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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
54/127

聖母キラ

 そよ風、鳥の囀り、さざ波、暖かな日差し。そして、後頭部に当たる柔らかい感触。


「……?」


 ゆっくり目を開けたシアノスはしばし固まった。意識はハッキリしている。しかし状況把握が追いつかない。


 目の前にはキラの顔。それはいい。いや良くはないけどこの際置いておく。なぜ見上げた角度で見えるのか。

 すると他所を向いていたキラの顔がこちらを向き微笑む。桃色の髪が落ちて頬に触れる。


「おはようございますシアノスさん。お身体はお辛くありませんか」

「え、ええ……」


 それ以外何も言葉が出なかった。だって、だってこれって――


「他に休める場所がなくて、その、あまり柔らかくなくてすみません」


 膝枕だ。それになぜ頭を撫でているのか。

 自覚したらみるみる顔が赤くなる。


「っ、熱が出てしまわれましたか!?」

「い、いい! 平気、柔らかかったわ、ありがとう!!」


 顔が近付く前に起き上がって距離をとる。なんだか余計なことまで言ってしまったように思うが気にしない。考えたら終わる。気にしたら負けだ。


 気分転換を兼ねて周囲を見るとあの石碑のあった湖畔だった。少し離れたところではイルザが眠っていた。


「元気になられて良かったです。お加減はいかがですか? 一日眠っておられましたがお腹は空いていませんか?」

「そ、う」


 一日か、と考えてはたと止まる。さすがに一日中ずっとあの体勢ということはないよね。チラッとキラを見る。相変わらずこちらを見て微笑んでいる。嬉しいのか恥ずかしいのか少し頬が赤くなっている。


 いや、いやいやいや。ありえない。

 そう断言したいけれどできない。だから困る。否定できる要素は無い。彼ならその程度にことはやりかねないと思ってしまう。聞きたいけど聞きたくない。肯定されたらとても恥ずかしいじゃないか。


 頭を振って切り替える。


「あの後襲撃者は」

「現れていません」

「そう。なら少し里を見てくるわ。あなたはここであれを見ていなさい」

「無理、しないでください」


 里は未だ戦火の跡が消えない。燃え焦げた臭い、凍った地面、黒い物体。生存者はいない。


「ほんと、悪趣味」


 毒に冒されたエルフたちは見るも無惨な姿に変わっていた。変色し、歪み、悶えた顔。欠損している部位は喰われたか。


 彼らを残らず集めて埋葬する。地の底深くまで掘り、放り込む。これで、毒に触れることはないだろう。

 土を被せる前にシアノスは一つの瓶を取りだした。中身は煌めく透明な液体、妖精の雫が入っている。気休めにもならないがせめて、と振りかける。それから土を被せた。

 近くにあった弓を何本か刺し立てる。墓とも言えないお粗末な作り。いい思い出はないけれど、嫌いになるほどではない。手段がどうあれ彼らは里を守るために神経質だっただけだ。植え付けられた慣習を部外者が悪しように言うつもりはない。


 湖畔に戻るとイルザは未だに眠ったままだった。目を覚ますことを拒否している。このまま眠っていれば現実を見なくていいからだ。起きなければ時は進まない。現実を捨てて夢に浸る。それは臆病者がすることじゃない、傲慢者がすることだ。

 圧縮した風を逃避者の体に打ち込む。起きる気がないのなら強引に目覚めさせるまでだ。


「シアノスさん、乱暴はっ」

「寝坊にかける薬はないわ」

「ゲホッかはっ、うぅ……?」

「ようやくお目覚めね」


 シアノスは秘宝を取り出しイルザに投げ渡す。


「ひ、ほう……」

「これで依頼は達成よ」

「ま、待ってください。里は、みんなは……」

「生存者はあなただけ。里も全壊で認識阻害の魔道具も壊れていたわ。埋葬したから毒の心配はいらないわ」

「そう、ですか」


 イルザにはもう何も無かった。里も仲間も何もかも失った。唯一残ったのは手のひらにある秘宝とは名ばかりの代物。今更、何もかも今更だ。

 心にぽっかり大きな穴が空いた。思考することすら無駄に感じた。いっそ、自分も一緒に死ねたら良かったのに。


「それをどうするかも、勝手に死ぬのもあなたの勝手よ」

「……」

「秘宝は魔道具では無い。けれどただの物でもない。それには小さな妖精が宿っている。妖精のたまご。今もまだ眠っているし、いつ目覚めるかも分からない。もしかしたらあなたが生きてる間に目覚めることはないかもしれない」


 尚もイルザは俯いたまま。秘宝を視界に入れてはいるけど見てはいない。もう彼はダメだろう。心がすり減りすぎた。他人が何を言っても響くことはない。聞くことも止めたのかもしれない。


 帰ろうと振り返ったシアノスはそのまま口を開く。


「古代魔法は存在しない。本来は妖精にお願いして魔力と引き換えに行使してもらうものよ」


 だから妖精は隣人と呼ばれていた。自然を大切にする思いが妖精との繋がりを築けたのかもしれない。エルフが先か妖精が先かは分からない。でも共存していた過去はちゃんと残っている。

 シアノスが古代魔法が使えるのは他でもない氷薔薇ノ王のお陰に他ならない。


 キラがイルザの手を取り秘宝ごと優しく包む。


「イルザさんは頑張りすぎてしまったのです。心と身体が疲弊して悲鳴を上げている。何も考えなくていいのです。何も感じなくてもいいのです。今は休む時間です。心身を労る時間です。休息を十分に取り、気が休まれたころに少しだけ考えてみてください。本当に全てを失いましたか。もう何も残っていませんか」

「……」

「今すぐに答えを出す必要はありません。急がなくていい、ゆっくりでいいですよ。それでもどうしようもなくて苦しくて壊れてしまいそうなら、いつでも私に会いに来てください。私はイルザさんの味方です。あなたのお心に寄り添わせてください。一人ではありませんよ」


 空虚な彼に届いたのか、静かに涙が流れた。それでも視線は動かないし声も出さない。一筋の涙が渇いた心を満たす始まりなのかも知れない。


 遠くで見ていたシアノスは引いていた。えげつないと思った。無自覚だからこそ余計にタチが悪いものだ。

 弱った心に寄り添う様は正に聖女の鏡。それは傍から見れば盲信者製造機だった。無償の優しさは天女のようで 、人を堕落させる一番の手段。

 あれはまた厄介な毒牙だなとシアノスは密かに感嘆した。心の中で拍手を送った。

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