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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
22/127

依頼者ジウイ

 シアノスの薬で半狂乱状態の男はこの体の痒みから解放されたくてシアノスの質問を全部答えた。

 曰く、昔に酒の席で弟に後宮の内情を漏らしてしまった。現在の宦官は一物は無事で薬によって一時的に機能を抑え込んでいるのだと。それを覚えていた弟は八年前に急に薬を強請ってきた。初めは拒否していた。なかなか首を縦に振らない焦りが見え始めたところでニヤリと口を歪めてとある提案を持ちかけた。取引だった。薬と引き換えに巨額の金を渡す契約。弟は知っていた。三人目の子が生まれること。見栄を保つために多額のお金を落としていること。貯金は少なく、生活が厳しくなっていること。初めてと惑いを見せた男に悪魔の囁きがさらに追い込む。とても魅力的な提案に内心せめぎ合っていた。そして結局は欲望が勝った。

 弟に罪を擦り付け、保身に走った最低の共犯者だった。その事実にジウイは後悔した。男のやったことに対し怒りはあるが、なにより八年も気付かずにいたことに言葉が出なかった。。評判が良く仕事ぶりの評価も悪くない人物を選定して頼んだ。極秘で重要な役割だと厳重注意を言い渡した。見る目がなかった己をただただ恥じた。


「全部話した! 早く助けろ! もう痒くてしかたねえんだ!!」

「嫌よ」

「はあぁ?! 話が違っ――」

「わたしは一度も解毒薬を渡すとは言っていないわ」

「なっ、話せば、この痒みもなくなるって……」

「そうね。一週間もすれば症状は治まるわ。それまで苦しみ藻搔くといい」

「ふざけんじゃねえ、話が違うだろこの女っ、調子に乗って……ぅ」


 怒鳴り散らしていた男が急に倒れた。ジウイがハッと我に返る。


「魔女殿」

「目が覚める前に牢屋にでも入れてきなさい。一週間は痒くて眠ることもできずに苦しみ続けることね」


 男を連れ出して部屋にはシアノスとジウイだけになった。部屋は静まりかええってどちらも口を開かない。ジウイにはもう何も言えなかった。取引を続けたい、だがこれ以上厚顔無恥で居られるほど厚かましい性格はしていなかった。これまでの風習を変えたかった。当時批判は数えきれないほど多かった。それでも無理を強いて地位と権力を最大限行使して何とか帝から許可をもぎ取った。後宮勤めの男は宦官でなければいけないという先代から続く風習を何としてでもなくしたかった。もう、あの少年()のような被害者を出さないように。


 シアノスは別にどちらでも良かった。取引が続けようが続けまいが彼女にとってメリットもデメリットもない。薬を作るのは簡単で、その材料だって採取は難しくない。ただ悩んでいるのは魔女としての秩序。魔女は甘く見られてはいけない。私情は挟まず、公平に判断しなければいけない。そうすると決めたのだ。熟考した末、シアノスの出した決断は――


「二度はないわ」

「……! ああ、ああ、ありがとう。本当に、ありがとう」


 涙ながらに何度も何度も感謝を述べるジウイを置いてシアノスは帰路に着く。彼女がいなくなってもなお、ジウイは魔女に感謝を述べ、喜びを噛み締めていた。翌朝、ジウイは後宮のみならず全ての勤務者を調べ上げた。もう二度とこのようなことがない様に、万全なものにするために。




 シアノスがラトスィーンの旅館に戻った頃、時刻は日の出前。彼は誰時で人は誰も外を出歩いてはいなかった。


 心の中で何度も繰り返す。大丈夫、わたしは間違っていない。正しい判断を下している。だから問題はないわ。大丈夫、大丈夫。


 それは暗示のようでもあった。魔女としての役目を、威厳を、秩序を守るために。自分で自分を律し、魔女として振る舞う。堂々と気高く冷酷に。それでもシアノスは迷い続ける。自分の行いを、決定を、考えを何度でも模索してしまう。

 ジウイとの依頼は十年前、緑の魔女の初めての依頼者だった。お互いまだ青かった時分だ。藁にも縋るような面持ちで訪ねて来たのを覚えている。自分より幼いシアノスをけれど彼は見下すことはしなかった。対等、いや目上の立場で扱われて密かに嬉しかった。だからと言って依頼を承諾したわけでは決してない。甘さからではない。温情でも特別だからでもない。違うのよ。


「魔女様……?」

「っ!」


 考え込んでいたシアノスは周囲を見ていなかった。こんな時間だ、誰も起きてはいないと高を括っていた。だから声が掛けられて、それまで気付かなかったことに驚いた。声の主は未だ暗くても分かるほどの桃色髪の男。キラだった。……髪が少し光って見えるのは神聖力の影響だろうか?


「今お戻りになられたのですか?」

「……あなたには関係ない」

「承知しております。私が知る由もない事情がおありなのでしょう。無理に聞くことは致しません。ですが、そのような悲しそうな顔をした魔女様を放っておくことは出来ません」


 悲しそう……? わたしが?

 馬鹿にしているのかとキラを見るとちょうど日が顔を出した。顔がはっきりと見える。真剣そのものだった。真っ直ぐシアノスを見つめていた。


 悲しいことなんて何もないわ。何もなかった。


「あなたには関係ないわ」


 それだけ言ってシアノスはキラに背を向けた。顔を見ないように、見せないように。何も言わず、追ってもこない彼に何故か安堵した。

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