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現状打破から紡がれる異世界転生記  作者: ゆきの
第一章  転生失敗から学ぶ異世界処世術
9/9

08話 瞳に翠緑を湛えた少女

 やべえな、完全に迷ってるわ。


 威勢よくフワフワの元を飛び出してきたはいいが、複雑に入り組んだ薄暗い路地裏をテキトーに進んでいるうちに、いつのまにか右も左も見当がつけられないような市街地の深部にまで、俺は足を踏み入れてしまっていた。

 暗さも相まって外壁はどこも同じように目に映るため、比喩でもなんでもなく、本気で左右の判断ができなくなってきそうだ。 


 これはまずい、ひっじょーにまずい。

 

 ジュリアスに降ろしてもらった広場周辺に、待合所や停留所、そして馬車が通過できるほどのそこそこ大きい通りがあったことを思い出し、まずはそこに戻ることを目標にしてたはずなんだが。

 どうしてこうなったんだろう?

 

 「方向音痴なんて可愛らしい特性、俺にはなかったはずなんだがなあ。 いくら知らない街とはいえ、ついさっき来た道を忘れるかね」


 自分自身に呆れながら、目の前に現れた、もういくつ似たようなものを見たかわからない、突き当たりの景色を右へ進む。

 ここに来るまで、突き当たりの倍以上の数はカビだらけのドアを発見し、その全てに助けを求めてノックをしたが、残念なことに、返事はただの一つも返ってこなかった。


 こうなったら、通行人がいたときには恥も外聞も喜んで捨て去り道を聞くことにしようと、固く心に決めてから数刻。 出会えたのはネズミと蜘蛛の巣だけだ。

 

 「こんな時は高い所に登って、あたり一体を視認するのがセオリーではあるが、うむ……」


 二階から三階ほどの高さに相当しそうなこの外壁、おそらく全て人ん家の壁だよな。 

 いくら困ってても勝手に登るのは……、流石にマズイ気がする。


 「そもそもこの高さを登り切る身体能力なんて俺には無いから、いずれにしろ現実的じゃないな」


 俺は異世界に転生できただけで、陽気な蜘蛛のヒーローになれたわけではないんだ。

 高く聳える壁、人の住処であるはずなのに生気のかけらも感じられない無機質な空間に囲まれて、徐々に鬱屈とした無力感が芽生え始めるようだった。

 ああ、くそ。

 だめだだめだ、そんな弱気でどうする。


 思い出そう、いくら薄っぺらい人生といってもそれなりの苦難だって体験してきたはずだ。

 いまと似たような状況を思い出せ、そこに解決策があるかもしれない、こんなふうに当てもなく徘徊するのはいつ以来だろう。

 しばらくその場で立ち止まり、思考を巡らせる。

 ぼーっと突っ立っていても、不審がって注意してくる人影はここにはない、何も気にせず記憶を辿る。


 昔から変に我が強くて、わがままで、気に入らないとすぐにハンガーストライキじみた抵抗をして家族を困らせてたっけな。

 不貞腐れて、家出して、しゃがみ込んで、そのまんま。

 そんな俺を見つけて呼び戻してくれるのはいつも、両親、そしてたまに妹だったりした。

 そんな家族はもう、ここにはいない。

 もう二度と、会えない……かもしれない。


 ぐっ……と。

 何か不思議なものが込み上げてくる感触。

 いつもの如く暗く落ち込む負の感情かとも思ったが、どうやら違う。

 これはなんなんだ?


 「はあ……、うん。わかってる、自分で進むしかないよな、行くか、これじゃまたフワフワに笑われる」


 止まっていた足の向きを変え、影のさす路地で前を見据える。

 これ以上は時間が勿体ない、日が落ちてからが一番きついんだよな、なにせこわいし。

 よーし、決めた。 

 最初に覚える魔法は明かりを灯す的なやつにしよう。

 憧れのジュリアスリスペクトだ。


 今後の方針をまとめつつ小石を蹴飛ばしていたその時、ふと、進行方向の先から近づいてくる足音に気がついた。

 暗さのせいでその姿は未だはっきりしないが、確実に近づいてくる、複数だ。


 ああ良かった、やっと通行人に出会うことができた。

 小躍りにも似た足取りで身を乗り出し、


 「すいませ……、ん……」


 道を尋ねたいのですが。 そう続けようして、言葉が途切れる。

 対面の気配が目と鼻の先に近づく頃に、ぼんやりしていた人影の正体を始めて視認することができた。

 数にして四人。 身長が俺の胸の辺りぐらいであることから、おそらく子供であると推測できる、いずれも頭の先から膝あたりまで、被るように襤褸をまとっていて、裸足だった。

 各々が、パンのようなものや、見たことのない果物などの食料を腕いっぱいに抱え、俺がいる方向へと小走りに向かってきている。

 その異様な光景は、社会全体の協力によって治安が守られていた現代日本からやってきた、平和にボケた俺の危機察知能力を呼び起こすには、充分すぎるものだった。


 抱えている食料、あれはきっと盗んできたものなのだろう、後を追ってくる大人の影はない、上手く撒いてきたようだ。

 飢餓に耐えかねて子供が犯罪に手を染める街か。

 こ、これはヤバい、嫌な予感がプンプンするぜ!


 ジュリアスが言っていた通り、平和で長閑な側面は確かにあったが、少し裏道を行けば暗い現実が顔を覗かせる。

 流石の文明レベル、治安の方はあまりよろしくないみたいだ。

 俺と子供たちの間に抜け道はないため、このままだと鉢合わせるしかない。 何も起こらずすれ違うだけ、ということはまず期待できない。


 薄暗い路地、相手は犯罪者、それも子供とはいえ四対一。 あんまり想像したくはないが、下手すれば身包みを剥がされるに留まらず、最悪殺される……なんて可能性もある。 

 オヤジ狩りならぬ転生者狩り、ゾッとしない。

 

 この危機に瀕して俺の脳裏に浮かんだ選択肢コマンドは三つだ。

 大好きなボス戦闘曲が頭の中で流れ出す。

 あれ? 意外とノリノリか? 俺?


 戦う・逃げる・隠れる


 戦う?

 殺し合いはおろか、殴り合いの喧嘩すらしたことのない俺のことだ、十中八九負ける。 見栄? プライド? そんなの死んだら元も子もない、よって却下。

 それに初戦がボスとか負けイベ確定だしな。

 

 逃げる?

 砂漠での疲れが抜けきっていない今の俺が、四人を相手にリアル鬼ごっこで勝てるとも思えない。 これも却下。

 だいたい、絶賛迷子中で土地勘もないのに命をかけたチェイスなんてできる気がしない。 自分から袋小路に突っ込んでくオチが容易に浮かぶ。


 ならば残るは……。


 「無用なトラブルは避けるべきだな、よし」


 己の耳でも聞こえるか聞こえないかの、無声音での囁きと共に、路地の脇に雑多に積まれた障害物の影へと、俺は咄嗟に身を隠し、息を潜める。

 

 「路地に一人でいると輩に絡まれる、そういやこれもある意味お決まりだったな」


 平気を装って出した声が声にならない。

 縮こまって膝を抱えてうずくまり、震える手を抑えながら、子供たちが通り過ぎていくのをじっと待つ。


 この暗がりプラス、教室でも一番目立たなかったレベルの存在感補正が入ればあら不思議、俺を捉えることはもう誰にもできない!


 「何してんだ? あんた」


 なんてことはなく、普通に見つかってしまった。

 くだらないことを考えている間に、あっさりと。


 先頭の少年が立ち止まって俺を見下ろし、後続が何事かと少年の背後から俺を覗き込む。


 やば……、終わったわ。

 俺の第二の人生。

 頭の中に聞こえるはずのない心肺停止の電子音が鳴り響く。

 これが走馬灯?


 「どうしたの?」

 「いや……、なんかここにうずくまってる人がさ」

 「あ! ほんとだ。 大丈夫ですか? お兄さん」

 「ちょっ……、腕キツいから立ち止まりたくないんだけど! 早く行こうぜ‼︎」


 ひょこひょこと俺を囲むように寄ってくる子供たち。

 あ、あれ? どうなってんだ。

 予想に反して、とても友好的な様子……。

 

 「お兄さん、この辺は今あまり人が住んでいなくて、碌に掃除もされてないから汚いよ?」

 「え? あ、ああ……、そうなの? いやぁ参ったなあはは」


 立ち上がり、腰から尻にかけてを入念に払いながら四人に向き直る、やはり子供だ。

 手には食料、装いは襤褸。

 今度は俺がこの子たちを見下ろす形となった。


 「あんたこんなとこで何してたんだ? 見ない顔だけど」

 「えーと、この街にはついさっき来たばっかなんだ。 気の向くままにフラフラしてたら道に迷っちゃってさ、困ってたとこなんだけど」

 「へー、そーなんだ! それならそこの細道を抜ければ大通りに出れるよ!」


 少女が指差す、四人の子供たちがやってきた方向の少し先に、僅かだが光源が見える。

 あの細道を抜ければ大通り……、なるほど。


 「おいいい! お前ら! もう限界、腕もげる、早く行こうって……‼︎」

 「お、おう悪い。 じゃあなお兄さん、あんたもきたばっかで気の毒だが……。 まあいいか、ほら、いくぞお前ら」

 「うん!」


 俺のお礼の言葉も待たずして、先頭の少年の後をついていくように、子供たちは路地を駆け抜けていってしまった。

 

 な、なんだったんだ今のは。

 完全に俺が袋叩きにされる流れじゃなかった?

 

 「でも元気に生きてるから、万事オーケー?」


 俺がちっぽけな脳みそで行ったシミュレートの中で、この結末は全く予想だにしていなかった。

 良い方向にだが、なんか思ってたんと違かった。


 「これも前世の俺の行いが良かったせいなのだろうか」


 それだけはないな、と頭を振りつつ、俺は少女が指し示してくれた細道の方へと向かった。



――



 「確かに細道だけど、流石にこれは……」


 それは、道というよりは家と家の隙間。

 横幅五十センチにも満たないような極細のスペースだった。 俺が半身にしてやっと通れるほどだ。

 その先に、眩い光が輝いている。


 「でも、行くしかねーな」


 教えてもらえた大通りへの道はここだけだ、これを無視してまた迷い続けるのは流石にしんどい。


 俺は早々に覚悟を決め、閉所恐怖症だったら泡を吹いて気絶してしまうような、暗い隙間の間へと身を投じる。



 侵入して一秒、すぐに後悔した。


 ここは普段、人は愚か獣すら通らない、掃除なんてものももちろんされないただの隙間、道ではない。

 その事実を、我が身で、文字通り痛いほど実感することになったからだ。


 一呼吸するうちに、壁面をビッシリ覆い尽くすカビと埃が気管に入り込み、盛大に咳き込んだ。

 その咳がまたカビと埃を狭い空間に蔓延させ、最悪の負の連鎖を発生させることになった。


 つい最近実際に死にかけたこともあり、たとえ脳が裂けても「死んだ方がマシ」だなんて思いたくはなかったが、それでも無理なものは無理だ、身体が拒否反応を起こし喉から変な音が鳴り出す。

 ジリジリと、両面の壁に極力触れないように歩を進める。


 前から人来たら詰むぞ、これ。

 絶対に起こってほしくないシチュエーションを、ちっぽけに加え埃に塗れた脳細胞が描き始める。


 蜘蛛の巣に絡まりながら、それでも先へ。


 光が、ゴールが近づくにつれて。

 なぜか俺の心の奥には、安堵よりも不安が募っていく気がした。

 こんな汚れた姿で人前に姿を晒すのが恥ずかしいだとか、そんなくだらないことではなかった。


 ここを抜けたら、汚く、暗い、この場所を出たら……。

 この一歩を踏み出すのが、恐い。


 「なんだよスズミ・ユウスケ、ビビってんのか? ここまできたらもう今更だろうが」


 口腔内に灰色の空気が入り込むのも厭わずに、自身を叱咤する。

 もうすぐだ、明るい世界は、すぐそこだ。


 ごちゃごちゃ考えずに頑張るんだろ! ほら出るぞ! 


 「行くぞ今までの俺、見てろフワフワ、待ってろジュリアス。 考えることはただ一つ、現状打破だ。 それだけでいい、今のところは……なあ‼︎」


 深い水面から呼吸を得ようと空を目指すように、俺は世界へ飛び出した。



――



 雑音が鼓膜を痛いほどに叩き、眩い光が瞳孔を刺激する。 どうやら五感が麻痺しているらしい。

 だがそれも、喉と鼻腔に詰まった汚物の粒子が吐き出される頃には、まともに作用するまでに回復していた。


 「うーわなんだこりゃ、さっきまで俺が立ってた場所と違いすぎて……。 また慣れるのにちと時間がかかりそうだな」


 通りの両脇にずらりと構えられた店の数々、掲げられた看板の一つ一つを読むことで、ある程度の情報を得ることができた。

 服屋に、八百屋に、ん……、あれは『ロメの胃袋亭』? 外装を見るに多分飯屋かなんかかな。


 次に、通りを行く人々を無遠慮にジロジロ観察する。

 どうやらここには普通の人間しかいない。

 少なくとも俺が判断できる限りでは、そうとしか見えないような存在だけみたいだ。

 髪の色は十人十色でカラフルだが、言ってしまえば特徴と呼べるものはそれだけで、耳がとんがってたり、毛がもふもふだったり、尻尾が生えてたり。

 そういったある意味期待していた者達は、今の俺では見分けがつかなかった。


 「エルフは森の中、ドワーフは洞窟とかに行かないと会えないのかね、やっぱり」


 髪や服にまとわりついた埃やカビを、できる範囲で払いながら独り言ちる。

 さっきから俺の方に、少しずつ奇異の視線が向き始めているのを肌で感じながら、戻りつつある思考回路でとにかく景色を堪能する。


 「だいじょぶだいじょぶ、そういう視線には慣れてるからな、平気へっちゃらですよ、この俺は」


 誰に向けるでもない嘆息と共にしばらく街の様子を眺める。

 ふと、少し離れた人混みの向こうで、なにやら騒ぎが膨らんでいるのが確認できた。

 ただの雑踏には紛れないほどの、これは怒鳴り声かな?


 「決めた、ファーストコンタクトは人助けにしよう。 今から向かった騒ぎの中で、劣勢な方に味方して、そしてお礼を言われよう。 例外として、どちらかが美少女だった場合は無条件でそっちに加勢とする」


 重要な文言を付け加えてから、人並みをかき分け渦中へと進む。 かき分けるってよりは、俺の姿を見て勝手に避けていってる、の方が正しいが、悲しくなるから考えない。


 人助けには身なりの汚さなんて関係ないよね?

 

 淡い期待と高ぶる鼓動に身を任せていると、ついに騒ぎの中心にたどり着いた。

 流れる人並みの中、互いに立ち止まり相対する人物が二人。


 片方は、俺の目の前に背を向けるようにして立つ少女が一人。

 平凡な街娘風の服装に、腰あたりまで伸ばした細やかな、やや茶色がかった栗毛が眩しく靡いている、ここからでは表情が見えないが、おそらく女の子だろう。


 対するもう片方、栗毛の少女の正面に、どっしりという効果音はこいつのためにある、と言わんばかりの恰幅に、油ぎった額、少し禿げ上がった頭頂部が眩しく照り輝いている。

 いやらしくニヤついた表情がここからでも見てとれる、そんな壮年のダンディが一人、腹をさすりながら佇んでいる。


 嫌だなあ、なんでこっち側から来てしまったんだろう、二択を間違えた。


 向こう側から来ていれば少女の表情を拝みつつこのおじさんのケツを蹴り上げることができたのに。

 おっと、暴力は良くないよね。 こりゃ失敬。

 先の宣言通りに、美少女(たぶん)の味方をすることを誓いつつ、騒ぎの行く末を見届けようと感覚を凝らす。


 「読者モデルのスカウト、なーんて浮かれた話でもなさそうだな、見た限りは」


 二人が何か言い争いをしているのはなんとなく雰囲気から察することができたが、肝心な内容が、雑踏に紛れて聞き取れない。


 まずいぞ。

 内容がわからないうちに飛び出しても、ただの迷惑な奴になりかねないから、どうにか事態を把握したいのだが。


 止まらない人並みに飲まれないように留まることが精一杯で、なかなか難しい状況にあった。


 群衆は立ち止まって彼らに注目するでもなく、ただひたすらに避けて通っているだけに見えた。

 争う二人をわざと気に留めないように。

 この世界には野次馬根性って感性はないのか?

 日本じゃ、ちょっとおかしなことが起こったらどこからともなく集まって、噂話なんかは次の日にはご近所中に広まるもんなのに。


 今の俺みたいに、偽善でもいいから歩みを止め、争いを仲裁しようとする存在が、一人もいない。

 まるでこの出来事が、おっさんと少女が道端で言い争う様が、さも当然の日常であるかのように振る舞う街の人間に、少し薄ら寒さを覚える。


 こんな世界、俺は嫌だな。


 そう俺が人並みに逆らい四苦八苦しているうちに。

 恰幅のいい男の方が、下卑た薄ら笑いをたたえて何か呟やいた後、踵を返し雑踏の隅に留めてあった馬車に乗り込み、この場を離れていった。


 「あ……、もしかしてもう、終わっちまったのか」


 残された少女は、離れていく馬車を見据えながら、肩を落とすでもなく、怒りの声を叫ぶでもなく、ただ静かに構えていた。


 内容がわからないから、どちらが勝者で敗者なのか、どちらが正義で悪なのか、俺にはわからない。

 だけど、後ろ姿だけではあるが、彼女のその佇まいに、言いようのない美しさを見たような気がした。


 「あー、ダメだなこりゃ。 やはり男は、可愛い女の子の力になりたいとどうしても思ってしまう生き物らしい」


 馬車が見えなくなっても尚立ち尽くす少女の背後へと、堂々と近づいていく。

 理由は単純、話しかけるためだ。


 「これは何があったか興味があるだけであって、決してやましい気持ちはない、俺はこれから世間話をするだけだ」


 勇気を振り絞った一声が、万が一にも雑踏に飲み込まれてしまわないように。

 彼女の意識に届くように。

 声を張り上げる。


 「あの! ちょっといいかな‼︎」

 「はい?」


 不意をつかれたからか、やや気の抜けたような軽い返事と共に、少女が振り返る。

 

 神秘的、それが最初の印象だった。

 未成熟な愛くるしさと、静かな毅然さをバランスよく兼ね備えた涼しげな面持ち、そこにかかる輝くような金色の髪は、淡白な街娘風の衣装でも隠しきれない華麗さを漂わせている。

 先ほどは日差しの加減のせいかベージュっぽく見えたが、改めて確認してみると見事なプラチナだった。

 星を連想させるような透き通る翠緑の瞳は鮮やかに瞬き常に表情を変え、俺よりもほんの少し小柄な百六十五センチほどの体躯は、健康的なしなやかさに富んでいるように思えた。


 人の容姿を比べることには抵抗があるが、あの神を名乗ったフワフワ、あいつと比較してもまるで遜色がない。

 むしろ眠そうな双眸、ニヤついた下品な笑み、思わず手を挙げてしまいそうになるふざけた言動、それらを加味すれば、目の前の彼女の方が断然女神らしいとさえ感じる。

 そんな正真正銘の美少女が、今、俺を見つめている。

 汚らしい身なりに顔を顰めることもせず、ただただ不思議そうに。


 自分の息遣いが遥か遠くに聞こえる。

 緊張している鼓動が首元まで伝わってくる。

 大丈夫だ、もう俺は考えない。

 言え!


 「あ、あのー。 ハ、ハジメマシテ、突然だけど、俺は君の力になりたいんだ。 だから少しで良い、話をさせてほしい」

 「えと。 あはは……」


 一泊置いて、俺がなんて言ったのかを理解したのか、戸惑ったように小首を傾げる少女。

 その動きに連鎖して、腰ほどまでに揺れる彼女のブロンドが煌めく。


 「ありがとう、すごく嬉しいです」


 困ったような表情で彼女に笑いかけられたその瞬間、本当の意味で、俺の第二の人生が始まりを迎えた気がした……。



――



 ……なんて。

 浮かれていた時期が俺にもありました。


 「で、あなた何者? 白昼堂々、誰が声をかけてきたかと思ったら、『力になりたい』ですって? 良い度胸ね、どういう了見か聞いてやろうじゃない」


 柔らかな笑顔で「ありがとう、すごく嬉しい」、そのような趣旨の返答をされたとこまでは確かに覚えている。

 問題はそこからだ。


 こんな往来のど真ん中でもなんだからと、少女の後に続き、大通りより一本離れた路地に立ち入った。

 「よし」と一言吐き捨てるように呟き、再び振り返った少女の面差しは、さっきとは打って変わり、それはもう冷ややかなものだった。

 中国の伝統技の一つに変面というものがあるが、まさにあれだ。

 何が起こっているのか、頭が事態を把握するのにそれほど時間はかからなかった。

 

 俺の「希望に満ち溢れた異世界美少女像」と一緒に、それほど強くないメンタルが粉々に砕け散っていく音が聞こえた気がした。

 

 「美少女との異世界ファンタジーなどと、その気になっていたお前の姿はお笑いだったぜ。 なんてな」

 「はい? ごめんなさい、よく聞き取れなかったわ。 もう一度はっきり言ってもらえる?」


 思わず膝から崩れ落ちる俺に対し、少女は警戒心を剥き出しにした口調のまま牽制する。

 彼女にとって俺は、さっきまで言い争っていたおっさんと対して変わりのない迷惑なやつ。

 という事実が、少女の鋭い視線から痛いほどに伝わってきた。

 

 これはあれだ、詰問を受けているんだな、俺は。

 一部の癖を持った人たちにとってはご褒美になり得たかもしれないが、生憎俺にそのような趣味はない。

 ただ心が擦り切れるように痛む。

 金切り声で「キャー不審者!」と叫ばれなかっただけまだマシか、そこが唯一俺に対する少女の優しさ、温情なのかもしれなかった。


 「この辺の人間じゃないわね、見ない顔だし、それに……。 今あいつに口出ししようとする奴なんて、どうかしてるわ。 何も知らないとしか考えられない」


 あいつ? さっきまで言い争っていたおっさんのことだろうか。

 半ば独り言のように悩みこむ少女は、何か言いたげな俺を制し、尚も厳しい口調で続ける。


 「あなた目的はなんなの? 力になりたいだとかそんな御託はもう良いから、あと名前、衛兵に突き出されたくないのなら、簡潔に答えなさい」

 「人助け、スズミ・ユウスケ」

 

 懐疑的な少女の瞳を正面から見つめ、極限まで短縮した自己紹介を披露する。

 そこに嘘偽りが入り込む余地は存在しない。


 「へえ、人助けねえ。 随分立派な趣味をお持ちで。

 でもその割にはあんた、さっき指咥えて見てるだけだったわよね。 そんな目立つ格好で突っ立って、気づいてないとでも思った?」


 え? マジですか?

 俺この子の真後ろにいたはずなんだけど、そこまでか、そんなに悪目立ちしてたのか……。


 「事情は知らないし、確かにこの街に来たばっかだけどさ。 本当にただ困ってそうだったから、力になりたいって思ってるのであって、そこに嘘はない、断言する」

 「困ってそうだったから……って、そういうのって普通、途中で割って入ってくるものじゃないの? あんた不自然にあたりを見渡しながらウロウロしてるだけだったじゃない」


 側からだとそんなにキモく見えていたのか。


 「結局あなた、完全にひと段落ついたところで私に声をかけてきたわよね?」

 「それは、はい……。 仰る通り」

 「ま、この方が都合が良いっちゃ良いんだけどね」


 唇に指を添え悩ましげに呟かれたため、彼女の言葉がよく聞き取れない。


 「ごめん、今なんて」

 「で? 本当は何の用なの? 助けたい云々以外で」


 少女が食い気味に、それでいて少しばかり刺々しい口調で、呆れたように息をこぼす。

 今すぐにでも立ち去ろうとしている様子だ。


 ここだぞスズミ・ユウスケ、ここしかない。

 この機会を逃したら、この場面で引いてしまったら、おそらくこの少女は二度と相手をしてくれないだろう、最初で最後、そんな気さえしてくる。

 たどり着いた異世界で、出会いに恵まれた。

 彼女が俺に対して抱く第一印象が最悪であろうことは、既に想像に難くないが、それでもだ。


 「頼む、君を助けさせてほしい。 その後でなら、衛兵だろうが何だろうが、突き出されてやるから」

 「はあ……、あのねえ。 私としては、あなたに今すぐにでもこの場を速やかに離れることをオススメしたいのだけれど。 絶対碌なことにならないわよ? 知らないなら知らないままで、観光でもして家に帰りなさいよ」


 少女が困惑の表情と共に髪をかきあげる、今やその眼差しには厳しさも疑いの色も見受けられない。

 俺という酔狂な変人に対する僅かな興味が、彼女の中で少しずつ膨らんでいるみたいだった。


 「ねえあなた。 確認するけど、あのクソ代行の差金じゃないのよね?」


 この子、なんの躊躇いもなく「クソ」って言った。

 美少女の口から、「クソ」という言葉を聴いてしまった。


 「く、クソだいこう? 何だいそりゃ、さっきのおっさんのこと?」

 「すっとぼけてるわけじゃないのよね? なら誓える? ついさっき初めて会話しただけの女のために……」

 「この命をかけて誓うよ」


 お返しとばかりに即答する俺の言葉に、少女の眉根がほんの少し上がる。

 簡単に命を持ち出したことに不快感を与えてしまっただろうか、だが撤回するつもりはない。

 今の俺が何かを誓えるのは、この命にだけだ。


 「知らないものは知らないし、違うと言ったら違う。 

 としか言えない、ごめん。

 確かに俺は何も知らないただの人間だよ。

 だからその分、学びたいって思いが、いま、人一倍あるんだ。 

 お礼は特に求めない、強いて言うなら……そうだな、この街のことを案内してくれれば、それでいい」


 どうだろう、即興で捻り出した頼み文句にしては上出来なんじゃなかろうか。

 俺はだらしなく頽れた体制から立ち上がり、手を数度払ってから、右手を差し出す。


 「正直なところ訳あって、土地勘だけじゃなくて行く当ても手持ちもない素寒貧なんだよね、ああ、見ればわかるか、それは。

 だからその、助けてほしいのはこっちの方だったり…………。

 なんて。

 あ、あははは……は……」


 その掌を暫く見つめた少女は、


 「あなた、頭おかしいんじゃないの?」


 そう嘆息し。

 まったく、どういうつもりなのよ、ほんとにいみがわからない。

 口々に、愚痴るような小言を零しながら俺の目の前へと歩み寄り、


 「私の名前はソフィア、ただのソフィアよ。 後悔しても知らないんだから、この世間知らず」


 そう苦笑しながら、砂に塗れた俺の手を、固く握り返してくれたのだった。



――



 「ソフィア、そうかソフィアか」

 「ねえ、意味もなく名前を連呼するの、やめてもらえます?」

 「………………いい名前だね」


 相も変わらず言動の端々がツンケンしているソフィアの案内で、俺たちは今ある場所に向かっている、らしい。

 

 ある場所だとか、らしいだとか、内容がはっきりしない理由は簡単、ソフィアが教えてくれないからだ。

 そんなに力になりたいってんなら、黙って私についてきなさいよ。

 そう言って、どんどん先を行く彼女の背中をなんとか追跡する。


 「あなた、この街のことはどの程度把握しているの?」

 「街の名前がロメである、ということだけ。 かなあ」

 「それって何も知らないも同然じゃないのよ、呆れた」

 「まあまあ、お手柔らかに頼みますよソフィアさん、どうせなら優しく教えてくださいよ」

 「………………」

 「すいません調子に乗りました」

 「……まったく、しょうがない人ね」


 言うと彼女は、めんどくさそうにへの字に曲がった口元を、慣れたようにニコリと変化させた。

 そうして、俺の歩行速度を完全に無視したハイペースで、歩みを進めていたソフィアとの距離が、ゆったりと近づき、石畳に伸びる二つの影がやおらに並ぶ。


 「最初のうちだけの特別サービスなんだから、感謝しなさいよ?」


 小首を傾げ、悪戯っぽく頬を緩めて見せるソフィア。


 ああもう。

 やばいなあ……。

 直視できねえよ。

 その仕草の一つ一つが即死級の破壊力を孕んでいる。

 さっきまで冷たくあしらわれていた分、余計に心にくるというものだ。 

 これがギャップ萌え?

 地面に跪き、生まれてきたことを女神に感謝でもしてやろうか、なんて衝動を必死に堪えて歩くことに注力する。

 そんな様子をどう受け取ったのか苦笑するソフィアに、また心が躍った。

 どっかの誰かが「美人は三日で飽きる」だなんて言葉を残したらしいが。


 「あり得ないな、明後日以降もときめき続ける自信がある」

 「? さっきからボソボソと。 言いたいことがあるならこの際はっきり言っちゃいなさいって」

 「なんでもない、続けて。 この街がなに?」

 「そうね、何から説明しようかしら。 といっても、そこまで複雑なことは何もないんだけどね……」


 そんな前置きを挟んだ後、ソフィアが解説してくれたことによると。


 この土地の正式な名称は、ノア王国・エトロア領・ロメ街であるらしい。

 ロメの街は、先ほど俺とソフィアが出会った大通りからなる中心地と、それを囲むように広がる四つの村で構成されていて、一番外側には一応のレベルではあるが、見張りの衛兵付きの関門も築かれている。

 四つの村にはそれぞれ、大雑把な区分ではあるが、分業という形での役割があるようだ。

 

 そして、本来であれば、活気に満ちた街である。

 比較的友好的な関係にある、砂漠の向こうの獣人の国との行商で賑わう時期があるらしい。

 とのこと。


「これだけ知ってれば、今は十分なんじゃない?」


 沿道の草花に視線をおくりながら、ソフィアはそう締め括った。


「ふーん、なるほどですね」


 不意に飛び出てきた『獣人』というワードについて、根掘り葉掘り質問したい欲望を必死に堪え、とりあえずは、今ある情報の整理に努めることする。

 超気になるけど。


 正直、ソフィアの説明は、ジュリアスから少し聞いていたことと、ほとんど同じような内容だった……のだが。

 街の活気についての認識だけは、多少異なっているみたいだ。

 今はシーズンじゃないのか、聞いた情報ほどの盛況はおろか、まともな人気もない街並みを、不躾に見渡す俺を咎めることなく、彼女は続ける。


 「今から私たちが帰る場所は、その中でも畜産を生業としているエルフィリアの村よ。 ここまでで何か質問は?」

 「なるほどね。 じゃあさっき絡んできてたクソ領主ってのは、そのエトロア領の支配者ってことでいいんだよな? 随分偉そうなのに目をつけられてるんだな」

 「偉そう……じゃなく、実際に偉いんでしょうね。 エトロア領のロメ街、ここを治めてる領主は他に正式なのがいるみたいなんだけど、なんの間違いか、実質的な権力はあいつが掌握してるみたいなのよ」

 「正式な領主でもないのに実権握ってるってことか? なんだよそれ」

 

 やばすぎるだろ。

 どうやら街並みや生活様式だけじゃなく、そういった社会的な価値観も、俺の理解の届かないところにあるようだ。


 「縁故か何か知らないけれど、地方の田舎だからってやりたい放題、現職の方は姿も見せない、本当に勘弁してほしいわ……。

 てな感じね、理解が早いようで助かるわ」

 

 石造の建物よりも、今や草木がまばらに茂る草原の方が多くの割合を占めている夕焼けの景色に、遠い目を向けソフィアがぼやく。


 「あの男の名前は?」

 「グスタリオよ、この街に居続けるのなら、覚えておくといいわ」


 グスタリオ、グスタリオね、了解。

 目の前の美少女の姿を追いかけることに必死で、パンク寸前の俺の脳内メモリの片隅にでも置いておくことにしよう。


 「ところであんた、家はどこにあるの? 家族は?」

 「どっちも心配はいらない、俺は旅の途中ということになっているからな、今は困り果てた少女に力を貸すただの風来坊ですぜ」


 命の恩人の受け売りでもあるジョブ設定に、軽口混じりの俺の返答を受け、


 「ふーん、なら都合がいい、良すぎるわね。 村のみんなも喜ぶと思うわ」


 そんな、受け取り方によってはホラー映画のセリフの一つのようなことを、ソフィアはぼそっと呟いた。


 あれ? 大丈夫だよな?

 俺これから無惨に殺されたりしないよな。

 異世界村とか、そんな題名の恐怖体験始まらないよね? 

 ま、まっさかー……。


 「ちょっと、何よ急にソワソワしちゃって、大丈夫よみんな優しいし、衣食住だってなんとかしてくれるわ」


 なぜだろう、すごくありがたい話のはずだ。

 俺が望んでついてきたはずだ。

 だのにそこはかとなく、嫌な予感がするような。


 「ほら、ついたわよ。 ここがエルフィリアの村、今日からあなたが、お望み通り力を使える場所よ」


 ソフィアに呼びかけられ、足元にまで落ちていた視線を上げる。

 ロメ街の中心部からしばらく歩いてきただけ、俺が辿り着いたその場所には、見渡す限りの草原が広がっていた。


 山小屋のような作りの建造物がちらほら、夕暮れ時だからかはっきりとは確認できないが、畜産担当の村というだけあって、動物の姿もたしかに見受けられる。

 広大な土地を余すところなく存分に活かした、ザ・田舎といった様相だった。


 「ふわあ、なんだか今日は特に疲れた気がするわね、あんたの影響かしら」


 深呼吸をするように背筋を伸ばすソフィアの隣で、景色に魅了され立ち尽くしている俺の足に、その時ふと、何かが絡みつくような感触があった。


 視線を落とし確認する。

 茶色い毛並み、愛らしいフォルム、前世におけるウリボーにも似た存在が、俺の膝あたりにしがみついていた。


 「なんだあお前、かわいいやつだな、撫でてほしいのか?」


 そしてにこやかにウリボーの背に手を伸ばす。


 「あっ、ちょっとダメ、待って!」


 瞬間、すぐ隣にいたソフィアがつんざくように絶叫し、飛び退くように後ずさった。


 「え、なになに? どうしたんだよいきなりぃごああっ⁈」


 ウリボーに伸ばしたその手をとめてソフィアの表情を伺おうとした、その時だった。


 みぞおちよりもかろうじて少し下腹部あたり、ごりっと内臓を押し抉られるような鈍い衝撃に吹き飛ばされた俺は、空中で二周半きりもみ気味に回転した後、まともな受け身も取れずに地面に叩きつけられた。

 肺の空気が全て吐き出たせいでたまらなく苦しいのに、次の呼吸もままならない。

 視界がチカチカと弾けている。


 なんとか目の端で捉えることができたそいつは、猛るように艶のある毛並みを逆立たせ、さっきまで俺の足に引っ付いていたウリボーを護るように威嚇している、まるで小山のような巨体が一体。


 ぐっ……、くそぉ。

 どこから現れたんだ。

 前回の、窓から転落した際の反省点を生かして、ギリギリのタイミングで頭だけでも守れたけれど。

 痛え! 体中が超痛え‼︎


 「あーあ、痛そー。 この子最近生まれたばかりの赤ちゃんだから、母豚の気性が荒くて大変だ。 って言おうとしたんだけど、手遅れだったみたいね、ご愁傷様」


 うめき声も上げられず横たわる俺の苦悶の表情を、心配半分面白半分といった口調のソフィアが覗き込む。


 おま、これは洒落になんないって……。

 抗議の意思ももはや形にはならない。


 「あちゃー……、まさか死んでないわよね。

 んー…………ま、いっか。

 みんなへの紹介は明日にするとして、今日のところはとりあえずこの辺に転がしておきましょうか」


 嫌にあっさりした様子のソフィアに誘われるように、腹部の鈍痛を連れて俺の意識は沈んでいった。

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