」
上昇中に会場内を見渡すと全員が魔女らに視線を向けていた。出入り扉の付近に集まる貴族とは少し離れたところに白い法衣を来た男の集団を見つけた。教会の証である恰好だ。恐らく真ん中にいる他とは装いが豪華な彼が司教だろう。読み通りお目付け役としてパーティーに参加しているようだ。推定司教は親の仇とでもいうような顔で魔女を睨む。
あら怖い、と鼻で嗤う。聖女は教会にとって最上の道具であるから一人でも失ってしまえば大損害なのだろう。その証拠に教会の者らの顔はみな悔し気でいい表情をする。ついでに王子と令嬢も似た表情をしていた。ああ、これこれ。この表情が見たかったと満足げに頷く。
「ありがとうラウネ。最高だったわ」
労いの言葉をかけて返還する。煌めいて消えるラウネはニコリと笑んで頭を下げた。次いで新たに別の魔物を【召喚】をする。
ぅめ~と鳴いたのは〈バロウメルツ〉と呼ばれた羊の姿をした魔物だ。羊ではシアノスは使役できない。だがこの羊、元は植物だったのだ。タルタリカと呼ばれる植物が実をつけその実が割れると羊の姿になるという変わった魔物だ。羊の姿になり茎に繋がったまま周りの草や果実を食べて成長する。しかし茎に繋がれているため動くことが出来ず、周囲の草がなくなると餓えて木が枯れ羊も死ぬ。長生きが難しい魔物だ。本来なら茎と繋がっているので木から離れられないが魔女の努力で生きたまま茎から離すことに成功した。
メルツのふわふわな綿の上に乗る。肌触りのいい羊毛はずっと撫でていたくなるほどだ。うつ伏せに跨って頬ずりしたくなるのを堪える。バルコニーで固まっている聖女に声をかけて手を掴み引き上げる。
布に隠れて分からなかったが腕が異様に細い。そして力が弱い魔女でも引き上げれるほどに軽い身体に驚く。食事不良……ではないだろう。ヒイロが無理やりにでも食事を口につっこみそうだし。仕事のストレスも彼女の性格を聞くになさそう。他に思いつく原因は、毒や薬物などによる健康妨害?
……考えすぎかしら。いいえ、依頼は救出のみだから関係ない。そう、終われば関りがなくなる他人よ。不当に関り過ぎるのは良くない。そう自分に暗示するように心の中で呟く。
引っ張られた聖女は目をパチクリと瞬く。現状に理解が追いついていないようだ。
今夜は月が明るく地上を照らす。先程は軽く見た程度だったが改めて見ても酷い顔だ。目の下には大きく濃いクマ。頬は痩せこけて肌が異常なほど青白い。唇はガサガサで色も悪い。口からは辛そうな息を吐き出している。
熱があるのかと額に手を伸ばそうとすると抵抗せずままに引き上げられた聖女はそのまま魔女の上に覆いかぶさる。
「えっ、ちょ、うそでしょ?!」
シアノスは運動神経がいいとは言えない。一般的な研究者像の通りのインドア派である。つまり、避けれなかった。聖女に押し倒されるように仰向けに倒れる。
「重……たくはないけど、離れなさい。わたしの上に乗るんじゃないわよ」
聖女の肩を押すと抵抗ないのと身体が軽いのとで簡単に横に退かすことが出来た。ふぅっと上体を起こして自分の額に手を当てて頭を振り、髪をかき上げる。
「聖女キラ、よぉく聞きなさい。わたしはあなたを助けるために来たわ。抵抗せずに大人しくしなさいとは確かに言ったわよ。ええ言ったわ。けどね、全く動かないのは違うでしょう? わたしは人形を相手にしているわけではないと思っているわ。…………なにか言ったらどうなの!?」
何の反応も示さない聖女に魔女はとうとう切れた。堪った感情のままに怒鳴る。彼女は魔女になったときにこれからは我慢せずに生きると決めた。つまり、怒りたければ誰であろうが怒る。
それでもなにも言わない聖女に目を向ければなんと眠っているではないか。しかし、その表情はどこか苦し気である。
魔女は知る由もないが聖女はパーティーの直前まで教会で訪れる人々に治癒を施していた。それに、殆ど働くか気絶するかのように眠るかの生活に突如割り込まれたパーティー。休憩もなしに着せ替えさせられて何も告げられぬままに会場に連れ込まれた。呆然としていると目の前の男は聖女に対してなにやら言っている。内容は上手く聞き取れない。なぜなら、聖女は別のことで心ここに在らずだったから。
身体がいつもより怠くて重くて、立っているのがやっとだ。次第に頭がクラクラしてきて視界がぐにゃぐにゃ揺れている。気をしっかり保たないとすぐに倒れそうだった。しかし、徐々に力が入らなくなって、ついに立っていられずに床にへたり込んでしまった。それからの記憶は曖昧だ。
「ちょっ、うそでしょ?! ……起きなさいよ。意識がないと転移陣が使えないのよ……っ!」
月明かり綺麗な夜の空に魔女の情けない叫びが木霊した。