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現状打破から紡がれる異世界転生記  作者: ゆきの
第一章  転生失敗から学ぶ異世界処世術
5/9

03話 輝きは君の中に

 全てを包み込んだ閃光―――。 

 それは結果的に見たくないもの、絶望を、恐怖をも、一瞬にして消し去ってはくれたが。

 効果があったのもまた、刹那的だった。


 ジュリアスが放った―――と思われる、その光の束が消失する。

 瞬きもできないほど、ほんの一秒にも満たないその間では、当然のように状況はなんにも好転してはいなかった。

 気色の悪いサンドワームは視力を持っていないせいか、特に刺激されるでもなく未だ五匹とも揃ってピンピンしているし、俺もまた……へたり込んでいるままだ。


 ただ、たった一つだけ変化が生まれていた。

 それはまるでくだらのない、アハ体験のような、ただそれだけの違いではあったが………。

 俺とおっちゃんにとっては、まさしく、希望そのもの。

 

「よーっし、やったるぞお」


 屋根の上、気合いを入れるジュリアスのその手にいつのまにか、一振りの剣が現れている―――。


 ひゅん


 と軽くスナップさせるように、その剣が握られた右の掌を扇ぐ。

 煌めきそのものを凝縮して模ったような焔と見紛う極光を放つ黄金の刀身は、長さがちょうど彼の腕一本分ほど。

 ショートソードと呼ぶに相応しいそれには細部に至るまで巧緻な意匠が施されており、流れるような型を思わせるジュリアスの動きに合わせ、星屑の如きその光塵を惜しげもなく溢している。

 とてもぽっと出てきていい代物ではないということが、素人の俺でも容易に理解できた。

 そんなものをいったい、どこから取り出したのか……?


 この場の誰も動けなかった。

 あの化け物共でさえだ。

 一滴も存在しないはずのその、水を打ったような砂漠の異様な静けさに、呼吸のしかたすら忘れそうになる。


「しっかり見てろ、目を離すなよ。

 だが、あぁ……クソ、やっと解放されると思ったのによ。

 きっとあいつが本物なら、面白いことになる……はずだ。

 はあ…………、あとなんぼこんな思いをせにゃならんのだ」

 

 なめくじの如き慎重さで窓際へと躙り寄ったおっちゃんは、肯定にも否定にも偏りきれない複雑な表情をしていた。

 なぜだか、送る双眸は愉快そうな輝きを失ってはいない。


「ほれ、おまえも集中しろよ、じゃなきゃ見逃しちまうぜ」


 確かな不安と確実な期待が入り混じった眼差しを戦場へと向け、息を殺す。

 その瞳の奥にある微かな期待の存在――これがわからない。

 なんでそんな顔ができるのだろう。

 

 ず…………………ざ………………………。


 巨大なワームのかすかな身じろぎそれすらが、ぶわぁっと、砂の上を伝播していく。

 だが、それだけだ。

 目の前に追いかけていた獲物、それが往生したように身動きもせずにいるというのに、一向に襲いかかろうとはしない。

 些細な身じろぎこそすれ、まるで様子を探るかのように、いや、警戒している……?

 一方的になぶろうとしていた餌。

 それが今や、ジュリアスという一人の少年によって、奴らの中で明確に己が生命に危害を加えんとする『敵』へと変貌を遂げているようだった。


「あの、御者さんは―――」

「ホーガンだ。 好きなように呼べ」

「あ、はい、わかりました。 では、ホーガンさん」

「…………。 まあ、いいか」

「…………?」


 御者であるおっちゃん、もとい、ホーガンは、若干居心地が悪そうにみじろいだ。

 丁寧すぎて距離を感じてしまったろうか、ジュリアスとのやりとりを見るに、ホーガンがフランクな人柄なのはなんとなくわかる。

 が、初対面の、それも目上の人にタメ口などを利くことにはやはり、少しの抵抗があった。

 親の教育の賜物である。

 それに今、冗談みたいな化け物を目の前にして、そんなとこまで気を使う余裕も正直なかった。

 ので、申し訳ないが構わず続ける。


「さっき、煽ったって言ってましたけど、具体的には何を……?

 何したらこんなことになるんです?」

「いやあ、まあなあ……」


 ホーガンの返答は煮え切らない。

 いや、マジで何したんだよあんたら。


 じりじりと、弧を描くようにワームが迫る。

 奴らにも生きるための糧が必要なのだ。

 少年に、おっさんに、死にかけの青年。たった三人―――されど三人。

 五つ全員、巨躯の飢えを癒すに程遠い血肉であったとしてもそれが、こんな砂漠では充分に満足できる贄であることに変わりはない。

 絶望の大穴はじくじくと充血し、黒鉄の鞭は強烈な唸りをあげしなる。

 恐怖とは、与えるだけのもの。

 熱砂を掻き臥せる五つの邪竜の殺意は、今まさに最高潮へ達しようとしていた。


 だがそれでも、奴らの方から暴虐へ、前進へ、火蓋を切らせるには至らない。

 捕食衝動のみに従うはずの怪物モンスターを躊躇わせている。

 剣を一振り携えた、少年がだ。


「うー…………ん? あれ……? ちょっともう。

 なんだいなんだい、ここまでしつこく追いかけておいて、襲ってこないの? 戦わないの? むしゃむしゃ齧りたくないの?

 その怖い顔じゃ、にらめっこしても楽しくないんだよね」


 欠伸でもしそうな余裕な面持ちで、ジュリアスは光剣を掌で転がす。

 まるで体の一部かのように。

 貪欲に迫る脅威を掻き消し、その陽刃は静かにひかめく。


「おい、お前もこっちゃこい、しっかり見守ってやるのが、今のおれたちがしてやれる唯一の応援だ」

「あ……、は、はい。 いきまっす……、そっち……」


 小さく手招くホーガンに素直に従い、ゆっくりと、汗の雫が頬を伝うよりもノロい動きで、俺も窓の側へと身を寄せた。

 微かに軋む木の床板に、細心の注意を払う。

 心臓が握りつぶされるような緊迫。


 こんな時に、なぜか唐突に脳裏に鮮明に蘇る―――夜中、寝静まった親に気取られぬようゲームをしていたあの日々が、その光景。

 あの頃は楽しかったよなあ、なんも考えず、不安もなく、毎日を過ごしていた。

 …………それがなんでこんな、何をしてるんだ俺は。


 心底から恐怖に屈し怯えきった俺とホーガンとは裏腹に、光の少年、ジュリアス・ゴールドラッシュは、ステップでも踏むかのようにその小柄な細身を軽快に揺らし。

 構えた。

 賽は投げられている―――


「だったら、こっちからいくよ―――っと」


 軽い。

 ほんの軽い跳躍。

 屋根から大地へ降り立ったジュリアスは駆けた。

 砂を蹴り、最寄りのワームの体表を駆け上がり、比較的柔らかそうな口の端を切りつけた。

 ぶしゅっ、と破裂したような音と共に砂を這う竜の血が吹き出す。

 ヘドロによく似た色と粘性を持った血液が砂上に撒き散らされ、おぞましい金切り音―――絶叫が砂漠を満たした。


 サンドワームはここまでされてやっと、そこで初めて、己が身の窮地を認識したのか反撃の動作モーションを仕掛けるが、まるで出遅れていた。

 巨体、圧倒的な質量そのものを振り翳し縦横無尽に馳せ廻る閃光をすり潰そうとのたうつが……。

 モノともせず、ジュリアスは踏み込む。

 彼のたった一投足、それだけで砂丘の一塊が爆ぜ、少年の軽量級の一閃に鬼神の如き膂力を生み出した。

 正確無比に叩き込まれる斬撃が、分厚く硬い鎧のようなワームの皮膚から夥しい血肉を吐き出させ、苦し紛れ、もはやそうとしか感じられない鞭のような器官による猛烈な薙ぎ払いすらも、真正面から捌ききり、いとも簡単にそれを粉微塵にする。

 言いようのない、黒板を引っ掻いたような断末の悲鳴が切り裂かれたワームの体内から漏れ出た。


 ……どうしたことだ。

 純粋な恐怖の対象としか思えなかったあの砂竜がまるで、天敵相手に無駄なあがきをするイモムシ程度に見えてくる。

 ワームの一体がついにはぐったりと折れてしまい、自らぶちまけた血の海へと沈んでしまった。


 ――一体撃破。


 ……………………………え?

 いや、待ってなにそれ。


「ははあ、いつ見ても惚れ惚れするな」


 横で苦笑する、ホーガンの感心の声。

 それから俺の現実も、ようやく追いついてきた。

 先に攻撃を仕掛けたのはジュリアスだ。

 神速の戦線、その数秒の攻防をゆっくり噛み砕き、嚥下し、反芻し、やっとこ……認識と理解を済ませようと脳みそをフルに回転させる。

 残された結果は、ドクドクと汚泥のような内臓を爛れさせたワームの亡骸がまざまざと教えてくれていた。

 サンドワームの一体を、ジュリアスが屠ったのだ。

 一瞬にして。


 いや、わからん。 なにこれ。

 本当に一瞬の出来事。

 なんかすげえことが起こったということだけは、かろうじて理解できた。

 でも……なにこれ?


 呆気に取られる暇はない、戦場は目眩く転変する。


 砂漠に突如生じた真っ黒なオアシス。

 泥じみた体液に筋張った肉、それに砂が混ざり合った煮凝りのようなサンドワームの死骸。

 数秒前まで仲間だった()()から産まれた恵み。

 それ目掛け、三匹のワームが磁石みたいに無機質に群がっていった。

 黒鉄の鞭。

 奴らはおもむろに、今まで凶器としてしか用途を見せなかったそれを、砂に染みかける肉溜まりに突き刺すと、ストローのような要領で啜り始めた。

 ズズ……ズルル。 と、汚らしく飲み下すさまが、平然と繰り広げられている。


 ―――あ、ソレ、そういうふうにも使うんだ……。


 俺の感情はもうなんか、じんわりと達観めいたものにシフトしつつあった。

 考えちゃいけない、考えないようにしよう―――と、思ってみるが。

 すかさず奴らは、閉じることを知らなそうな大口で筋をちぎり、骨を砕き、それらを合わせて呑み込んでいく。その猥雑な音が鼓膜に張り付く。

 残酷が間断なく押し寄せ、同時に吐き気がぶり返してくる。


 ダメだ、やっぱり何か必死に考えていないと、逃避しないと、気が狂う。

 なにが……。

 なにが別名『砂竜』だよ、こんなキモいのが竜だなんて俺は認めないぞ……、空飛んで火ぃ吹いてぎゃおおと鳴けよ!

 俺たちのファンタジーを汚すな。

 ふ、ふざけやがって……。

 

 無理やり込み上げる見当違いな怒りも、本気の恐怖の前では瞬時に霧散してしまう。

 隣で顔を顰めるホーガンを横目で確認、自分の感覚が間違ってないことに安堵する。

 そうして正気を拾い集めるぐらいしか、今の俺にできることはなかった。


 同種、同族という分別などない。

 ついさっきまで同陣営だった者の、死体に群がり共食うワーム。

 もちろん、共食いというものが存在することを俺は知っていたが、眼前でまざまざと見せつけられるそれが、ここまで不快なものだとは……思わなかった。

 対してジュリアスは、繰り広げられる過激な生存競争も意に介さず、追撃の手を緩めない。

 姿勢を欠片も崩さない。

 たった一人で再度歩みだす。

 べっとりと粘性の強い体液が纏わりついた光剣を回旋させ穢れを払うと、もう一発とばかりに地獄絵図のその渦中へと踏み込んでいく、光を携え、さらに攻撃を仕掛けるべく疾駆する。


 ―――そんな少年をすっぽり覆う、影が落ちた。


「―――っ」


 振り返るジュリアス。

 滑らかな砂の中から、黒い器官だけが直立していた。

 数メートルも離れてない、振れば当たる、射程圏内だ。

 

 そういえば奴らは最初、全部で五体だった。

 ならば、生残しているワームは合計四体のはず。

 子供でも解ける簡単な計算だ。

 たった一体そいつだけが、事切れ、食糧と化した仲間だったものに惹かれることなく、脅威を絶やす為に砂中を伝い潜伏していた……ということなのだろう。

 ジュリアスは、見落としていたのだろうか。


 俺はなぜ気づかなかった。

 危険だと、何かがおかしいと、なぜ声を張り上げなかった?

 そんなのわかりきっている。

 最初(ハナ)から……自分のことしか考えていないからだ。

 後悔する時間は、もうない。

 

 残像が生じ、ワームの鞭が踊る。

 驚愕したその表情、少年の剣は先ほどまでの獅子奮迅からは想像できないほど容易く弾かれ、宙を舞った。

 野生の本能は獲物に生じた隙を逃さない、すかさず欠片の慈悲もない純粋な殺撃の鞭が跳び、


 グシャ、と潰れたような音がした。

 次の瞬間、放物線状に吹っ飛んでいくジュリアス。


「―――――あ」


 その息を呑む絶叫が、俺のかホーガンのかわからない。

 スローモーションのようだった。


 まともにくらったジュリアスの胴体は寸断されて……いない。

 では、その威力に潰された内臓や鮮血が飛び散っても……ない。

 彼の表情は苦悶に歪んで…………ない。

 なんなら笑顔だ。

 あれ?


 吹き飛んでいるジュリアスは、またも何かを手にしていた。

 衝撃の直前か、どこからか見当もつかない。

 追いきれなかったその一瞬の内の出来事。

 あれは……盾だ、彼は己の胴体ほどのサイズの盾でその身を覆っていた。

 形こそ一変したが、特徴には差異がない。その黄金、その細緻な装飾、酷似している。

 分かたれたショートソードと同質の光。


 ぎぎぎぎぎききききき


 呻くようにワームが鳴いている。

 見ると自慢の触手が歪にくびれ、中腹あたりは内側から破裂していた。

 どうやらその威力に潰音を上げひしゃげたのは、ワームの触手の方だったらしい。


 未だ宙を舞うジュリアスは、惜しげもなくその重厚な護りを投げ捨て―――俺は、今度こそ目撃した。


 まるで無垢な天使が救済を与えんと地上に降り立つさまを、目の当たりにしたような僥倖。

 世界に満ちる光芒が形を持ち、まるで意思を持って、ジュリアスという少年の手中へ迷いなく集約される―――と、間断なく金色の奇跡が顕現する。

 

 剣、盾ときて、彼が手にしたお次は―――弓。


 吹き飛びの最中ながらも彼は、発現したその光の弓を瞬時に引き絞り、放った。

 一連の動作には少しの淀みもない。

 矢を番えたようには見えなかったが、それでも確かに射られる一条の光輝。

 それは空を裂き、一切のぶれもなく、レーザーのような軌道でまっすぐワームの口腔内へ飲み込まれていった。 


 数拍おいて―――どむんっ。

 巨体が跳ねる、叫ぶ大穴、その暗闇の奥に淡い月白の小爆発が起きているのを、俺とホーガンは確かに見た。

 そうして程なく、旺盛な食欲を後回しにしてまで奇襲をしかけた二体目も、ついには音を立てて倒れ動かなくなった。


 それから、さくっ、と。

 砂の上に華麗な着地をしたジュリアスは、


「にひっ」


 こちらにピースサインを送るのだった。


「す、すげーつえー」


 ワームと一緒に、俺の語彙もお亡くなりになってしまったようだ。

 ぱちぱちと誇らしげに拍手を贈るホーガンに習い、俺も拳を振り上げた。

 い、いいぞ、よくわかんないけれど流れは確実にこちらについている。

 一方的と言ってもいい。

 ジュリアスは勝てる!

 なんて、最高潮に達した興奮が叫んでいた。


「これが魔法か……、すげえな、想像以上だ……」


 無意識にそんな言葉が漏らせるほど、俺のSAN値も回復している。

 気づけば吐き気も大分弱まってきていた。

 だがそんな俺の吐露に、


「あれは魔法じゃあねえぞ……?」


 ホーガンが頓狂な声をあげた。

 俺はゆっくりと彼に向き直り、


「え……? 違う? え、いやだって、あれは明らかに……」

「魔力を使ってないだろ? それに呪文だって唱えてねえぜ、だろ?」

「いや……そんなこと言われても」


 わかんないよ。

 吐き出したくなるほどに溢れていた恐怖、やっとそれらを押し除け、疑問が思考を埋め尽くした。

 問おうとする、俺の口よりも先に。

 ―――ジュリアスが翻る、三度戦場へ。


 ちょうど食事を終えたばかりな三体のワームは、二体目の死体にはもはや目もくれなかった。

 この短時間で最初の死骸の跡形も血の池も悉くをたいらげ、腹が満たされ大満足といったところか。

 ならばジュリアスが新たに振る舞ったそこに転がる二体目の肉、これを腐る前にタッパーにでも詰めておとなしくお帰りになればいいものを……、そんなことになる気配は当然としてない。

 復讐や仇討ち、そんな概念や、感情というものを持たないだろう奴らの行動基準などわからない、知る由もない。

 が、目の前のこの化け物が食欲を満たした後にとる行動など、想像に難くなかった。

 ジュリアスが推測したような、揶揄われたことへの仕返し、撒かれた過去を清算するという目的が、執着という本能を介して多少は生じているのかもしれない。

 だけど……、醜く収縮と膨張を繰り返すだけのこの生き物を見るに、そんな事情など関係ないようにも思う。

 実際はただ目の前の、触れさえすれば簡単に壊れるおもちゃを甚振る。

 子供のように純粋に、悪魔のように残酷に。それだけのことでしかない。

 結局生かすも殺すも、きっとこいつらに理由なんていらないんだ。

 自分という個体が生きていさえすれば、構わない。

 今さえ良ければ、それでいいんだから。

 

 残されたワームが這う。

 サク、サク。

 と涼しげに砂を踏むジュリアスを包囲するように、正面に一体、後方に二体。

 彼の右手には、一番初めに現出し、そして弾かれどこかへいったはずのショートソード、光剣がいつのまにか握りなおされていた。

 ワームらにはもう油断と隙がない、この先きっと生じもしないだろう。

 三つの暴威を一気に相手にまわし、少年は笑む。

 鼻歌でも奏でだしそうな表情で。


 ああ、また始まってしまう。

 まだ、終わってはいない。


 ブゥン、と重苦しい音がして、予備動作なく正面に鎮座したワームの鞭が唸った。

 瞬発的に、呼応するようにジュリアスは光の剣を空に滑らせる。

 その一瞬、彼の反撃が確定したそのコンマ数秒を正確に縫うように、後方二体のワームが同時に悪辣な触手を鋭く突き伸ばした。

 あまりにも惨い殺意のシンクロ。

 躊躇いなく喰らいあえる同族と魅せる、その連携。

 これができてしまう自然界とは斯くも恐ろしく、なんて合理性と生命力に満ちているんだろうか。

 素直に感動すら覚える。

 ―――なんて言ってられるのも、そこに立つ少年の力をもう既に知ってしまっているからかもしれない。


 ジュリアスは正面から向かってくる鞭を、難なく右の光剣でいなし、後方より迫る両の刺突を()()()()()()()()()()()()二本目の剣で切り刻んだ。


 もう何度目かのいつのまに、だ。

 自分の目を疑った、視線は動かしていない、瞬きもしていない。

 かっぽじって注視していたはずだった。

 だのに俺は、ジュリアスの速さに全く追いつけていない。


 すかさず彼は大地を蹴ると、正面のワームから無防備に伸ばされきったその触手に対の刃を突き立て裂いた。

 さながら三枚おろしのように。

 正面のワームは、主となる凶器を寸断されようがお構いなしに巨体をくねらせるも、もはや無駄だった。

 ジュリアスが繰り出す光の剣戟が硬い外皮を、堅牢に守られた肉、そのさらに奥の器官ごと等しく斬り砕く。

 アーチのように綺麗な弧を描きサンドワームから激しく噴き出す、その黒緑色の体液ですらも、彼の戦闘を彩る装飾の一部となってしまっていた。

 こうなっては、なんだか心配するのも馬鹿馬鹿しいんじゃないかと思えてきてしまう。

 三体目が動かなくなるのも、時間の問題だった。

 俺たちは、固唾を飲んで見守ることしかできない。


 そうしていると戻ってくる、俺の関心は降ってわいてきた疑問へと。


「なんだよこれ……、それが魔法じゃないならなんなんだよ……。

 こんなの聞いてねえぞ女神様…………」

「……なあユウスケ、もしかしておまえさん、実際に見るのは初めてかい?」


 あまりにも圧倒的なジュリアスの切先。

 心の余裕が生まれるのも当然のこと、刻一刻と姿を変化させる戦場を一先ず、ホーガンが茫然と目を見開く俺の肩を叩いた。

 たはは、と表情を綻ばすホーガンに、居てもたってもいられず質問を、懇願を投げかける。


「一体あれはなんなんです……? 彼のあの強さは……?

 暑さにやられていいかげん、俺の頭がどうにかなってるんじゃ……」

「夢でも見てんじゃねえかって、そう思うわな。 おれも初めてあいつの戦い見た時は全くおんなじだったさ」


 しみじみと感傷に浸りだしたホーガン、俺も早くそれになりたい。


「なあ、ユウスケお前、魔法使えるか?」


 唐突にそんなことを聞いてきた。

 全力で手のひらを振り、否定。

 使ってみようと思ったことすらな…………いや嘘です、モノマネしたことは何度もあります。

 でも、本気で使えると思い込み、本気で使おうとしたことは一度たりともない。

 あたりまえだ、それが俺のいた世界の常識だったのだから。


「まあ……だろうなあ。

 魔法使える奴が、こんなとこで野垂れ死になんてしないわな」


 バカにした風でもなく、単純にさもありなんと頷くと、ホーガンの両のまなこは、穏やかにどこか遠くを見つめだした。


「鍛えりゃそれなりになる武術に剣術、このご時世、学べば誰でも使えるようになれるっちゅー魔術、がんばりさえすりゃそれらは人並みになれる」


 疑問符のように曲がっているであろう俺の眉根に、ホーガンは含みのある笑みを口の端にたたえる。

 

「まあそんなこと言っておれもこんな体型ナリだしよ、頭も良くねえからどれもトーシローなんだが……。

 ふふ、まったく、良い時代になったよな。

 偉い学者先生らのおかげで、おれらみたいな碌な学もねえ平民でも、当たり前みたいに、便利な技術を使えるようになったんだから。

 そうだろ?」


 気恥ずかしげに間を入れるホーガン。

 その余韻には、凄惨な戦場にはとても似つかわない、どこか懐かしむようなしみじみとした感傷が含まれていた。


「……っと、話が逸れちまったな。

 とにかく、ジュリアスのアレは、それら技術と呼べる代物とは明確に異なる。 別物だ、根本的に違うんだよ」


 ゴクリ、と一拍の緊張。

 仰々しくホーガンの目が熱を帯びる。

 そして重苦しく、言葉が紡がれる――


「いつから存在していたのか、誰も知らねえ。

 その能力は千差万別、山を動かした、海を割った、御伽話にもでてくる数々の伝説は時に崇められ、時に忌避され、こうしておれたちのそばに、確かに存在している。

 本人の強い意志にのみ呼応し、発現するその異能。

 祝福か、はたまた呪いか。

 未だに解明されていない、その神秘。

 誰が名づけたか、その力を人はこう呼んだ。

 ――世界からの贈り物、『恩寵グレイス』と」


 ホーガンはキメ顔でそう言った。

 いえーい、ピースピース。

 とは言わなかった。


 まるで覚えてきたかのようなセリフをつらつらと。

 俺は吹き出しそうになるのをちょっと堪えていた。

 ホーガンの目が澄み切っていて、あまりにも綺麗だったから。

 それがわかったのだろう。

 こほん、と一つ咳払い。

 小っ恥ずかしいとでもばかりに、ホーガンは戦場に視線を戻すと、


「つ、つまりだ。 ジュリアスは……、あいつはすげえヤツで、超すげえ力を持ってるってことなんだよ!

 見てりゃわかんだろ? なあ!

 ……ちくしょう、あっち見とけよ、あっち!

 や、やめろそんな顔。

 ったく、らしくねえことしちまったぜ」

「いえ、そんなことないっすよ、ワクワクしますよね、わかります。

 初めて見た……。

 そうか、知りませんでした、こんな世界があるなんて」

「だよな。人から聞くのと実際見んのじゃ、全然違うよなあ」

「ええ、まったくです」


 冗談みたいな化け物に、魔法に、超能力ときた……。

 いや、ほんとに。

 なんてところに送り出してくれたんだよ、あの女神フワフワは。

 思わず、困ったような笑いが溢れる。

 誤魔化すように、俺は続けた。


「じゃああの身体能力、彼の強靭さも、そのグレイスとかいう能力のためですか……」

「ん……? いや、どうだろうなあ」


 分析するように呟くと、またもホーガンの指摘が入る。


「おれが聞いたときは、恩寵グレイスの能力は一人に一つ、って話だったぜ? ジュリアスの能力は……っと、いけねえいけねえ。

 勝手にぺらぺら喋ることじゃねえわな、気になるなら自分で確かめてくれ、悪く思わないでくれよ」

「え? じゃあ、つまりあれは……」

「あの剣術に、体捌き、そしてパワーは、ジュリアスが自分を鍛えたが故の実力。修行の成果ってことだろうぜ。

 すげえよなあ、あんなちっこいのによお。

 うちの娘と、大して変わらんぜ……」

「………………」


 …………嘘だろ?

 魔法や不思議パワーなんかよりも、俺はこれまでで一番耳を疑った。

 だって、それだと―――


 ジュリアスは二刀流のスタイルを崩さず、それでもスピードはそのままにサンドワーム三体による猛攻、悪足掻きを、凌ぎ、躱し、逸らし、透かし―――。

 返す刃でざっくばらんのやりたい放題。

 その瞬迅は、俯瞰で眺めている俺の目がもう完全についていけないほど。

 ジュリアス一人だけがゆっくりと映像じみた景色の中で、一秒、二秒、とスキップ機能が備わっているかのような挙動を見せる、俺の動体視力ではとてもじゃないが追いきれない。

 巨大なワームとのそのあまりの差に、しまいには一時停止された画面の中で、彼だけが自由に動いているかのような錯覚を得る始末。

 目の前の光景がどうも遠くの世界に感じる、それこそ、世界の裏側のワールドカップの中継をぼけっと眺めているような感覚。

 観戦とは言い得て妙。

 別世界すぎて、襲撃自体が完全に他人事と化していた。


「―――っしょ」


 剣のリーチから少しでも逃れるためか、ぐんぐんと空高くまで伸びていこうとした竜のようなその軟体に、追い縋るようにジュリアスは跳ねた。

 階段を一段上がる程度の小さな一蹴、それだけで彼の位置はワームの躯体をゆうに飛び越え、光の尖鋭がその分厚い喉元に突き立てられる。


 ……え、人間って、あんなにジャンプできるもんなの?

 垂直跳びの世界記録ってなんぼだったっけ?

 あの高度、どう見積もっても今のジュリアスは八メートルほど浮き上がっていた。

 馬にすれば三頭分ほどだ。

 もうこれは……地球の裏側どころじゃない、もっと、さらに現実離れしている。

 まるでゲームの画面を見ているみたいだ、世界というより、次元が違う。


 得意の激しい黒色の鞭打を微塵に封じられ、巨体を活かした乱動もジュリアスの身体能力の前には有効になり得ない。

 砂の竜とも称される虫螻サンドワームに、もう勝機はない。

 一手ずつ、確実に弱っているはずだ……なのに。

 


 ギギギギギギキキキキキキ


         キキキキ……ギギギギ……


   ギギキキキキキキ…………ギギギギ



 不快な金切り音、いや、声が、収まるどころか強くなっていく。

 唯一残された武器である巨大な口、その内側、常に変則的に蠢くチェーンソーの刃のような回転が、むしろ勢いを増している。

 血を吹き出しながらも、巨体の動力たる筋肉の収縮がさらに空気を熱くする。

 ただでさえ巨大な肉体が、さらに膨らんでいくような錯覚を抱かせる、それぐらいの迫力があった。


「なんなんだよ……、もういいだろ、逃げればいいじゃんか」


 思わず、震えたセリフが口をつく。


 なにがコイツらをそこまでさせる。

 どうして少しも殺意が衰えない。

 いくら知能が低いといえ、本能のままに生きているとはいえど、このままではジュリアスにただ殺されるだけじゃないか、そんなの余りにもお粗末すぎる。

 仲間の死肉で腹は満ちたはずだ。

 もう戦う理由なんてないはずだ。

 生きる為に命は存在するはずだ。

 痛みが、心が……、ほんの少しもないのか?

 こんなものは生物じゃない。

 これがおまえら、怪物モンスターだとでも言うのか。


 ぞくり―――と、背筋に悪寒がはしった。

 なにか、嫌な予感がする。

 同情さえ抱いていたワームの姿に、言いようのない不安が再度芽生える。

 とにかく不気味だ。


「あ……、あのこれ、やばくないですか……?」

「ああ、まずい……かなりまずい、これは。 

 見たことねえ、何十年とこの仕事続けてきて、何度も奴らに追いかけられてきたが……、こ、こんな砂竜初めてだ」

「なにしたらこんな怒らせられるんですか……。

 なんでこんなに……、怒らせるようなことしたんですか…………?」

「いやあ、たはは…………」


 たははじゃねーよ! 

 マジでどんな煽り方したんだよアンタら!!


 砂漠のど真ん中で凍えるように浅黒い腕をさするホーガンの仕草。

 全員が感じとっていた、執念という言葉では片付かない、サンドワームというモンスターの異常性、その一面を。

 額の汗を拭ったジュリアスの表情からも、ついに笑みが消える。

 追い詰められているのは、俺たちの方なのかもしれない。

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