元聖女は特訓する
「むむう、うまくできているのでしょうか」
キラは困り果てていた。自信がなく頼るものもなかった。それは広大な砂漠の中で一粒の宝石を見つけるようなもの。想像もつかないことに形を成す実感も何一つなかった。
それはキラが魔女の家に滞在する許可を得た後の話だった。ヒイロは笑顔で去っていき、アルラウネのラウネとアラクネのラクネに挨拶して別れた後のこと。
未だ嫌そうな顔をしているシアノスがキラに言い放つ。
「ここに住むに当たってのルールは二つ。わたしの邪魔をしないことと、研究室に入らないこと。それ以外なら好きにして構わないわ。それと、最低でもその力の制御はできるようになりなさい」
そして今に至る。キラは聖女でありながら神聖力の扱いに慣れていなかった。誰も彼に力の使い方を教えてくれる人はいなかったし、普通に扱えていた。聖女としての業務に支障はなかった。だから、神聖力が駄々洩れで制御できていないだなんて思いもしなかった。
神聖力は目に見えるものではない。だから制御と言ってもやり方も実際にできているのかの判断すらできなかった。
早速、一人でやることに限界が訪れた。このまま一人で悩んでいても進展があるとは思えなかった。迷った末にキラはシアノスに教えを乞うことにした。何か手掛かりの一つでももらえたらと願って――
だが更なる壁がキラを阻む。現在、研究室の扉の前。扉の前に立ってすでに一刻程経過している。
「どうすればいいのでしょうか……」
シアノスから言及されたルールはシンプルに二つ。邪魔しないことと研究室に入らないこと。そう、その二つを守ることは簡単に思われた。
しかし、それがとても難しいことだと気付いた時には手遅れだった。シアノスは基本というかずっと研究室に籠っている。療養させてもらっていた時分でさえ部屋の外に出ていることが殆どなかった。そのことを今さら思い出した。
人を待つのは苦ではない。だが以前と同じ生活であれば少なくとも三日ほどは出てこないのではないかと思われる。その間、当然だが特訓をしようにも実感のない訓練モドキで時間を無駄に浪費するだけ。
だが彼女を呼ぼうにも入室することはできないし、果たして彼女を呼ぶことは邪魔をしないに該当しないだろうか。ノックしようとする手が扉と自身の間を右往左往する。
「わっ! あ、魔女様おはようございます」
「そこで何をしているの」
突然扉が開いた。開けたのは勿論シアノスで、部屋の中からキラを訝しげに見ている。
「あの、シアノスさんにご教授頂きたくて、お手すきの時にお願いできますか?」
今がチャンスとキラが伺う。実はシアノスが出てきたのは偶然ではない。扉の前にずっといるキラの気配が疎ましかったからだった。全然いなくならない様子におちおち集中できなかった。扉から神聖力が入って来ていたから。幸い、空気のように充満はせず研究には差し障りなかった。が、存在が煩わしいことこの上ない。
何よりシアノスの手が空くことはない。その時間があるなら研究に没頭するから。シアノスノ生活は研究するか体力切れて気絶するように眠るかの二つしかない。つまり彼女自信が自ら時間を作るしか他者との交流は生まれない。
「今からでいいわ。それで、だいたい察しがつくけど要件は?」
「神聖力の制御がいまいち実感がわかず、少しでも手掛かりを頂きたいです。実際に見ることができれば一番いいのですが……」
予想通りの悩みだった。感覚派と思っていたがそれでもさすがに無を理解することはできないようだ。シアノスが知っているのは魔力であって神聖力ではない。しかしこの二つは性質は違えどおおよその構造は同じと想定する。だから、一助にはなるかもしれない。このまま放っておいても良いことはないようだろうし。彼の性格上何度でも何時間でも扉の前で待っていそうだし。
「手掛かりね。まず根本的な部分から、今までどうやってその力を使っていたの?」
「傷が早く治りますように、元気になりますようにと想ったらできました」
やっぱり感覚派だったとげんなりする。魔術師でも魔力の扱いは二種類に分かれる。やろうと思ったらできる感覚派と原理を理解して修練してようやく扱える凡才派。感覚派は独自のイメージを元に形作るから総じて説明が下手だ。太刀の悪いことに何故他人はできないのかを理解できない。こんなに簡単なことなのにと純粋な疑問を覚える者は少なくない。結果、恨み妬みの的になる。
「そう、想像で行使しているのね。なら制御している自分を想像してみなさい」
「想像、ですか……?」
「これまで使えたのは恐らく視認することができたから。負った傷を失くす、傷のないキレイな状態に戻ることを想像していたのだと思うわ。限度があるのかは知らないけど人体の構造は左右対称。例え片腕がなくとももう片方の腕が形残っているならば参考にして再生することも可能化もしれないわ」
キラは頷く。確かに前に片足が潰れて膝から下がなくなってしまった人が運ばれてきて治療したことがあった。
「制御のやり方はいくつかあるけど神聖力のイメージによって制御の仕方は変わるわ。水に例えるならコップのように受ける器を、光や煙のように例えるなら遮断する壁を己に当てはめる」
「器と壁」
「わかりやすいので言えば肌の外に一枚の薄い膜を張る感じそれなら
こんな風にとシアノスは手を突き出し肘までを水の膜で覆う。魔力だって普通は目に見えないものなので視認するにはこの方が一番手っ取り早い。
「あとはどこまで漏れてるのかを知りたいのよね。ついてきなさい」
家の裏手を少し歩いたところに、ポツンと一つの花の蕾のようなものが見える。距離が離れているが一般的な花より遥かに大きいのが分かる。
「一歩歩いて」
シアノスに従って一歩踏み出すと目の前の蕾が突然花開く。花弁は紫や赤の毒々しく激しい色合いをしており中央部分はポッカリ穴が開いていて、その周りに鋭い歯のようなものが無数に生えている。まるで口のようだった。それが激しく揺れ動く様はとても恐ろしかった。
思わず後退るとピタリと動きを止め、元の蕾の状態に戻った。
「な、なんですかあれは? ……あの、魔女様?」
「……あれはギムノスパームよ。魔力に敏感で少しでも察知するとああやって踊り出すの。一定量与え続けると実をつくる植物よ」
「踊る……」
あれが躍っているように見えるだろうか。暴れているようにしか見えなかった。
「魔力とでは反応が違うけど神聖力でも察知するようね。神聖力で作られた実はどんな感じなのかしら。いえ、そもそも実が作られるのかしら……」
ギムノスパームの新たな発見に目を輝かせるシアノス。未だ恐怖を拭いきれないキラ。二人の温度差は激しかった。
落ち着いたシアノスが地面に一本の線を引く。
「ギムノスパームに触れる距離に近付けたら合格でいいんじゃないかしら」
「そ、そうですね。やってみます」
線の前に立って、集中する。思い浮かぶのは先程見せてもらった水で覆った手だ。全身に纏う感じを想像して一歩踏み出す。
「「……」」
ギムノスパームが躍り出した。




