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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
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黄金の実

 シアノスが帰ってきたのは少女が言っていた通り三日後の暗くなる前だった。扉の開く音に帰ってきたのだと急いでお出迎えする。


「おかえりなさいませ魔女さ、ま……魔女様!?!?」


 扉を開けたと同時に倒れた。大きな音を立てて打ち付けるように地に伏す。慌てて抱き起すも目を開ける素振りはない。呼吸が不規則で顔色も悪い。一言断りを入れてから額を触ると熱かった。


「熱が、すぐに癒し――」


 神聖力を使おうとしてピタリと止まる。シアノスの怒号が頭の中で反芻する。怒られるのは当然だ。何も知らのだから。今になって無知であることを恥じる。


 熱じゃなかったら?

 癒して悪化したら?

 もしこのまま目を覚まさなかったら?


 怖い。底知れぬ恐怖が襲う。どうしようどうすれば分からない。思考がまとまらない。動かなきゃいけないのに動けない。グルグルグルグル視界が歪む。


「――ぅ……」

「っ! 魔女様!」


 シアノスの呻き声で現実に戻される。そうだ考えてる場合じゃない。取り敢えず休ませないと。看病ならできる。

 ベッドに運んで少しはだけさせる。水を汲んできてタオルで汗を拭う。首から上が火傷しそうなほど熱い。玉の汗が次々浮かぶ。反対に首から下は異様に冷え切っていた。額に濡らしたタオルを乗せて手を握る。冷たい手。体温を送るように両手で握る。神聖力は使わなかった。ただ祈った。


 シアノスの手を握りながらいつの間にか眠ってしまったキラに影が落ちる。物言わぬ影はシアノスの胸に伸びて淡い光を放つ。光はシアノスの中に入ると不規則だった呼吸が安定していく。


「ロ、サ……」


 シアノスのか細い声が静寂の部屋に落ちる。けれど意識は覚醒してはおらず目も開らいていない。けれど表情は緩やかになり、安らかな寝息を立てて眠っている。


 明け方、シアノスは目を覚ました。ぼんやりと頭を働かせて、自分の家の天井を見ていることに気が付いて、右手に違和感に気付く。確認しようと頭を倒すとギョッとする。一気に目が覚め思考がはっきりした。


「な、なん、え、なに……」


 喉が詰まったように言葉が出ない。わななく口が閉じない。

 キラの頭が動いたのにビクリと硬直する。重たげに頭を起こし、眠気眼でシアノスを見る。覚醒していないのかいつもよりぽやぽやしていて、だらしがない顔でふにゃりと笑む。


「おはようございます。ねつ、さがってよかったです」


 手を繋ぎながら額と額が合わさる。目と鼻の先にある顔に息が止まる。長い髪が落ちて肌に当たる。ゆっくりと開かれる瞳の中に、赤く染まった自分の顔が映る。


「――――!?!?!?」


 シアノスの声にならない叫び声に鳥たちが一斉に羽ばたいた。




「魔力欠如……ですか?」

「そうよ。一時的なもので魔力が回復したら問題はないわ」

「そうですか、よかったです」


 キラは命の危険はないことを教わりホッと安心する。

 魔力欠如とは魔力を消耗し過ぎたときに起きる症状だ。保有魔力が全体の一割を切ると兆しが出始める。頭痛やめまいと言った軽い不調程度だ。七分を切ると身体が睡眠を求める。ここまでなら特に問題はない。一日の終わりに己の魔力を残七分まで消耗してから昏睡する魔力強化方法は広く伝えられていることだ。身体が無意識に制限を掛けているため多くの場合、それ以上魔力を消費することはない。

 魔力は血液と同じく生命維持のためのなくてはならない要素だ。血を流しすれば人は死ぬのと同じように魔力が空になれば死ぬ。これは魔女のみが知る秘匿の事象だ。


「では何があって魔力欠如が起きるまで魔力を使ったのですか?」


 キラは不思議に思っていた。あの少女はシアノスが三日後に帰ると言った。つまり三日間は何かしらの事情で拘束されると知っていた。

 シアノスは机の上に金色の丸い物を一つ置いた。


「黄金の実よ。とても希少でそれと同時に危険なもの」


 黄金の実、別名悪魔の悪戯。食べた者に力を与える果実。

 黄金の実は芽吹いて三日で人間の頭ほどの大きさに成長して落ちる。その間、魔物を引き寄せる香を漂わせる。実を落とすまでの三日間、迫りくる魔物から守り抜かなければならない。発見し次第死守することが鉄則されている。それは何故か。力を与えるのは何も人間のみに限った話ではないから。魔物が喰らわばより凶悪で強靭な魔物へと変貌する。討伐難易度が一気に跳ね上がる。魔物はどこからともなく現れる。黄金の実に向かって列をなして襲い来る。木々も建物も導線に合ったものは全て踏み荒らして。

 過去には街中に芽吹いたことがある。冒険者によって何とか死守できたものの被害は甚大で街は半壊状態だったと記録されている。

 発生場所も発生時期も規則性はなく、突発的で予想することは不可能。


 それが惑いの森に芽吹いた。芽吹いてから実をつけるまではさほど時間はかからない。その僅かな間にシアノスは対処した。香を放つ前に土で囲い、空気の膜を張り、魔物が嫌う匂いを放つ花を辺り一帯に咲かせる。三層もの厳重な守りによって魔物がやってくることはなかった。幸い、どの魔物のテリトリーの外だった。

 古代魔法は在るものを使うので魔力消費はそれほど多くはない。それでも三日三晩休むことなく三つの守りを維持するのは骨が折れた。いつものように使役している魔物に手を借りることもできなかった。弊弊の体で何とか家に戻ってきたがそこで意識が途切れた。


 朝食も済んで体調もいいし、研究しようと席を立つシアノスの前にキラが立ち塞がる。


「ごめんなさい!」

「それは何に対しての謝罪かしら」

「今までの行動に対する謝罪です。情けない態度だったと自覚しています」


 シアノスの性格であれば苛立ちを覚えるのも仕方のない態度だった。だからそれに対する謝罪。ギルドでの一件はもう終わったことになっているから。


「私はあまりにも無知でした。常識も知らずに育ちました。恥を承知でお願いします。私にもっと世界のことを教えてくださいませんか?」

「食事の間は、あなたの時間よ」


 プイっと顔を背けて小さく呟く。けれどその言葉は確かにキラに届いた。断られなかったことが嬉しい。だらしない表情になっているキラから視線を逸らす。らしくないことをしていると自覚はある。不本意でも長く居たせいか情が映ってしまったのかもしれない。それでもこの面映ゆい気持ちは存外悪くないのかもしれないと思った。


「では初めに、魔女様のお名前を教えてください」

「――は?」

「名前でお呼びしたいのです」

「好きにすれば」


 今さら名前を聞かなくても知っているだろう。ラトスィーンに呼ばれているときに聞いているはずだ。名前なんて別に大層なものでもないのだし。


「教えてください。あなたの口から、あなたの声で、あなたの名前を」

「……シアノス」

「ありがとうございます、シアノスさん」


 大切なものをもらったように喜ぶキラに戸惑いが隠せない。名前一つでなんでそこまでと理解が出来なかった。名前はただの個体識別のための記号で意味はない。だからわざわざ名前を言わなくても個人が特定できるのなら不要なものだ。

 だから何度も名を口にするキラに気恥ずかしい気持ちになるのは気のせいだ。それでも、名を呼んで欲しいと願わない彼に心のどこかでホッとした。

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