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現状打破から紡がれる異世界転生記  作者: ゆきの
第一章  転生失敗から学ぶ異世界処世術
6/9

04話 閃光VS潜口

 ―――生き物、とりわけ野生に巣食うそいつらは、追い詰められると、予想もつかないような手段を使ってくる。

 必殺技とも呼べるそれで、捕まえたり、逃げたり、トドメを刺したり……。

 眠たくなるようなドキュメンタリーで、いつか観たことがあった。

 そんなことを、思い出していた。


「―――え。 …………あれ?」


 ふと、ワームが忽然と姿を消した。

 俺たちが恐怖に気を取られた隙に、綺麗に、否、不気味に影と形が消失した。

 パッ……と、いなくなったのではない。

 微かに残る砂の浅瀬の揺らぎだけが、奴らの行方を知っている。

 残る三体のワーム全てが、飛び散った肉の一部と、既に乾き、すえた臭いを漂わす凝固した血塊を残して、体を完全に砂の中へと潜り込ませたのだ。

 漣のように流れる砂の上澄もやがて凪、気配すらも掻き消える。


 ついに逃げたか…………。 などと思えるわけがない。

 連中……、今度はなにをするつもりだ……?


「―――っ!!」


 唐突、馬車から数十メートル離れた砂の上に佇んでいたジュリアスが、弾けるように飛び退った。

 それはまさに、攻撃を叩き込むための前進、標的の追駆を目的とした跳躍、常に前へ先へと挑み続けた彼が初めて見せる、避けることのみに全力を注いだ緊急回避だった。


 それとほぼ同時。 

 ぼぐん……!! と、底の抜けた轟音と共に、さっきまで彼が立っていた場所、地面が陥没した。

 続けとばかりに、ぽっかり空いた地の底からサンドワームの血みどろの頭部が突き出してくる。

 イルカショーの垂直跳びのごとき鮮やかさ、獲物である少年を丸呑みにせんと天高く飛び出したその高さは地上四階分ほどはあろうか。

 どれだけの敵意を純粋な力へと還元させた芸当なのだろう、これでも全身の露出には至らず、未だ地下に下半を残している。

 飛び出してきたサンドワームが直立を保ちながら一瞬みじろぐ。

 何もなかった真っさらな砂漠に、突如として血みどろの塔が聳え立っていた。

 そいつは獲物を取り逃したことを確認したのかバックで穴の中へ引っ込んでいくと、空洞はすぐ流砂で埋まり、砂丘はなにもなかったかのように元へと戻っていく。


「――――――」


 馬車内に沈黙や絶句を超えたなにかが立ち籠め、あまりのことに全てが静止する。

 ―――目の前に圧倒的な死があった。


 汗を拭うような仕草をするジュリアス、そのはっきりとした両の眼が驚嘆に見開かれる―――が、瞬時に駆け出した、立ち止まる暇はないとばかりに。

 

 ごぼんっ――ばごんっ――ずごんっ――


 三体のサンドワームが立てる一糸乱れぬ激流により、茶色の辺り一帯がまるで水面の如く激しく、波打つように上下する。

 地響きが馬車の内部まで叩き揺らし、ホーガンと俺、大の男二人が抵抗虚しく転げ回った。

 馬は無事だろうか……、無理だろうな……。

 何かの角に肋を打ちながら、それだけが気がかりだった。


 ジュリアスもジュリアスで立ち止まらずに走り続けてはいるが、ワーム達はまるで、正確な位置を座標レベルまで特定し、さらに数歩先を予測でもしているかのような異質な一体感で彼を追い詰める。

 やがてその領域が狭まっていき―――


 地面の表裏を縫うその不規則な奔流に、遂にジュリアスが捉えられた。

 正面に飛び出してきた巨大な顎を間一髪で回避する。 が、避けざま、天地を構わず死角から迫り来た別の個体から繰り出される破壊的なぶちかましに、その細い体が触れる。

 直撃というには心許ないが、それでも確実な接触だった。

 ジュリアスは寸隠、フラーを当てがう、命中をずらすことで衝撃を去なそうと試みたらしい、だがそれでも威力を完全に殺すことはできず、彼は揺れる陽炎の向こうまで吹き飛んでいった。

 二転、三転と柔らかい砂に受け身を任せ―――がばっ、と立ち上がってみせるが、端正で可愛らしい鼻からは一筋の血が流れていく。

 俺に流れるものと同じ、赤い血が。


「まだまだ……、負けないぞ」


 ぬぐい、闘志衰えず光の剣を構えるが。

 その周りはすでに再び完成されたうねりに包囲されていた。まだ次が来る。

 確実に命を刈り取るまで、何度も―――何度も―――何度も。



「あわわ…………」


 なんて情けないんだろう。 


 抗えないほどの揺れから解放され、荒れた荷台で起き上がった俺の心に最初に浮かんだ感情だった。

 つくづく思い知らされる、自分がなんにも持っていないということを。

 ……こんなところまできてどうしてか、燻っていた記憶が蘇ってくる。

 

 ―――正直、常々俺は自己評価的に、「ちょっとできる奴」だった。

 成績は中の上、少しサボってしまっても反省し己の意思でリカバリーできる、そんな人間。

 …………まあ、本当にリカバリー効いてたかは正直怪しい所だが、それなりに上手くやってきたつもりだった。

 父に、母に、妹。

 なに不自由ない家庭に生まれた。そうして平凡な日々を、一つなにかを得て、二つ三つ……なにかを諦めながら過ごす内、非日常にちょっとした憧れを抱くようになったのは……、思い返せば必然だったのかもしれない。

 

 南に台風が上陸すれば、すごそうだなあとドキドキし、北にクマが出没のニュースがあれば、自分ならどう戦うか、もしくは逃げ延びるかを妄想した。

 ただ……何遍も言うように俺は平凡な一般人。

 そういったイレギュラーへの憧れも、想い焦がれるだけにとどまれる。

 常識からは外れない。法律だってちゃんと守る、酒とかタバコなんて触れたことすらない、ほんとだよ?

 ときたま夜中に一人、寝静まった街を、金髪の吸血鬼ヴァンパイアに巡り合えないかなー、なんて気分で徘徊してみるぐらいなもので、実際に自ら問題を起こしてみることもなければ、また、わざと渦中に飛び込んでいくこともない。


 それもこれも、俺には心躍らせる物語が常にそばにあったからだ。

 輝かしい人生を波瀾万丈に過ごす、様々な彼ら主人公に気持ちを乗せてページをめくっていくだけで満足できたんだ。

 ただただ何かを消費して、過ぎていって。

 そうして夢は夢のままで、普遍の明日を生きていける。

 そんな大勢いる人間の、唯一人。

 

 だがもし何かの間違いか運命の悪戯で、自分の身に非日常が降りかかってきたのなら。

 それがどんなに痛かろうが、辛かろうが、ばかばかしかろうが、曲がり角で女の子とぶつかってしまうトラブルだろうが。

 そんな……、非日常が降りかかってきたのなら。

 きっとその時は俺だって―――あの主人公たちのように立ち向かっていけると、そう信じていた。


 けれどどうだ……。

 実際に生死の狭間に放り込まれたら、このザマ。

 立ち向かうどころか震えて立ち上がれさえしない。

 命の恩人が血を流しながも戦い続け、弱っていくのをただ眺めていることしかできない。


「あ、ああ……、う、ぐ、うう…………」


 俺が一つ呻き声を上げる間に、ジュリアスの頬に浅い傷がつき、ワームの動きは協心戮力、加速度を増していく。

 この轟音が止み砂漠に静寂が戻ること、それ即ち、なにを意味することになるのだろう。

 

 怖い、怖い、怖い、怖い!!

 でもそれ以上に…………嫌だ、このままなにもできないのは。

 なんでもやろうと思えばできたはずなのに…………。


「クソ……、明日とか、いつかとか……っ。

 そんなのはもう言い飽きてるだろ…………、だったら早く何か、なにかないのか…………?」


 俺は……、俺はなにをすればいい、なにができる……。

 ジュリアスの為になにを差し出せる。

 涙を流している、ガタガタ震えている、立ち上がれないでいる、違う世界からやってきた、そんな俺に。



 そんな俺は―――なにもできない。
















「おい」











「おいって」











「…………?」











「おいこら!!!」

「―――え」

「ばかやろうなに泣いてんだ、しっかりしやがれってんだ」


 驚き、というより困惑と戸惑いが一気にやってきた。

 俺はなんだ……今、なにを…………。

 まさか、諦めたのか?

 誰よりも早く。

 まだ彼が、命の恩人が、ジュリアスが、戦っているというのに…………?

 おまえは、おまえはどこまで…………っ。


 目の前にはホーガンがいた。

 先ほど転げ回ったときになにかでザックリ切ってしまったのか、額からどくどくと血を流している。

 ジュリアスや俺と同じ、赤い血を。

 大量の汗に混じって流された鮮血が顔中に広がっていて、そのせいか、実際の傷の深さよりも遥かに痛々しく見えた。


「なんてツラしてやがんだよバカがよ」

「…………っ。

 その傷……、す、すぐに血、血を止めないと……!」

「これぐれえどうだっていい、ほっときゃ治る。

 それよりおれたちも早く―――」


 ホーガンは口を噤むと、伏せ目がちに動きだす。

 向かう先は…………え、御者台?

 その手はのばされ、死の危機を空気から敏感に察してかずっと今まで大人しく佇んでいた馬の首に、ぽすりと触れる。

 よ、よかった、無事だったんだな。

 ところで、だ。


「ちょ、ちょちょ、待ってください! なにを?」

「…………逃げるぞ」

「あ……、わ、わかりました。 じゃあジュリアスも早く―――」

「あいつは置いていく」


 狼狽える俺に、ホーガンは広い背中を向けたままそう言い放った。

 続けざま、


「おれたちがすべきこと、それはジュリアスが少しでも時間を稼いでいる間に逃げ延びて、生き延びて、起こったことをありのまま伝える、それだ。

 すぐにでもこの先の街の護りは固められ、被害の拡大は防がれる。

 安全が確認できたあとは商隊や旅人のために駆除の依頼が出されるだろう。ここは王国と砂漠の向こうを繋ぐ数少ない(ルート)のひとつ、そこに手負の砂竜だ、放置はできないと判断されれば……そうなりゃ誰か、奴らを倒せる戦力が動いてくれるはず。

 ことがことだ、ひょっとしたら国が動いてくれるかもしれん。

 そいつらがきっと仇も討ってくれる。

 …………急ぐぞ、ユウスケ」


 背を向けたまま、御者であるホーガンはスラスラとそんな説明をした。

 言ってる意味は……、理屈はわかった。

 ただ、納得ができない。


「なんで。本気ですか……? どうしてそんな―――」


 非情なことが。

 そう繋げようとして気づいた。

 ホーガンが、唇を噛み締めている。

 そのあまりの力強さに唇が裂け、新たに出血してしまうほどに、そして―――


「―――うるせえなあ、そういうルールなんだよ! 最初にアイツが提案してきたことだ!

 タダで護衛を引き受けてやる、その代わりできるだけ一番不安定なルートで進んでほしい、道中の面倒ごとは全部自分がかたずけてやるから……ってなあ! 腕試しがしたかったんだとよ!!

 意味わかんねえだろ?! ふざけたこと抜かすガキだと思ったさ、何度も追い返してやった!!

 だがさっきも見たろ? あんなんでしつこく来やがるんだ。

 終いにゃ、おれにはてめぇを一番に守れと、少しでもあぶねえって判断したなら自分を置いて逃げてくれて構わねえなんて言うもんだから………………。

 なぜだか、嘘ついてるようにも見えなくってなあ。

 なんかしようってんなら逆にとっちめてやろうって、最後はもう、騙されたと思ってのせることにしたんだ。

 こんなおれにも嫁と小せえガキがいる、いざとなりゃあ、頭のおかしいアホ一人見殺しにするぐらい屁でもねえ」

「………………」

「……でもよ、結局できなかった。 ずっと見ていたくなっちまった。

 強えんだよ、ジュリアスの野郎。 

 あんな楽しそうに戦いやがってよ。

 なんだかんだで勝ちやがってよぉ……。

 目が離せなくなって、気づけばこんなとこまできちまった」

「……ホーガンさん」

「だが、もう無理だ。 さすがにアレは手に負えねえ。

 もう積み荷を放る程度じゃ奴らの気は引けねえ……、終わりだよ、打つ手なし。

 なんの力もないおれらじゃできることはないんだよ。

 だから、討伐隊でもなんでもいい、あの化け物どもがいるここ、ここに……、呼びつけてやるんだ。

 ほら、いくぞ。 わかったらさっさとこの手をはなせ。

 おまえだってせっかく拾った命なんだ、生きて家に帰りてえだろ。

 そこまではおれも責任取るぜ、帰してやるよ。

 それともなんだ? やっぱりいまここで死にてえか?

 だったら、好きにしろ…………」

 

 浮かぶ涙をごまかすこともせず、ホーガンは疲れ切った顔でこちらを睨めつける。

 瞳はひどく色褪せていた、溢れすぎて、まるで感情の読み取れない、それは必死になにかを押し殺している人間の目だった。


 うっ、と心臓のあたりが軋む。

 ……そうだ、本心なんかであるはずがない。

 ほんの名乗りあって数分も経ってないそんな俺ですら、最大限の親しみを感じてしまうあの少年、彼とずっと旅を続けてきたこの人が。

 ついさっきまで表情を輝かせ真摯に応援を送っていたこの人が、一番辛いに違いないのに。

 それでも己のやるべきことを考え抜いた上での選択。

 それがこの人なりの責任の取り方。

 

 ―――光の盾を背負いながらジュリアスが走る。

 予測できない地面の陥没が幾たびか、はじまる。

 自分が今立っている場所がいつ抜け落ち、呑み込まれ、切り刻まれるかわからない。

 そんな恐怖に晒されながら、いったいどんな精神力があればそれでも他人のために戦い続けられるのだろう。

 ここまでしてもらうほどのことを、俺は彼に何か返せたか?

 いや、もらってばかりだ、この命すら。

 ここまでしてもらえるほど、俺は前世で徳を積んだか?

 いいや、親より先に死んだ世界一の不孝ものだ。

 ほんとだったら、問答無用で地獄行きでもおかしくなかったのだ。

 だというのに、なぜだ、俺はこの世界にいる。

 座り込んだまま、なにもできぬまま―――こうしてここに、生きている。


 ジュリアスの強さ、優しさは、彼という人の純粋な魅力なのかもしれない。

 できるできないは問題にせず、弱きを助け、強きを挫く。

 まるで……、あんなに憧れた主人公そのものじゃないか。

 そんな彼を今、ここで見捨てるのか?

 ついさっき、情けなくもフリーズしてしまった思考が、たった一つの答えを、俺の願望を示している。


「………………」


 答えはNOだ。

 できない。

 ごめんホーガンさん、できないよ。

 例えそれで全てが丸く収まるのだとしても、少ない犠牲で済むのだとしても、俺はまだ、そこまで考えられるほど大人になれない。納得できない。

 弱い俺のことだ、ジュリアスという犠牲をきっとこの先ずっと引きずるに違いない、何をしてても忘れられなくなる、そんなシリアスなファンタジーは丁寧に願い下げだ。

 そうさ、これはただのエゴだ。

 青臭い夢を、俺がまだ見ていたいんだ。

 なので! 独りよがりを押し通させてもらおう。

 せっかくこんなところに送ってもらって、やるだけやろうと決めたんだから。

 

 ―――魔法があって。

 ―――化け物がいて。

 ―――超能力があって。

 ―――憧れた存在、主人公がいる。


 

 そんな世界に、出会えたのだから。



「……やってやろうじゃないのよさ」

「―――なに?」



 ……さて。

 そうなれば、ホーガンの決意を否定するのなら、こっちも提示しなければならない、その覚悟を覆すほどの策を。

 サンドワームというモンスターを、まとめてぶっ潰す方法を。

 この頭で、自ら。


「俺に策があります」


 戦場を一瞥しその機をうかがうホーガン、言葉は当然のように無視された。

 手綱を握ろうとするその腕をさらに掴んで引き止める、厚く太い腕だ、この力強そうな筋肉でも、ワームを相手にしてしまえば悲しいかな、俺の生っ白いへなちょこな腕と均しいまでに無力になってしまう。

 振り返ったホーガンの双眸、切羽詰まった心中が顕になる。


「ここで逃げたら、一生後悔することになります」


 まずはそんな話し方をした。

 どんな言い方をすれば相手と上手く分かり合えるのか、俺はそういった術のようなものに明るくない。

 そのせいで妹とは常に大小些細な小競り合いが絶えなかった。

 かといって、原稿用紙に向かってセリフをじっくり考える暇もない。

 とにかくこの人の気を変える、納得させる。

 少しでも俺の方向へ、まずはそれだけを―――


「……っ、おまえ―――」

「後悔どころじゃない! 取り返しのつかないことになるかも!!」


 ぎりっ、と眼力鋭く口を開きかけたホーガンに、畳み掛けるように被せていく。

 だめだ、口論をしている時間はない。

 脳みそのフル稼働と同時に、舌を回転させる。

 『ワーム打倒の計画』と『ホーガンさんを説得』、「両方」やらなくちゃがなんとやらだ!


「いいですか、ジュリアスは今戦ってる、今苦戦している、このまま何も手を打たなければほぼ確実に敗れる。

 あなたはそう判断した、だから逃げようとしてるんでしょう?」

「ああ! そうだっつってんだろが!!」

「二人で決めたルールがあるから。

 それがまるっきり間違ってるなんて言うつもりはありません! 

 でも…………!」


 ホーガンが振り解こうと腕に力を込めるが、俺も離さない、離させはしない。


「でも、考えてみてください。

 このあと数分か、数秒か……、ジュリアスがどれだけ時間を稼げたとして、彼が負けたあと、あの化け物共は次にどう動きますか……?

 逃げていった俺たちをぼけっと見送りながら、呑気に食後の昼寝シエスタでもしてくれますか?

 それとも、あなたの言う討伐隊がここにやってくるまであの……っ、あの気色悪い! クソッタレの歯の手入れでもして待ってくれてますか⁈

 いいや断言できます、それだけはない」


 控えめな抵抗がおさまり、居場所をなくしたようなその褐色の腕が宙を彷徨う。


「あのワーム相手にする時間稼ぎには、もう意味がないと思います。

 なぜなら奴らは痛みを知らず、心を持たない、正真正銘の怪物モンスター

 それがあそこまで凶暴化してしまっている、ジュリアスに、()()に嫌というほど傷をつけられたおかげでね。

 あの激しい攻撃は止まらないでしょう。

 次の狙いを俺たちに定め真っ先に真っ直ぐに追ってくる可能性が高い、俺たちは抵抗できずに丸呑みにされ苦しみを感じることなく即死、それだけで済めばまだいい方です」

「だが……しかし―――」

「で、その次は? 次に奴らはどう動きますか?

 一服休憩をいれてからのらくらとお家に帰ってくれるでしょうか、いいえ帰りませんとも、その足でそのまま襲いに行くでしょうね、この先にあるっていう人間の街を……。

 俺は行ったことないですから、わからないですけど、もう…………街は、近いんでしょう?

 そこまで辿り着いてしまったら。

 そうなったら最後、もうおしまいなんじゃないですか?

 あのブサイクなイモムシ野郎の怒りが収まるまで、蹂躙しつくされるんでしょうね」


 ほとんどなんの反応も示さなくなったホーガンだったが、なぜだか不思議と、しっかり言葉と気持ちをたしかに伝えられていると……、そんな感触が確かにあった。


「猛り狂ったサンドワームの群れ、さっき教えてくれましたよね、手負いの砂竜は()()だって。そんな化け物を街の人たちが準備もできず、援軍も呼べずに迎え撃つことになれば、きっと山ほど犠牲が出ます。

 奴らを止められる戦力が到着する頃にはもう、街は破壊され尽くしている。

 その可能性は、考えられないでしょうか」


 これまで得た情報と、このひどい状況から導き出した、ただの仮説だった。

 それでも、十分にあり得る事態だと判断したのだろう、ホーガンの真っ赤な顔から血の気が引いていく。

 ……もう一押し、もう一押しはしたい。


「そうはさせないために、ここで仕留めきる必要があると俺は思います。

 幸運なことに俺たちには、ジュリアスにはその力がある。

 散々見せつけられたんでしょう、俺よりもたくさん見てきたんでしょう? あの強さを。

 勝てる見込みはあります、もちろん、このままじゃ無理でしょうが。

 ……ただ、足りないのは彼への援護。奴らの連携、たった一人の標的であるジュリアスからその憎悪(ヘイト)を少しでも逸らせる別の何か…………。

 いつもやってたっていうただの積み荷では、もう無理そうなんですよね?」

 

 考え込むように視線を落としながらも、確信をもってホーガンは頷いた。


「…………あれだけ。

 あんなに激しく動き回ってるジュリアスから意識を引っぺがすってんだろ?

 なら当然、それ以上の衝撃がいるだろうな。

 おれたちがここでこうしてひそひそ話してるぐらいじゃまったく相手にされないところを見るに、それこそジュリアスみてえに戦うか、あるいは―――」


 それを聞いて、俺の中で一つの答えに収束した。

 上手くいくという確信もある。

 問題も大アリではあるけれど……。


「なら、だったら…………………………例えば―――」


 そう、砂竜をぶっ潰す方法とはつまり。


「俺が囮になって奴らの注意をひ、引いてみる……っ、とか⁈」


 自分で言っていて、わけがわからなかった。

 単純明快。俺が飛び出して行って、馬鹿みたいに叫びながらダンスの一つでも踊り狂えば、確実に奴らの気をジュリアスから逸らすことができるだろう。

 だがそれは、俺が今からあの地獄の渦中に足を踏み入れるということであって。

 それとたぶん、いや確実に、死んでしまうということでもあって…………。


 え、まじ、本気で言ってんのか?

 どうかしてる―――じゃない、ちがうだろ。

 やってやるんだ、そうだろう。

 二秒ぐらいは稼げるか? いや、稼いでみせるよ。

 なぁ……ジュリアス。


 ごごごごごごごごごおおおおおぉぉぉぉぉっっっ。と、深く重い地響きが伝わってくる。

 サンドワームの旋流は未だ激しい。それは無尽蔵に近い体力の証明だった。

 もうもうと巻き上がる砂塵の奥で彼は今も戦っている。

 ……そうだ、自分を貫くためにはこれしかない、俺がたてた計画は、俺が遂行するしかない。

 痛いのも嫌だ、死にたくもない。

 でも、今自分が動けば確実に変えられるものが、目の前にある。

 ならやろうじゃないか。

 やってやろうじゃないのよさ!

 この決意が、ツルツルの脳みそといっしょに茹で上がってしまう前に。


「……囮。 ――っ、そうかそれだ!!」


 覚悟が決まりかけたような直後に、ホーガンが力強い得心の声を張り上げた。

 次いで、馬を置いて御者台から荷台へ引き返してくれた。


 おお、納得してもらえたようで嬉しい。

 のだが……。

 自分で啖呵切っといてなんだけど、そこまで盛り上がられるとちょっと怖気付いてしまう、竦んでしまう。

 

「―――っ、く、うおお」


 これ以上足が重くなる前に、行くしかない。

 荷台のヘリに足をかけ、ジュリアスのようにはいかない、不恰好な姿勢で飛び出す、着地でぐきりと足を挫かないことだけを祈って――

 

「んぎっ⁈」


 ぐいいっ、と襟を掴まれ、陽の下に晒しかけた体が引き戻された。

 カエルのように、またも荷台にひっくり返る。

 いや、ふざけてないから、本当に。

 張本人、見下ろしてくるホーガンは、困ったような顔をしていた。


「早まるなよバカタレ、囮だろ……、いい作戦だ、乗ってやるよ」

「あ、はい、ありがとうございます……、なので俺が今から……」

「最後まで聞けい、おまえが、もしくはおれが、そうやって飛び出して行ったとして、足手纏いにしかならねえ。

 あいつは今何のために戦ってる?

 ユウスケ、おまえが聞いたんだろ? 守るためさ、こんなおれらをな。

 派手にドンパチ暴れ回って、おまえが言ったように奴らの気を引いて、あいつはおれらを庇いながら戦ってるんだ。

 それを無駄にして飛び出すのはよお、違えぜそりゃあ。

 その行動は勇気とは言わねえ、逆に寿命を縮めるだけだぜ、全員のな」

「………………ぁい、すんません」


 ぐぅの音もでない。


「……謝んなよ、そんなのが欲しいわけじゃねえ。

 むしろ感謝したいくらいなんだぜ、こっちはよ。

 そうさ、おまえのおかげで閃いた、というか思い出したぜ。

 奴らの特徴、その弱点を。なんで忘れてたのか、くそっ。

 ……とぉ、汚ねぇ言葉が出ちまったなあ、こりゃ失敬。

 …………うむ。だから、その、なんだ。

 お前の気持ちは伝わった、わざわざあんな化け物なんぞに命をくれてやる必要はねえよ、……もったいねえ」


 バツが悪いのと、どこか照れたような視線を隠しながら、荒れ散らかった積荷たちへと、ホーガンは手を回し始めた。

 決死の覚悟が中途半端に立ち消え、へたり込んでしまった俺に、また、教授するように語りだす、その口調に、先程までの悔恨の思いはなくなっている。


「奴らには視覚も、嗅覚も、聴覚さえもない、それは見ればわかるな?」

「は、はい」

「なら奴らは何を頼りに獲物を探るか、答えは触覚さ。

 もっといえば、振動、必要ないと判断した機能を容赦なく削ぎ落とし、それだけに特化させた、砂漠の生存戦略。

 でけえ口、その中から伸びるあのベロみたいなやつ、それと体中にでてるあの突起、あれら全てが探知の役割を持つ、その性能は数キロ先で針が落ちた衝撃さえも感知し、追跡できるって噂だぜ」

「ええ……。 それじゃやっぱり逃げるなんてそもそも不可能な話なんじゃ……」

「だから奴らは、ほとんどの感覚と一緒に落っことしちまったんだろうぜ、それか畜生には、そもそも備わってなかったのかもな」

「なにがです?」


 純粋な俺の問いに、自身の頭を、こんこんと、ノックするような仕草をし、キザったらしくホーガンは言う。


「ここだここ、頭、バカなんだよあいつら、砂の上に落ちたのが針なのか人なのか、区別がつかねえんだ。

 言ったろ? 普段から、なにか感知するたびに砂漠を行ったり来たりしてるせいか、いつも追いかけてくるときは、そりゃもう惰性、さんざ食えねえものつかまされてもううんざり、めんどくせえって風にすっとろい動きなもんよ。でもって、いらねえ空き箱でも落としてやれば、いちいちそっちに集まってくれるんだ。単細胞極まれり、だな。

 奴らは基本砂漠をでない、そうして繰り返してりゃ撒けるって寸法さ。

 な? だからよ、わかるだろ?」

「…………はあ」

「この馬車を庇ってるあいつの邪魔にもならず、おれもおまえも誰も犠牲になんてならなくてよくって、そんでもって、ワームどもの気を引いてやればいいって話だべ?」

「……! そうです、そのとおりです!」


 大袈裟にガクガクと頷く俺などお構いなしに、ひっくり返った荷物をさらにでんぐり返し、なにかを探し回るホーガン。


「ところで何を探してるんですか?」

「あん? そりゃおまえさん、奴らの気を引く囮さ、今のワームどもはジュリアス相手に鶏冠にきちまってる、あの動き回る極上のエサから奴らを剥がにゃならん、どこいった……、確かに積んでたはずだぜ……っ」

「そんな便利なものが!? あるんですか?

 探しましょう、俺も手伝いますよ、もちろん」


 ただ投げて終わりにならない、なにか大きな振動が発生するもの……。

 なるべく派手に、なるべく大きく。

 こう……バリン! と、派手なのが…………。

 あ。

 これなんていいんじゃないか?


 俺はすぐ足元に転がっていた、何か道具のようなものを拾い上げる。

 見た目は、そうだな、木製の精巧な枠の内側に、細い金属製のフレームにはめられている、ガラスのように透き通っていて固い筒の中心、そこに綺麗な石ころが詰められていて……なんだろうこれ。

 でも、投げたらちょうどいい感じに割れて、派手な音を出してくれそうだ。


「お、魔鉱灯! それだよそれ!!

 おまえやっぱり運がいいだろ? なあ!

 その硝子が割れて魔石が反応を起こしたら、いい衝撃になる、流石の奴らもほっときゃしねえだろうぜ、だろ? 

 …………ん? どしたユウスケ」


 魔鉱灯。

 そう呼ばれた道具をしげしげと眺め回す俺に、奇異の視線が向けられる。


「これ、何に使う道具なんです? どうやって、ここ、ひねるのかな」

「あ? おいおい冗談だろ?」


 ホーガンは、俺の手から魔鉱灯をひったくると、下部のつまみのようなものを何やら操作した。

 するとどうだ、中心に詰められた石ころが明るみだし、暖色の光が荷台を照らしだした。

 石自体が、おもむろに光りだしたのである。

 これはまるで、魔法じゃないか。

 ……いや、言うほど魔法かな……?

 でも、なんとなくだけど…………なんか―――


「すげえ……」

「なあおまえさん、どんな田舎から出てきたんだ? それとも何年もどっかの監獄にでもぶち込まれてたのか?

 こんな魔道具、大きな街道にでもいきゃどこにでも吊られてるだろうに」

「ま、魔道具⁈ 魔法の道具? 

 これが⁈ うっそ、マジか……っ」


 思わず感嘆の声を漏らす俺に、ますます珍妙なものを見るような瞬きが向けられる。

 もう少しねぶっていたい欲に支配されそうになる。

 だが、それも一瞬、俺たちは我に返ったようにその魔鉱灯とやらを握りしめ、


「とにかく、これでいくぞ、これで奴らの意識を分断してやろうぜえ!」

「―――っ!? 了解!」


 互いに叫んだ。

 なんだか胸の辺りに、熱い力が漲ってくるようだった。

 手繰り寄せた、ようやく一歩を踏み出した。

 踏み出せた。

 よし、やるっ、やるぞ……!

 今届けるぞジュリアス!

 視界の先、立ち上る砂煙の中心に彼はいる、しっかりこの目で見えている。

 荷台の天井を気遣いながら、おおきく振りかぶって、俺は投げた―――


 ジュリアスを呑み込もうと猛り狂う、半径十数メートルにも及ぶ、その冷酷なサークルの、やや外れ、砂に着地した魔鉱灯は、その形を保ったまま埋もれはせず―――パリン!

 派手な音をたてた直後、割れたガラスの内より弾けたカラフルな鉱石の反応により、バチッとわかりやすく小さな爆発を発生させた。

 ワームが織りなす地震に比べれば、まるで遠く及ばない、雀の涙ほどの振動だったろう。

 一瞬よぎる、作戦の失敗、計画の破綻。

 だが杞憂だった。

 俺たちのこの決死の一撃は、投げた本人が一番びっくりするほど、絶大な効果を発揮する。


 ピタリ、とうねりが止んだ。

 訪れる静寂……。

 次に起こることを、俺たちはもう知っていた。


 砕け散ってからしばらく、バチバチと、燃え滓のような残光を撒き散らしていた魔鉱灯の骸、それが、四方の砂丘ごと消滅、大地がくり抜かれる。

 そして―――来た!

 

 ボゴォンッ


 爆発的な地響きをまとい、上へ上へと躍りあがるサンドワーム。

 これを待っていた、狙いはドンピシャ。

 ジュリアスは……、あ、いる、無事だ!

 呑まれたのは魔鉱灯の破片と砂のみ。

 あらぬ地点に飛び出してきたワームの頭に目を見張り、ついで、くりっとした瞳がこちらに向けられる。興奮で過剰に分泌された脳内物質のせいだろうか、ジュリアスと、やけに長く見つめ合えた気がして、


 ニコリ。

 

 俺たちの希望の口元に、ちょこざいな笑顔が帰ってきた。

 確信した、俺たちの作戦が通用した瞬間だった。

 

 無防備に起立したワーム、訪れる一瞬の硬直、その隙だらけな有り様自体は、これまで幾度も晒してはいた。

 しかしジュリアスは回避に全力を注いでしまって、尚且つ他二匹の追撃、奇襲も意識しなければいけない状況では、反撃に転じようもなかった、だがそれもさっきまでの話。

 瞬時にして意図を汲み取ったジュリアスの十二分の余力が込められた追躡ついじょう、光の盾が背中から掌まで、肘を滑るように中継されるその間に、丸みを帯びたその形状フォルムが、細長ーく変質する、今度のそれは、彼の背丈をゆうに超える、長大な槍。

 地を蹴り、天を仰ぎ動かざるワームの堅殻にずぶりと突き刺し、切り裂きながら体表を駆け上がっていく。

 腹か背か、もはやどうでもいいことだった、見事なワームの開きができあがる。

 てっぺんまでたどりつくと、ランドルト環よろしく劈かれた唇を蹴ってジュリアスはさらに上昇、ふぉんっ、とお天道様の下へお披露目するように光槍をひと廻し、――溜めて、溜めて……穿つ。

 直下を目掛け、開けっ放しの口からワームの胴体を天上より串刺しにした。

 ブモ〜、と空気が抜けたような音を立てて、悶えながら、汚泥の倒立が崩れ落ちる。

 難戦を耐え凌いで、全ての作戦が結実し、やっと三体目が崩れ去った。

 

「や、やった……」


 俺たちも、やっと貢献できた……。

 なんだか堪らなくなってホーガンを見ると、その頬辺にわかりやすく、血と汗を押し分けるような涙が走っていた。


 不落の連携を突き崩され、ペタペタと地表に這い出てくる残された二体のワームのその挙動が、どのような魂胆を示しているのか、もはや見当もつかなければ、考察するつもりもない。

 この場で、こいつらとは決着をつける。

 降り立った世界、モンスターと呼ばれる存在の本義を、俺の心はゆっくりと、飲みこめてきつつある。はっきりと別れた、意思も思想も合致しない、わかりあうことのできない相手。

 ジュリアスを通して対峙している、自分史上初の闘争。

 死にたくない、力になりたい、勝ちたい、ぶっ倒してやる。

 様々な感情が交差し、絡み合ったように渦巻いている。

 俺は今、自分が本当の意味で生きている気がしていた。


 ……そしてそれは、サンドワームもまた、同じことであるみたいだ。

 奴らはまだ、己の捕食者たる立場を疑っていない。

 その最たる証明として、二体の砂竜は、もう幾度目か、地中への潜航を開始する、単純に数が減ったというのに、砂丘の胎動は弱まるどころか、さらに激しさを増していく。

 その共振、流動が、心象に二対の蛇竜ウロボロスを思い起こさせる。中二の時、よく手の甲に落書きしてた、かっこいいアイツだ。

 まさに、際限なき力による、破壊と死の暗示そのものだった。

 ジュリアスはもう避け回ることそればかりか、身じろぐことすらやめていた。

 言葉も合図もなくたって、その佇まいからは「タイミングは任せたよ」と、言わんばかりの信頼が伝わってくる。少年の肩に、俺とホーガンの全幅が乗る。

 ここまできたら、逃走という選択を捨てた瞬間から決まっていたこと、死ぬときは一緒だ。

 次に来たる間隙を制した者が、決着を告げる一撃を振るう。

 確信があった。

 そのときが近い―――


 対のワームの織りなす、あまりにも激しすぎる狂濤により、視界一面に無数の渦巻きが発生した。その光景に、蟻地獄を彷彿とさせる抗いがたい畏怖と、時の砂を想起させる儚げな情景、相反する感服が押し寄せる。

 なんの偶然が重なった訳でも、天災が降りかかっているのでもない、ただの命が、肉体を根源として、この圧巻の足掻きを紡いでいる。

 

「……ざっけんな。 絶っっっ対生き延びてやる。

 やりたいこと、できなかったこと、全部やってやるんだよ! 俺が! この世界でなあっ!!」


 完全に頭に血が昇っていた。

 ドクドクと、激しい鼓動がこめかみやら首筋やら心臓やら、あらゆる場所から響いてくる。

 開き直りにも近い決意が、血管を巡り全身へ伝播されている。

 握っている次弾の魔鉱灯をこの場で潰してしまう勢いだった。



 ズゴゴゴォォ……



 生きた地響きが足元を渦巻いているのを感じる。

 次第に、限度を逸する砂の澎湃が蜂の腰(オリフィス)を決壊させ、地平が隆起しはじめる。

 天地が覆るほどの衝撃へ捧ぐ、荒々しい前奏曲(プレリュード)

 絶好のタイミング、位置が迫ってきていた。

 竜の名を冠する怪物(モンスター)を屠るための、唯一にして最大の策、博打であってはならない、失敗は許されない。

 

 初めから体の一部だったかのように、すっぽりと手中に収まっている『魔法』を、指の腹で軽く撫でた。

 気のせいかもしれない。

 動力源たる魔鉱石がボンヤリと微光を発し、欠けた硝子の隙間から何かが漏れ出ているような気配がする。あくまでそれだけ、目に見えず、臭いもない、でも確かにそこに感じることができた。木目調のシックな筐体に触れているだけでも、ばちばちと、なんらかのエネルギーの迸りが、手のひらの薄い皮膚を刺激する。

 これがいわゆる魔力と呼ばれるものの正体なのだろうか、こうして体験してみると、静電気なんかとかなり似ていた。


 人体への影響とか……、平気なのかな。

 そんなこと言ってる場合じゃないことは理解している、それでも、この感触を刻んでおきたかった。

 現在の俺たちにできる最大限、その最後の切り札、その全部、


「頼んだぜユウスケ! おれのぶんまでなあ!」


 ホーガンが猛り叫ぶ、


「もちろん!」


 ―――応えた。

 魔鉱灯を軽く握り、もう一度、最後の一回であってくれと願う遠投の構え。

 激しく移り変わる砂の起伏、その中に潜むワームの現在地、そして、一番奴らの気を引けて、尚且つジュリアスの速攻の最大限を確実に活かせる地点。

 いろいろ計算しなければならず、答えを導き出した上で、寸分違わず投げ込まなければならない。


 それこそまさに、正確な送球でランナーを刺す、野球における外野バックホームのように。

 キーパーとの駆け引きを制し、逆転の一蹴を叩き込むサッカーのペナルティキックよろしく。

 バスケのスリーポイントシュート。

 ゴルフで言ったらホールインワン。


 ああもう……。

 どうしてこういう時の理想はいつも、びっくりするぐらい最大値になるんだろうか。

 そんな高等なことやれって言われてすぐできたら、人間は誰も苦労しちゃいない。

 身の程を弁えろという話だ。

 まったく、笑えてくる。

 なりたいと思いさえすれば、なんにでもなれる―――的なことを最初に言い出したのはいったいどこの天才だ?

 ならば今、本気で生きたいと願えば、俺の命は明日へ繋がるだろうか。


 振りかぶる。

 下半身の力を利用。

 目標地点を一心に見つめ、腕を―――




 瞼の裏に蘇る、遠い記憶が、戻れない日々が。

 半ば強制的に参加させられてたちびっこ球技チームだった。

 地元屈指の弱小チームで、勝った思い出なんてまるでない。

 嫌々、というほどではなかったが、ガキの自分の意思決定はほとんどなかったように思う。

 その終わりを告げたのも、卒業という言わば自動的なものであり、これといった感慨もなく、いつか振り返ったときどう思うかなんて……想像もしていなかった。


 でも……現に今、言葉で理合を解説できなくとも、体が所作を記憶している、どこをどう動かせばいいのかがわかる。

 無駄だと思っていたことが、ここで確かに活きていた。


 ―――やっててよかったよなあ。


 だなんて、調子のいい人間だ、本当に。

 散々反骨しておいて、きっと心配もさせたんだろう。

 気づかないまま、なにもできず、勝手に死んで、勝手に生きて。

 そんで都合のいい時ばかり、感謝だなんだって、感極まるんだから。

 下手な生き方だ、要領が悪いにも程がある、我ながら考えさせられる繰り返しの日々だった。


 反省と後悔の区別もつけられない、そんな感情が嫌いで、きっとそれらは、嫌われるべきであると。

 世界には意味のあるものだけが残り、意味のないものは消えていくのなら、理由なく存在してはいけないのだと。

 学だ、論だ、法則だのと、そんな借り物を並べ立てたつもりになって。

 考えていた。

 うだうだと繰り返していた。

 周りを見て、自分勝手に思い込んでいた。

 そうして思考を巡らせていさえすれば、こんなんでも、俺はちゃんと今を生きていますよと、自分はしっかり前を向いて進んでいるんだよと。

 だからそんな風にバカにしないでくださいよって。

 人並に、胸を張ってもいい気がしてたから。


 だが違う、違かったんだ、全部。

 たぶんだけど、深い考えなんていらなかった。

 生きるには、死ぬ前に、やり始めなければならないんだ。

 ただそれだけのことだった。

 

 自分が嫌いだ。 そう思ってしまうことがある。

 けれどおんなじくらい、こんな自分が大好きだと。

 言えるような人生を信じたい。


 こればっかりはもう、どうしようもない。

 ―――そう、だからこそまだ、諦めきれない。

 こんなに醜く、脆くて、無駄な人生を、胸を張って愛せるようになりたいんだ。


 少しだけ、わかった気がする。

 (スズミ)悠介(ユウスケ)

 あまったれなコイツが、この世界へやってきたことに、何か理由があるんだとすれば、それはきっと――

 ただでさえ無為に終わった人生を捨て、やり直すためじゃない。

 全てを背負い、引き継ぎ、次へと進むためにやってきたんだ。


「あと頼んだぞおおっ――

 ジュリアスうううぅぅぅぅぅう――っっらああ!」


 ―――振り抜いた!


 万感の込められた、渾身の一投。

 完璧な手応えがあった。

 綺麗に飛んでいく。

 ドラマチックすぎる内心を反映したような、勢いのある一直線。

 ぶちぶちと、どっかの筋肉か神経かが切れる音が聞こえた。

 計算なんて結局、あってないようなもん。

 全力の投球、誠心誠意のお祈り。

 中空に吹いた風のせいか、少し進路が逸れたが―――


 さくんっ


 魔鉱灯は、無事に着地した。

 動く円の少し外側、逸れたのがむしろよく働いたかもしれない。

 それから即座に、我らが(デコイ)の本領が発揮される。

 ほんの一瞬、きゅうっ――、と周囲の酸素を飲み込んだようなゆらぎが生まれ、


 ズウゥ…………ゴオッガアアアアン


 空気が揺れ、大地が破裂した。


「ういぃっ……―――⁈」


 荷馬車まで到達した爆風にあおられ、反射的にかがみ込む、あわせて飛んでくるかもしれない破片から、頭を守りながらだ。

 ま、まずいぞ、威力が想定の十倍はある……。

 思わず、やっちまった、と反省してしまうほどだった。

 誘き出すどころか、逆に警戒させてしまったかもしれないぞ。


 ぱらぱらと、撒き散らされた砂埃が降り注ぐ。


 ホーガンさんさっき、あの道具どこにでもあるって、そう言ってたよな……。

 大丈夫か? この世界。

 ―――いや、扱い方を間違えたら危険なものなんて、前の世界にも普通にあったか……と、そんなことはどうでもいい。

 俺はかぶりを振り、少し遅れて状況の確認に入る。

 がばっ、と勢いに任せ、ジュリアスのために叫びたい衝動を必死に抑えて、起き上がった。


 ちょうどだ、その時ちょうど。

 爆散し、いびつに曲がりくねった砂の水面ごと、大地が崩潰している、ぽっかりと覗く空洞の出現。

 ―――つまりそれは、来た! 来てくれたんだ!

 奴ら、釣られているぞ!!!


 もはや慣れてしまいかけている、ワーム工地震のその直後。

 どっかーん! と。

 迫り上がる、昇る―――サンドワームの突き上げ。

 そうだ、昇れ、上がれ、もっと上までいけ!

 そうして隙を見せろ!


「よっしゃあぁ!!」


 嬉しくて、嬉しすぎて、叫んでしまった。

 行けぇ、今だジュリアス!

 ジュリアス……?

 あれ、彼はどこに……?

 探す。

 晴れた砂煙の奥、震える砂丘の先、大地に建つワームの塔立。

 いない、いないぞどこにも……どこ? どこだ⁈

 右往左往ではたらず、縦横自在に視線を泳がせる。

 控えめに、ギラつく太陽へ手のひらをすかしてみた先に。

 ―――見つけた。

 彼は既に―――そこにいた。

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