39.舞踏会
思わずうわあ、と声をあげそうになったけれど、周囲の目を気にしてそれを飲み込んだ。
一度遠目に見たことがあるだけの王城は近くで見るととんでもなく大きく、美しい。特に白い壁が夕日を受けてオレンジ色に輝いている様は、見とれてしまうほどだった。
白い壁に尖頭アーチ、円形の塔にステンドグラスの窓。女性的な優美さを感じさせるお城だと思った。
無骨とすら言える堅固なガーランド城とは対照的ね。
舞踏会が開かれている会場は信じられないほど広く、よく磨かれた大理石の床が白く輝いている。
天井ははるか上にあり、あの豪華なシャンデリアはどうやって掃除するのかしらというどうでもいい疑問がわいてきた。
そしてその人の多さといったら。こんなに人がいて踊れるものなのかしら。
ゆっくりと足を進めていくけれど、なんとなく人々の視線を感じて落ち着かない。
「緊張しているか?」
アルフレッド様が私の耳元でささやく。
その表情には余裕があって、さすがに何一つ慣れていない私とは違う。
「なんだか見られている気がして」
小声で返すと、アルフレッド様はふっと笑った。
「君が美しすぎるからだろう」
「お上手ですね。アルが素敵すぎるからではありませんか?」
アルフレッド様が再度笑った。
でも、今日のアルフレッド様は本当に素敵なんだもの。
襟元に銀糸の繊細な刺繍が施された黒のジャケットに、濃紺のベスト。決して派手ではないその服が、かえってアルフレッド様のスタイルの良さを引き立てている。
いつもゆるく後ろに流していた前髪は、今日は下ろしてある。私がかっこいいと言ったから、とアルフレッド様が言うので思わず笑ってしまった。
でもとても似合っているわ。額の大きな傷もある程度隠れるから少し雰囲気が柔らかくなって、顔立ちの美しさが際立つ。
こんな方が自分の夫だと思うと、信じられない気持ちになる。
対する私は、濃紺に銀糸の刺繍が施されたイブニングドレス。そしてアルフレッド様にいただいたアメジストのネックレス。
アルフレッド様は何度も美しいと褒めてくださったけれど、ちゃんと似合っているかしら。
ううん、そんな風に不安になってしまってはだめね。私はアルフレッド様の妻なのだから、堂々としていなければ。
はっと息をのむような音が聞こえた気がしてそちらを見ると、妹のライラが目を見開いてこちらを見ていた。
ライラが、なぜこんなところに。
実家があんなことになっているのに、舞踏会に出ていて大丈夫なの……!?
ライラが友人らしき令嬢たちから離れて、こちらに近づいてくる。
「お久しぶりね、お姉様」
「ええ、久しぶりね」
「……見違えたわ」
ライラがアルフレッド様をちらりと見る。
アルフレッド様は口元に不敵な笑みを浮かべると、私の腰を引き寄せた。
同性愛者も女嫌いも契約結婚も、ただの噂にすぎないというように。
周囲で「キャ~」「うそ……あの辺境伯様が……」といった小声が聞こえてきた。
「……ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ガーランド辺境伯にご挨拶いたします」
ライラが少し膝を落としてアルフレッド様に挨拶をする。
この国には帝国のように下位の者から上位の者に話しかけてはいけないというルールはない。どちらかといえば、下位の者から上位の者に挨拶をすべきという風習がある。
もちろん王族に対しては別だけれど。
「シルドラン伯爵令嬢。息災そうで何よりだ」
「恐れ入ります」
「妻とつもる話もあるだろうが、そろそろ陛下がお見えになる時間だ。すまないがこれで失礼する」
「承知いたしました」
アルフレッド様が私を促して、ライラの元から去った。
「あの様子では何も知らないな。そもそも知っていたらのんきに舞踏会になど出ていないだろう。夫人は王都から領地に戻るという話だったが、いったいどうなっている」
「そうですね……」
イレーネ夫人は近くにはいなかったようだけど。
夫人だけ領地に戻ったの? ライラになんの事情も告げず?
なんだか嫌な感じがするわ。
アルフレッド様とともに中央の大きな階段近くまで行くと、楽団の演奏する曲調が変わり、御入場を告げる声とともに国王陛下御夫妻と王太子殿下がゆっくりと階段を下りてきた。
陛下が階段の周辺にいる貴族に順に声をかけていく。もしかして身分の高い順なのかしら。ということは、階段付近にいる貴族は格が高いということ?
陛下が私たちの目の前に立った。
「ガーランド辺境伯。久しいな」
「ガーランド辺境伯アルフレッド・グランヴィル、国王陛下にご挨拶申し上げます」
「こちらの美しい女性は夫人だな」
陛下の視線が向けられ、私はカーテシーをした。
「フローラ・グランヴィルと申します。国王陛下にお目通りがかないこの上ない栄誉でございます」
「よいよい、そのように硬くなる必要はない」
陛下が快活に笑う。
「辺境伯がなかなか結婚せず心配しておったが、なるほど、夫人を見て納得だ。理想が高かったのだな」
「仰る通りです。すべてにおいてこの人だと思える人にようやく出会えました。この上ない幸運です」
陛下の御前でそんな……!
ううん、これもアピールなのかもしれないわ。うう、でも変な汗をかいてしまう。
「ははは、これはこれは新婚夫婦にあてられそうだ。血圧が高くなる前に退散しよう。夫人も気楽に楽しんでゆくがよいぞ」
「お心遣い感謝いたします」
陛下が別の貴族に声をかけにいくと、入れ替わるように王太子殿下がこちらにいらした。
年齢はたしかアルフレッド様と同じだったはず。陛下と同じ銀色の髪の、美しいお顔立ちの方だった。
「いやーあのアルフレッドが結婚して、しかも父上の前でのろけるなんてねえ」
「殿下」
「うんうんわかるよ、なんかもうアルフレッドの理想を凝縮したような女性だもんね」
「……殿下」
アルフレッド様の眉間にしわが寄る。
随分と気心の知れた仲に見える。
殿下が私のほうを向いた。
「あ、ごめんね一方的にしゃべっちゃって。初めまして」
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。フローラと申します」
「いいよいいよそんな堅苦しい挨拶は。私はアルフレッドとはアカデミーの同期でね」
「そうなのですね」
「普通は王太子という立場にあられる方がアカデミーに通うことなどないのですが。殿下はその頃と変わらず自由奔放でいらっしゃいますね」
「王宮の中にいるだけじゃ世間を知ることなんてできないからね。それも勉強勉強」
明るく気さくで、自由。
それが王太子殿下の印象だった。
陛下も気さくな方だったし、王家の方々ってこんな感じなのかしら。
「なんにしろ結婚おめでとう、アルフレッド。普通の女性には敬遠され、ハイエナみたいな女性にばかり囲まれていた君がこんなに素敵な女性を妻にするとはね」
「ありがとうございます。殿下も良き王太子妃を迎えられることを願っています」
「あーその話しないで……。そろそろ決めなきゃダメだよなあ。法律撤廃頑張ってねアルフレッド」
「撤廃したところで殿下が王太子妃を迎えなければいけないことに変わりないかと思いますが、頑張ります」
思わずちいさく笑ってしまう。
アルフレッド様の口調は堅いけれど、二人は友人という感じがするわ。
「じゃあダンスが始まる頃だしそろそろ行くよ。君と夫人の濃厚なダンスを期待してるからね」
じゃあね~と私に手を振って殿下が去っていく。
「なんだ濃厚なダンスって。相変わらずだあの方は」
「ふふ、仲が良さそうですね」
「厄介な方だよ。嫌いじゃないが。一曲踊ろう、フローラ」
曲が始まって、人々が踊りだす。
私もアルフレッド様と踊りはじめるけれど、腰にあてられた手にドキドキしてしまった。
ステップを踏んで、くるくるとホールの中を回る。
公の場でのダンスは初めてだけど、ここに来る前にアルフレッド様と二人で練習してきたので無難に踊ることができた。
何よりアルフレッド様のリードが上手なのよね。アカデミー時代に授業で踊ったのが最後だと仰っていたのに、すごいわ。
周りで踊る人々もキラキラ輝くシャンデリアもそのうち目に入らなくなり、私を見つめるアルフレッド様だけが私の世界を支配した。
なんだか、夢の中にいるみたい。
アルフレッド様の手が温かくて、瞳がきれいで、とても幸せで。なんだか泣きたくなった。
曲が終わって、いったん端に移動する。
アルフレッド様がとってきてくださった飲み物は柑橘系のさわやかな味がして、ダンスと緊張で火照った体をほどよく冷やしてくれた。
「緊張したか?」
「はい。何せ初めてのことでしたので」
「だが上手だった。そしてきれいだった」
不意打ちでそんなことを言われて、頬が熱くなる。
見上げるとアルフレッド様も赤くなっていて、なんだか笑ってしまった。
ホールでは十代とおぼしき若い男女が踊っている。最初の一曲は夫妻が、そのあとは主に若い男女が踊るのだという。
婚約者との絆を深めたり、社交界デビューしたてでまだ婚約していない人は相手を見つけたりするのだとか。
色とりどりのドレスがくるくると動いてとても綺麗ね。
「ガーランド辺境伯、お久しぶりです」
アルフレッド様より少し年上らしき男性が夫人を伴ってやってきて、挨拶を交わす。
「お久しぶりです、ザルブール伯爵、伯爵夫人。こちらは妻のフローラです」
「初めまして、フローラと申します」
優しそうな夫人がぱあっと顔を輝かせる。
「まあっ、なんて綺麗でかわいらしい方かしら。あ、ごめんなさい、辺境伯夫人にこんな。リリーと申します」
「光栄です、リリー様」
「皆が美しいお二人に見とれていましたのよ。特にガーランド辺境伯が女性にあんな優しげな表情をなさるなんてと、令嬢たちがきゃあきゃあ言っていましたわ」
アルフレッド様がちいさく呻く。夫人は扇で口元を覆いながら、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
そのまましばらく立ち話をして、お二人が去ったあとにまた別のご夫婦がいらした。
その方たちも去ると、アルフレッド様のアカデミー時代の同級生だという男性が三人ほど来た。アルフレッド様はぶっきらぼうかつくだけた態度で、仲が良かった人たちなのだろうなと思った。
「お会いできてうれしいです、夫人」
「こちらこそ」
「アルフレッドもついに結婚したのかぁ。しかもこんな素敵な女性と」
「あのアルフレッドがねえ」
「女性嫌いかと思ってたけど理想を追い求めた男だったんだな」
「別に理想がどうのというわけじゃない。フローラに心底惚れただけだ」
おおーとかフゥ~とか言われ、全身が熱くなる。
恥ずかしくてうつむいてしまった。
「アルフレッドからこんな言葉が出てくるとはね」
「いやいや……あーくそうらやましい」
「フローラをじろじろ見るな」
「あ、あの。私少し休憩してきますね」
つもる話もあるでしょうし、気心の知れた男性だけのほうがお話も盛り上がるはず。
「ああ、うるさくてすまない」
「いいえそんなことはありません。ただ少し喉が渇いて」
「あまり遠くには行かないでくれ。それと休憩室はいかがわしい雰囲気になっていることもあるから女性専用以外は避けてくれ」
「わかりました」
アルフレッド様から離れて、ひと息つく。
王宮でのパーティーは楽しいけれど、慣れていないから緊張して少し疲れてしまった。
夜風に当たりたくて、いくつかあるテラスのうち人のいないところを見つけて外に出る。
「ふう……気持ちいい」
夜風が前髪をさらさらと撫でる。
今日は夜でも暖かいわね。夏も近いわ。
後ろのガラス戸が開く音がして、振り返る。
アルフレッド様かと思ったけれど、そこに立っていたのは彼ではない男性だった。




