終わりよければ
晴れて冒険者とのいざこざが解決してシアノスは家に帰る。帰った二人を迎えたのは取り残されたヒイロとアルラウネとアラクネの三人だった。
「キラ様っ! ご無事ですか!? お怪我はありませんか!?」
「大丈夫ですよヒイロ。ご心配をおかけしてしまいましたね」
「ホントですよ、もう。いーーっぱい心配しましたからね、反省してください」
泣きそう、いや実際に泣いているヒイロをキラが優しく慰める。下女であったヒイロだがキラに対して敬意があるのかというほど遠慮がなかった。そのことに不満を一切感じないキラはヒイロの言葉遣いや態度を特に言及することはなかった。出会ってからずっと。
『マスター……申し訳ありません』
「ラウネ、謝ることはないわ。ラクネも、そんな顔しないの。二人には十分助けられている。感謝こそすれ、怒るなんてするわけないわ。いつもありがとう」
シアノスは俯いている二体の魔物を優しく抱き締める。頭を抱いてあやすように撫でる。落ち込んでいる子供を優しく包み込む母親のようであった。冷淡で薄情な魔女はそこにはいなかった。
キラは微笑ましく眺め、ヒイロは漏れ出そうになる声を抑えようと口を固く閉ざす。魔物を人のように扱う魔女、(体格差があるせいで手が届かないので)宙に浮いている魔女、和やかな空気と魔物と人が抱き合う異様な光景。水を差すようなことはしたくない。したくはないが、視界に映る情報の暴力によって頭がヒートする。いやもうしている。
(ヤバイ叫びそう。耐えろ、耐えろ。おかしくない。あれは魔物。魔女と魔物が抱き合っているだけ。そう、おかしく……あ、蜘蛛と目が合っ――目が合った!?!? え、なんかすっごい見られてる?! こわこわこわ。怖い無理! 人じゃない魔物! 魔物だよ!!!)
穏やかな雰囲気の中、内心大荒れパニックが一名いた。
「傷の手当てをするから……てあら?」
元気になった様子にもう大丈夫だと離れたシアノスはそこでようやく彼女たちの状態に違和感を覚える。家に飛ばす前にあった傷がきれいになくなっていた。最初からどこにも怪我していないかのように、何もなかった。
『彼が治療してくれました』
彼、とさして手の先はキラだった。アルラウネの声はキラとヒイロには聞こえない。突然注目されたキラだが特に焦らず戸惑いはあるものの笑みを浮かべる。
「そう、彼女たちの傷を治してくれてありがとう」
「いえ、当然のことをしたまでです」
迷いもなく言い放つ。当然のことだとキラは言った。困っている人がいれば助ける。傷を癒す力があるのなら使う。奉仕するは聖女として人として当たり前のことだ。それが人間相手ならば。その前提は当たり前すぎて浮かぶことすらあり得ない。魔物を助けるなんて思考が思い浮かぶことすらないのだから。
魔物は悪そのもの。生活を脅かし、街を襲い、人に危害を加える危険な生き物。意思はなく本能のまま傍若無人に跋扈する。戦う力のない者は近付くことを厳重注意し目撃すれば生きて帰れるかも分からない。そんな魔物を倒すことはすれど助けることなどしない。しようとする考えすら湧かない。
魔物が困っているといえば嘲笑されるだろう。傷がしているから助けようとすれば頭のおかしい狂人だと疎まれるだろう。意思疎通ができるなんて薬漬けされて人と魔物の区別もできない廃人と貶されるだろう。魔物に対し、痛そうかわいそうといった気を遣う感情が芽生えること自体、あり得ないことである。
聖女の癒しは魔物にも効果があるのかという驚きは隠してキラに礼を言う。シアノスは人情がないわけではない。礼節がない訳でもない。ただ、人間に対する情が欠如しているだけ。他人の心情に心痛めることも慮ることも助けになろうという気もない。その気持ちを抱くのは自分の仲間に対してだけだ。大切な仲間を助けてくれて礼をするなんてシアノスにとっては当然のことだった。
既成概念にとらわれず魔物相手にも治療するキラに感謝して、したところで思い至る。
事の八端はキラだ。キラのせいで獅子狼はシアノスを襲った。そもそもキラがいなかったら襲われることも怪我することもなかった。そう、全部キラのせいだ。感謝の気持ちを返せと言いたくなった。
「じゃあ、荷物持ってさっさと出て行きなさい」
シアノスは本来の目的を忘れていなかった。水の魔女のように一休みしてからなどという優しさもなかった。やっと面倒ごとが片付くと解放感に、だが一向に動き出さないキラに疑問を持つ。
「ここに、魔女様と共に居させていただけませんか?」
「は?」「ええっ!」
キラの予想外の願いにシアノスとヒイロが驚く。ヒイロは今まで自発のなかったキラが自らの願いを口にしたことに感動すら覚えた。キラ自信でさえ、自分のことに驚きを隠せないでいる。
だがそんな感慨にふける暇はなかった。烈火のごとくシアノスは怒りを表す。
「ふざけるんじゃないわよ。その話はもう終わっているの。あなただって承諾したじゃない。今になって変更はないし、そもそもわたしが受け入れることは絶対ないわ。諦めてさっさと出て行って!」
頼み入れてもらえず悲しそうに落ち込むキラに同情はない。何を言われても断固拒否だった。今さら遅い、というわけではない。そもそもシアノスが誰かと生活すること自体あり得ないことなのだ。それは相手がキラだろうが誰だろうが変わらない。緑の魔女として一人で暮らすシアノスに他者を受け入れる隙も付け入る隙もなかった。
「よいではないか」
突如として聞こえて来た女の声に、先まではいなかった少女の姿があった。
「なに、言って……」
「そうじゃな、わらわの客人として住まうがいい」
見た目にそぐわない口調。音もなくそこに居た正体不明の少女。何より、シアノスノ態度が劇的に変化した。
「よいなシア」
「う、ぐ…………わ、わかったわよ」
不貞ぐされたようなシアノスに笑いかける少女。幼さとかけ離れた妖美な笑みだった。何はともあれキラは魔女の家に住むことになった。
「ああそうじゃ、シアは大切な友じゃ。シアに何かおうたらただじゃおかぬ。忘れぬでな」
滞在の許可に喜んでいるのも束の間、少女から忠告を受ける。笑いかけてるようで、鋭く冷たさを孕んだ圧があった。体の芯までも凍らせるような。
気づいたときには少女の姿はどこにもなかった。現れたときと同様に音もなく消えていた。幻でも見ていたかのようだった。
「複雑……」
そう呟いたシアノスは諦めてキラの滞在を受け入れた。嬉しそうで嫌そうな相反する気持ちが何とも言えない表情を形作っていた。




