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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
112/127

凍る世界

 転移したシアノスはすぐに体を浮遊させる。転移場所の状況が分からないためロサを感知した位置を基準にはるか上空の方を指定して転移した。仮に近くに転移したとして、そこが地面や壁だった場合は生き埋めになるためだ。そうなれば腕の一本で済めば軽い方だろう。一歩間違えれば即死の綱渡りは死んでもごめんだ。それならと最も安全な空を選んだ。焦っていながらも頭は冷静だった。いや、焦っているからこそ冷静なのかもしれない。


 上空から辺りを見渡した。地上は火の海が広がっていた。建物はほとんどが壊れて見るも無惨な光景だ。半壊しているが見覚えのある建物が見えた。確か教会本部があのような見た目をしていた。ともすればここはアラストル大陸かと思考する。

 浮遊を解いてロサの魔力を探る。転移した場所の高度が高すぎて自由落下しながら察知する余裕があった。落ちていることに恐怖心は感じなかった。


「……見つけた」


 勢いを落とさず風で水平移動する。ロサの近く、足場が平らなところに目掛けて微調整する。地面が近付いたところで体を引っ張るようにして勢いを殺す。ほとんど直下で落ちていたようなものだったから反動が凄まじい。体への圧迫と衝撃で脳が揺られて意識が飛びそうになる。なんとか着地できたものの疲労が大きい。けれどそんなことは言ってる暇はない。


「ロサ!」


 砂埃が風に流れる。その先のロサの姿があった。声に反応して振り向かれる。彼女の元へ駆け寄ろうとしたシアノスの動きが止まる。交わる視線に嫌な予感が過ぎる。目を大きく見開いてフラフラともたつく足取りで距離を詰める。


「ロ、サ……」


 完全に視界がクリアになった。彼女の後ろにはソロモンが顔を歪めて嗤っている。けれどシアノスは彼女の他に意識がいかなかった。ただ一人を見つめて手を伸ばす。その人は虚ろな瞳をしていた。


「アハ、ハハ、ハハハハハハハハッ!! ちょうどいいところに来てくれたなァ緑の魔女。たった今、隷属が完了したところなんだァ。どォだァお前の愛しいお大事が他人のモノになった気分はよォ!!!」


 その声もシアノスには聞こえてない。何も考えられない。ただ彼女の元に行かなけばと、それだけが頭の中を占める。「ロサ」と頭の中で彼女の名前を何度も何度も反芻する。現実では呼吸が止まったような息苦しさを覚える。


「愛するご主人様(ヒメ)から殺されるのなら本望だよなァ?! あひゃひゃひゃ! さあ殺れェ!」


 醜い笑みで声を荒らげる男の命令に氷薔薇ノ王が手を上げる。一本の氷柱が勢いよくシアノスに向かう。


 シアノスは避けなかった。避けるという意思が存在しなかった。迫る氷柱が視界に入っても恐怖はなかった。シアノスにはロサしか見えていない。彼女のことしか頭になかった。

 氷柱がグサッと胸に突き刺さる。動きが止まり、刺さった場所から血が滲み出る。シアノスは手を伸ばしたまま後ろに倒れる。追い打ちをかけるように氷柱の雨がシアノスに降りかかる。串刺しになったシアノスはだらんと力無く腕が垂れ下がる。腕を伝う血がポタリと地面に落ちる。


半分しかない視界が空を映す。そこには当然ロサはいない。けれどシアノスの目にはロサの姿があった。彼女が泣いている。自分の名前を呼んで泣いている。泣かないでと言いたいのに声は出ない。涙を拭って上げたいのに腕に力が入らない。

 彼女の涙を見るのは三回目だ。一回目はシンシアだった時。二回目はフーコの毒を受け負った時。ああ、嫌だ。泣かないで欲しいというのは本心だ。けれど、泣いている姿は見たくないのにその涙でさえ美しいと思ってしまう。笑う顔が見たいのに自分のせいで涙を流す彼女を愛しいと感じてしまう。最低な己に嫌気が差す。どれも紛れのない本心だからこそ、救いようがない。


――ロサ


その呟きは音にならなかった。僅かに口が動くだけに終わった。口の端から血が流れる。そしてシアノスは瞼を閉ざした。


 ポタリ、ポタリと雫が落ちる。泣いていた。串刺しになったシアノスを前に棒立ちの氷薔薇ノ王が涙を流していた。動かない体の中でロサが必死に手を伸ばす。「シア!」と叫ぶ声も彼女の中に押し閉じ込めらる。手も足も声も出ない。それどころか愛しい人(シア)をこの手で殺めてしまった。パキパキっと氷が割れる音がする。それはロサの心が壊れる音だった。




 途切れた意識の中、シアノスは暗闇にいた。その心は凪いでいて、すべてを理解しているかの如く真っ直ぐ歩きだす。しばらく歩くと暗闇の中に大きな氷の壁が現れた。霧が発生し足元に充満している。痛みを伴うほどの冷たさにも構わず足を進める。氷の壁の目の前まで来て一度見上げてから、迷いなく壁に手を当てた。氷が伝染し、シアノスの手を凍らせる。それでも手を動かさなかった。


「ロサ」


 語り掛けるように彼女の名前を声に出す。自分でも驚くほどに優しい響きだった。もう片方の手も壁に当てる。同じように手が凍りる。氷はどんどん侵食するように肌を凍らせていく。先に付いた手は腕にまで及んでいた。


「ロサ」


 手が凍ってもシアノスの心には焦りはなかった。それどころか顔には笑みが浮かび、穏やかな面持ちだった。額を壁に付ける。顔も手と同様に凍るかと思われたが、壁が音を立てて砕け散る。壁はなくなり、凍った両手は元通りになっていた。崩れた壁の先には小さな女の子の、小さな背中が見えた。膝を抱えて蹲る少女に近付き、後ろから抱きしめる。触れた瞬間、少女の肩が跳ねた。


「ロサ、わたしのヒメ……泣かないで」


 少女は泣いていた。心の奥底でずっと己を責めて、悔やみ続けて涙を流していた。あの日からずっと。


 シンシアが氷の茨に穿かれた時、彼女はまだ死んでいなかった。けれど出血は多く、か弱い人族の子供だった彼女にとってそれは致命傷だった。氷薔薇ノ王は少女を助ける方法を知らない。弱まっていく魔力をただ見ていることしか出来なかった。


「シア……シア!!」


 シンシアの顔に氷薔薇ノ王の涙が落ちる。少女はその涙を美しいと思った。それと同時に泣いている彼女の顔は見たくないと思った。ツラくて苦しそう。そんな顔じゃなくて笑って欲しい。優しく見つめてくれる瞳が好きだった。

 どうしてだろう。視界がぼやけていく。もっとヒメを見ていたいのに顔が見えなくなっていく。自分の名を呼ぶ声が遠くなっていく。眠たくないのに瞼が下がってくる。まだヒメと話したいことがいっぱいある。もっと遊びたい。なのに、体が言うことを聞いてくれない。


初めて会ってからずっと考えていた。名前がないと言っていたから優しくしてくれた彼女のためにつけて上げようと思った。ずっと考え続けて、今ようやくぴったりの名前が思い浮かんだ。


「ヒメのなまえ、ロサ……」

「っ……ああ、嬉しいぞシア。良い名じゃ。もっとわらわの名前を呼んで……シア?」


 頬に添えられた小さな手の力が無くなった。美しい瞳が瞼を落とされて見えなくなった。何度呼んでも返事はない。もう一度瞼が上がることはなかった。

氷薔薇ノ王の涙が少女の顔に落ちる。眠った彼女の顔は微笑んでいた。幸せそうな顔をしていた。氷薔薇ノ王は強く歯を食いしばる。


「シア、すまない。わらわのせいでシアが……すまない。それでも、シアを失いとうないんじゃ。身勝手なわらわを許してくれ。それでもどうか、わらわを嫌わないでくれ」


 氷薔薇ノ王の足元が凍っていく。


「わらわはシアが好きじゃ。シアもわらわを好きじゃと言うてくれたな」


 氷は広がり森を飲み込みんでいく。


「シアとの時間は不思議な感覚がしておったが、これを幸せと呼ぶのじゃろうな。……わらわに愛を教えて一人で逃げるなぞ許さん」


 氷の世界の中心に大きな大樹が顕現する。


「シア、わらわと共に生き(堕ち)てくれ。わらわを置いてどこにも行ってはならん。わらわはもう、シアのいない世界など耐えられんのじゃ。シア、シア、これからもずっと……わらわを愛し続けて(嫌わないで)くれ」


 大樹が揺れる。氷の葉は光に反射して煌めく。


「我ロサの名に於いて汝シアの魂を捧げよ。我が身朽ちるまで侍り給え。我が命尽きるまで従い給え。永久凍土に囚われ、時を刻め」


 少女の体が青白い光に包まれ胸に青い薔薇の紋様が刻まれる。全身を絡み付くように茨の模様が伸びる。氷薔薇ノ王は少女を抱いて立ち上がる。一瞥してから少女を大樹の中に取り込んだ。



 記憶がシアノスの頭に流れる。記憶と同時にロサの感情も一緒に流れ込む。深い後悔と切なる願い。彼女はずっと謝り続けている。シアノスの身体はロサによって今なお作り替えられている。人間を辞めさせて化物へと変貌させている。それでもなお、シアノスに嫌われることを恐れ愛を求める。傲慢で横暴で脆弱な(ヒメ)


「……ヒメに会った時、一つだけ後悔したことがあるの」


 ロサが勢いよく振り返る。怯えた目と視線が合う。ポロポロと涙する彼女をそれでも愛しいと思う。口が開閉して、けれど声が出ない。怖い嫌だと恐れる彼女の手を取る。


「わたしは人間だからヒメとずっと一緒にいられない。ヒメを一人にするのは嫌だと悔やんだ」


 彼女の手を誘導して自分の頬に添えさせる。震えている手に擦り寄って唇を落とす。


「ねえ、ロサ。ロサだって気付いているでしょう。ロサの想いがわたしに流れ込むようにロサにもわたしの想いが伝わっているでしょう。今まで一度だってわたしがロサを恨んだことはないって分かっているでしょう?」

「シア……わらわは」

「わたしが喜んでいることも伝わっているわよね。ロサはわたしに愛を乞うのに、わたしの言葉は信じられない?」

「違う!」

「なら信じてよ。わたしはロサといられるのなら人間であることに未練はないわ。それとも化物のわたしはイヤ?」

「シアはシアじゃ。姿形など関係ない!」

「うん。わたしはロサのもので、ロサはわたしのものよ。あなたとなら喜んで地獄にだって堕ちるわ。だからロサ、わたしの愛を受け止めて(疑わないで)


 シアノスはロサにキスをする。唇に涙に頬に鼻に目に額に、顔中に唇を落とす。涙が止まって呆けてる彼女に微笑んで、もう一度口と口を合わせる。


「行こうロサ。わたしたちの邪魔をする者すべてを壊してやりましょう」

「うむ、わらわとシアが揃えば最強じゃ」


 二人は額を合わせて笑いあった。

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