蟲の報せ置き土産
呆然と固まるシアノスは酷い混乱状態にいた。食の魔女は死んだ。それはこの目でしかと確認した。けれどその声も顔も魔力も彼女と全く同じだった。それが意味すること則ち――
「ぐぅっ!」
思考の渦に陥ったシアノスを現実に引き戻したのは氷薔薇ノ王の苦痛の声だった。慌てて彼女を見ると顔が歪ませていた。片膝をついて苦渋の表情を浮かべている。庇っている足を見ると黒く澱んでいた。
よく見ると足の中に小さいクモが蠢いていた。
「やられた。置き土産ってこれのことだったの……でもどうして魔力体であるロサに毒が……いえ、今はそんなこと関係ないわ。待っててロサ、すぐに助けるから!」
元凶を駆除してから澱んだ足を抑える。触れた場所から澱みが浸食する。感染力がとても高い毒らしい。それを見た氷薔薇ノ王が非難する。
「やめよシア。わらわは大丈夫じゃ。だから――」
「大丈夫じゃないわ! 毒の恐ろしさならわたしが身をもって一番知っている。何より、ロサが苦しんでいるのに助けないはずないじゃない」
シアノスの目から涙が流れる。零れ落ちた涙が氷薔薇ノ王の肌に落ちる。彼女は目を見開く。驚きと困惑と歓喜。シアノスが泣いたところなんて見たことがなかった。それが自分の危機にと言うのがとてつもなく嬉しかった。状況が状況なら嬉々として抱きついていた。この時ばかりは痛みが忘れられた気がした。
シアノスはキラを見る。絶望して茫然自失のイルザに寄り添っていたキラは視線に気付いてシアノスを見る。
「悪いけれど少しばかり集中するから周囲の安全を頼むわ」
「分かりました。お気をつけて」
自信満々に答えるキラはなんとも頼もしいことか。テンサイを止めたほどの結界、それも神聖力製ならこれ以上ないほどの護りになるだろう。
「今度はわたしがロサを助ける番。絶対に死なせない」
「シア……」
見つめて気丈に笑う。恐くてしかたなかった。得体の知れない毒が、解毒薬もなく、状態異常と無縁の妖精に効果がある毒が恐い。でも、何より恐れているのは大切な友を失うこと。彼女だけがシアノスの宝であり心臓だった。一番で唯一で特別な存在。何を犠牲にしても彼女だけは失うことがあってはならない。
覚悟は決まった。大丈夫と胸を張る。ほら、心の中はこんなにも凪いで穏やかだ。笑みを作る余裕だってある。だから安心して、愛しい人よ。必ず助けるからまた一緒に笑い合おう。
「ソウジュラン」
二対で一つの花であるソウジュランは根が絡み合っている。垂れた茎から複数の花を咲かせる植物だ。
一対を氷薔薇ノ王の澱んだ足に巻き付け、一対を己の足に巻き付ける。澱みが浸食し花が黒に染まる。横並びに仰向けになって手を繋ぐ。少しでも繋がりを増やす。
目を閉じて意識を集中させる。繋がっている足を手を心臓から深く潜る。体が重なり一つになる想像する。そして、毒を貰い受ける。
「ぐぅっ」
足に激痛が走る。せり上って腹、胸、そこからもう片方の足や両手の先まで隅々に伸びる。全身に毒が回る。深い闇に飲み込まれる。
毒を抑える手立てが見つからない。魔力で操作しようにも途方がない。動かしてもすぐに埋められる。絶えず激痛が襲い集中するのもやっとだ。
「あ、ヤバい……」
意識が、遠のく。
分かっていた。いつか身を滅ぼすって。
自ら毒を飲み、解毒薬を試すのは危険行為。一歩間違えれば死ぬ。そうでなくても痛み苦しむことは免れない。
それでも構わない。魔女としての地位を確立するためならなんでもやれた。
それは、シアノスが決めた道。
彼女と共にいるために自分の意思で選んだ世界。
彼女の横に並び立つ勇気の証。
暗い。闇の中に投げ出された感覚だ。何も無い。手足の感覚も肉体も存在も闇の一部となって消えてしまう。感情も思考もなくなる。
シアノスという存在自体、元から存在しなかった。元通りになっただけだ。
「シア、すまない。わらわのせいでシアが……すまない。それでも、シアを失いとうないんじゃ。身勝手なわらわを許してくれ。それでもどうか、わらわを嫌わないでくれ」
知らない記憶だ。見覚えのない光景に聞き覚えのない言葉。知らないのに、胸が締め付けられる。これは過去に起こったことだ。
知らず知らずのうちに口角が上がっていた。ああ、どうしようもなく嬉しい。同じことをずっと前から想われていたんだ。あの時から相思相愛だったんだ。
嫌わない。嫌いになれるはずないじゃない。世界に彩りを与えてくれたのは、愛してくれたのはあなただけ。わたしのヒメ。わたしだけの王。
暗闇の中に雪が降る。氷の結晶が舞い散る。凍えるほどに冷たいのにとても心地がいい。
雪が吹き荒れ黒を塗り潰す。暗闇が銀世界に変わる。
「……ア、……シア! 目を覚ますんじゃ、シア!」
「ぅ……ロ、サ」
「っ! シア、良かったシア。わらわはまた失ってしまうのかと恐ろしかったのじゃぞ。分かっておるのかシア」
「ごめんロサ。でもね、また同じ状況になってもわたしは同じ行動をするわ。だってわたし、ロサのこと大好きだから」
「〜〜っ!」
氷薔薇ノ王の冷たい肌に熱がこもる。純粋なシアノスの愛の告白に赤面する。彼女の反応はとても魔物には見えなくて、姿も相まって本当に人間のように見えた。
力無く笑ったシアノスはそのまま再び眠りにつく。その体にはもうどこも黒くはなかった。
「変わらんな、シアは。だからこそ惹かれたんじゃろう」
小さな体でシアノスの頭を抱き締める。子供のような体で子供とは思えない慈愛の表情を浮かべる。
しかしその体も透けていく。随分力を消耗したから実体が保てなくなっていた。氷薔薇ノ王はキラを見る。
「シアを頼むぞ。傷一つつけたら承知せん」
「はい、もちろんです」
少し意地けたように言う彼女はとても可愛らしいと思ってしまった。名残り惜しむようにもう一度シアノスを抱き締めて、彼女は消えた。
魔女の家で会ったあの少女はどうやら氷薔薇ノ王だったらしい。道理でシアノスのことをよく知っているはずだ。微笑ましいと思う反面、羨ましいと感じた。
「さ、シアノスさんをいつまでも地面の上に寝させるわけにはいきません。どこか休める場所に移動させなくては」
周辺を見渡しても里は見る影もなく崩壊。全てが燃えて消え去っていた。今だ燃え焦げた臭いが濃く残る。
イルザもショックを受けてあれからずっと眠ってしまっている。
「よぅし!」
キラは気合いを入れて両拳を握った。




