母子の邂逅
目を覚ましたキラは上体を起こす。冷たい石の上に横たわっていた。彼に眠った記憶はない。思い出そうとすると頭が痛む。
「おはよう」
「あなたは……?」
「ソーティリジュスよ。会いたかったわキラ」
シンプルな白いワンピースを着た女性が座ってこちらを見ていた。緩くウェーブのある桃色の髪。伏し目から覗く桃色の瞳。その女性は泣きそうな顔をしてキラを見ていた。
「おかあ、さん?」
呟いた声は震えていた。キラは両親を知らない。存在してないかの如く情報が一切なかった。けれど目の前の女性が母親だと頭の中で声が響く。
ソーティリジュスは痛みを堪えるような表情を浮かべてから静かに目を閉じ、頷いた。望まない真実を受け入れるように。
「どうぞ座って。あまり、時間はないけれど話をしましょうか」
椅子に座るよう手で促す。質素な部屋にしては不釣り合いなきれいな机と椅子だった。小さい部屋には机が一つと椅子が二脚、それと出入口の扉しかなかった。
キラは誘われるがまま席に座る。母だという人をまじまじと見る。
「まずは謝るわ。強引に連れ出してしまってごめんなさい。あなたとは二人きりで話がしたかったの。これから話すことは決して誰にも……いいえ、あなたが真に信頼出来る人にしか話さない方がいいでしょう。本当は墓場までの秘密にしておきたかったけれど、そうも言っていられる状況では無くなってしまいました。あなたがあの人の傀儡になってはすべてが終わってしまいます。これから話すのはあなたの父、ジェスターについてです」
ソーティリジュスとジェスターは同じ村で生まれ育った。歳の近かった二人はとても仲が良かった。どこへ行くにも何をするにも二人一緒だった。
ジェスターには魔法の才があった。気立てのいい彼は村の人気者だった。村のみんなから慕われていた。それでも彼はソーティリジュスの隣にいた。
ジェスターはある事件を境に変わってしまった。ソーティリジュスが破落戸に拉致られた。たまたまその日は二人が離れていた。大人の手伝いをしているジェスターを労わろうと木の実を渡すことを考えた。ソーティリジュスは一人で森に入って行った。桃色の髪と瞳は珍しく、とても目を引いた。さらに彼女の容姿も悪くなかった。これほどの見目なら貴族たちも喜んで高額で買うだろうと。幸い、大事になる前に通りがかりの冒険者によって助けられて事なきをえた。彼女は冒険者によって安全に村まで送り届けてもらった。
誘拐を知ったジェスターは酷く乱心した。彼はソーティリジュスが誘拐されたことを知らなかったのだ。彼女が冒険者と村に来てそこで初めて誘拐されていたことを知った。その時のジェスターはとても乱心した。そしてその夜、ジェスターはソーティリジュスを誘拐した破落戸を殺した。冒険者が憲兵に突き出す前に自らの手で始末した。
その日から歯車は少しずつ狂っていた。ジェスターはソーティリジュスから離れなくなった。最初は微笑ましく見ていた村人たちもだんだんと不審に感じ始めた。二人を離そうとすればジェスターは噛み付くようになった。まるでご主人様を守る狂犬のような様相に畏怖を抱いた。人が変わったような彼を不気味に思い距離を取る。二人が孤立するのは時間の問題だった。
ジェスターはその状況に満足していた。これで彼女を隔てようとする邪魔者は居なくなった。彼女を独占出来る。けれどソーティリジュスの体調は日に日に悪くなっていった。彼女は環境の変化に耐えられなかった。心を痛め、精神に傷を負い、体調にも影響が及んだ。ジェスターは村人を全員殺して村に火をつけた。魔物の仕業だと言って彼女を連れ出して村から逃げた。
ジェスターの世界には彼女しかいなかった。彼女が傍にいるだけで良かった。けれどある日、ソーティリジュスは突然彼の前から姿を消した。
「どうして」
「私は先見のブレッシーなの。未来を視て、あの人を恐れて逃げてしまった」
ソーティリジュスは知っていた。破落戸を殺したこと。村のみんなを殺して火をつけたこと。自分に言い寄ってきた人を殺した連続殺人鬼だってことも。すべて知った上で傍にいた。彼女も彼のことが好きだったから。愛していたから目を瞑った。見て見ぬフリをして一緒にいた。恐怖より愛が勝った。
けれど彼女はある未来が視えてしまった。それは自分の死に際だった。ジェスターが笑いながら刺した。そして「いつまでも一緒だよ」と言って自害した。怖かった。自分の死を視て恐怖が勝った。このまま一緒にいれば彼に殺される。怖くて、死にたくなくて、彼から逃げた。恐怖で何も考えれなくなって、着の身着のまま逃げ出した。
必死に逃げたソーティリジュスは一人細々と働いて過ごした。彼のことを忘れるかのように馬車馬の如く働いた。一人になってからは未来を視ることがなかった。それをいいことに忙しさにかまけて現実逃避していた。数年経ったある日、前触れもなくジェスターは目の前に現れた。魔女になってやって来た。
「迎えにキタよジュス。さあボクと一緒にクラソう」
差し出された手を彼女は取った。体が勝手に動いて気付いたら手を重ねていた。そうでなくても、拒絶したら殺されていたのかもしれないけれど。それほど彼は恍惚と、はたまた狂気を感じる眼をしていた。
魔女になったジェスターは丸くなっていた。話し方や態度は記憶にある彼とはかけ離れていたけど危険な感じがなくなっていた。あれから未来を視ていないこともあって、安心していた。弟子が出来て、彼との子を授かって、これから幸せな日々が続くのだと思った。その願いを嘲笑うかのようにまた未来が視えた。
「あの人はあなたの力を使って、世界を壊していたの」
「私、を?」
「神聖力は祈りによる神の奇跡。教会によって神聖力は傷を癒すものという固定概念を植え付けられているだけで他の用途もあるのよ。結界もその一つ。魔力がそうであるように神聖力もまた、使い手次第で善にも悪にもなる。人々を癒し守る力もあれば、反対に壊し殺す力もある。そして、あなたは膨大な神聖力を持っている。ブレッシーである神聖力は魔力に優る力なの。この世界にあなたを止めれる者はいないわ」
「……」
「あなたの存在を知られれば未来と同じになると思ったわ。だからロロエ、私の友だちに協力してもらったの。彼にバレないように産んで遠くに隠した。魔女と関係のないところですくすくと育つようにと。……あなたを殺めることが一番の方法だと分かっていたわ。けれど出来なかった。身勝手でごめんなさい。辛い思いをさせると分かっていても私は我が子が生きることを望みました。一目見ることが出来ないと分かっていても、それでもあの人との子が嬉しかった」
とうとう泣き崩れてしまった。立ち上がろうとしたキラは、けれど手で制される。強い瞳がキラを見つめる。
「あの人は精神を操る魔術を得意とするわ。そして神の遺物によって死んだ人間を操る力を得てしまった。私はもう、死んでいるの」
「え……」
「今のあなたに魔術は効かない。けれど先手を打たれてしまっていた。あなたはすでに心を弄られてしまっている。あなたの心はとても歪な状態なの。気付いて、ないわよね。無意識に自分に対して神聖力を行使しているわ。辛いと苦しいと思ったことはある?」
そう問われてキラは記憶を辿る。大変だと思ったことはある。気落ちしたこともある。疲れてヘトヘトになったこともある。けれど、どれだけ思い返してみても胸が張り裂けそうな絶望感を味わったことはなかった。それは自分の人生が平凡で、絶望とは縁のない人生だと思っていた。実際は受け入れられない現実はすべて神聖力が消していた。イーシス国の孤児院で起きた時のことも、人を殺してしまった時のことも。
「会って確信したわ。あなたは親に逆らうことは出来ない。意思とは無関係に体が動いている。私の言動に素直に従うのもそれが原因よ」
「意思と関係なく……」
頭では理解しているが現実味がない。他人事のように聞こえる。けれど思い当たる節はあった。母親だと本能で気付いた。座ってと言われて疑念は抱かなかった。手で制されて体が動くのをやめた。
「あなたに立ち向かう覚悟があるのならここから出てもいいわ。現実を受け入れて、それでも大切な人を守りたいと固い意思があるならその力で殻を破りなさい。そうでなければしばらくはここに篭っていて。ここならば巻き込まれることはないだろうから。先見は無限に広がる未来から起こりうる可能性が最も高い光景を映し出す。私の死は変えることが出来なかった。けれど、あなたの未来はまだ定まっていないわ」
「お母さん……」
「愛しているわキラ。最期にあなたに会えて良かった」
ソーティリジュスはキラに抱きつく。彼女は冷たい体をしていた。それはキラがよく知る人と同じで、不意に彼女の姿が思い浮かんだ。体温のない冷たい肌。それでも温もりは感じられる。抱き締め返したキラは神聖力を行使する。腕の中の存在が消えていく。残ったのは彼女が抱きしめる前に首に掛けてくれたペンダントだけだった。美しいパパラチアサファイアが嵌め込まれペンダント。それは彼女の瞳と同じ色をしていた。
キラはペンダントを両手で握って神に祈る。彼女の冥福と感謝を込めた。零れた涙は手の上に落ちて流れる。祈り終わったタイミングで、勢いよく扉が開かれた。そこには慌てた様子のガルロの姿があった。目が合った瞬間、飛びついてきた。
「キラー!」
「ガルロ!」
突進とも取れる勢いに、キラは難なく受け止める。ギューッと力いっぱい抱き着かれてキラはガルロの頭を撫でる。グリグリとお腹に頭を擦り付けられる。随分心配を掛けさせてしまったみたいだ。ガルロの気が済むまで好きにさせた。
ガルロが突然、顔を離して天井を向いた。その顔は驚いたように目を大きく開いていた。上でなにかあったのだと察しが付いた。
「行こう、ガルロ」
ガルロは少し迷ったあと首を縦に振る。キラは顔を引き締めてガルロと共に外に出た。そして目にした光景に目を瞠る。
「ッ、シアノスさん!!」
氷柱に体を貫かれているシアノスの姿があった。駆け出そうとするキラをガルロとカイザーエンヴァが押し留める。シアノスの前には氷薔薇ノ王がいた。彼女の周りにはシアノスに突き刺さっているのと同じ氷柱が何本も浮かんでいる。手を振り下ろされるのと同時に氷柱がシアノスに向かう。手を伸ばした先でシアノスの体に氷柱が突き刺さっていく。苦痛を漏らし、口から血を吐く。重力に従って氷柱に血が伝う。串刺しになったシアノスは動かなかった。
視界からシアノスが消えた。代わりに憤怒を露わにした男が立っていた。顔に色彩な模様を入れた男が目の前に現れた。彼はキラに向かって殺気立っていた。
「ジュスを……ヨクも!!!」




