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『きっと大丈夫』

 そうだ──思い出した。

 あのなんてことない朝のこと。

 いや昼か、昼過ぎだったな。

 いつものように少し落ち込んで、ちょっとしたことで元気が出て、気がついたら日が暮れていて、目を覚ましたら朝がきて、それを繰り返す日常があった。

 あの日もそうして過ぎていくはずだった。

 そんな毎日が、終わってしまったと。


「あ、あ……ああああああああああ!!! 

 ああ。 そうだ俺、落ちてそっから……そうか」


 狼狽し後頭部を抱える俺に、沈痛な面持ちで気遣うように女神様が言う。


「記憶が戻ったみたいだね」

「たはは……、笑えますよね、こんなの」

「笑わないよ」

「……一個だけ確認していいですか?」

「うん、なに?」

「俺はあの時、自分から足を滑らせたんですよね?

 それはその……、つまり……。

 あれは運悪く俺自身の不注意で起こった事故であって、あなた様が仕組んだことではない……ですよね?

 ほら、その。 待ってたって……おっしゃってましたし」


 心配そうな表情の彼女に、俺は咄嗟に思い浮かんだことを、ほんとうに碌な反芻もせずに投げかけてしまう。

 言い切ってから、はたと気づく――この質問って、して良かったんだろうか。

 目の前の女神・フワフワ。

 彼女がどんな存在であるか、敵なのか、味方なのか。

 なにもわかっていないというのに。

 場合によっては詰みなのでは?


「…………」

 

 刹那的な逡巡に反して、フワフワは不安げな表情を崩さなかった。

 高笑いをあげ、正体をあらわす!

 なんてことにはならず。

 それどころか、しゅんと肩を落として彼女は静かに声を絞り出す、


「あはは、そうだよね」


 ――と、それだけ。

 頬を引き攣らせたこの表情を見て、錯乱し、恐怖しているとでも感じ取ったのだろう。

 その読心によって、内面すらをも見透かしたのかもしれない。

 深い悲しみと、自嘲を込めて女神は言う。


「私にはそんなこと、いや、神などという存在に限らず、誰にも、命の行く末を強引に捻じ曲げることはできないし、してはいけないことだ。

 ああ……してはいけないんだよ。

 そうか、でも。 そう…………」

「ああ、いや、ごめんなさい。

 ただ、あんな恥ずかしくあっけない死に方をしたなんて認めたくなくて、その、はい」


 フワフワの顔を直視できない。

 軽率な発言が、この一瞬で彼女を深く傷つけたことは、想像に難くなかった。


 なにが……。

 なにが神様のせいだ、運が悪かっただ。

 俺が死ぬまでの一連。 その全ては、己で筋道を立てた因果が招いた必然だった。

 なにもかも、自分のせいでしかなかっただろうが。

 掃除してなかったのも、現実から目を背けるために漠然とした将来を不安がるフリしてたのも――ひっくるめて全部。

 すずみ 悠介ゆうすけって名前の、俺自身のことだったじゃないか。


 情けなく紅潮する頬、噛み締められ震える唇。

 それらを隠すように俯き、握り拳を眺めることに徹する。

 どこまでも惨めだ、死んでも治らないとはまさに、こういったことを指すのだろう。

 だがそんな俺に、

 

「君の人生に、心からのお悔やみを」


 優しく呼びかけ女神は唱える。

 それから左右に指を振ると、何か模様のようなものを空中になぞるような仕草。

 それから満足したように微笑むと、続けて言った。


「このままお話しするのも楽しそうだけど、状況の理解の方も進めていかなきゃね」


 照れたようにはにかみ、足を組み直す女神、フワフワ。


「…………よろしくおねがいします」


 そんな彼女のことを、俺は信じるてみることにした。

 相手が神だから? 

 顔がいいから?

 心を読まれてるから?

 全部そうだよ。

 単純だなんて、自分でだってわかってる。

 味方かどうかはわからないが、そんなことをいちいち疑ったところで結局、俺にこの場でどうこうできる術はない。

 さっきからなんかないかなと気張ってはいるが、胃腸のあたりがちょっとむずいだけ。

 どうやら俺は、自分が思った以上に無力らしい。


「へへへ、何から話そっかな〜」


 呟き、忙しなく手わすらしている謎の美女。


 この一瞬が嘘だったとしても、それでいい。

 これにだったら騙されてもいいのではないか。

 なんとなく、そう思えた。



※※



「少し仲が深まったところで、さ。

 話題を戻したいんだけど大丈夫かな? 

 ついてこれるかな?」

「はい、いいっすよ、じゃんじゃんいきましょっか」

「お、おう。そうか、じゃんじゃんか、いいねいいね、元気だね」


 俺が見せる感情の起伏具合に、少々面食らったように目を丸くするフワフワ。

 自分というものを思い出したところで幾分か調子が戻ったから、努めて冷静に会話を続けようとは思ってるんだけど、いかんせん興奮して若干の前のめり。

 戻るどころか乗り始めている。

 ウキウキの、ワクワクである。


 正直実感は未だ追いついていないけれど、理解はできた。

 俺は死んでここに来ているということを。

 ただでさえ手ぶら同然だったなにもかもは、本当の意味で全部失われてしまった。

 あの鈍い痛みを、コンクリートの冷たさを、血が、命が、失われていく感覚を。

 全部思い出してしまったから。

 自分が死んでしまったことも、もう……会えないかもしれないことも。

 そんなことまで、理解できてしまっていた。


 この人生の果てに流れ着いた場所。 改めて淡い白色の空間をチラと見回しながら、思う。


 なってしまったのだからせめて、差し出されたものは快く受け取った方がいいに違いない、と。

 それがどんなに非現実的なことだったとしても、少しでも楽しそうな方向に進めるならば、それに越したことはない……。そう、思うんだ。

 夢ならどうせすぐに終わって。

 そして、忘れてしまうのだろうから。


「よーしっ、じゃあまずは――」


 複雑な内心をまた読んでか読まずか、フワフワは言う。


「今までいた世界と異なる世界、つまり――異世界。

 君がこれから行くことになるその場所はさ、いったいどんなところだと思う?」

「異世界……って一言で言っても、そりゃまあ色々ありますから」

「ん? あーそうか。

 君がいた世界……いや、国といったほうがいいかな。

 あそこは特に、創話というジャンルにおいて多種多様なアイデアに富んでいるんだったね。

 色々なお話が存在するって素敵だよね」

「はい…………そうですね」


 好きな作品たちを思い出しながらだったため、意図せず素っ気ない受け答えをしつつ、会話が進んでいく。

 異世界。

 なんとなくで憧れるぐらいに知識はあった。

 ゲームに、漫画に、小説に、様々な世界が思い描かれていた。


「じゃあさ、悠介はどんな世界が好き?」

「一番好き、というより、憧れているものでいくと――」


 やっぱり、と一言前置きし。


「剣とか魔法のファンタジー……ですかね」


 胸の高鳴りを隠さず、震える声でそう答えた。

 拭いきれない気恥ずかしさに負い目を少々、それでもおそらく、子供みたいにキラキラ輝いているであろう俺の双眸へ。

 ニコッと微笑みフワフワは、


「うん、君がこれから行く世界は、まあ一部…………いや概ね、その認識で間違いはないかもね」

「おお……!」


 息が漏れる。

 背筋を震えが駆け巡り、その衝撃はすぐに手足へと波及した。

 剣と魔法、そんな世界が存在し、そこへ行けるって?

 え? ほんとに?

 今更になって目を白黒させる俺に、フワフワは変わらぬ笑顔を向け、


「じゃあ、少しづつ準備を始めていこう」


 おもむろに中空を指でなぞり始める。

 ついさっき俺の死を悼んでくれた仕草とほとんど所作は似ていたが、もたらす効果はまるで違った。

 なぞられた先から粉塵のような奇妙な光が巻き起こり、それらは俺の足元を中心として、空間そのものを包み込むように広がっていく。

 やがて粒子は結合し合い、大きさや見ための異なる文字のような羅列に変わりながら、尚も緩やかに展開し続ける。


「お、おお! うおおおおおおおお⁈」

「落ち着いて、大丈夫だから、ゆっくり一つずつ進めていこう」


 彼女のそんな声など、まるで抑えにならない。

 座っていたパイプ椅子を派手に倒しながら、俺は足を震わせ立ち上がった。


 忙しなく形を変形させ、蠢くように足元を漂う光の束たち。その流動に触れられないかと手を伸ばし、微かに肌に感じる熱に全身が総毛立つ。

 恥ずかしげもなくはしゃぎまくる俺に、手を動かしながら優しい口調でフワフワが言う。


「大丈夫だよ、必ずうまくいくからね、まずは君の名前を教えて」

「す、涼。 涼悠介です」


 もうすでに教えたことをなぜ聞くのか、そんな無粋なことをいちいち問いただそうとは思わなかった。

 彼女は必要だからやっている、俺はただ誠心誠意フワフワに応えればいい。


 するとどうやらその判断が合っていたのか、周囲を囲む粒子の勢いが増し、乱雑だった文字列がはっきりと、正確に足元を敷き詰めだした。

 輝きをもったカーペットが展開されていく。

 なんだかどんどん力が漲っている。

 

「では簡単な出身、それと年齢を」

「日本です。 宇宙があって、地球があって。

 そこの……はい」

「うんうん」

「歳は……十八歳」


 答えた矢先。

 ごうぅっ、と勢いよく風のような何か、とにかく体験したことないような力が収束していくのがわかった。

 なにか特殊なエネルギーが、確かにこの空間を満たしている。

 体が浮き上がるんじゃないかと不安になるぐらいの勢いで、眼下の文字列が輝きを発し始めた。

 

 ――これは魔法陣だ。

 直感的にそう断定する。

 うわ、これマジじゃん。

 本当にこれから行くんだ、異世界に。

 これはちょっと、ワクワクどころじゃないかもしれない。

 そして立て続けにフワフワが問う。


「じゃあ次、血液型と職業を、これも簡単でいいよ」

「AB型、高校生です」


 言うや否や、眩くエネルギーを放っていた魔法陣が少し勢いを失い、奇妙な文字の動きもゆっくり落ち着いたものに変化した。

 さっきまでの迫力に若干気圧されていた俺は、ほっと胸を撫で下ろす。

 だが逆にその光景を見て、フワフワはおや? と小首をかしげる。が、それから一瞬間を置くと一人得心したように頷き、申し訳なさそうに片目を瞑って言った。


「ごめん悠介、出来るだけ情報は正確だとありがたいな、その方が早くて確実にことが進むからね」

「え……、あ、はい」


 正直に…………って言われても。

 俺が何か、事実とは異なることを答えてしまった……ってこと?

 こんな基本的な情報、間違えようがないんだけどな。

 もちろん偽ってもいない。

 そう思って悩んでみる……と、案外すぐに答えには辿り着けた。


「あ……、ああそうか、もう高校は卒業してんだった、ごめんなさい間違えました、大学生です」


 すぐさま、しゅん……とさらに勢いがなくなる魔法陣。

 あれ?


「あ! そうだそうだ大学の入学式もまだでした、大学生でもないですね、これは失敬。 

 じゃあえーと……何になるんだ? 春休み中の……学生? 大学内定者?」


 しぅ。

 そんな情けない音をたてて、線香花火の最後のように輝きを無くす魔法陣。

 なんとも言えないフワフワの生暖かい視線が突き刺さる。

 おい、なんだこれは。


「あの、悠介……」

「ちょっと待って! 今考えるから!」


 敬語も忘れて叫んだその時、ふと思い出した。

 前世のあの瞬間、窓枠から落下するあの結末。

 そこに至るまでの寝起きの自分。

 それらがすべて、一瞬のうちにフラッシュバックする。


「じ、自宅警備員……」


 魔法陣はうんともすんとも反応しない。

 あんなにすごい勢いで舞っていた光の粒子も文字のカケラも、今や降り積もった埃のように散っている。

 奇しくもその眺めは、俺の部屋の床そっくりに見えた。


「家事、手伝い」


 せめてもの抵抗だった。

 というかこれも嘘ではないしな。

 皿洗いとかしてたし、ちゃんとな。

 風呂洗いも洗濯もしてましたよ!

 されど魔法陣には何も変化がない。


「あーもう分かりましたよニートですニート、これでいいですか」


 そう……半ば投げやりに吐き捨てた途端のことだった。

 ごうぅっ‼︎ 

 空間そのものの質量が膨れ上がったかのような衝撃が走り、輝きを取り戻した魔法陣は舞い上がる光塵を取り込むようにさらに大きく、広く、俺の足元を覆っていく。

 まるで「そうだよね! 正直に教えてくれてありがとう!!」とでも言いたげに――


「おい」

「はは! あははは! はははははは……!!」

「うおいっ!」


 ごうぅっ‼︎ じゃねえよバカにしてんのか。

 魔法陣が人をバカにするのか。

 ひりひりと脇腹を抑えながら悶絶しているフワフワを無視して魔法陣をタンタンと踏みつけてみるが、特に効果はないみたいだった。


 いや、そりゃ自覚はあったよ、あったけどさ。

 こんなマインドじゃせっかく大学出たところでぷー太郎だよなとか思ってたよ?

 思ってたからこそ二の足どころか一歩も動けずうだうだ言ってたんだけどさ……。

 でもここまでされる覚えはねぇよ!

 神秘のエネルギーは本物を見抜くってか。

 しゃらくさいよ。


 文字列の並びはさらに完成へと近づいたようで、足元はすでに光と模様に覆われている。


「はあ……はあ………。 それで、いつまで笑ってんですかあんたは、そんなに面白いですか」

「ぐくくっ、ふっ……、いやごめん、なんかツボに入っちゃってさ、ふふっ、あはははは――」

「今の流れ、まさか魔法陣とか関係なくあんたが俺を揶揄うためにやったなんてことないですよね?」

「――え⁈ いやいやそんなことないよ、心外だなぁ」


 ほんの数瞬ギクッと表情が固まったのを、俺は見逃さなかった。

 どうやら図星だったらしい。

 神様だなんて名乗る奴でも、こういう変な悪戯みたいなことするんだな……。

 と、不意の感想で怒りを冷ましつつ、


「大体、俺まだ了承してませんよね、異世界とやらに行くなんてこと。

 自然に出発する流れみたいになってますけど、なんで勝手に魔法陣発動させてんですか」

「行きたくないの⁈」


 この反応は予想外だったのか、魔法陣を操る手が止まるフワフワ。


「まだ行きたいとは言ってない」

「質問に答えてくれたのは同意と捉えても問題なかったと判断したんだよ」

「……あ? なんて?」

「ここまできて、来てくれて! まさか嫌だなんて⁈」

「だから嫌だとは言ってないって、もう少し説明が欲しいというか、心の準備とか……って話ですよ」

「まあまあ、そうは言ってもさ! 正直ワクワクしてるんじゃない? 異世界に行くこと、行けることにさ。 

 あの世界での君の一生は終わってしまったわけで、つまりは、楽しくなったかもしれない未来ももうありはしない。 

 だからその……、うんと、んー…………。

 これから君が行く世界はそんなに悪いところじゃないよ、私が保証する!」


 なんか急にテキトーだなこいつ。


「戻ることはできないんですか? 異世界じゃなくて、元の世界に戻ること」

「できなくはないけど……。

 また最初からだよ? 人間か、動物か、虫か、それとも植物か……、何かに生まれ変わるだけだよ?

 いいのかい? それでも」

「それは……」

「ならいっそのこと、君の人生の続きを、これからを、新しい世界ではじめてみない?」


 ほんの一瞬、俺の()()()()と、そして()()()()にも、そんなものにたいして価値なんてないんじゃないか、そう思えたが、でも。

 やりたいことか……。


 異世界というくらいだ、きっと俺にも想像がつかないぐらいの未知のなにかが待っているに違いないのでは?

 そこでなら何か、成すことができるだろうか、自分のことだけじゃなく、誰かの役に立つことでも。

 いや、既知の場所でもくっちゃねだったのに、未知なんてそりゃもっと酷いことになるのでは?


 いろんなものが瞬時によぎる……だが、それでも。

 燻って、腐って、ベッドを湿らせていたあの日々よりも少しはマシなことが、俺にもできるかもしれない。

 そう思うと、無意識に拳を握っていた。

 心はもう、決まっている。

 実際はこの空間がなんであるかを察した時既に、腹は決めていたのかもしれない。


「決心はついたかい?」

「ああ、まあ……ここで『はい、終わり』ってのもなんだか癪ですしね、もうちょっとだけ、俺にできるところまで、やりたいところまで、足掻かせてもらいますよ」

 

 そうだそうだ……、ポジティブに考えよう。

 ボーナスステージだとでも思っておけば良いんだ、それで良いんだ。

 心の準備だなんて、そんなことを言っている間にあっけなく終わった前世だったんだ。

 ならもう、能無しでも穀潰しでもなんでもいいから、やってみるしかないじゃないか。

 生きてる間に……やるべきだったことを。


「俺いきます。 行かせてください、異世界に」


 取ってつけた決意と自嘲を半分ずつ。

 呟く俺に「そうかい」と一言返すと、フワフワは今まで座っていた教卓からぴょんと飛び降りた。


「何度もくどくど言うようだけれど、大丈夫だよ、きっとね」


 そう言ってフワフワは魔法陣を操り始める。

 両の手をタイピングのように滑らかに動かすと、それに連動し、さらに大きく俺の足元に力が集まってくる感触が確かにあった。


「フワフワ、さっきからずっと気になってたんだけど、今俺を包んでるこれは……()()、なんだよな?」

「うん、そうだね」


 あっけないほど、簡単な肯定。

 だがそれが逆に良い、その力の普遍性を表しているようで。


「そうか、そうなんだな。なんとなくだけど感じるよ、暖かくて優しい、実際に目にしてみると思った通り素敵な力なんだな」

「それは私のことを褒めているのかな?」

「そう受け取ってもらって構わない……です」

「へへへ、ありがとう」


 照れてはにかむ女神様。

 手先を動かし、目線こそ俺ではなく魔法陣に向けられているがその横顔は、やはり絵になるような美しさだ。

 なんでこんな存在が、俺を相手にしているんだろう。

 聞いてもきっとはぐらかされるよな。


「……な、なあフワフワ、その、さっきもちょろっと言ってたけど、異世界にはほら、魔法とかあっちゃったりするんだよな?」

「あっちゃうよ」


 フワフワは俺が話しかけても特に気が散った様子もなく、淡々と魔法陣を繰り続けている。

 異世界ってことだから何の気なしに聞いてみたが、やはりあるんだよな、魔法。


「じゃあケモ耳ちゃんだとか、他にもエルフさんとかドワーフさんとか、そういう種族の方たちってのもいたりするのです?」

「いるですねえ、わんさかと」


 おお! すごいじゃん!

 いろんな人々との出会いと別れ!

 いつか憧れた物語のイメージが脳裏に浮かぶ。

 その登場人物たちは、様々な手練手管で並み居る敵をバッタバッタと薙ぎ倒し――あ。

 と、自身が活躍する様子を。

 具体的には、シュンッと距離を詰め一刀のもと地に伏せたり、ありえない高さから片膝をついて着地する姿だったりを想像し、……思う。

 

 ――そういえば……、俺の知る異世界にはよくある、超大事な()()ことを忘れているじゃないか。

 というか、()()が無ければ今しがた妄想したような切った張ったなんて、できるはずがないじゃないか。


 我に返りかけた俺は、視線を落としたままのフワフワへ、ずずいと一歩、踏み込むように聞いてみる。


「あのー、フワフワ。 異世界転移だか転生だか……するってことはさ、俺は特殊な能力とか、そういうおくりものみたいなものって貰えたりしますか……? 

 神様ならご存じですよね。 俺の言いたいことわかりますよ……ね?」

「ん……? あー、あれね。 うーんと、ああそう、『転生特典』だかって君らが呼んだりする……」

「……っ! そう!それです!!」


 マジかよおい。

 つ、伝わるんだ……。

 これもあっちゃうのかよ。


「もしかして標準装備だったりです? 転生者は素の魔力量がとんでもないとか。 

 ああそれか、専用の武器ってのもいいなあ、魔法もいいけど剣振り回すってのも、やっぱり男の子だからなんですかね、いくつになっても憧れがあるんですよ。

 とは言っても、体育の剣道ぐらいしかやったことないんですけど、それでも通用するのかな……」


 体育では平均以上の成績をとったことがない俺は、フワフワが展開した魔法陣の上で、色々と妄想を膨らませ、自分でも驚くぐらい饒舌に捲し立てた。

 なんたってこれは譲れない要素だ。

 期待に目を輝かせ返答を待つ。

 そんな俺に対してフワフワは、


「あー……、残念だけどそういうのは無いかなぁ」


 なんて言ってきた。


「………………え? あ⁈

 …………ない?」

「うん、ない」

「んぇ?」


 喉から変な音が出た。

 と言うのも、フワフワの態度、そのふてぶてしいセリフ、口調には、確かに「当然だろ?」的なニュアンスが込められていたからだ。

 肩透かしなんてレベルじゃない。

 そっけない、涼しげな双眸に優しげな微笑みを携えた、まさしく女神と呼ばれるにふさわしい様相で、彼女は疑いようもなくそう言った。


「えー……と、聞き間違いでしょうか? 

 俺の異世界特典は? あれ……?」


 俺の異様な混乱を察したのだろう。

 しばらく手元に目を落としていたフワフワが、スッと視線をあげ、


「舞い上がっているところごめんだけど――」


 そう、静かに前置きをしてから言葉を繋げる。


「誤解のないよう今のうちに言っておくよ、悠介。

 私が君に対ししてあげられるのは、本当にごく最小限のことだけだ。

 その最小限には、なにかを与えることで君を特別な存在に変えてしまうことは含まれていない。

 そのなにかを手に入れ……またなにかを成すのは、あくまで君自身だ」

「…………ああ、はい」

「冷たい言い方になってしまって、申し訳ない」

「いえいえ! 全然……、こっちこそ、なんか変にテンション上がっちゃって……」


 確かにそのとおりだと思った。

 頑張ろうだとか決意がどうのと言っておきながら、恥ずかしげもなく俺はまた、自然に楽な方へと流されようとしていた。


「大丈夫かい?」

「はい。 すいませんでした、甘えたこと言って」


 フワフワの一言一句を素直に受け入れられている自分に、少しだけホッとした。

 もっと深いとこまで捻くれてたら、平気で不貞腐れていただろうから。

 可愛げのある幼児のそれならいざ知らず、大の男のそんな姿は、きっと見れたものじゃない……。

 

「いいかい悠介。

 自覚しているように、君は特別でもなんでもない」

「はい」


 フワフワの真剣な眼差しが突き刺さる。


「能無しの穀潰しってのも本当にそのとおりだと思うし、何よりヘタレだ。

 なにか一つのことをやり切る根性もない、それに――」

「待ってタイム、言い過ぎじゃない?」


 きょとんと首を傾げ口を窄めるフワフワに、流石の俺も我慢できずに震える声で食ってかかった。

 

「言い過ぎてるでしょ、勘弁してくださいよ」

「え〜そうかな〜、そうかも〜」


 そう口元をニマニマさせ、目を細める女神。

 絹のように滑らかな毛先をくるくるといじりながら、楽しそうに笑っている。

 この人、どんだけ俺を揶揄えば気が済むんだろう。

 

「反応が面白いからだよ、どれだけでもさ」

「ナチュラルに心読まないでもらえるか?

 てかなんとなくじゃなかったのかよ読心って!

 丸ごと筒抜けじゃねーか!!」

「それだけ相性がいいってことだね。

 わお。 素敵」

「…………う、うざすぎる」

 

 なんだか異世界に行く前に心が折られそうなんですけど。

 なにコレ? 俺なにされてんのコレ今……。


「フフ、本当に揶揄いがいのあるやつだな君は」


 そう呟き、再び視線を手元に下げ転生作業を再開し始めたらしいフワフワ。

 意趣返しってわけじゃないが、俺も変に気を使うこともやめ、


「なあ、その読心ってやつどうやったら妨害できるの?

 波長ってのを乱せばいいの……?」

「なんでそんな寂しいこというのさ。

 いいじゃん、仲良しこよしでやっていこうぜい」

「ふざけろ。 神だからってなにやってもいいわけじゃないでしょ……。

 こんなでも俺にだって人権があるんです。

 立派なプライバシーの侵害ですよこれは」

「これから行く場所にもそれがあるとは限らないけどね」

「え……。 なんでそんな怖いこと言うの…………?」


 白々しく宣うフワフワに恐々とする暇もなく、


「そんなこと気にする前にさ、まずはその日を生き抜くことだけ考えた方がいいと思うなあ。

 君がどれだけ気をつけていても脅威は向こうからやってくる訳だからさ」

「きょ、脅威ってなんだよ……」

「そりゃ、悪意を持って近づいてくる人間だっているだろうさ。

 私や君みたいに心優しいものばかりじゃないからね」

「うるさいなあ」

「一番厄介なのは獣の類だろう。

 君が想像できる限界で例えるなら、クマとかライオンとか、そんなものとはそれこそサイズも凶暴性も比較にならない、そうだな……わかりやすく一言で表せば『モンスター』的なやつらも当然いるからね」

「え。 は…………、え⁈」


 クマやライオンよりデカい()()()()()

 どういう意味?

 そんな化け物に初っ端から襲われる可能性があるってこと?


「…………冗談だろ」


 焦り始める俺などなんのその、さして興味なさげに、フワフワは飄々と空間をなぞり続ける。

 

「いやマジで洒落になってないって、じゃあ俺モンスターとどうやって戦うんだよ、どれくらいいんだよ、そのモンスター的なやつはさ」

「めちゃくちゃいる」

「めちゃくちゃいんの……? ええ……。

 あのー、も、もう少しちゃんと話し合いませんか?

 楽したいとは言わないからせめてもうちょっとなんかこう……魔法の使い方ぐらいは教えて欲しいなー……なんて」

「………………」

 

 帰ってくるのは沈黙だけ。

 堪えきれない笑いを噛み殺すように頬をふるわす女神。

 確信した、コイツはふざけているのだと。

 そんなフワフワを前に、俺は二転三転、改めて意思を固めた。


 よし、やっぱやめよう。

 別に俺が特別選ばれた訳じゃないらしいし、ありがたい話ではあるが、わざわざ惨殺されに転生させてもらうこともないだろう。

 おとなしく赤ちゃんからやり直そう。

 できれることならまた日本がいいな。


 そんな俺の内心に割り込むようにフワフワが、


「そういえばだけど、答えは最初のであってたよ」


 と、優しい声音で言った。


「……?

 なんの話?」

「高校生か大学生かってやつ。

 三月三十一日までは高校生扱いだから、君の職業は最初の答えであっていたんだよ。

 だから学割も高校生の方が適用される。

 良かったね、お得だ」

「……さいですか」


 呆れてものも言えないでいる俺にフワフワは、


「それともう一つ」

「…………?」

「たった今転生の準備が整ったよ」


 眼下に視線をくべると確かに、なんかいつのまにか神々しい輝きの螺旋が繰り広げられている。

 はあ……、とため息を一つ。


「そのことなんですけど――」


 やっぱり転生したくないです。

 と言おうとした矢先――


「あーダメダメ、言質とってるからねー

『俺いきます。行かせてください、異世界に』

 ほら、このように」


 フワフワが振りかざしたその手には、ドラマなんかで見たことがある機械のボイスレコーダーが握られていて、そこから俺の声が響き渡っていた。

 確かにさっき言った覚えのあるセリフだった。


――あ、マズイ!


 朧げな感覚の中、背筋に走った怖気をはっきりと知覚できた。

 急いで魔法陣から出ようと脚に力を込めたが、もう時は既に遅かった。


「よーし間に合った。 

 ふぅ〜、それじゃあ涼悠介君! レッツ異世界転生だ‼︎ いってらっしゃーい!」

「おい今間に合ったって……。 あっ……、ちょっ、待って……のわ⁈」


 観光地を案内するガイドさんのような、悪意なんてかけらも無いですよと言わんばかりの、底抜けの笑顔をフワフワが俺に向けると同時。

 今まで立たされていた地面が、パッと、突然消失する感覚を得て、自由落下に似た悪寒に襲われ――


「私にだったら騙されてやってもいいんだよね? 記憶力には自信があるんだー。

 じゃ、またあとでね、悠介」

「――っ!」


 混乱に塗れたまま叫び声をあげることもできず俺は白い空間に吸い込まれ、そのまま視界が暗転した。


「待っていてくれ、大丈夫だよ、必ずだ」


 遥か遠く彼方の空に、そんな女神の声がこだましていた。



※※


 

「どうせダメとかもう言わない」


 晩年と言えるほど長くは生きられなかったけど、俺の十八年は、そんな言葉で締め括られた。

 最後に残したそのセリフが、痛いぐらいにこだまする。


 フワフワとの出会いが。

 異世界への転生が。

 俺にどんな影響を及ぼすかは、全く想像できないが。

 ただほんのちょっとだけ、「頑張ってみよう」と、そう思った。

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