見ない間に
キラが目覚めたからと言ってシアノスの日常は変わらない。彼女は常に自分本位で生きている。魔女とはそういうものだ。
シアノスにとって人と関りを持つことは心労に値する行為だ。伊達に人嫌いの魔女と呼ばれてはいない。
患者だからと言って付きっ切りで看病することはしないしする必要性も感じない。なぜなら傍にいてもやることやれることはとても限られている。そもそもシアノスは医者ではないのだ。まあ、薬師でもないのだけど。
植物全般を研究するにあたって自ずと薬草の知識を会得し調合できるというだけのこと。だから彼女のやることと言えば薬を提供することだ。傷を治すなら回復薬を、病を治療するなら特効薬を。それ以外に何をすることがあるのだろうか。
時間は効率的に使うべきだ。それに、とシアノスはキラの容態を思い出す。神聖力のお陰か素の回復力が高いのかは定かではないが身体は順調に快調に向かっていた。倒れた理由も度重なる神聖力の行使と無理に働いていた過労によるものだ。要は単なるエネルギー切れ。
……多少は薬の影響もあるのだろうけど。あれは生死に直結するものじゃないし問題ない。うん、大丈夫よ。
部屋には水差しと丸薬を入れた瓶を置いておいた。水と栄養があればいいだろう。看病終わり―と大して重くもない荷を下ろしてせっせと研究に勤しんだ。だから、状況の変化にすぐに気づくことができなかった。
研究に一区切りがついた頃、外が妙にざわめいているのに気がつく。森に何か異変が発生したのかもしれないと外に出てみると、どうやら騒がしくしていたのは森に住まう妖精たちだった。それは警報の類ではなく、歓喜のような騒ぎようだった。
生物が空気中に漂う魔素が体内に吸収されてコアが形成されると魔物になる。魔物となった生物はより強く、凶暴さを増すとされる。これが一般的な魔物の認識。そして識別上魔物と分類されているが世間的には魔物と見なされていない生物が存在する。
見えざるモノ、種族名は妖精。御伽噺や空想上の生物として語られるそれらは実際のところ実在している。普通の人には見えないだけでそこかしこに存在している。
ここ惑いの森では妖精にとって住みやすい環境だ。故にその個体数は他の地よりはるかに多い。その妖精らが一様に興奮し、落ち着かない様子で飛び回っている。
妖精を見るには少しコツがいるが至って簡単だ。魔術で視覚を強化すれば見ることが出来る。
「この騒ぎは、いったい……?」
縦横無尽に飛び回るそれらを見て観察する。
妖精の生態については未だ謎が多く解明されていないので言明は出来ないが、それでも普段の様子と異なるのは一目見て明らかであった。
一見不規則に飛び回って見えるが特定の場所に集まっては離れるといった軌道を描いているのに気付く。そこに向かっていく妖精を追えば、この現象の正体に行き着くだろう。シアノスは警戒しながらその場所へと向かう。
「ふんふふーんふふーん。たくさん元気になってくださいね」
そこでは陽気に鼻歌を歌いながら少女が花に水を与えていた。
いや、違う。それは幻想だ。一瞬そう見えてしまってシアノスは頭を振る。少女も花もそこにはないのだ。
妖精がうじゃうじゃと群がっている場所は家から少し離れたシアノスの薬草畑だった。そこにはピンクの髪が忙しなく揺れている。件の聖女、キラである。妖精はキラの周りに集まっては散っていく。妖精が騒いでいる原因はお前かとため息をつこうとして、シアノスはふと違和感を感じる。その違和感はすぐに確信に変わる。
慌てて畑に駆け寄ってしゃがみこみ地面に手をつける。
「わっ、魔女さま!? おはようございます。どうかされたんですか?」
「なにこれ、どういうこと……?! 全部、育っている。でも違う」
畑に植えている薬草を次々と触って確認する。手に土がつこうが裾が汚れようが知ったことではない。誰かが何か喋っているが何も聞こえない。そんなことより優先すべきことが、確認しなければならないことがそこにあった。
「…………あなた、何をしたの」
シアノスはゆらりと身体を起こしてキラに静かに問うた。いまだ俯いているシアノスの顔色は窺えない。
「え、っと、水を上げていただけですが……あっ、もしかして水を与えてはいけませんでしたか?! 水はあちらに流れている川から汲んできたお水ですが、問題がございましたか……? すみません、勝手な行動を致しました」
「本当に勝手なことをしてくれたわ」
苦々しく睨みつけるシアノスにキラは肝を冷やす。怒らせてしまった。




