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8.楽しいお散歩


 自室から廊下に出たところで、アルフレッド様とばったり出くわす。

 彼の顔が強張ったように見えた。

 もしかして昨夜私の部屋にいらっしゃらなかったことが気まずいのかしら? 初夜も共にすごさないと最初から仰っていたのだから、私もそれについて何かを言うつもりはないのだけれど。


「おはようございます、アルフレッド様」


「……ああ。おはよう」


 そこで会話が途切れる。

 後ろからついてきてたラナが部屋の扉を閉め、少しだけ離れた。


「あの、廊下でというのもなんですが、お礼を申し上げたくて」


「礼?」


「はい。美味しい食事をさせてくださってありがとうございます」


「……。そんなのは当たり前のことだろう。私は妻に食事を与えないほど人でなしな夫ではない」


 食事を用意していただけるのは私にとっては当たり前のことではないのだけど。


「すごく豪華で美味しすぎて、なんだか申し訳ないくらいです」


「そんなことを気にする必要はないし、私に感謝する必要もない。君はたくさん食べてもう少し太ったほうがいい」


 やっぱり貧相だと思われていたのね。

 恥ずかしくて思わずうつむいてしまう。


「はい、頑張ります……」


「! 違う、そうではなくて……。もう少し肉がついたほうが健康にもいいと思っただけだ」


「心配してくださったのですね。ありがとうございます」


 うれしくて、思わず笑みが浮かぶ。

 アルフレッド様の眉間にしわが寄った。


「別に心配をしているわけじゃない。グランヴィル家では食事もさせていないと思われても困るからな」


 彼は顔をそらして、そのまま歩き去ってしまった。

 気を悪くされたかしら?


「ふふ」


 小さな笑い声に振り返ると、ラナがうつむき加減でうっすらと笑みを浮かべていた。


「どうかした? ラナ」


「いいえ。失礼いたしました」


「……?」


 なんだろう?

 でもラナが笑顔になってくれたら、なんだか楽しい気持ちになるわね。



 午後からはデザイナーが部屋を訪れ、私のサイズをいろいろと測っていった。

 オーダーメイドの服や靴を作ってくれるらしい。

 既製品の服はここに着いたときすでにたくさんあったというのに、まだ買ってくださるのだという。

 明日は宝石商も来るのだとか。一年限定の妻なのにこんな扱いを受けていいのかと心配になってしまうわ。

 入浴後に部屋でくつろいでいると、隣の部屋にアルフレッド様が戻った気配がした。

 アルフレッド様にお礼を言いに行きたい。

 ナイトドレス姿ではあるけれど、ガウンを羽織っているから肌の露出は少ないし一応は夫だから見られて困ることはないわよね。

 少し迷ったけれど、アルフレッド様の部屋へと続く扉をノックする。

 しばしの沈黙のあと、扉が少し開いた。


「何か用か?」


 硬い表情のアルフレッド様が、私を見下ろす。


「夜に申し訳ありません。ただお礼を言いたくて」


「礼なら今朝聞いたが」


「ドレスと靴の分です。それと、私は期間限定の妻ですし王都のパーティーに行く予定も今のところないので宝石までは買っていただかなくても」


「一年とはいえ辺境伯夫人になるのだから、それに相応しい身なりをしたほうがいい。たいしたことではないからわざわざ礼を言う必要もない」


 突き放すような言葉に少し胸が痛む。やっぱりこの扉を開けさせたのは不快だったのかもしれないわ。お礼も今朝言ったばかりなのにしつこかったかしら。

 でもここでしょげた顔を見せてもアルフレッド様が困るだけなので、口元に笑みを乗せる。


「承知しました。ではお言葉に甘えさせていただきますね」


「ああ。それと……言い方が悪かった。以前にも言ったが嫁いできてくれた君には感謝している。だから私が与えるものに対して申し訳ないなどと思わなくていいし感謝もしなくていい。むしろ正当な対価なんだ。この他にも月々の品位維持費の中から好きなものを買っていいし、好きなことをして過ごせばいい」


「ありがとうございます」


 わざわざ言い直してくださったことがうれしくて、今度は自然に笑みが浮かぶ。

 アルフレッド様は少しぶっきらぼうな話し方をされるけれど、やっぱり冷たい方ではないわ。


「それに金は使ったほうが領内の経済も回る。何年も女主人が不在だったから、宝石商も仕立屋も靴屋も少し儲けさせてやれ」


 私を気遣ってのことかもしれないけれど、冗談めいた言い方も新たな一面を見られたようでうれしい。


「ふふ、承知しました」


「じゃあこれで失礼する」


「はい、おやすみなさいませ」


 扉が静かに閉まる。

 アルフレッド様は女性が嫌いで女性に冷たいという噂だった。

 たしかに女性が苦手なようだけれど、冷たいわけではない。分かりづらいだけで、優しい方だと思うわ。

 なんだか胸がふわふわとくすぐったい。



 ここでの生活は至れり尽くせりの天国で、使用人の人々も皆優しいけれど、ひとつだけ困ったことがある。

 やることがない。  

 一年でここを去ることがわかっているから辺境伯夫人として中途半端に仕事にかかわるわけにはいかないし、私の実家を含め近くの領地との交流もないから特に社交活動もない。王都にも行く気配がない。

 そんな私を見かねてか、ラナが城の敷地内を散歩に誘ってくれた。今日はシリルも一緒についてきてくれるのだという。人数が多い方が楽しいわね。

 城壁で囲まれた敷地内はかなり広く、礼拝堂や騎士団の宿舎、訓練所などの建物もあり、端のほうには林もある。

 その林をゆったりと歩きながら、シリルが領地についていろいろと説明してくれた。


「この城と城下街は、ガーランド辺境伯領の最も北にあります。街は城の南側に広がっているため、この城が最も北に位置する建物となっています」


「つまり北の山脈とこの城の間には人が住んでいる建物が砦以外にはないということね。魔獣対策のためなのでしょう」


「仰るとおりです」


「民を守るために、砦を除けば最も危険な位置にあるのがこの城だと」


「はい。ご不安なことと思いますが」


「いいえ、そういうことではないわ。この地の民もこれより南の人々も、こうして代々の辺境伯様に守っていただいていたのだとあらためて実感したの。頭が下がる思いです」


「……」


 林の中をゆったりと足を進める。

 慣れ親しんだ土と植物の匂いがとても落ち着く。見上げればきらきらと輝く木漏れ日が美しい。

 私、自分で思っていた以上に森や林が好きだったのね。またここに散歩に来よう。


「ご気分が良さそうですね、奥様」


「ええ、そうねラナ。ここはとても気持ちがいいわ」


「それはようございました」


 ラナが微笑んでくれる。最初は無表情な人だと思ったけれど、少しずつ笑顔を見せてくれるようになってうれしい。

 とてもいい気分で歩いていると、地面に見慣れた植物を発見した。


「あ、カレミン草だわ」


「カレミン草、ですか。そこの植物ですか?」


「ええ。ゆでて食べると美味しいのよ」


「おいしい?」


 シリルとラナの声が重なる。

 きっと食べたことがないから奇妙に思うのね。美味しいのに。


「森には美味しいものがたくさんあるのよ。もう少し暖かくなったら野苺やグミの実も」


「そうですね。僕も野苺のジャムは好きです」


「そのまま食べても美味しいけれど、ジャムも素敵ね」


 お砂糖は貴重だからいつもそのまま食べていたのだけれど。

 まだ屋敷に住んでいた頃は野苺のジャムも食べたことがあったわ。甘酸っぱくてとても美味しかった。


「焼きたてのクロワッサンにつけて食べたら最高よね」


「いいですね。じゃあ僕はヨーグルトに載せて食べるに一票」


「私は野いちごジャムのクッキーに一票です」


「どれも捨てがたいわ」


「では時期になったらみんなで森に行ってたくさん採ってぜーんぶ食べましょう」


「いいわね!」


 林の中に穏やかな笑い声が広がる。

 こんな風に若い人たちとおしゃべりするなんてどれくらいぶりかしら。とても楽しい。

 ラナだけでなく、シリルも最初よりくだけた態度で接してくれる。

 本物の夫婦にはなれないまでも、アルフレッド様ともこんなふうに仲良くなれたらいいのだけれど。


「あ、奥様、見てください。かわいらしい小鳥がいますよ」


 ラナの指さす先を見ると、白いふわふわ羽毛のとても愛らしい小鳥が地面をツンツンとつついていた。


「まあ、ラタナ鳥ね。美味しそう」


「おいしそう!?」


 再びシリルとラナの声が重なる。

 さすがに小鳥が美味しそうは食い意地が張りすぎていたわ。

 まだ森にいた頃の感覚が抜けていないみたい。


「じゃなくて……かわいいわね」


「はい……」


「そうですね……」


 二人の視線が、痛かった。


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[一言] 動植物見て「美味しそう」と感想が出るのは狩人の証
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