氷に覆われた森
惑いの森が凍った。その報せを受けたギルドは急ぎ緊急クエストを発注した。難易度はSランクと設定して冒険者を募った。Aランク以上の冒険者、またはパーティーが応じ調査隊が編成された。彼らは防寒対策と装備を万全に整えてから森に向かった。
凍った大地に足を踏み入れた瞬間、肌を突き刺す程の冷気が冒険者を襲う。防寒対策をしてなお凍える程の寒さだった。陽が出ているにも関わらず暖かさを感じなかった。冒険者に緊迫感が漂う。一層気を引き締めて足を進める。魔境ではないのに魔力が溢れている。
森の中は静か過ぎた。時すらも凍ってしまったと思わせるほど異様な静けさに満ちていた。鳥の囀りも魔物の遠吠えも何も聞こえてこなかった。自分たちが発する呼吸音と氷を踏む足音だけが耳に届く。
遠くに見える光る大樹の方から強大な魔力を感じる。冒険者は警戒を怠らず、慎重に足を進めた。大樹の根元には一人の女性のような姿をしたものが立っていた。その姿は魔物図鑑で見た事があった。そして最悪の予感が的中した。
森に向かう前にギルド長を含めて会議を取り行った。森が凍った原因として一番に思い浮かんだのがSランクの魔物、氷薔薇ノ王だった。存在しているかも分からない妖精の王。けれどもし実在しているとするならば、森一帯を凍らせることなど容易いことだろう。それと同時に最も外れて欲しいと心の底で願った存在。
大樹の前に氷薔薇ノ王はいた。背中を預けて目を閉じていた。自分たちに気付いていないのか動き出す様子はなかった。大樹の周りは開けており身を隠せる場所はなかった。冒険者は顔を見合わせて頷き合う。危険を承知で覚悟を決める。見つけてしまった以上、野放しにはできない。
武器を構えてゆっくりと歩みを進める。まだ距離はあるが冒険者に気付いたのか氷薔薇ノ王が目を開いた。冒険者は止まり、警戒する。静かに向けられた視線に体が震えた。温度のない無機質な瞳。殺気も敵意も感じない。ただ視線を向けられただけ。それなのに百戦錬磨の冒険者の身が竦む程の威圧感を感じる。これがSランクの魔物かと戦慄する。Sランクの魔物は数が少なく、そもそも目撃情報すらなかった。図鑑に載っているだけで存在は確認されていない。いつしか伝説の魔物だと認識されるようになった。それが、今、目の前にいる。Aランクの魔物とは比べ物にならないほどの魔力。核が違う。
いつ戦闘が始まってもおかしくなかった。恐怖に怖気ついてしまっている冒険者は何人かいた。焦っているときほど何をやらかすか分かったものではない。彼らが気を急いて飛び出すのは時間の問題だった。
そしてついに動き出す。その瞬間。
「待って待ってー!!!」
冒険者と氷薔薇ノ王の間に子供が割って入った。緊迫した空気にそぐわない明るい声だった。魔女のローブを身に纏うその人は獣の魔女マオだった。彼は氷薔薇ノ王を庇うように冒険者に向かって両手を広げる。
「魔王ってのは魔物の味方なのかい?」
冒険者の一人が声を荒らげる。けれど彼は真剣な顔をしていた。
「冒険者たち、どうか剣を収めて欲しい。彼女のことはボクに任せてくれないか」
「魔王の言葉を信じろってのかい」
「信じろとは言わない。言ったところで信じられないでしょ。だから、きみたち自身の目で見極めて欲しい。確かに彼女は森を凍らせた。けれどそれ以上のことはしていない」
「寒気の影響が近隣に及んでいるんだ。被害は受けている」
「分かった。それはボクの方で何とかする」
魔女とは言え小さな少年が魔物を必死に庇う。その気迫に大の大人である冒険者が戸惑いを見せる。
「他に何か問題はある?」
「……一つだけ答えてくれ。どうしてあんたはそこまでしてその魔物を庇う」
「彼女はただ慟哭しているだけなんだ。大切な者を失って嘆いているだけ。魔力が多いせいで周りに影響が及んでしまっているだけなんだ。人間であるきみたちもその感情は身に覚えあるんじゃないか? 心の底から愛していた者を失くし自暴自棄になる悲しみを」
「魔物もそうだと言いたいのかい」
「普通の魔物ならそんな感情は芽生えない。彼女は特別な存在、妖精だからね。心を持つことだってありえないとは言えない」
「やけに詳しいじゃないか」
マオは寂しそうに笑う。彼とてこの事態は予想だにしないことだった。環海から妖精の存在は伝えられていたが会ったことはなかった。森が凍ったと聞いて慌てて確認しに来た。間一髪間に合ったことに内心安堵の息を零していた。だがそれらは察せられないように取り繕う。
疑念の眼差しをまっすぐ見返す。今の彼女を刺激してはいけない。けれどだからと言って冒険者を不当に扱うのも違う。なるべく穏便に済ませた方がどちらにとっても好ましいはずだ。
「……分かったよ」
「なっ、いいのか!?」
「考えてみろ。相手はこの森を凍らせたSランクの魔物だぞ。魔王が言うように自暴自棄になっていたとしても戦ったらこっちだって無事じゃねぇ。被害がこの森で収まるのなら喜ぶべきことだろう」
「だとしてもっ!」
「無駄に命を散らす方が無意味だよ。死にたきゃ勝手に死にな。誰にも迷惑が掛からない方法でな」
聡い冒険者の圧に屈し他の冒険者が口を噤む。実力と頭脳は必ずしも比例するとは限らない。言ってしまえば高い戦闘能力があれば誰でも高ランクになれるのだ。冒険者の主なクエストは魔物討伐だから。
反論の声はなくなり、マオに向き直る。
「手出しはしないが監視するという名目でギルドには報告する」
「ありがとう」
そうして冒険者は森から立ち去っていった。彼らの後ろ姿が完全に見えなくなってからマオは振り返る。彼女の視線はマオに向けられていた。
「妖精女王……また来るね」
それだけ伝えてマオも森から出た。誰も居なくなり、氷薔薇ノ王は再び目を閉じた。瞼の裏には大好きな少女が笑う姿が焼き付いていた。
マオは環海の力を借りて何とか炎赤石ノ王に会うことが出来た。彼にお願いして冷気を森の中だけに留めてもらった。ギルドも様子見することを受け入れ森から近いところに監視砦を設けた。
それから三年が経過した。森の氷が溶け、大樹が姿を消した。監視砦に駐屯していた冒険者が異変に気付き、すぐに森に調査に向かった。大樹のあった場所には開けた大地が広がっていた。そこには女の子の明るい声が響き渡っていた。
冒険者は目を疑った。小さな少女が氷薔薇ノ王に抱きついていた。そして魔物である氷薔薇ノ王は少女に笑みを向けていた。遠くからその様子を確認していた冒険者は静かにその場を後にした。ギルドには異常なしと伝達した。
しばらくして惑いの森は魔境になり、緑の魔女という新人魔女が住み始めた。監視砦の付近には家が建てられ、駐屯していた冒険者たちは年を理由に稼業を引退して住み始めた。不思議とそこにはワケありたちが集まってきた。人が増え建物が増え村と呼べるほどに大きくなった。
そこに住む人々は惑いの森と緑の魔女のことを知らされている。けれど彼らから緑の魔女に会いに行くことは一度としてなかった。
それから数十年が経過し、シアノスが村に訪れた。彼女に似た少女と手を繋いで楽しそうに笑っていた。それが氷薔薇ノ王だということは直感で分かった。調査隊に参加していた冒険者は二人の姿に涙を流した。あの日の決断は間違っていなかったと今なら自信を持って言える。彼女たちの幸せな姿を目にして胸のつかえが下りたからかそれから数週間して天に召されて逝った。元々歳を取っていていつ寿命が来てもおかしくなかった。老人たちは幸せな顔をして眠った。




