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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
32/127

ドキドキ魔女教室

 魔女は定期的に仕事を引き受けている。国やギルドで手に負えない、解決できない問題の相談や依頼がヘクセに送られる。依頼内容から適正のある魔女に割り振られる。また、それとは別に定期で行う仕事がある。


 その仕事の案内が送られてきたためシアノスはギルド本部がある連邦国家サーコルにやってきた。

 サーコルは元は四つの小さい邦が孤立していたがとある災害により連邦国家として一つにまとまった。国として異例だが王という身分はおらず、それぞれ別の領主が統治している。その為領地ごとに街並みはガラリと変わる。

 大陸の中では二番目に広い邦土を有しているが、実際はさらに五つの領地に分かれている。


「ようこそお越しくださいました緑の魔女様。本日もよろしくお願いいたします」


 シアノスが受けている定期依頼の一つに薬師の新人教育がある。見習いの薬師が一人前となって独立する前に一度緑の魔女の教育を通過しなければならないという課程が組まれた。逆に云えばどれほど優秀な技量をもってしても受講しなければ一人前を名乗れない。シアノスにとってははた迷惑な制度である。


「今から初級の回復薬を作ってもらうわ。一度手本を見せるからその後実際に調合してもらうわ」


 受講者の期待と緊張の表情が曇る。基本的に魔女教室は見習いの最終段階だ。基礎は叩きこまれ何度も繰り返し調合を繰り返した者が受講している。初級回復薬は一番初めに教わる調合だ。初歩の初歩。最も簡単で最も失敗することのない調合。


「初級回復薬ですか?」

「なんか落胆だわ。特別な技法とか教えてくれると思ったのに、ねえ」

「調合も普通だし、本当にすごい方なの?」


 眉をひそめてコソコソ囁き合う。これはいつものことだ。どんな幻想を抱いてるのかは知らないが理想を押し付けられるのは甚だ迷惑だ。文句や不満があるなら面と向かって言えばいいのに小心者が小声でも聞こえてるわよ。


 シアノスが調合し終えたら次は見習い生の番だ。不満そうにしながらも取り敢えず調合する。慣れた手つきで初級とあって時間はさほどかからない。


「それじゃあできた回復薬を実際に使用しなさい」


 シアノスは用意されていたナイフを手にし躊躇なく自分の腕を切り付けた。流れるような動作に思考が追い付かず、血が流れだしたころにようやく理解が追いつくと悲鳴が上がる。信じられないと目を見開く。

 シアノスは先程調合した回復薬を傷口に掛ける。タオルで拭き取ると血も傷跡もなくなった。

 初級は軽度の傷なら後も残らずに治る。飲んでも直接かけても問題ないが、かけた方がピンポイントで回復するので範囲が限られているのならかけた方が効果的だ。


「薄皮一枚でもいいから傷を作って効果を確かめなさい」

「なんでそんなことを」

「そうですよ! ちゃんと回復薬は完成しています」


 これもいつものことだ。どうして分からないのだろう。シアノスは不思議に思っていた。同じ人間でありながら自他で分かつ。無意識に引いた境界線の先は関係ないと目を閉ざす。見たいものだけを捉え、自己的に解釈し、悲愴に暮れる。愚かで浅ましい業を他者にだけ背負わせようとする。


「完成しているのなら問題ないでしょう。逆に聞くけどどうしてできないの? 自分で作ったものをどうして使うことを躊躇うの? 効力を知っているのならなんの問題もないでしょう。わたしは難しいことは言っていないわ。腕を切り落とせとも腹を貫けとも言っていないわ。ただ少し切傷をつけるだけに何を躊躇する必要がある」


 理解しがたい不気味なモノを見る目を向ける。理解することを拒んでいるかのように小刻みに頭を振る。おかしなことは何一つ言っていないのに恐ろしいと暗に訴えてくる。


「これを使うのは誰? 魔物? 動物? いいえ、ヒト族(人間)よ。あなたと同じ種族(人間)なの。どうして他人には使わせられるのに自分は使えないのかしら。どうして自分は使うことはないと決めつけているのかしら。己が作った物の責任を持てないようじゃ薬師は諦めることね、覚悟のないものは職人である資格はないわ」


 職人とは残酷な職業だとシアノスは思う。人に寄り添い、人を喜ばせ、時には人を苦しめる。職人にとって創造は通過点に過ぎない。使用者が使って初めて結果が判明する。決して使用者が善人である保証はない。鍛冶師なら流れる血を、魔道具師なら力の代償を、薬師なら与えられる痛みを背負わなければならない。

 調薬を使用する主は冒険者だ。職業柄、危険と隣り合わせで痛みに鈍くなる。便利であるほど不条理が生まれる。回復薬があるから多少の傷を受けても治せる。解毒薬があるから毒を受けても治せる。そんな慢心が心身の叫びをかき消す。


 怯えて声も動くこともできない見習いを見下す。この程度かとただそう思った。失望も悲観もしない。はなから期待も願望もしていない。

 退室しようと視線を逸らした後、空気が揺らぐ。再び視線を向けると、一人前に出ていた。シアノスが使った血の付いたナイフを手に取る。逡巡した後、覚悟を決めた少女は自らの腕に刃を立てた。痛みに苦痛の声が漏れる。震える手で回復薬を手に取り、傷口に掛ける。再び苦痛の声が漏れる。痛みに耐えるかのように机に手をついて荒い呼吸を整える。数秒後、ピタリと身体を硬直させ、勢いよくシアノスを見る。聞かせるわけでもなく、呆然と呟く。


「そういう、ことだったんですね」


 意図を理解した。薬とは難儀なもので実際に使用しないと分からないことがある。体験して初めて正しく効力を知ることができる。傷を治るのは当たり前だ。そういう薬なのだから。ではどのくらいで治るか知っているか。痛みはいつまで続くか知っているか。これらは使用者になってようやく知ることができる現実だ。


 先駆者が後押しして他の見習いも行動に映る。同じく理解した。そして――


「ごめんなさい」


 深々と頭を下げる。疑い批難し過信した。知らずのうちに積み重なった自尊心をいい意味で崩された。


「これにてわたしの教育は終わりよ」

「ありがとうございました」


 扉を開けたシアノスが思い出したように振り返る。


「希望するなら解毒薬もあるけど」

「勘弁してください!」


 笑顔のシアノスに泣き叫ぶ見習い。彼女らは思い出した。緑の魔女の噂を。人嫌いの魔女ともう一つ、毒喰らい魔女と呼ばれてることを。解毒薬の効力を確かめるには毒を飲まなければ分からない。魔女の意図も重要性もその身で十分わかされた。それでも毒を飲み込む(そこまでの)勇気は持てなかった。

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