訪問者
街から遠く離れた土地に広大な森が広がる大地がある。そこは『惑いの森』と呼ばれ強大な魔物が跋扈する。深く鬱蒼と生い茂る樹海の中、森の入り口から遠く遠く、さらに遠く離れた中心部。……からは少し外れたところに開けた場所がある。そこにポツンと木造の家が一軒佇む。
森には人嫌いの『緑の魔女』が住んでいると言われている。
部屋中至るところに物が乱雑している一室。その中の一山が もぞりと動いた。
「……ん、んぅーっ」
机に突っ伏したまま眠ってしまっていた彼女は寝起き特有の気怠さを纏って目を覚ます。欠伸を一つしてから身体を解すように腕を上げて伸びをする。凝り固まった筋肉が音を鳴らす。
「っう~、痛ったーぁ」
首を左に右に回して、未だ開ききっていない眼をパチパチ瞬く。再び欠伸を零し、肩を軽く回しながら洗面台へと向かう。バシャバシャと雑に顔を洗ってようやく頭が完全に覚醒する。
「さーてと、昨日どこまで進んだかな……」
寝落ちる前に書き綴っていた紙に目を滑らす。
今取り掛かっているのは学会で発表するようの研究だ。年に一度に開かれる学会は余程の事情がない限り必ず参加しなければならない。その際は一人最低一つ、なにかしらの研究結果を発表する決まりだ。その内容は分野を問わない。そのため各々の得意分野になってしまうからハッキリ言って興味ないものも少なくない。
さあ研究の続きをやろうと思って部屋を見渡す。
「片付け……か」
机の上をガザガザと漁っては隅に置かれていた物々が床に落ちる。その様子に溜息をつきそうになる。
このような惨状に陥っているのは十中八九、いや完全に自分のだらしなさが原因なのだが仕方がない。整理整頓をしなさいと訪れた同僚にくどくどと説かれているが出来ないことを無理にやろうという気は起きないし湧かない。人には得手不得手があるのだから、と心の中で誰にともなくいい訳をして現実から目を離す。
物を無作為に散らかしているわけではない。どこに何があるかは記憶しているから特に不便は感じていない。ただ、そう、光景が惨状に見えるだけ。
頭の中で考えを巡らせながら薬草を次々手に取っていく。暫くすると家のドアが叩かれる音が聴こえておや、と玄関の方を見る。どうやら魔女の力を借りたい客が来たようだ。
「魔女様、魔女様! いらっしゃいますか? お願いします、助けてください! 魔女様、どうか……!」
ドンドンドンと容赦なくドアを叩きながら少女らしい声が大声で喚いている。暫くすれば帰るだろうと無視していたが鳴り止まぬドンドンドンと言う音に沸々と苛立ちが募る。
ドアが、ドアが壊される!
そう思ってしまうほどに扉の叩く音が大きく強いのだ。もしかして呼びかけているのは女でドアを叩いているのは屈強な男なのだろうか。ドアを壊して強行突破しようとしてる!?
簡単に壊れるようなやわな造りにはしていないが心配してしまうほどに音が強い。
「ちょっと! そんなに強く叩いたらドアが壊れるじゃない! 今すぐ、即刻、速やかに! 叩くのをやめなさい。さもなくば強制的にこの森から退場させることもやぶさかではないわよ」
内側からドアを開け、腰に手を当て声を上げる。
開いたドアから差し込む日光に目を細めながら誰が来たのかを確認する。驚くことに目の前にいるのは少女一人。軽く周囲を見渡しても他に人はいないようだ。つまりこの少女が力強くドアを叩いていたことになる。見た限り健康そうではあるが果たしてその細い腕のどこにあれほどの力があるのだろうか。
「あなたが、緑の魔女様ですか……?」
「ええ、そうよ」
片腕を振り上げドアを叩こうとしている格好で静止していた少女は固まったままポツリと質問を零した。それに是と返せばもの凄い速さで手を取られる。その勢いに引く。普通にドン引きだ。
「魔女様、お願いします。聖女様を、聖女様をお助け下さい」
大きな瞳を涙を滲ませながら言い縋る少女は心配になるほどの必死さで、ともすれば先程の怒りはしぼんでいく。しかし聞こえた単語に厄介な依頼だということが容易に想像ができ頭を抱えたくなった。しかし自分で決めたルールだと息を吐いて切り替える。
「落ち着きなさい。話を聞くから一先ずは家の中に入りなさい」
握られた手をそのままに引き、家の中へと案内すれば少女はさっきの威勢は姿を無くし黙って大人しくついてくる。
第一印象はともかくとして元はどうやら素直な性格の子らしい。これなら話は通じるな、と小さく安堵の息をついた。