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緑の魔女  作者: 猫蓮
本編
11/127

聖女は目覚める

 家に帰ってからシアノスはいつも以上に研究に没頭した。それはもう全てを忘れるがの如く、頭の中を研究のことで埋め尽くす。

 研究することは楽しい。それもそのはず、だって自分が知りたいこと試したいことをやっているだけでいいのだから。何もかも忘れて目の前のことに集中していられる。シアノスは生粋の研究者気質だ。故に、時間も寝食も大事なことですらも忘れてしまうのがたまにキズなのだが……。


 あれから何時間経ったのか。髪を引かれてシアノスは顔を上げる。寝起きのように虚空を見つめたシアノスは気だるげに窓を見る。外は明るい。研究室には陽の光が入らないように設計してあるから、眩しいと感じることはない。外の様子からして早朝の時間帯か。


「珍しいことをするのね。わたしの気を引いて何がある……あ。」


 そこで思い出した。この家にいるもう一人の存在を。何時間もしくは何日放置していたのだろうか。もしかしたら会った時より衰弱しているかも知れない。それは、不味いな。依頼として引き受けた以上、完了するまでは死なせるわけにはいかない。


「…………まあ、大丈夫でしょう。神聖力が強いらしいししぶといでしょう」


 そんな希望的願望を抱きながら診察室に入る。すると驚くことに、寝ているハズのキラは上体を起こしていた。目を瞬かせて辺りを静かに見渡している。概ね自分の置かれている状況を理解できていないのだろう。困った顔をしているのは目に見えて分かる。


「……! あ、ェホッケホッ」


 シアノスを視界に入れたキラは声を掛けようとしたのだろうが口から出てきたのは掠れた咽だった。長時間にわたる睡眠状態の弊害だ。声を発するだけでも辛いだろう。咽るキラにシアノスはドアの前で固まっていた。いや、驚いていた。まさかもう目が覚めているとは。しかも身体を動かせるほどに回復しているとは露にも思っていなかった。

 人は三日と動かずいれば筋肉が膠着して身体の自由が効かなくなる。それは人体の構造上至極自然のことだ。故に目が覚めることは仮にありえたとしても動くまでに至るとは到底思えない。これが神聖力の力故かは分からないが、そうであれば凄まじい力だ。


「手は動くかしら」


 コクコクと頷いたのを見て、シアノスは魔術で水の塊を生成する。それをゆっくりと動かしてキラの前に持っていく。両手を合わせて手のひらの上に誘導して落とす。キラはそれを口に運び飲み干す。

 魔術で生成した水は決して飲み水として適しているものではない。だからと言って飲めなくもない。所詮水は水でしかない。飲んで体調を崩すわけでもないので推奨しないが問題はない。


「ぁ、あ、コホン。お水を頂きありがとうございます。ええと、申し訳ありませんがここはどこでしょうか?」

「ここはわたしの家よ。あなた、どこまで覚えている」

「どこまで?」

「あなたを拾ったのは王宮だったわ」

「王宮……確か、パーティーにご招待されていて、すみません、思い出せません」

「そう、まあそうでしょうね」

「あの、もしかして私は何かやってしまいましたか?」

「安心しなさい、やらかしたのはあなたじゃないわ」


 身体の限界を迎えていたキラはどうやらあの日の記憶はないようだ。立ち上がれない状態で熱もあったので仕方のないことだろう。表情から嘘をついてる様子はない。診察しながら事の顛末をかいつまんで伝える。


「それでは、私は聖女ではなくなったのですね」

「そういう事になるわね。教会のルールは知らないから正確なことは分からないけれど、一般的に考えれば籍を外すということは聖女の資格の失うことと同意と捉えてもいいでしょう。今のあなたはただの一般人よ。今はわたしの患者として置いているけれど、体力が戻り次第ここから出て行ってもらうからそのつもりで」

「分かりました。助けて頂いただけでも感謝してもしきれません。なにか、お礼を……」

「礼ならあなたの体調が戻ってからもらうから。今は回復することだけを意識していなさい」

「は、い……」


 キラの身体が揺れる。目も虚ろいで声も小さくなっていく。体力の限界だ。シアノスが頭を軽く押すとそのままベッドに倒れていく。寝息を立てたキラの表情は健やかなものだった。シアノスは無造作にシーツを掛けてやり部屋を出る。


 出会った時の状態を考えれば長期戦になると思っていたけど、これなら案外早く済みそうだ。シアノスは小さくガッツポーズをすると再び研究室に籠った。

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