福音の奏歌
彩りを失くし、深い絶望感に苛まれた。残った彼女へのプレゼントを見るだけで胸が張り裂けそうになって息をするのも苦しくなった。けれど捨てるという選択は出来なかった。苦しむと分かっていても毎日眺めずにはいられなかった。一年という月日は長いようでとても短かった。濃いと感じていた二人の時間も過ぎれば呆気ないものに変換される。
現実を捨てて過去に浸った。そこには彼女がいる。嬉しそうに微笑んでいる。目を開けなければずっと彼女と一緒にいられる。ならば目を覚ます必要はないのではないか。その想いに反映されたのかしばらくディルゴは目を覚まさなかった。何日も静かに眠っていた。
「起きんかバカモンっ!」
昏睡して数日が経った頃、強制的に叩き起こされた。寝起きは最悪だった。
「なんだ、あんたか……」
「いつまで眠りこけるつもりだ。めそめそめそめそと不甲斐ない。それでも男か!」
魔術を教えてくれた師匠だった。大方ギルド経由で話が伝達されたのだろう。彼にとってははた迷惑なことだった。何年ぶりかの再会は記憶にあるよりだいぶ老けていた。よぼよぼのくせにまだまだ元気だった。
「生きてたのか」
「勝手に殺すな! ……まったく、ガキのお守りは腰にくるわい」
「じゃあ放っておいてくれ」
顔を背けるとまた叩かれた。昔から熱血気質で事あるごとに拳骨を落とすのが痛くて嫌いだった。痛みで頭を押さえるがふと思い至る。あまり痛くなかった。改めて師匠を観察すると、腕は枝のように細くなっているし補助杖も震えている。呼気が大きいのは怒っているせいかと思ったがだいぶツラい印象を見受けられた。
「なあ師匠……死ぬのか」
「……もう年だからな。誰だろうと寿命には抗えん」
師匠の顔は笑っていた。死が迫ってきているというのに笑っていた。
「怖く、ないのか」
「怖いさ、当たり前だろう。だがな、死を恐れてばかりいるのは性に合わん。長くないと分かっておるからこそ、今できることをするんだ。最後まで後悔して終わりたくないからな」
皺だらけの顔で豪快に笑う。その姿が悔しいことにカッコイイと思ってしまった。羨ましいと思ってしまった。
「……もう大丈夫そうだな」
「ああ、ありがとう……師匠」
声を上げて笑い出す。師匠と呼んだのは初めてだった。気恥ずかしいけど悪い気分ではなかった。
ディルゴは再び彼女を探し始めた。現実逃避することは止めた。師匠のお陰というのは癪だが決心がついた。姿を消しただけで死んだと決まったわけではない。この眼で確かめるまで彼女を諦めないと決めた。
魔女になったのはその方が動きやすいから。ただの冒険者でいるよりは情報が集めやすい。案の定、ヘクセでエルフ族についての情報が収集できた。それは冒険者では決して得ることは出来なかっただろう。好々爺を振る舞う裏では些細な情報を元に必死に探し回った。
ポンに会ったのは偶然だった。依頼の帰りに微かな歌声が聴こえてきて、その声に誘われた。その先で彼女に会った。懐かしくも昔と変わらない姿。けれどその背中は切りつけられていて息はしていない。間に合わなかった。また、愛した女性が死んでしまった。けれどこれまでと違うことがあった。
愛した女性と瓜二つの少女。違うのは耳の長さと瞳の彩色だけだった。彼女はハーフエルフだった。一目で自分の娘だと直感した。彼女の頭を抱く少女は涙を流しながら笑って歌っていた。壊れたようにただひたすら歌っていた。深い悲しみに囚われていた。周りの状況にも気付かないぐらい深く。
気付けば手を差し伸べていた。見上げた瞳と目が合う。虹色に煌めく宝石のような瞳が向けられる。悲しみに濡れていてもきれいだった。幸せそうに笑ってくれたらどれほど美しくなるのだろうかと思った。笑顔を見たいと欲が顔を出す。
虫の良い話だと自分を卑下した。探し求めていた女性は死んでいて、けれど子供が出来ていた。こんなタイミングになって何を今更と自分を嘲笑った。今さらどうして父親面出来ようか。笑顔が見たいだなんて強欲だ。今まで存在すら知らずにいたのに。
「儂と来るか?」
それでも差し伸べた手を下げることが出来なかった。真っ直ぐ見つめられる瞳から目を離すことは出来なかった。小さな手が重ねられる。折れそうなくらい細く小さな手だった。安心したのか少女は気を失ってしまった。少女を抱き締めて彼女を見る。愛した女性はとても幸せなそうな顔をしていた。
あの頃から随分時が過ぎた。ディルゴは年を取り、老いてしまった。対する彼女はあの頃の姿のまま。これが長寿のエルフ族。悲しい。ようやく見つけれたのに、あなたは生きていない。けれど姿を消した時のような酷く心を閉ざすことはなかった。それは腕に抱く小さな生命がいるからなのかもしれない。
「結局渡せずじまいになってしまったな」
ずっと持ち続けていたプレゼントを見つめる。死んだ彼女に渡すのは違う気がして再びポケットにしまった。
ポンには真実を話さないことにした。すべてを閉じ込めて押し隠して他人として接することにした。ただの老人として幼い少女を見守ろうと決めたのだった。年老いた人族と半分とはいえエルフ族だ。どんなに願っても寿命だけはどうしようもない。墓場まで隠し通そう。話してしまえば関係が変わってしまう気がした。なにより、無為にポンを悲しませるのは本意ではない。知らない方が幸せなこともある。
「そんな、おじい……パパ」
「今まで通りおじいちゃんで良い」
「ごめんなさい。わたし……おじいちゃんに、酷いことを」
「構わんよ。守れなかったのは本当じゃからな。結局、儂は最後まで見つけてやることが出来なかったんじゃからの」
そう言ったディルゴは悲しい瞳をしていた。悲しんでいたのはポンだけでは無かった。勝手な思い違いをして傷付けたのに、笑って許す彼が優しくて切ない。
(ママの言った通りだ。強くて優しくて、悲しい人)
ポンは泣きたくなった。ずっと見守ってくれていた。罪悪感を抱えながらも察せられないように隠して振る舞って、どれほど心を痛めてきたのだろうか。どれほど一人で苦しんできたのだろうか。初めて知った心の内はとても深く悲しいものだった。それでも大丈夫だと笑う彼に報いたい。どうすれば恩返しができるだろうか。
「おじいちゃん……わたしはおじいちゃんから離れないよ。おじいちゃんがわたしを見失わないように輝き続けるから、だからずっと見守ってて」
「ああ……ああ、もちろんじゃ。命尽きるその時までポンと共にいることを誓おう」
「うん、絶対……絶対、約束だよ」
涙を零すポンは、とても美しかった。初めて会った時とは比べ物にならないぐらいに成長した娘はどんどん母親に似てきている。虹色鮮やかな宝石のような瞳が涙に反射してキラキラと輝いている。それは彼女が目指す一等星の輝きに思えた。
小指と小指を絡ませて、二人笑って誓い合う。二人を祝福するように、優しい風が吹き抜ける。優しい彼女を思わせる、暖かな風だった。
「そうじゃポン、これを貰ってくれんかの」
「これ、って」
ディルゴがポンに小さな箱を手渡す。箱を開けるとスフェーンの宝石がはめ込まれたピアスが入っていた。幾重もの色が反射して輝くそれは母の瞳とよく似ていた。
「渡すことは叶わなかったからの」
「でもこれ、すっごく貴重ものなんじゃ……!」
スフェーンは幻の宝石と言われているとても稀有な宝石だった。市場に出ることは先ずない。貴族や宝石商ですらも一生お目にかかれない可能性の方がはるかに高いほどだ。それを二つ。しかもそっくりなほど母の瞳によく似ていた。
このピアスから深い愛を感じられた。甘くて優しくて、寂しい愛が込められていた。ずっと肌身離さず持っていた。どんな思いで持っていたのだろう。どんな気持ちで見ていたのだろう。
箱を開けたまま固まっているポンにディルゴはピアスを手に取って着ける。両耳に揺れるスフェーンはポンの瞳に負けないぐらい煌めいている。
「とても良く似合っておる」
「〜〜ッうん、ありがとうおじいちゃん」
また溢れてきた涙を拭ってやる。二人の関係は変わらなかった。けれど心の持ちようは確かに変化した。それは二人にとって良い方向に。過去をなかったことには出来ない。やり直すことも出来ない。けれど未来はなんにでもなれる。
喧騒はまだ続いていた。元凶はヤマトだけど心を惑わしたのはポンの唄。歌うのを止めても巣くった闇は消えない。ポンは立ち上がってディルゴを見る。
「おじいちゃん、わたしの歌をみんなに届けよう。歌は争いの道具じゃない。みんなを笑顔と幸せにする魔法なの。わたしの歌はこんなものじゃないわ!」
「ほっほっほ、そうじゃとも。どれ、大陸中に響かせてやろうぞい」
ポンは一本杉の上で歌う。いつものように幸福を歌に込めて歌った。その歌はガイシェムル帝国だけに留まらなかった。ディルゴの起こした風に乗って果てのツェンフェンまで文字通り大陸全土に届いた。
二人は知らなかった。ポンの唄は通信魔道具によって他国にも及んでいたことを。各国で同じように騒乱が発生していたことを。ディルゴの景気づけだと行った行動は各地の悲劇を鎮静化させるに至ったことを。仮に知っていたとしてもやることは変わらなかっただろう。ポンは歌いディルゴが遠くまで届かせる。それが風の魔女とアイドルのやりたいことだから。




