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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
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シンシア・ルキグワン

 シンシア・ルキグワンはユヴァ国の貴族、ルキグワン伯爵家の長女として生まれた。明るく元気な性格で好まれていた。妹が出来るまでは。


 ルキグワン家は異常な家庭だった。父親は家族に興味がなく、家内のことには無関心。母親は次女だけを愛し、長女をぞんざいに扱った。母親の影響を受けて次女は驕り高ぶり傲慢な性格に育った。


 特別だから、愛されているから、だから、何をしても許される。


 その矛先はいつだって姉に向けられた。

 姉の所持物を奪う(もらう)のも許される。

 痛めつけても怒られない

 食事は要らないと教えてあげれば用意することは無い。


 使用人は妹に従った。母は妹の好きにさせていた。妹の気分で姉は虐げられていた。

 誰も味方はいなかった。誰も救いの手を差し伸べることは無かった。そうして彼女は孤立した。


 それでも彼女は家族を求めていた。愛されることを望んでいた。だから笑顔を絶やさなかった。痛く辛く苦しくても、それでも笑った。そうすればいつか振り向いてくれると信じていた。見てくれると愛してくれると信じていた。諦めきれなかった。


 寒い冬に家の中に入れてもらえなくても、三日間何も食べれなくても、熱湯をかけられても、婚約者を奪われても、それでも振り向いてほしいとそれだけを望んだ。冷ややかな父の目が恐ろしく感じても自分を見てもらいたかった。家の中の小さな世界、それが彼女の全てだった。



 ある日ピクニックに出かけた先で置いて行かれた。子供が一人、何も持たされず身の着のまま。

 彼女は泣かなかった。その頃には心が擦り切れていて諦めにも似た感情を抱いていた。


 誰もいない森の中。帰り道も分からない。お腹も空いて死にそうだ。判断の鈍った彼女は森の中を彷徨い、目に付いた物をなんでも口に入れた。木の実をきのこを草や花すらも。食べては体調を崩し、吐いて、また食べる。心が壊れかけても生に執着していた。幸いなことは魔物と遭遇することは無かったこと。


 数日が経過した頃、一人の女性に出会った。とても人間には見えない女性に、だけどその姿に目を奪われた。とても美しい人だと心が強く揺さぶられた。

 それが、氷薔薇ノ王との出会いだった。


 思わず「キレイ」と呟いた。その声が聞こえたのか目が合った。魅入られたように近付く。その間も視線は外さず彼女の目を見ていた。


「わらわが恐ろしくないのか」

「どうして?」


 少女の純粋な疑問に彼女は怯む。


「何もされてないのに怖くないわ」

「むぅ」

「わたしシンシア、あなたは?」

「……氷薔薇ノ王と呼ばれておる」


 少女は喜んだ。美しい人はとても優しかった。目を見て、会話してくれたのは彼女が初めてだった。それは彼女にとって何よりも望んでいたことだった。


 少女と彼女は仲良くなった。笑顔で話しかける少女に躊躇いながらも彼女はずっとそばに居てくれた。

 少女は彼女を「ヒメ」と、彼女は少女を「シア」と呼んだ。

 少女の心には家に帰ろうという気はどこにもなくなっていた。家族のことは頭から抜け落ちていた。それよりもヒメのことで頭が埋まっていた。好きになっていた。まっすぐ向けられる瞳が好き。ぎこちなく触れる冷たい手が好き。困ったように、でも楽しそうに笑う顔が好き。怖いなんて一度も思わなかった。

 この時間がいつまでも続くように、ただそれだけを願った。


 その願いはすぐに砕かれた。


 姉がいないことに飽きた妹が連れ帰るようにお願いし、捜索を命じた。雇われた傭兵は殊の外すぐに姉を発見した。情報の外見と同じだ。しかし、予想外なことが一つ。魔物と共にいるではないか。しかも人型の魔物。


 完全な人型の姿は力の強さを示す。知能が高く魔力も多い。ランクは最低でもA以上。実力差は歴然だった。


 恐れた傭兵は素早く少女を捕まえ逃げる。良くは分からないが攻撃されない今が好機と考えた。


 それが悪手だとは気付かずに。彼女も少女を気に入っていた。友達になっていた。

 中を引き裂こうとする人間を許さなかった。奪い返そうと氷の茨が伸びる。


 パキッと茨が止まる。先端が赤く染る。貫いたのは傭兵ではなく少女の身体だった。


「なぜ、なぜそやつらを庇った……シア!」


 傭兵は少女を置いて逃げ出した。それすらも目に入れることなく彼女は少女に近づく。その手は声は、震えていた。小さな身体を抱いて、頬に伸ばされた手を握る。


「ヒメの、キレイな氷、汚れて欲しくなかった」


 庇うつもりは無かった。ただ嫌だと思った。自分じゃなくて他の人に目を向けていることが、気づいたら身体が勝手に動いていた。キレイな氷に赤が入る。それがとてもキレイだと思った。


「嫌じゃ、わらわは嫌じゃ。シア、シア、シア!」


 人間は脆い。少しの傷で命を失う。頬に触れる小さな手の温もりが消えていく。力が抜け、目が閉じていく。そうしてシンシアは死んだ。




 これがシアノスの過去。魔女になる前の話し。


「巻き込んで悪かったわ。わたしの落ち度よ」

「いえ、でも良かったんですか? その、私に話して」


 ルキグワン家から抜け出してゆっくり歩く道すがら静かに語る。前を向く彼女の顔は見えない。


「関わった以上、あなたには知る権利があるわ。それに、もういいのよ」


 無意識下で恐れていた過去と決別ができ、心はスッキリしていた。話しても面白い話しでは無いけれど、もう過去のこととして消化できていた。


「教えてくれてありがとうございます」


 キラはそれ以上なにも言わなかった。気になることはある。けれど些細なことだ。それに、これ以上シアノスに話す気は無さそうだった。


 昔話は少女が死んで終わった。けれどシアノスは生きている。どうして生きているのか、なんて聞くのは野暮だろう。今生きていることが事実だ。


「次は私の番ですね。とは言っても話せるほどのことはありませんが。生まれてすぐに修道院の前に捨てられたそうで両親は分からないです」

「興味無いわ」


 バッサリと言い捨てられた。それからは無言で歩き続けた。その間も手は繋いだままで、離されることは無かった。シアノスの手は冷たい。長く握っていてもその手が温かくなることは無かった。

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