哀と愛
「パパが……生きてる?」
震えるポンにヤマトがニコリと頷く。その瞼の裏で冷たく見下ろしていた。観察するような愉しむような侮るような色を孕んでいた。俯いているポンの表情は伺えない。それはポンも同じで、話しているヤマトがどんな表情をしているのか見えない。けれどもポンは気にしなかった。重要なのは話の内容で相手の心持ちではないのだから。
「今も生きているよ。キミもよく知る人族だ」
もったいぶった言い方にポンの鼓動は激しさを増す。今までの記憶を呼び覚ます。手がかりは何一つなかった。ポンは母と良く似ていた。父の面影は何一つなかった。
ヤマトは考える時間をたっぷりと与えてから口を開く。俯いている彼女に近付く。口角を上げてよく通る声で告げる。
「キミの父親はディルゴだ」
それは悪魔の囁きのような響きだった。ポンは限界まで目を瞠った。なんの言葉も出てことなかった。だってそんなのあんまりだ。真実なら、どうして彼は母を助けてくれなかったのか。どうしてポンに手を差し伸べたのか。これまで、一度だって父のような振る舞いを見せたことがない。
「本当に? キミは気付いていたんだろう。気付いて、見ないフリをしたんだ」
「ちが、知らない。わたしは、なにも……なにも、知らな」
「正直になりなよ。鳥籠に篭っていないで空を羽ばたきたいだろ? 自分の心に〈素直になれ〉」
気付いていた。時折、ディルゴは空を見上げていた。遠い目で記憶の中の景色を見ていた。その時の表情が似ていた。父を想う母の表情にとてもよく似ていた。
「ママ、パパはどんな人なの?」
「そうね……あの人は強くて優しくて、悲しい人よ。孤独で涙を流さず泣いていたの。見ているだけで胸が張り裂けそうになって気付いたら声を掛けていたわ」
そう言った母はとてもキレイに見えた。懐かしむような慈しむような瞳で遠くを眺めていた。
「おじいちゃん」
「……おお、ポンか。どうかしたか?」
「ぁ……う、ううん。なんでもない。いつまでもそこに居たら風邪ひくよ」
同じだった。自分を見つめる瞳が、全然違う二人の姿が重なった。
必死に押し込めた感情が溢れていく。閉じ込めた想いが顔を出す。心と身体が離れ離れになっていく。
「僕のお願い、聞いてくれるよね。〈歌え〉。愉快な哀の奏劇の、幕開けだ」
「おぬしか」
ディルゴの低く鋭い声にヤマトが嗤う。ゾクゾクと快楽の波が全身に走る。激怒している。凄まじい殺気がヤマトに突き刺さる。恍惚な表情を浮かべて息を吐く。
「ああ、いい! もっと、もっとだ。もっと僕に愛を」
「望み通り、殺してやろう」
「ぼくに攻撃は<当たらない>よ」
ディルゴが魔術を放つ。空の上では彼に敵う者はいない。なのに、軽佻なこの坊主は軽々と攻撃を躱す。風属性は認知しにくい。それをいとも容易く躱していく。サーカスのクラウンは相当腕が立つようだった。
「アハハ、ほらほら僕はここだよ」
「小癪な小僧が、ちょこまかと!」
ディルゴが竜巻を起こす。街への被害など知ったこっちゃなかった。何をしてでもヤマトを殺す。そのことだけが頭を占めていた。
なおも嗤い続けるヤマトはディルゴに急接近する。迎撃しようとするディルゴにニンマリと顔を歪める。
「〈跪け〉」
「――っ!」
空中にいたディルゴが急落下する。地面に窪みを作り、その中で這いつくばっていた。上から圧しつけられているような感覚に起き上がれない。
「魅了、傀儡か?」
「アハハ、いい眺め。僕の言葉に逆らうことは出来ないよ。〈自傷〉してよ」
ディルゴが魔術を発動する。そして己を傷付ける。ヤマトの声に従うように体が動く。風の刃が己を切り裂き、傷をつくる。全身から血を流すディルゴにヤマトは嬉しそうに嗤う。
「ハッ、図に乗るなよ小僧」
低い声で発せられた言葉には重みがあった。それは感覚か体感か。身が竦むような圧力を確かに感じた。ディルゴが立ち上がろうとしている。ヤマトの言葉はまだ健在で体を縛っている。それなのに老いた体を気力だけで立ち上がってみせた。ボロボロのくせにヤマトの声に反抗した。
ヤマトの頬に汗が伝う。その姿に恐怖を感じた。恐怖していることに気付いた瞬間、ヤマトは憤怒した。怖い、恐ろしい、そんな感情あってはならない。自分は選ばれた存在なんだ。あんな老いぼれなんかに負けるなんてことは有り得ない。ヤマトは怒りをぶつけるように命令する。
「〈死ね〉!!」
ディルゴは声に従わない。焦るヤマトとは反対に、ディルゴは落ち着き払っていた。冷静さを取り戻していた。
「儂は見下されるのが嫌いなんじゃ」
ディルゴが宙に浮く。上空に登っていき地上を見下ろす。
「年寄りの扱いには気を付けよ。痛い目に合うからの」
ディルゴは目をカッと見開くと詠唱を唱える。静かに紡がれる声は凪いた心の表れ。ヤマトが怒鳴る声も街の喧騒もポンの歌声も、天上の彼には届かない。
両手を強く叩く。高く乾いた音が響き渡る。その瞬間、音が止んだ。一瞬の静寂が訪れた。それはディルゴが空間を支配したと同義だった。
ディルゴは風属性のエキスパート。風を操り、空を支配し、天に立つ男。声は音の振動により伝達する。大気を震わせ風に乗せて伝える手段。ならば空気を遮断させればいいだけのこと。声すら通らない空間にしてしまえばヤマトの能力は意味を成さない。
「墜ちろ」
その言葉と同時に上空に大きな魔術陣が浮かび上がる。そして魔術陣の直下に超圧力がかかる。己すらも巻き込んだ超高位魔術。それは大地すらも沈める威力だった。自分にもかかる重力をディルゴは空中で耐えた。全身から勢いよく血が流れるのにも構わず、魔術陣を維持していた。
音が聴こえない。体が圧されて潰れていく。地面にめり込み動くこともままならない。ヤマトは辛うじて顔を上げることができた。その先には空の支配者たる絶対的存在と思わせる威容があった。心の底から敵わないと恐怖を感じた。レベルが違う。こんな怪物、勝てっこない。これが魔女。
また一段、圧力が増した。さらに体が沈み込む。上げていた頭が地に圧しつけられる。ヤマトは為す術もなく圧死した。骨も内臓も管も全てが潰されていた。
ディルゴはポンの元に向かった。彼女はもう歌っていなかった。ディルゴが強く手を叩いた時にポンは自我を取り戻していた。血塗れのディルゴを心配する気持ちと憎悪の念に心を惑わせていた。優しさを捨てられない彼女に微笑んだディルゴは 少し離れた場所に腰を掛ける。静かに語り出した。己の惨めな過去を。
若いディルゴは世界を舐め腐っていた。その頃から才能は開花しており、敵うものはいなかった。若くしてSランク冒険者になった彼は驕っていた。人々から持て囃され有頂天になっていた。調子者で軽い彼。けれどその内面は常に退屈を感じていた。称賛も好意もつまらない。見た目とは裏腹に彼は寂寥感を抱えていた。彼の心を揺れ動かすものは何もなかった。
そんな彼に転機が訪れた。一目惚れをした。その女性に一目見ただけで心を奪われた。彼は必死にアピールした。慣れないことで酷く見苦しく映っただろう。それでも彼女は笑って受け入れて、恋人になってくれた。
幸せだった。毎日が幸福に彩られていた。彼は一途に愛した。そして愛を捧げた人は亡くなった。
幸せな時間は長くは続かなかった。自分を置いて幸せそうな顔をして彼女は逝ってしまった。最期まで自分を想って、彼の愛した女性は目を閉じた。
長い時間を経て、悲しみから立ち直った彼はまた恋に落ちた。躊躇いはあった。けれど彼女への愛が勝った。そして彼はまた恋人を愛した。二人目も時経たずして亡くなった。
そこでようやく彼は察した。自分が愛した人は死んでしまうと。なんの因果か、はたまた呪いか。けれど彼を絶望させるには十分だった。心を閉ざさせるには十分過ぎた。そしてディルゴはもう誰も愛さないと心に決め、人から距離を取った。
そんなディルゴを救ったのが何を隠そうポンの母親だった。突き放す彼に屈さず、献身的に接してきた。エルフ族の彼女は異種族のディルゴに「あなたに恋をした」と言った。
彼女の弛まぬ努力の甲斐あって、もう一度ディルゴは心を開いた。けれど人を愛することに恐れがあった。その頃にはディルゴも彼女のことが好きになっていた。もしこのまま一緒にいれば彼女も亡くしてしまうと思うと前に進むことができなかった。
思い返して見ても目も当てられないほど酷い態度を取っていた。好意を抱いておきながら距離を取る。熱愛しておきながら好きではないと言う。明確な関係になることを避けて曖昧に濁した。恋人ではないのに恋人以上に親しい仲になっていた。不誠実で不甲斐ない男を、それでも彼女は愛し傍に寄り添った。
それが幸をそうしたのか彼女は死ななかった。一ヶ月が経ち、半年が経ち、一年が経過した。そしてディルゴが決心した日、彼女は姿を消した。何も言わずに忽然と姿を消した。まるで彼女が存在しなかったかのように一切の痕跡を残さず彼の前からいなくなった。
一夜明けても、どこを探しても彼女の姿を見つけることはできなかった。何度も記憶の場所を回った。朝も昼も夜も必死になって探し回った。それでも、どこにも彼女は居なかった。握り締めた決意の証は行き場を無くしてしまった。長い夢を見ていたかのような静けさに彼の心に虚しさが残る。実在していたという確証は、彼の記憶以外なかった。




