呪念の闇
大迷宮は迷宮とは違う。迷宮の核はないし、魔力の循環はない。地上と同じ原理をしている。そしてそこは魔境だった。かつて大陸の地下には国が存在していた。地上と同面積の地底空間には壮大な建造物が連なっていた。それは地上の技術を凌駕する程の荘厳な造りだった。地上と地底は分け隔たれていた。地上に住む人々は地下に空間が広がっていることも素晴らしい建造物があることも知らない。それは地底に住む人々も同じであった。
地底には今無きドワーフ族が暮らし住んでいた。背丈は低く丸みを帯びている。それでも筋肉逞しく力が強い。反して手先は器用で細かい技巧を有している。建造物を始め、武器や家具、衣服にアクセサリーとなんでも作ることが出来る。神の遺物は彼らが創ったものだった。
しかし地底は崩壊した。マオルガナスとレアの結界の衝突により大陸は分断された。それに伴い地下も分裂して大半が海の藻屑となった。
大迷宮は二層に分かれている。縦にも横にも無数に複雑に通路が入り乱れる文字通り迷宮の一層。そして旧地底の残骸である遺跡の二層。
「右、左上、右行ってすぐ左後ろ、二つ目の穴を落ちて」
シアノスの道案内に従ってマオが大迷宮内を駆け抜ける。道中の魔物は軒並みマオによって踏み潰される。魔力の威嚇によって潜む魔物は多いけれど好戦的な魔物がいないわけではない。そういった魔物はマオが容赦なく踏み潰していた。
マオは大迷宮の魔境のヌシとだけ面識がなかった。何度か訪ねたことはあるが二層目に辿り着けることすら出来なかった。他のオリジナルとも面識はなく、その姿は不明なままだった。渾名を泥犁と呼んだ。
恐らくというより十中八九、泥犁はマオを嫌っているだろう。彼の箱庭を破壊した元凶なのだから。環海からもこっぴどく怒られたが泥犁はその比じゃないだろう。それでもマオは会いたかった。罵られても拒絶されても会って謝りたかった。過去は覆せないし不本意だとしてもマオが引き起こしたことは確かだ。許されたいとは思っていない。ただどんな感情でも受け止めるべきだと思った。
シアノスの道案内のお陰で初めて二層に降り立つことが出来た。そこは一層と違いとても広い空間だった。外壁以外に壁はなく、崩落した遺跡が淋しく残る廃れた街。
ゆったりとだが響く手拍子が耳に届く。シアノスはマオから降りて音の方に目を向ける。二人の前にはジェスターともう一人、その後ろには澱んだ闇溜りのような物体がいた。
「イーヒッヒッヒ! 地獄へヨウコソ。歓迎しよう。シアノス、マオ」
『ジェスター!』
「ンー獣の言葉は分かりカネます。人間の言語を喋ってクレナイと」
「熱烈な愛の告白ですよボス。初めまして獣の魔女様と緑の魔女様。私ソロモンと申します。以後、お見知り置きを」
前に出て恭しくお辞儀をする。顔を上げた際の目付きが鋭く観察しているようだった。
「僭越ながら前戯をご用意させて頂きました。ご紹介致します。こちらは獣の魔女様が探し求めていた泥犁、盲喰でございます」
マオの目が見開かれる。唸るのをやめてそれを凝視する。ソロモンが差したのは背後にいた闇溜りだった。ボトリッボトリと膿のようなものが落ちる。とても魔物とは思えなかった。
『何をした!』
「少々手を加えただけにございます。元々深い怨念を抱えておりましたのでそこに人間どもの卑しき想いを送り込ませて頂きました」
「想い?」
「清い思念は天に登り、醜い思念は地に沈む。溜まり溜まった邪念は闇を生む。闇は呪いとなって精神を蝕む。盲喰は闇を吸収した救世主です。彼の献身的な供犠によって愚かな人間どもの邪悪なる願いは昇華されたのです」
「ふぅん」
「おや、緑の魔女様はご興味がおありでないご様子」
「獣の、違えないで」
『分かってる』
「お〜ぅ、左様でございますか。私も振られてしまいましたボス。さて、気を取り直して前戯を催させて頂きます」
パチンッと頭上に掲げた手で指を鳴らす。すると周りの遺跡から無数の蟲が這い出てきた。白く小さい蜘蛛のような見た目。ちょうどアラクネの幼虫に似ている。だがしかし蜘蛛ではなかった。楕円の体に不規則に付いた眼と幾千の骨に無毛の脚。夥しい数で見渡す限り一面が白と赤で埋め尽くされている。
「ロサ!」
「うむ、任されよ」
シアノスの背後に氷薔薇ノ王が顕現する。それと同時に空間が凍りつく。盲喰の幼虫ごと地面を壁を凍らせた。
次いで氷の礫を放つ。しかしジェスターはもちろんのこと、ソロモンも盲喰も躱した。ジェスターは遠くに避難する。彼からは攻撃の意思は見られず、どうやら観戦する様子だった。盲喰は雛を襲った氷薔薇ノ王を狙い、マオはソロモンと対峙する。
闇溜りの合間から垣間見える姿は幼虫よりも無数の眼と無数の脚が生えていた。何より素早かった。縦横無尽に動き回り、攻撃の機を伺っている。
「ムダじゃ」
頭上に大きな氷の薔薇が作られる。花びらが一枚ずつ落ちていく。シアノスとロサを包むように舞う花びらは亀裂が入り砕ける。そして、全方位に放出される。近くにいるほど密度が高く隙間がない。躱し切れずに盲喰に氷が当たる。いや、ソロモンを庇ってわざと食らった。
「いやはや恐ろしいですね。肉壁がなければ凍っていたところでしょう」
「シア」
「ええ。あなたが魔物を服従させているのね」
「おや、バレてしまわれましたか。ご明察です。私めが盲喰や炎赤石ノ王を従えさせていただいております」
『お前がっ!』
「待て番犬っ!」
ロサが止めるのも構わずマオがソロモンに向かっていく。そして鋭いで引き裂いた。
ニヤリと笑う。ソロモンはわざと攻撃を受けた。マオの鉤爪はソロモンの体に固定されたかのように動かない。そのままソロモンは手を伸ばし、マオの腕を彩るピンクの紐を切った。ロサが氷の礫を飛ばすも盲喰によって阻まれる。盲喰は完全にソロモンの盾となっていた。
「マオルガナスよ、我が血と魔力を以て我が意に従え」
それはシアノスの契約と同じだった。
本来、魔物を仕えるなどという魔術は存在しない。人間が魔物と心を通わすなど不可能だからだ。使役とは正しくは隷属。自我を縛り強制的に従わせる横暴。
シアノスは仲間として契約を交わしている。だから親和性の高かった植物系統の魔物としか契約を結ぶことが出来なかった。
ソロモンは道具として無理やり従わせる。自分より格下の魔物にしか使えないそれを弱い心に付け込んで強引に服従させた。
「燃やしてしまいなさい」
ソロモンの命に従いマオルガナスはシアノスに向かって炎を吹く。ロサが氷の壁を張って防ぐ。二体の間で息途絶えていた盲喰はマオルガナスの炎によって燼滅した。
血塗れのソロモンは両手を広げて高笑いする。マオルガナスを服従させて気分が良くなっているようだ。
「お次はあなたの番です氷薔薇ノ王」
「あ゛?」
ソロモンの言葉にシアノスがブチ切れた。




