成す覚悟
「あ、あの……魔女様……?」
「いえ、何でもないわ。…………そうねぇ、わたしならあなたの愛しの聖女様を助けてあげられるわ」
その言葉を聞いたヒイロは羞恥に顔を赤らめながら喜んだ。
「いと……っ! では、依頼をお受けしてくれるのですか!」
静かに首を横に振る。上げて下げるようだけどまだ受けるとは言っていない。
「依頼を受けるのに一番必要なことをまだ聞いていないわ。あなたの覚悟よ」
「あたしの覚悟、ですか……?」
そう、助けるだけなら簡単だ。例えばこれが物語なら囚われの姫君は王子に助けられて幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしで終わるだろう。物語なら、ね。残念だが現実はそうとはいかない。
一人一人の人生という名の物語があろうと終わりは貴賤関係なく死ぬことで完結となる。それが寿命であれ事故であれ殺害であれ、だ。みな己の物語を紡ぐのでいっぱいいっぱいなわけで、果たして他人の物語の助けを出来る人が幾人いるのだろうか。少なくともわたしはお人好しではないしお節介やきでもなければ同情も湧かない。他人がどうなろうとどんな人生を送ろうと知ったこっちゃない。
「聖女を助けるだけなら簡単よ。連れ出すだけだもの。それなら誰だって出来るわ。そう、あなたでもね。けどそれだけでは不十分とあなたも分かっているはずよ。だからこうして魔女を頼った。違う?」
魔女の言葉にヒイロは静かに「いいえ」と答える。
「聖女を助けた、ではその後の生活は? 食事は? 住居は? お金は? 教会に居れば、きちんと勤めを果たせばその心配はしなくて済む。やる事さえしっかりとやれば生活は保障されているでしょう。外に出てはそんなことあり得ないわ。働かなければ、金がなければ食事をとることが出来ず、明日を迎えることでさえ難しい。生活の全てが自己責任となる過酷で厳しい世界よ。これが現実でそれがルールよ」
少女は思い当たる節があるのか表情が険しい。喉が渇いたのかゴクリと喉を鳴らした音が部屋に響く。
ヘクセと教会は仲がよろしくない。というより教会側が一方的にヘクセを嫌っているだけだが。
ヘクセという組織立っているが内情としては魔女の集まり。個と個が集い寄せ合っているだけで正確には組織としての機能はほとんどない。そして個が強すぎるがため自分勝手、傍若無人。魔女としての制約はあるがそれさえ守っていれば何しても大抵のことなら許される。それほど『魔女』という名には価値がある。
組織として徹底的に管理されている教会――特に上層部が――は魔女のそういう面でも疎ましく思っているだろう。そして厳かで敬虔を謳っている教会は魔というものを忌み嫌う。災いを齎す魔物、人の心を惑わす悪魔、一事に熱中する魔女に魔に魅入られ偏執する執着心。神聖化されている自分らにはそういった穢いものは不似合いだと煙たがる。私利私欲な己を棚に上げて。
神聖力を持っているのは世界でも限られた者だけ。その者を聖女と呼び、一か所に集め管理しているのが教会だ。神聖力は魔力とは違う。魔術でも一応傷の手当ては出来るがせいぜい応急処置程度。神聖力による治癒能力とは天と地との差がある。まさに魔法のような力だ。
それに目を付けたのが教会創設者、初代教皇。初代教皇は人々が平等に治療を受けられるように、そして聖女が不当な扱いを受けないように教会という組織を創ったと語られている。教会の歴史は長く百年以上も続いている。その為初代教皇は故人、人格も目的だって真実か否かなんて今はもう誰も知る由もない。
確かなことはただ一つ、教皇ないし教会は聖女によって巨額の金銭を得たという事だけ。治療を受けた人からご芳志を頂戴する。例え一人一人の額は少なくともそれが何千人何万人という大数に増えればやがて大金となる。そうして教会は一攫千金を手に入れた。聖女には慎ましい生活と癒しを強制して碌に働きもしない上層部は聖女の恩恵を受けて裕福な生活を過ごす。
何十年と続きいつしかそれが当たり前になってしまった。今さら教会を変えることは難しい。いまだ聖女は少なく仮に治癒費を無償にすれば聖女らが過労になる様は目に見えている。実際、今でさえ人員不足らしい。教会という組織とは良くも悪くも正しい機能をしている。ただ、上層部がクソったれなだけで。
「あなたは聖女が教会から抜ける……その意味が分かるかしら? 神聖力を持った者は貴賤関係なく教会に集められる。そして教会に属する神聖力を持った者だけが聖女と名乗れる。つまり、教会を抜けた聖女は聖女の名を奪取され、最悪、聖女の名を騙る不届き者だとか教会の威厳だとかで始末されるかもしれないわ」
「なっ……! そんな教会はそんなこと……」
「しないと、確信を持って言える? 今や治療できるのは聖女の特権。それが無償で行われるとしたら教会の威信がなくなる。邪魔者は排除するのが鉄則でしょう。どこかに匿えばその人や家族まで被害が及ぶかもしれないわ」
ヒイロの顔色はどんどん青白くなっていく。震える口を開閉し、けれど喉が詰まって声が出ないのか浅い呼吸音だけが漏れる。いまだ少女という年齢のヒイロにこの話は些か酷なことではあるが今回の依頼はこういうことなのだ。何かを得るには何かを犠牲にしなくてはならない。望むものすべてが手に入るハッピーエンドなんて存在しない。
「もう一度聞くわ。あなたに聖女を助ける覚悟はある。例え、聖女が望んでいなくとも追われる身になったとしても発端は間違いなくあなたの依頼。わたしは依頼は完遂する。生きて、無事に、あなたの元へ送り届けると約束するわ。それで聖女があなたを批難し罵倒し嫌いになったとしてあなたは受け止めなければならない。それがあなたの義務よ」
「……っぁ、…………それでも! それでも構いません。どんな罰でも受けます。あたしは、あたしがキラ様に嫌われたとしてもキラ様の幸せを願います。自分勝手な望みですがキラ様には外の世界を知ってほしい。幸せだと笑ってほしい。だって、……っだって、キラ様はとっても優しい人なんです」
脅されてなお、涙を堪え気丈に笑う少女はしっかりと覚悟を示してみせた。ここで初めて魔女は柔らかな笑みを浮かべた。
「いいわ。あなたの依頼、この緑の魔女が引き受ける」
「あ、ありがとうございます!」
「お礼は事が済んでからにしてちょうだい。それで? その婚約破棄っていつ行われるの?」
聞いた瞬間、ヒイロが目を逸らした。その反応になんだかとても嫌な予感がする。引き受けたのは時期尚早だったかと後悔しだしたころ、ヒイロが申し訳なさそうに言った。
「王子殿下は、次の光の日と言っていました」
光の日っていつだったか、今日が何日か考え始める魔女にヒイロが無情に告げる。
「光の日……つまり、今日の夕刻からの王宮主催のパーティーで行われます」
「…………今日!?!?」